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 わたしの親は忙しい人だった。
 幼い頃からあまり構ってもらえず、わたしはよく親戚の家に預けられていた。そこの従兄は忍者学校に通っており、暇な時間はよくわたしと遊んでくれた。わたしは引っ込み思案でなかなか友達も作れなかったから、彼は家族であり、また唯一の友達のようでもあった。
 従兄は忍者学校を卒業すると、御庭番衆として幕府に仕えた。なかなか会えなくなって、寂しくなったわたしは彼が通っていた学校にこっそり忍び込んだ。あの時は、これまでの人生でも一番勇気を出したんじゃないかと思うくらいにドキドキしていた。同時に、ワクワクもしていた。親も、従兄も忍だったから、わたしはずっと昔から忍に憧れていたのだ。よく従兄にせがんで、クナイの扱い方なんかも教えてもらっていた。

「アナタ、誰?」

 だけどわたしは、運動は嫌いじゃなかったけど間抜けでビビりだったものだから、身を隠していた低い草木に、どんくさく髪を絡めとられてしまった。そんな時、女の子の声が上から降り注いだのだ。学校の敷地内だし、くノ一のたまごだろうか。どうしよう、見つかってしまった。怒られちゃう。
 そう身をすくませていたけれど、彼女はがさがさと木々を揺らして、絡まった髪の毛を外してくれた。自由を取り戻したわたしが視線を上げると、そこにいたのは赤い眼鏡にきれいな藤色の髪の毛をした女の子だった。年の頃はわたしよりいくらか上に見える。

「何してるのよ、こんなところで」
「あ……あ、えっと……」
「迷い込んじゃったの?」
「そ、その……」
「オーイ何してんだ猿飛」
「全蔵……イヤ、迷子が」
「迷子だァ?」

 話しているうちにもう一人、男の子がやってきてわたしはますます委縮してしまった。うまくしゃべれなくて、恥ずかしくて、従兄とはあんなに普通にしゃべれるのに、自分が情けなくて。だけど藤色の女の子……あやめさんは、わたしがしゃべりやすいように質問を投げてくれたり、返答を急かさず待ってくれたりした。クールだけど、やさしい人だと思った。男の子、全蔵さんも、初対面で突然ふざけたり、ゆるさを伴う軽口を叩いてきたりしたけれと、わたしの緊張をほぐそうとしてくれたのかななんて思ったり、それはわかりにくいけどやさしさだった。

「あやめ姉! 全蔵兄ー!」

 そんな二人と、わたしは深い縁が繋がれたらしく。この後わたしは徐々に彼らと打ち解け、気づけば頻繁に会いに行くようになっていた。忍者学校の敷地の隅の、蒲公英たんぽぽが群生しているあたりの黄色い地で、彼らと会う時間が何より楽しかった。

「真琴さん……また来たの?」
「飽きねェなァ、お前さんも」
「ねー今日もクナイおしえて! ください!」
「誰に教わったかしらないけどアナタ、もうそこそこ投げられてるわよ」
「もっと上手くなりたいの!」
「まったくもう……」

 あやめさんは呆れたように息を吐いて、だけど仕方ないわねといった様子でいつもクナイの練習に付き合ってくれた。全蔵さんも、余計な茶々を入れてくることも多かったけど、わたしの面倒を見てくれた。彼らはいつもわたしの話やおねだりを、何だかんだ言いながらはいはいと聞いてくれた。わたしは彼らのことが大好きだった。

「わたしね、あやめ姉と全蔵兄みたいな強くてかっこいいすごい忍になりたいんだ!」
「おーおー、可愛いこというじゃねーか。コイツはともかく俺を目標にすんのは大正解だ」
「はァ? 万年サボり野郎が何言ってんのよ」
「あ? 俺より成績下の奴が何言ってんだ」
「トップの座に調子こいていられるのも今のうちだからね。この間の実技も私僅差だったし」
「負けは負けだろ」
「あはははっ!」

 むきになって言い合いを始める二人が面白くて、いつも笑っていた。ずっとこの時間が続けばいいと思っていた。だけど早く進んでほしいとも思っていた。わたしにはある目標があった。

「もう少し大きくなったらわたしもここに通ってねー! それで、佳々実かがみ兄ちゃんのいるとこまで行くんだ!」
「誰よそれ」
「いとこのお兄ちゃん! 今ねーおにわばんってとこで働いてるの!」
「あら、先輩だったの」
「そこでまた会おうねって約束してるんだ!」

 彼のことは、今ではもうおぼろげな思い出に成り果ててしまった。だけど風に毛先を揺らすサラサラの黒髪も、鋭い目つきも、まだ頭のどこかで覚えていて。いつも寡黙で、無表情で、どこか気だるく厭世的だったけど、それはある種の余裕や穏やかさにも見えた。

『お前はやかましいなァ、真琴』

 そんな憎まれ口を叩きながらも、彼はよくわたしの頭をなでてくれた。ガサツで不器用で、だけどあたたかい手のひらだった。

 ──輪郭を失いかけてた彼の記憶は、あの男に出会った時、わたしの中で急速に喚び起こされたのだ。










 ざあざあ、ざあざあ。世界を叩く雨音は、どこか不安を煽る。先日から降り始めた雨は、今日で三日続いていた。この雨のせいなのか、別の理由があるのか、この戦艦もずっと港に停泊したままだ。揺れのない船の中で、座布団に座りながら真琴はぼんやりと窓の外を眺めていた。

「なァ〜真琴ちゃん」
「……」

 正確には、この男を無視することに徹していた。
 阿見原は真琴に宛がわれた部屋に頻繁に訪れていた。暇なのだろうか、と心の中だけで思いつつ、真琴は気が重そうに視線を下げる。

「なんで高杉さんに会わんのん? 高杉さんもアンタに会おうとせェへんし」
「……」
「はァ〜なんや読み間違うたかなァ。ま、エエか!」
「……」
「にしてもい〜い天気やなァ。誰かさんの希死念慮が溶けたようなやわこ〜い雨や」
「……どこが、いい天気なの」
「雨の風情も解せんのん?」

 つい反応してしまうのは、元来おしゃべりな人間だからだろうかと自省した。
 何が楽しいのか、阿見原はにやにやと締まりのない口元を見せている。妙に気持ちを逆撫でされるようで、心地が悪かった。

(お登勢さんたち、どうしてるかな)

 彼は真琴がこの戦艦に足を踏み入れたその日、スナックお登勢のほうには偽物かげを送ったと告げた。数日経ったら里帰りなどと適当に理由をつけて引き上げさせる算段だと話していたが、果たしてお登勢たちはどう思っているだろう。バレていなければいいと思った。同時に、バレていてほしいとも思った。自分の我が儘加減に、反吐が出そうだった。

「今にも身投げしそうなツラしてんなァ。アンタのその死へのパッション、せっかくなんやから自分やのうて世界くんに向けたらエエやん。ホレ高杉さん見習いィ」
「……」
「自死するくらいなら腹立つ奴ら殺したろっ! なっ!!」

 喜色満面、ニッコリと眩しい笑顔で両の拳を握る阿見原に、真琴はハァーーー……とわざとらしく長いため息を吐いた。「なんや急にふてぶてしなったよなァ……」阿見原は控えめに突っ込んだ。

「……なんで、わたしを引き入れたの」

 真琴が顔を上げる。湿気のせいだろうか、いつもよりぺたりと伸びた前髪が、顔に影を落としていた。阿見原はパチパチと目をしばたたかせた後、再び笑顔を作る。

「こないだも言うたやん。アンタおると高杉さんのおもろいところ見られんねん」
「……裏切るかもしれないのに?」
「そらァそれでおもろいやん。俺退屈なん嫌いでなァ、予定調和は崩壊してなんぼや思てんねん」

 それでも、とても彼に利があるとは思えなかった。しかしこれ以上聞いてもはぐらかされることは何となく察していたため、真琴は閉口した。

「アンタ、そォしてると微妙に佳々実に似とるなァ」
「……!」
「四親等とはいえやっぱギリギリ血ィつながっとるってことやろか。アイツもよう黙って相槌だけしとったわ。その分俺がしゃべり倒しとったのはお察しやろな。せやけど暗いわりにぼちぼちトモダチもおったなァ」
「……、」
「アイツぼっち仲間かと思たら裏切りよって。あ、別に俺は嫌われてたわけやないで。天才っちゅうのはどの時代も孤独なもんやからなァ! ああ! 寂しいわァ〜! ほんでもアイツだけは、俺のことそこそこ理解しとってなァ。アイツはなかなか見る目ェある男やったな」

 真琴はうんうん、と頷き、ハッと肩を揺らし、慌てて険しい表情を作りそっぽを向いた。阿見原は楽しそうにニヤニヤとしている。

「阿見原ァァァァ!! ここにいたッスか!!」
「!?」

 突然、勢いよく部屋の戸が開かれた。ドスドスと荒い足取りで入室してきたのは紅桜事件の際に僅かに関わった女性幹部の来島また子で、真琴は彼女のことが未だ苦手であった。
 また子は阿見原のほうに大股で近寄り、その胸ぐらを乱暴にひっ掴む。

「おっと、どないしたんまた子ちゃん」
「貴様ァァその馴れ馴れしい呼び方やめろォォ! ザコ風情が頭が高いんスよ!」
「ヘイヘイまた子ちゃん様、何用でェ?」
「チィッ……アンタの仕事ッスよ! さっさとこっちに来るッス!」

 また子は阿見原の胸ぐらを引っ張りながら、出入口のほうに戻っていく。しかし敷居を跨ぐ直前にぎっ、と睨み付けられ、真琴はびくりと体を跳ねさせた。

「女ァ! 私はアンタのこと仲間だなんて認めてないからなァ! アンタなんか晋助様が飽きたらすぐそこの窓からポイッだかんなァ!!」
「な〜んて、アタシったらすぐ素直じゃないこと言っちゃうんだからっ(阿見原裏声)」
「ぶっ殺されてーのかテメーはァァ!!」

 また子の膝が阿見原の顔面にキマった。阿見原はボタボタと流れる鼻血を押さえながら、もう片方の手を真琴にむける。

「また話そうなァ、真琴ちゃん」

 ひらりと振られた手に、以前ほどの嫌悪感や恐怖心を覚えなかったことに気がつき、真琴は愕然とした。