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「煤賀! 無事だったか!」
音もなく遊吉に駆け寄ったのは、牢から解放された男たちだった。あちこち怪我を負っている彼らは一様に変わった服を着ており、それは以前どこぞで出会った服部という男の忍装束と、よく似ていると新八は思った。
「うん。皆も無事……とは言い難いみたいだけど、命があって何よりだ」
「そうだ。ほらよ、割れちまってるが、まあないよりマシだろ」
「わ、ありがとう! 拾ってくれてたんだ」
「取り上げられてなくて良かったぜ」
仲間らしい男から受け取った大きな黒ぶち眼鏡は、レンズの片方にヒビが走っている。仲間の怪我からも鑑みるに、きっと捕まる前に大層激しい戦闘があったに違いない──
「ったく、自分で踏み割るなんて今後一切やめてくれよ。忍の風上にも置けないじゃないか」
「勘弁してくれよ、『元』なんだから」
新八は漫画のようにずっこけた。
「おーい新八、たっちゃんいたアル。骨だけになってるかと思ったけど、ちゃんと肉もついてたヨ」
「いや骨だけ捕らえとくってどういうことだよ。つーか本人前になんてこと言うんだよ神楽ちゃん」
ひっくり返った拍子にずり落ちた眼鏡を直しながら、新八は据わった目を神楽に向ける。彼女の後ろには、安心からか恐怖からかべそべそと泣いている少年がいた。顔から出せるものが全て出てはいるが、見たところ怪我などはなく、一先ず胸を撫でおろす。
「それにしても……」新八は仲間と話をしている再び遊吉に向き合った。
「遊吉さん、アンタ忍者だったんですね」
「もうとっくに引退しちゃったんだけどね。たまにこうして昔の仲間を手伝うことがあるんだ」
「調査って、そのことだったんですか」
「うん。彼らがここの情報を掴んで調べに来てたんだけど、ことごとく帰ってこなくて。だから初見殺しの何かがあるんじゃないかって憶測が立って、僕に話が来たんだ。索敵だけは昔から優秀だって言われててね」
「こいつは忍者学校時代、サクテキングと呼ばれた男だからな」
「いやなんですかソレ。全然讃えられてる感じがしないんですけど」
「それで護衛の彼と一緒に潜入したんだけど、調査の途中で結局やられちゃってね。いやァ、衰えちゃったな〜。情けないよ」
「煤賀、俺にも刺さるからやめろ」
護衛として組んでいたという男の視線を無視して苦笑いを浮かべる遊吉に、今度は神楽が訊ねる。
「なんで忍者やめたアルか?」
「ちょっ、神楽ちゃん」
「あはは、別にいいよ。僕、元々目が良いほうではなかったんだけど、途中からますます視力が低下しちゃってね。忍にとって目は命だから。まあ下の世代には、僕よりも目が悪いのにすごく優秀な女の子がいたって噂だけど……僕には元々忍の才能もなかったしね」
「そうだったんですか……」
眉を下げて返答する新八に、遊吉は「あ、でも生活に支障はない程度だから!」と朗らかに付け加えた。気を遣ったのだろう。その明朗で親切な性格は、確かに新八の考える「忍者像」には向かないような気がした。
「それにしても……沖田くんが言ってた子はいないみたいだね」
「ですね……じゃあやっぱり、遊吉さんが調査できてないあたりに閉じ込められてるんでしょうか」
「もしくは、ソイツこそバケモノのエサになってるかもしれないアル」
「いや不吉なこと言うんじゃないよ。つーかバケモノの正体はあの傀儡だったわけでしょ?」
「君たちもあの傀儡に会敵したのかい? 無事で良かったよ」
「あ、いや……雪さん、じゃなくてツレが一撃で倒してくれましたよ。あれってやっぱそんなにヤバい奴なんですか?」
「ものによるかな。どうも、普通の傀儡とは異なるものを多く製造してるみたいでね」
曰く、阿見原という男の作る傀儡は多岐にわたるらしい。途中で襲ってきた糸の無い傀儡も、プロトタイプから派生したと考えるとなるほどと思う。さらに調査段階で分かったことだが、中には生身の人間を原動力にした傀儡などという、外道じみたものも存在していたらしく、それを聞いた新八はさあっと青ざめた。
「彼は危険だ。本当は
「えっでも、僕たち一緒に来た二人を捜さないと……」
「僕が必ずここまで連れてくるから。その子だって一刻も早くここを出たいだろうしね」
遊吉はたっちゃんにちらりと視線を向けた。たっちゃんはなんだかんだで神楽にしがみつきながら、コクコクと何度も頷いている。
「わかりました。でも一人で大丈夫なんですか?」
「手負いの仲間を連れてはいけないしね。大丈夫、僕は敵に見つからないようにする、いわゆる隠密行動は得意なんだ! 戦闘面は結構ザコなんだけど」
「ホントに大丈夫なんですか!?」
新八のツッコミが響いた頃、遠くではまた爆発音が轟いていた。
*
羽月は、気に食わない人間だった。
"昔"はそんなことはなかった。彼女はひたすらに素直で、真っ直ぐで、心のままに笑い、悲しい時は泣く、そんな人間だった。それが今はどうだ。誰に対してもヘラヘラと八方美人に愛想を振りまき、できもしないことまで引き受けて自分を実力以上に良く見せようとする。有体に言えば、彼女は猫をかぶっていた。いいこぶって、媚びていた。
馬鹿で考え事などまるで向いてないくせに、何を企んでいるのか妙に慣れないことをする。空回っている。だから内部から密かに疑いを掛けられるのだ。隊内きっての実力者である自分や朋子の、名目上「監視下」に置かれていることも、彼女は気付いていないだろう。だからといって、それが理由で度々接触しているわけではないが。
沖田は知っていた。普段羽月が浮かべている綺麗で整った笑みの、そのほとんどが作り笑いであることを。彼女がほんの時折、朋子なんかの前で本当に楽しい時に見せるのは、目元に皺が寄った、不格好な笑みであることを。それが、幼き日に見たそれと何一つ変わらないことを。
周囲の、自分と関わりのある人間全員に、良く思われようとしている。涙ぐましいとさえ感じるその努力。一体何が彼女にそうさせるのか。
だから、彼女が自分に歪んだ顔を浮かべた時、実に心地良い気さえしていた。それは紛れもなく、羽月の嘘偽りない本心が映された表情だったから。
──だが、あんな絶望に満ちたような顔を好き好んで見たいと思うほど、趣味が悪いつもりはない。
気持ちの悪い感情を隅に追いやり、沖田は施設内をひた走る。例の傀儡らにいつ襲われても応戦できるように構えていたが、それどころか人一人さえも見当たらなかった。誰かしらを見つけられれば、締め上げて話を聞き出すこともできただろうに。
遠くから断続的に爆発音が聞こえてくる。はやる気持ちを抑え、見つけた扉を開けては、中に誰もいないことを確認して次へ。それを繰り返しているうちに、やけに暗い通路へと入り込んだ。夜目が利かない人間は迂闊に動くこともままならないだろう。しかししばらく薄暗い地下にいた沖田は、元々それなりに暗闇でも動ける性質であったために臆することなく突き進む。そうして見つけた次の扉を開いて、彼は目を見張った。
何も見えない漆黒の中から、人の気配。わずかな呼吸音。
「おい」
得物を構えながら、中に向かって呼びかけた。微かになにかの音がする。柄を持つ手に力が入る。
「……お、き……たさ……?」
──聞こえてきたのは、捜して続けていた女の、消え入りそうにか細い、自分を呼ぶ声だった。沖田はポケットから、先ほど武器庫で見つけたライターを取り出して火をつける。何かに使えるかもしれないとくすねてきたのが功を奏した。その灯りと微かに見える輪郭を頼りに部屋の中に進入すると、端のテーブルに蝋燭が乗っているのが見えた。躊躇わず点火して、部屋に灯りをともす。暗闇に、赤々とした光が生まれた。
「おきた、さ……」
依然として薄暗いものの、彼女の様子が視認できるようになる。羽月は太く頑丈な手枷によって、両腕を左右に開いた状態で壁に体を固定されていた。その顔は驚愕に染まり切ったように、大きな目がさらに大きく見張られていた。
近寄った沖田が枷を刀で斬り壊すと、羽月はようやく解放される。ずっと強引に立たされていた彼女は、そのまま地面にへたりこんだ。
刀を鞘に納め、沖田は一向に立とうとしない羽月を見ると、仕方なさそうにしゃがみ込んで視線を合わせた。
「おい、無事か──」
「──」
体に、衝撃が走った。体幹は鍛えられているはずだったが、体勢が悪かったせいか、勢いが強すぎたせいか、沖田はそのまま尻もちをついた。密着した箇所から他人の熱が伝わる。首の後ろに回った細い手が震えている。耳元でぐす、と鼻を鳴らす音がした。
羽月に、抱きつかれていた。
沖田は硬直した。
予想だにしていなかった事態に、言葉の一つすら出てこなかった。
大して重みの無い体を、引きはがすこともできなかった。
沖田は、羽月のほうから自発的に離れていくまで、ただただその状態で固まっていた。
あの炎さえなければ、ここは前後も左右も何も見えない、天地さえわからなくなるような、ひたりとした暗闇の中。わずかな光が灯されていた通路とも違う、完全に光を遮断されていた密室。一体彼女はどれほどの時間、こんな頭が可笑しくなりそうな場所にいたのだろうか。
二人の時を動かしたのは、爆発音だった。先ほどより、ずっと近くで響いているのが分かる。パラパラと落ちてきた砂が頭に当たる感覚があった。
羽月はゆっくりと沖田から体を離していった。その瞬間に、彼女の髪の毛の隙間から、その白い首に鬱血した痕がうっすらと残っているのが見えた。廃工場で敵に襲われた時のものだ。真っ直ぐ引かれた線が、酷く痛々しかった。
他人の体温の名残を感じながら、沖田はおもむろに立ち上がる。少し迷って、彼女に手を差し出した。
「……いり、ません」
どうやら辛うじて憎まれ口を叩けるくらいには、意識ははっきりしているらしい。しかしどう見てもその姿は「大丈夫」ではない。現に、足に力も入らないのか、彼女はもぞもぞと身じろぎしているものの座り込んだままだ。沖田は長い溜息を吐き出すと、彼女に背中を向けてしゃがみ込んだ。
「……オラ、爆発音聞こえてるだろ。早くしねーとミイラになんぞ」
「…………か」
「あ?」
「どうして、助けにきて、くれたんですか」
酷く弱々しく、そのまま風で吹き飛んでしまいそうな声だった。不安定で、今にも折れてしまいそうな声だった。
「私、は、足手まといで、役立たずで、仲間と思って頂けるような、人間じゃ、ないかもしれないと思って」
「んだよコイツ急にかまってちゃんかよ」
「沖田さんは、私のことが嫌いなのに、なんで」
「お前に何かあったら、俺が近藤さんに怒られるだろーが」
「……何故、局長さんが怒るのですか」
「お前は曲がりなりにも、一応真選組の一員だからでィ」
「……沖田さん、この間と仰ってることがあべこべです」
「いつの話してんのかわかんねェな。少なくとも、近藤さんや朋子やザキ……諸々の奴らは、お前に何かあったら騒ぎ立てるのが目に浮かぶだろ。ごちゃごちゃ抜かしてねェでさっさとずらかるぞ。早く乗れ」
「でも……私、わたし……」
「だァかァらァ、大丈夫だからさっさと乗れってんだ馬鹿」
──大丈夫。
彼の魔法の言葉が、羽月の頭の中で何度もリフレインする。向けられた黒い背中は、何よりも頼もしく、大きく見えた。
羽月はしばしその背中を見つめると、「ぷはっ」とほんの小さく空気を漏らした。それが何であるか沖田は一瞬わからなかったが、ちらりと後ろを向くと羽月が口元に手をやっていて、僅かに笑っていることに気が付く。
「テメェ喧嘩売ってんのかぶっ飛ばすぞ」
「沖田さんは、本当に、女性の扱いをしらないのですね」
「あァ?」
すると羽月は自身の足元に軽く手をやった。沖田はそのごく一般的な女性の着物を見て、はたと気が付く。
「……面倒せェな。無理矢理開け。もしくは脱げ」
「そういうのはセクハラというんですよ」
「チッ……」
「えっ……何、うわ!?」
沖田は体勢を直すと、突然羽月の背中に右腕を回した。それから彼女の下腹部あたりに右肩を当てるようにして、左手も支えに使いながら羽月の身体を一気に担ぎ上げた。彼の肩の上でくの字になった羽月は突如地面が遠ざかったことに動揺を隠せず、ぐらぐらと不安定なバランスの中、落とされまいと必死に彼の広い背中にしがみつこうとする。
「ちょ、ちょっと! もう少しまともな持ちあげ方はできないんですか!?」
「うるせェ黙って荷物になってろ。走んぞ」
「うわァァァ!?」
宣言するや否や、沖田は羽月の背中にしっかり腕を回したまま走り出した。目標は遊吉から予め場所を教えられていた、地上への抜け道。彼らが目的を達成して先にそこにいることを祈りながら、沖田は元気に騒ぐ羽月を抱えて暗い通路を駆け抜けた。