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 いつだって己を律してきた。他人に厳しくあたる、その何倍も自分に厳しくしてきた。それは意図的というよりは、元来そういう性分であったのだろう。意識などせずとも、自分はそうやって生きてきた。
 いつだって前だけを見て走ってきた。脇目もふらず、置いてきた奴を振り返ることもせず、俺たちの大将がいるこの道を走り続けた。腰にさした剣で、護ると決めたものを護り続けてきた。
 絶対に負けたくない男がいた。何をしても気に食わぬ、視界にすら入れたくない男だった。いつだって寸分の弱みも見せぬようにしてきた。いずれ殺してやるとさえ罵りあった。

 いつの間にか地面についていた手と膝に、理解が追いつかなかった。
 いつの間にか目の前に溢れる漫画本に、意識が遠退いた。
 いつの間にか手に持っていた美少女フィギュアに、絶叫した。
 いつの間にか着ていたクソダサちぎれGジャンに、昏倒しかけた。

 一体どうしてこんなことになっちまったんだ。鍛冶屋の親父の話を聞かなかった罰か。いや、そんなことはきっかけに過ぎない。僕なんてそもそも心のどこかにヘタレを飼っていたものだから……イヤイヤイヤ何言ってんだ俺はしっかりしろ気を確かに持て。
 この際何が悪かったかなんざどうでもいい。生きてりゃ予期せぬ呪いにかかることくらいある。そうでなくとも、俺のこの体はこれまで幾千幾万もの命を葬ってきた。呪いなんざ掛けられ慣れてるようなもんだ。
 それなのに、どうしたってここから抜け出せない。出口がわからない。意識はあるってのに、恐ろしいほどゆるやかに、甘やかすように、俺を生ぬるい湯の中に沈めて、その魂を乗っ取ろうとする。俺の意思とは裏腹に、俺を形どる外皮は勝手に動いていやがるのがわかる。いや違う、それすら『俺の意思』となり果てて、俺の口を、体を動かす。苛烈なほどのもどかしさ。頭がどうにかしちまいそうだった。もがいても足掻いても、俺は俺を取り戻せない。衝動まかせに叫びたいのに、それすら叶わない。そしてそんな意思すら、霧のようにかき消される。

「──さん」

 そんな中、声が聞こえてきた。暗く沈んだ闇の中で、差し込む一筋の光のように。耳に馴染む声が、救いの手のように。まっすぐに俺の魂を揺らした。

「──土方さん」

 あいつの声だった。今よりずっと若い頃に出会い、どれだけつき離そうとしても、ついぞ離れることなく俺のそばに居続けた。あの時突き飛ばしてしまった感覚が、今も体に残っていた。あの、女の声がした。

「──いい加減にしろよ」

 ああそうだ。俺だってそう思ってるよ。んだが体が言うこと聞きゃしねェ。手前ェの体だってのにままならねェ。ふざけんな。手前ェの部下にこんなこと言わせておいて、拳骨のひとつもくれてやれねェなんざ。ああ、やっぱり僕は駄目な奴でござる。いや違う違う違う違う。

「──あたしが追いかけたのは、ハナからしっぽ巻いて逃げるようなアンタの背中じゃないんだよ」

 鼓膜を揺さぶる奴の言葉に、腹の内側が煮えたように熱さを増す。焚き付けられた身体が、骨の奥から震えた。言ってくれるじゃねェかよ、お前。このまま、こいつに言わせっぱなしにさせていいのか? 俺は言われっぱなしでいいのか?

「──いつだって前だけ見て先を走るアンタの背中なんだよ!!」

 ──いいわけがねーだろーが!!

 声にならない唸り声をあげて、全身全霊の力で手を伸ばす。俺の傍らにいたあの頃から、俺に必死で食らいついてきた、追いかけてきた馬鹿の声を道標に。もう少し、もう少しだ、もう少しで──
 だが黒い波がまた、無情にも俺を頭から呑み込んだ。登り詰めたところから叩き落とされるような感覚。駄目だ、また引き戻される──

「──オイ」

 思考が止まった。その声は、もうひとりの、絶対に負けたくない男の声だった。急降下していた意識がガクリと宙ぶらりんになり、呼吸がつまる。

「──朋子コイツはてめーにゃ言ってねーんだよ。オイコラきいてるか? てめーの部下にこんだけ言われてまだ夢の中か? てめーが部下にも真選組にも背中向けてくたばるタマか?」

 突如目の前に図々しく現れた、白髪天パ。意識が、身体中の全細胞がそいつに向く。ふてぶてしい、腹立たしい顔が、俺と朋子を、真選組を、繋ぎ止める。

「──くたばるなら大事なもんの傍らで剣振り回してくたばりやがれ!! それが土方十四郎てめーだろーが!!」

「……ってーな」

 喉が震えた。激情が込み上げる。体が、胸の内側が熱い、熱い熱い熱い熱い──

「痛ェって……言ってんだろーがァァァ!!」

 急浮上した意識は、全身を駆け抜ける衝動とともに弾け飛んだ。







 また、暗闇の中だった。だが、今度は光が見えていた。
 割れた窓から吹き抜ける風が、硝煙の匂いを鼻に運んでくる。身震いさせる、血を滾らせる、嗅ぎ慣れた戦場の匂いだ。
 近藤さんの震える懺悔が聞こえてきた。いや、ずっと前から、聞こえていた。見えていた。俺はそれを、わからねェフリしていた。目を背けていた。とんだヘタレ野郎だよ。

「──近藤氏。僕らは君に命を預ける」

 俺の声が聞こえた。俺は喋っていた。割れたフロントガラス越しに、こちらを見つめる二つの目玉に視線を合わせる。

「その代わりに君に課せられた義務がある。それは死なねーことだ。何が何でも生き残る。どんなに恥辱にまみれようが目の前でどれだけ隊士が死んでいこうが、君は生きにゃならねェ」

 遠くから爆撃が聞こえる。男たちの雄たけびが響いている。走り続けるボロボロのパトカーは、目の前の車輌を追って揺れる。

「君がいる限り真選組は終わらないからだ。僕たちはアンタにほれて真選組に入ったからだ。バカのくせに難しいこと考えてんじゃねーよ。てめーはてめーらしく生きてりゃいいんだ」

 懐に入れていた煙草のケースを取り出す。そいつを一本咥え、愛用のマヨネーズ型ライターで火をつけた。

「俺たちは何者からもそいつを護るだけだ。──近藤さん」

 全身に染み渡らせるように吸い込み、そして唇の隙間から長く吐き出す。それから短く息を吸い直し──

「あんたは真選組の魂だ。俺たちはそれを護る剣なんだよ」

 俺は土方十四郎 おれ として、バカみてェに泣き跡を残した大将にそう啖呵を切った。







 いつだってつれない人だった。何かにつけてしらねェだの、どうでもいいだの、くだらねェだの、まともに取り合ってくれないことだってしばしばあった。だけどそんな彼のことを慕っていたし、その強く大きな背中をずっと昔から追い続けていた。彼への確たる敬慕は、この先も無くなることは、決してない。

「俺は……真選組副長、土方十四郎だァァァ!!」

 ──呪われた刀を鞘から抜き、猛る土方を見て、こみ上げるのは笑いだった。けれど同時に、柄にもなく目頭に熱を感じ、朋子は笑いを隠すふりをして一瞬だけ目元を拭う。それから自分の隣、ひしゃげたボンネットに立つ近藤に視線を向けた。

「さてと……近藤さん、怪我ァしてないね」
「ああ……」

 切り離された車輌の後方にいた近藤の身柄は、銀時がパトカーに渡らせていた。ようやく再会できた近藤の安否を確認していると、彼は泣き出しそうな笑顔で朋子の肩に手を置いた。

「朋子ちゃん、ありがとうな。トシを……トシの魂を、護ってくれて」
「別にィ。あたしはどっかのお人好しバカ護りに来ただけなんで〜」
「っていだだだだだ足踏んでるめっちゃ踏んでる!!」
「別にィ〜〜〜なんで伊東さんの言いなりになって土方さん謹慎処分にしたのとか土方さんとしっかり話しなかったのとか別に思ってないし〜〜〜」
「思ってるゥゥゥ本音筒抜けになってるゥゥゥ! 本当にすまなかった! 俺ァこれほど俺のことを憎く思ったことはねェ!!」
「じゃあ悪いと思ってるならキスして……地べたに」
「怒りのボルテージ振り切ってるゥゥゥゥゥ!!!」

 地味な制裁もとい八つ当たりを受け絶叫する近藤に、じと目で睨んでいた朋子は思わずふき出した。