バレンタイン Side真選組

 最近、皆さんの様子がおかしい。
 洗濯物を運んでいれば「おっ羽月ちゃん干すの手伝おうか!」と声を掛けられ、食堂で配膳していれば「羽月ちゃんの飯は本当にうめェな〜! 天才! 店出さねェの!?」と大袈裟に褒められ、何もしなくても「羽月ちゃん今日も別嬪さんだねェ〜! 気立ても良いし仕事もできるし、こんないい女早々いねェや!」と無条件に褒められる。私の日々完璧に仕事をこなそうとしている努力が報われ、大きく評価されるようになってきたのであれば万々歳であるが、そもそも私の腕前は皆さんとうに周知のこと。今さらこぞって言うべきことでもないのだ。

 だからこれは恐らく、「フラグ」というものに違いない。私の聡明な脳は気づいた。

 朋子さんに以前教わったことがある。例えば、「この戦いが終わったら、俺はアイツに告白しようと思うんだ」なんて呟くと、それを達成することなくその戦いで命を落としてしまう。物語の主要登場人物同士の反りが合わずに喧嘩ばかりしていると、その二人はのちに戦いの場で共闘する。「押すなよ、絶対に押すなよ!」と叫べば、押される。そういう、いわゆる「前振り」というものではないのだろうか。

 でも、それならば、一体なんの「前振り」だというのだろうか。

「というわけなんですけど」
「あ〜ハイハイ。なるほどね」

 腕を組んだ朋子さんは、納得したような、うんざりとしたような面持ちでしきりに頷いている。何か覚えがあるらしい。さすが朋子さん、私の知らないことをなんでも知っている。

「あと『あ〜なんか最近甘いもんが足りねェな〜! 例えば〜黒くてつやっとしたアレとか〜!』と何やらアピールのようなことまでされる始末でして……なので明日の日替わりランチに黒豆を組み込んでみようと思ってるのですが、どうでしょう?」
「いやどうでしょうもこうでしょうもないよね。典型的なボケだよね」

 朋子さんは真顔でピシャリと言い放った。ボケたつもりはないが、どうやら私はどこかで寝ぼけた言動をしていたらしい。気を改めなければ。

「ま〜でも気持ちはわかるわ。男なら誰だって、羽月ちゃんみたいな可愛い子からチョコ貰いたいよね〜」
「チョコ? 何の話でしょう?」
「いや普通にバレンタインの……」
「ばれんたいん? ばれんたいんってなんですか?」

 ぴしり。
 聞き慣れない言葉をおうむ返ししたら、朋子さんがそんなふうに固まった。







 バレンタインデー。二月十四日に、主に女性から意中の男性へとチョコレートを贈る文化。地域や国によって差があるらしいが、ここ江戸では基本的にそういった行事であるらしかった。
 つまり、屯所の皆さんが最近よく私に構ってくださったのは、私の腕を改めて認めてくださったとかではなく、ただチョコレートが欲しかった、女性から想いを寄せられたかっただけであるということだったらしい。残念だが、まあ男所帯でこういったイベントごとがあればそうなるのは必須なのだろう。朋子さん曰く、朋子さんも毎年この季節になると隊士の皆さんからの露骨なアピールを一蹴するのが恒例であるらしい。

『普段大した女扱いもしないくせに、いや別にしてほしいわけではないけどさ。バレンタインの時だけ急にやさしくしてきたり褒めそやしたりって、虫が良すぎるわけよ! 完全にナメられてる。全員頭むしったろか!』

 と顔を歪めていたが、それでも文句が出ないようにと、何だかんだで当日はチョコベビーなるお菓子を用意しているらしい。全員に一粒ずつ、平等に行き渡るように。さすが朋子さん、苛立っていても相手に掛ける恩情を持っている。
 それにしても、なるほど、最近町の至る所で踊っている文字の正体がようやくわかった。私の故郷にバレンタインという文化はなかったから、よくわからないけど何かのフェアなのだろうと思っていたが。道理でどのお店でも、チョコレートの占めるスペースが多いわけだ。

 とはいえ、私には恋情を向ける殿方はいない。つまり私とは無縁のイベントなのだろうと頷いていたわけだが──

「というわけで! 羽月ちゃんのチョコレート争奪・腕相撲大会開催ィィィ!!」
「「「ウオオオオォォォ!!」」」

 一体どうしてこんなことになっているのか。私は大広間で雄叫びをあげる隊士の皆さんと、妙にテンションの高い朋子さんとは熱量に差のある視線を向けるしかなかった。

 事の発端はお使い帰り。町中に種々様々なチョコレートが並ぶ中、私は「自分へのご褒美チョコに」という謳い文句につられてつい一箱購入してしまった。普段はボリュームのあるごはん類にお金を掛けがちだが、私はお菓子類ももちろん好きだ。美味しいものはなんでも好き。
 しかし屯所に戻り、たまたま鉢合わせた隊士の方たちが私の手元のお洒落な紙袋を見るや否やとび跳ねた。「えっそれチョコのブランド店の袋だよな!?」「誰誰誰!? 誰にやるの!? 俺!?」「いやお前なわけねーだろオレだよな!?」「いやいや俺だよな羽月ちゃん!?」「えっ羽月ちゃんのチョコだって!?」「はァ!? オイ聞いたか!?」「羽月ちゃんのチョコ!!!」と、騒ぎは瞬く間に広がっていく。しまいには私のチョコを争って、剣まで抜こうとする方も出てくる始末。そんな風に隊士さんたちに囲まれて困り果てていると、奥から颯爽とやってきたのは朋子さんだった。助け船を出してくれるのかと期待したが……

『野郎共! 血気盛んなのはいいけどそれで怪我人が出たら羽月ちゃんが泣くぜ!』
『いえ、泣きはしませんけど』
『それに真選組ここじゃ私闘も禁止されてる。稽古って体にしてもいいけどそれじゃつまらない』
『朋子さん? つまるつまらないの問題ですか?』
『羽月ちゃんのチョコが欲しいやつァついてきな! 戦いの場を用意してやらァ!』
『朋子さーん!?』

 ……と、今に至るわけだ。
 男所帯のこの屯所に、チョコレートを抱えてのこのこ帰るというのは、餓えた動物の群れにごはんを持ってくるのと同義だったことに、私は気がつくのが少し遅かった。っていうか、これそもそも自分へのご褒美に買ったチョコレートなのに……。

「ルールは簡単。羽月ちゃんに腕相撲で勝てた奴が、羽月ちゃんのチョコをゲットできます」
「朋子さん? 私も全戦強制参加なんですか?」
「ようは羽月ちゃんは、己のチョコを死守するためにアイツら全員蹴散らせばいいってわけよ。そんじゃ一番手! 我こそはという奴ァ手ェ挙げな!」

 朋子さんの号令に合わせて、真っ先に手を伸ばしたのは屈強な体格の隊士さんだった。私は流されるまま、前へと出て用意された椅子に座る。彼と向かい合い、一礼。その瞳からは、並々ならぬ闘志が窺えた。気持ちは、わかる。美味しいもののためなら気合いも入るというもの。私だって負けるわけにはいかない。っていうか、本当に、これ、私のチョコレートなので!
 たすき掛けした袖から出る肘を中間の机について、彼の大きな手を握る。周囲の隊士さんたちに見守られる中、精神を研ぎ澄ませ、集中し、息を吸い込み──

「それじゃ一戦目! レディー……ファイッ!」

 ゴン!!

「ハ〜イ羽月ちゃんの勝利ィ!!」

 しん、と静まり返る大広間。開始と同時に手を机上に叩きつけられた隊士さんは、固まったままだらだらと汗をかいている。「つーか……羽月ちゃんに腕相撲とか、誰も勝てなくね?」と、どなたかがぽつりと呟いた。

「え、だって羽月ちゃんが自分のために買ったチョコでしょ? 誰かに取られたら可哀想だし、かと言って袖にするのも羽月ちゃん的には気ィ遣ってやりにくいだろうし」
「朋子さん! わかっててくださったんですね……!」
「あとここで力を示すことによって羽月ちゃんやあたしにチョコをたかろうとする奴らを牽制できる」
「朋子さん?」
「まァこれで皆も諦めただろうし、羽月ちゃんのチョコは死守できたってことで──」
「ふざけんなコラァァ! テメッ、ハナから羽月ちゃんのチョコ渡さねーつもりか!!」
「テメーらァァ! こうなったらぜってー勝つぞォォ!」
「「「オオオォォォ!!」」」

 朋子さんの声を遮って、男性たちの野太い雄たけびが響き渡った。……朋子さん? なんだか予定と違うのですが? 朋子さん? なぜ目を逸らすのですか? 朋子さん?

「羽月ちゃん、次ァ俺と勝負だ!」
「その次はオレ!」

 隊士さんたちが、闘気を滾らせながら次々と前に出てくる。……仕方がない。ここまでやる気に満ちた方々の申し出を断るわけにはいかない。もとより、どんな勝負にも本気で挑め、そして勝負をするなら必ず勝てと、私はおじいさまから教わっている。

「わかりました……いざ、勝負です!」

 ──ダンッ!
 ──ダンッ!!
 ──ダンッ!!!

「ハイ、羽月ちゃんの二十連勝〜」

 私の腕を掴んで天井に突き上げる朋子さん。目の前に死屍累々と倒れる隊士さんたちに、心の中でそっと手を合わせた。

「うう……まさかここまでとは……」
「羽月ちゃん、何したらそんなに逞しくなれるんだァ……?」
「ええ? そうですね……幼い頃から猪や熊と相撲をとっていれば、自然に」
「あ、聞く相手間違えたわ」
「オイ、何の騒ぎでィ」
「あ、沖田隊長」

 ふいに聞こえてきた声と呼ばれたその名に、いつの間にか熱くなっていた背筋がスッと温度を失っていくのを感じた。……いえ、気にしない、気にしません、聞こえなかったフリです。

「今、羽月ちゃんと腕相撲勝負してんですよ!」
「あ? なんだそりゃ」
「沖田隊長も参加していかれます?」
「誰がそんな怠ィことするかっての」
「まァパワータイプの奴すら勝てなかったんで、隊長も厳しいですかねェ」
「……あァ?」

 ……隊士Bさん? なぜその人を煽るような物言いをわざわざされたのですか? あえてですか? わざとですか? 意図的ですか?

「ホンット、あんな華奢で可愛い年下の女の子に、普段から鍛錬してる俺らが誰一人勝てないなんて侍の名折れなんスけどねェ」
「……」
「普段から羽月ちゃんと争ってる沖田隊長も、さすがに力勝負じゃ勝ち目はなウゴォッ!!」
「Bさんんんん!?」

 沖田さんに肘鉄を食らい後方に吹き飛んだBさん。周囲の隊士さんが慌てて駆け寄る中、大股で私の前にやってきた沖田さんが勝負の席に座った。え? 何故? どういうことですか?

「オラ、次は俺が相手になってやらァ」
「どうしてそうなったんですか?」
「ウオオオオ! 次のお相手はあの一番隊隊長、剣の腕前は真選組随一とも名高い腹黒ドS系イケメン、総悟隊長だァァ!!」
「何故朋子さんは実況風なんですか? 何故そんなに楽しそうなのですか?」

 しかし、勝負を仕掛けられたからには断るわけにもいかない。本当は関わるのも嫌だが、私は仕方なく再び席についた。
 出された手に己の手を添えて掴む。なんとなく、他の方々より小さな手かと思っていたけれど、存外そんなことはなく、少し意外だなと感じた。先ほどまで一度も気にならなかったのに、手のひらの間に溜まる熱が妙に気になって集中力を削がれる。いえ、落ち着きましょう。深呼吸、深呼吸。たとえ腕相撲でも、勝負事には……殊、沖田さんには絶対に負けたくなかった。いざ、尋常に勝負!

「それじゃあ二十戦目! レディー……──」
「羽月、着物のケツ破けてんぞ」
「は!?」
「──ファイッ!」

 ダンッ!!!

「……えっ?」
「オウ、勝負ついたな」
「えっ?」
「……そ、総悟隊長の勝利〜」

 しんと静まった広間に響いた、ワントーン下がった朋子さんの声に、ようやく眼前の自体を認識した。私の手の甲が、机上にくっついている。……私が、負けている。沖田さんに。
 私の腕を倒した彼の手がパッと離れていく。その直後、ワッと広間が沸いた。

「かっ勝ったァァァ!」
「沖田隊長が勝ったぞォォォ!」
「ウオオオオオ!!」

 残された己の腕を呆然と見つめる。沖田さんに勝負直前に掛けられた言葉が頭の中に再び蘇った。『羽月、着物のケツ破けてんぞ』…………、

「ずっ……ずるいですよちょっと!!」

 熱くなる頬に風を受けながら、颯爽と立ち去ろうとする沖田さんを逃がすまいと私は掴みかかった。

「卑怯です! 今のは無しでしょう!」
「戦場で卑怯なんて言葉は通用しねェ。勝った奴だけが正義でィ」
「ここは戦地ではありません! なんと下劣な! だっ、だいたい貴方の位置から私の御居処が見えるわけがないじゃないですか!」
「だから引っ掛かるお前がバカってことでィ」
「ぐううう……これは私のためのチョコレートだったのに……!」
「……は? チョコレート?」

 悔しい。よりにもよって、この人に私のチョコレートを差し上げなければならないなんて。だけど落ち着いて考えてみよう。沖田さんはつまり、正攻法では私に勝てないということだ。すなわち負けを認めているも同然。卑怯な真似をしてまで勝ったという事実に浸りたい、そんなお子様プライドがあるということだ。
 ……仕方がない。本当はとてもとても嫌だけど、ここはひとつ、私が大人になって差し上げましょう。

「ハイ、どうぞ。ひとつひとつ、しっかり、これ以上ないほどに味わってお召し上がりくださいな」
「……は? ナニコレ」
「クッソー沖田隊長に取られるとは!」
「羨ましいぞコノヤロー!」
「隊長他にもアホほどチョコもらってるってのによォ……!」
「あー俺も羽月ちゃんからのチョコ欲しかったなァァ……!!」
「……は?」

 私が手渡した箱を受け取った沖田さんは、丸い瞳をさらに皿のようにして、しばらく手元を見つめたままだった。







「おーっと、今年もまた届いたんですか」

 副長室内に転がる大量の箱や袋に、朋子は慣れたように笑った。それとは対照的に、座布団に腰を下ろす部屋の主は、その眉間にまた一つしわを刻む。

「ったく……始末しなきゃなんねェこっちの身にもなれってんだ」
「攘夷浪士に毒盛られた事例ありましたもんねェ」
「直接声掛けられたら断れるが、屯所に送り付けられちゃどうしようもねェからな……」
「心苦しそうですね〜。ハイ、そんなやさしい土方さんにプレゼントフォーユー」

 そう言って朋子は、手元の小さな青い箱を土方に差し出した。彼は突然出されたそれをじっと見つめて、それから朋子を見上げる。

「あ? なんだコレ」
「は〜? 二月十四日っつったら一つしかないでしょ土方二月十四郎なのにそんなこともピンとこないんですか? これだから土方さんはマヨなんだよ」
「そんなミドルネームねーよ。つかマヨなんだよってなんだよマヨでもいいだろーが」
「いいから、ホラ」

 ぐい、と押され無理やり持たされる。土方はわけのわからぬままに、小箱の包装紙を破き、中身を確認した。
 箱の蓋を開くと、そこにはやはりチョコレートが複数個、上品に並べられていた。土方はその鋭い双眸を大きく見開く。「オイ、これ──」彼の声はそこで途切れる。朋子がチョコレートのうちの一つを、彼の唇に押し込んでいた。

「どう? あたしも自分用にこそっと買って食べたんだけど、おいしいでしょここのチョコ」
「モグ……」

 土方はもごもごと口を動かしてチョコレートを味わう。甘さ控えめのそれは、土方にとって食べやすいもの。舌で転がしていくと、苦みと微かな甘みが味覚を刺激する。普段の忙しさに荒んだ心が、わずかに癒されるような気がした。
 だが。

「……どういう風の吹き回しだァ?」

 去年以前の記憶を辿っていく。バレンタインデー当日、朋子はしつこくチョコをくれアピールをしてくる隊士たちに、五円チョコだのうまい棒チョコバーだの、大勢に配っても財布へのダメージがない駄菓子を配り歩いていることが毎年の恒例となっていた。そして年々ランクは下がり、今年はとうとう一人当たりチョコベビー一粒であるという噂も聞いている。元々男所帯に揉まれ、そこらの町民の女よりは女らしさに欠ける朋子が、わざわざ綺麗にラッピングの施されたチョコレートを誰かに用意する姿なぞ、土方はついぞ見たことがなかったのだ。

「ワーカホリック殿へのただの差し入れですよ。あ、でもコレ絶対誰にも言わないでくださいね。ほかの奴らにも土方さんファンの子たちにも殺されそう」
「なんだそりゃ……」
「ま、男ってバカなんだなーと思った次第でして。」
「あァ?」

 要領を得ない朋子の発言に、土方は首をかしげる。しかし朋子は適当に笑みで受け流すと、「そんじゃあたしは先に晩ご飯失礼しま〜す」と軽やかな足取りで部屋から出て行った。

「……」

 土方は手元に残ったチョコレートに視線を落とす。
 彼女が唐突に送ったこれに、どのような意図が含まれているか、彼には測りかねた。本人はただの差し入れと言っていたが、本当に額面通り受け取っていいものか。まさか最もポピュラーな文化に則って、チョコレートとともに恋慕の情を伝えに来たわけではあるまい。かといって、わざわざ今年から上司に義理で差し入れるような心変わりをした理由もわからない。
 けれど確かに、土方は朋子から『バレンタインチョコ』を貰ったのだ。

(……来月、なんか贈ったほうがいいのか?)

 土方は小さくため息を吐いて、己の手帳を取り出した。ペンの先を出しながら、真選組屈指のモテ男は、あの女は一体何が好きだったかと思いを巡らせる。