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「その河上万斉ってなァどいつだ」
「黒のロングコートにサングラスの男で、弦楽器を恐らく背負っています。でもここからじゃ流石に見つけられませんよ」
「犯人追跡の道具くらい持ってないの? 遠くを拡大して見れる眼鏡とか」
「いやねーよそんなの。なんでそんなピンポイントなんですか」
爆撃に揺れる戦場を、孤立したパトカーが爆走する。あの仮死薬の副作用か、未だに怠さの残る体に車体の酷い振動はなかなか堪えた。しかし一秒でも早く渦中に飛び込むため、山崎が雪のその荒々しい運転を咎めることはない。
「っていうかアンタ、免許持ってたんですね。なんか助手席専門かと」
「ハワイで親父に教えてもらった」
「さてはこないだの金ロー見ました?」
某小さくなった名探偵の台詞に、山崎はぴしゃりと言い放つ。そうこうしているうちに、線路を走る列車の後方部がようやく見えてきた。
「あ」
「え? ──ギャアアァァァ!?」
山崎は絶叫した。突然の方向転換に急ブレーキ。全身を衝撃が襲う。シートベルトにロックが掛からなければ、フロントガラスに頭から飛び込んでいたかもしれない。体に食い込むシートの内側で、山崎の心臓は爆発寸前だった。
「な、な、な……」
がんがんと揺れる頭と視界に、状況把握もまともにできない。それでもどうにか体勢を整え、車の外を確認すると──
「よっ……万事屋の旦那!?」
土煙を巻き上げ、地面に倒れているのは白髪の男──銀時だった。なぜ彼がここに? そんな疑念を打ち切るように、前方からは一台のバイクが彼に迫る。
運転手──あの出で立ちは、まさしく自分たちが捜していた河上万斉だ──の手には、抜き身の刀が見えた。山崎が再び声を上げようとした時、立ち込める煙を何かが鋭く切り裂いた。
派手な破壊音。部品を撒き散らして大破したバイクが、空中で轟音と共に爆発する。
「うわっ!!」
爆音に思わず目を瞑る。鼻をつく匂いが車内に流れ込んだ。余韻の中で薄く目を開くと、いつの間にか隣の席はもぬけの殻。半開きの扉が爆風の名残に揺れていた。
山崎は慌ててシートベルトを外し、先に外に出た雪の後を追う。臨戦態勢に入っていた銀時と河上は、臆すること無く近づいてくる雪の存在に気がついた。
「なっ……お前なんで……!」
「よォ〜オメーさんが河下か」
「いや河上です、河上万斉!」
銀時をまるっきり無視して河上を認めた雪に、走ってきた山崎が訂正を入れた。「上でも下でも似たようなモンじゃん」「全然似てねーよ! 丸っきり別人になっちゃうじゃないですか!」至極どうでも良いやりとりを続ける雪と山崎に、銀時が「ちょっとちょっと」と割り込む。
「何で頑固一徹俺のことスルーなわけ? つーかジミーのほうはともかく、なんで雪までここにいんだ。毎度俺の行く先々に現れやがって……俺のこと大好きかコノヤロー」
「いや、例えんなら私が目○警部でオメーがコ○ンくん」
「誰がコ○ンくんだ。人を死神扱いすんな」
「いや旦那もコ○ンくん死神扱いしてますよね」
「なんか真琴がよォ、あそこの三角グラサンらに洗脳されたみたいな? なんかいつの間にか闇落ちしてたみたいで?」
「何、どういう設定? つーかアイツ里帰りとかなんとか言ってなかったっけ」
「つまり嘘だったっつーこと。んで後からバーさんがガタガタぬかしても面倒だから、さっさと回収してまるっとなかったことにしようと思ってなァ」
「ったァく、またあのヘタレチキンかよ。アイツ巻き込まれ体質ですみてーな幸薄い顔しやがって、キッチリ巻き込むほうじゃねーか」
「帰ったらあいつの金で回らない寿司だな」
「いや二人して辛辣すぎません?」
「──茶番はそれまででござる」
激化するくだらない応酬を、ひとり置いていかれていた男の特徴的な口調が切り裂いた。
*
「河上万斉……!」
「おや? ぬしは……おお、そうか。聞いた『音』だとは思ったが……生きていたとは」
己の名を呼ぶ真選組の男に、河上は視線を向ける。口から出たのはゆるやかな語りかけであったが、その実彼はサングラスに隠れて目を見張っていた。
幾ばくか長めの黒髪に、ぱっとしない顔つき。死んだと思っていたその男が、鮮烈な
その事実は誠に奇怪であり、また河上にとっては至極愉快でもあった。確かに自分もあの時、彼を殺してしまうのは惜しいと感じていた。そう思わせる強かな『歌』であった。だが、それでも彼の糸は『あの女』が絶ち切ったはず……その糸が未だ繋がっているところを見るに『あの女』は──
「そうか……たばかったか、この拙者を」
あの時、彼からは確かに魂の鼓動が消えた。気絶などによる生ぬるいものではない、確たる断絶。これまで何度も経験してきた、それが聞こえなくなるその瞬間。それすなわち、人間の死を表していた。──故に、あの時河上は、彼の出血量が腹を抉られたことに見合っているかも、その命が完全に絶たれたかどうかも、大した確認はしなかった。
騙し化かす『忍』に生きる真琴は、河上の『それ』を逆手に取ったのだ。
「クク……あの女、この拙者を出し抜くとは」
じわじわと笑いが込み上げる。三人の視線を浴びながらもなお、彼はひとり自由気ままに肩を震わせる。
あの、おどおどと気の弱そうな。小さく、不恰好で拙い音を、かろうじて紡いでいたような女が。その実、それは逆襲のための序奏であったというのか。
現在拠点としている鬼兵隊の戦艦内には複数の倉庫があり、その中には薬品庫もあった。そこの管轄ではないため仔細はわからないが、人間を一時的に仮死状態にする薬があったはず。真琴は、予め盗んだそれを使ったに違いない。
(しかし、)
あの薬は、確か見た目は何の変哲もない丸薬だったはずだ。専門の者以外が勝手に持ち出さぬよう、名称の記載などもされていなかった。それを、見ただけで仮死をもたらす薬であると気づくとは。──よもやあの女、あの薬を過去に手にしたことがあるというのか?
「フッ……本当に面白い女でござる」
「河上万斉……お前、彼女に何をした?」
「拙者は何もしてござらんよ。真琴殿の意思にござる」
「そんなわけがないだろ。彼女はどこにいる」
「ぬしらに教える義理などない」
食い下がる山崎を一蹴した。河上のそれは角のある声色ではないのに、彼の内包する冷淡な圧が、僅かな隙すら感じさせない。
「ぬしは勘違いをしている。真琴殿がぬしに助けてくれとすがったか? 追いかけてくれと頼んだか? いいや、真琴殿は己が意思で拙者らを選び、己が足で拙者らの元へ来た。それをぬしが邪魔立てするというのも、野暮というものでござろう?」
真琴が何を思い此方へ来たか。それは本人と、恐らくは彼女を連れてきた阿見原、そして高杉のみが知り得るところだろう。しかし、彼女は元の居場所に戻ることを決して望んでいない。それだけは、河上の目から見ても明白であった。
「真琴殿は間違いなく、ぬしらの言葉に耳を傾けることはない。かような僻地まで、無駄足でござったな」
言い捨てて、色の薄い唇に笑みを含んだ。
「冗長」
──ガキィィン!!
耳をつんざくような金属音。腕が震え、足に負荷がかかる。
反射的に刀で防いだものの、河上は一瞬、何が起きたのか把握しかねた。山崎とともに乱入してきた女が──そうだ、彼女は確か、紅桜を巡る戦いのさなかで見かけた──いつの間にか眼前に迫っていた。こちらに襲い掛かる白刃は、腰に差していた杖。自分と同じく、仕込み刀か。
彼女はいつ動いていた? 何も聞こえなかった。──いや違う。この戦場において、恐ろしく彼女の心は「平生」であった。例えるなら、戦場においてあろうことか眠気を持ち出しているような。敵と見定めた相手を前にして、一片の興味も抱いていないような。そんな音であった。
暗いしじまの中、しかし異彩を放つ彼女の存在。騒がしくはない、激しい主張もない。それなのにするりと認識の中に、確かな存在感を以てして入り込んでくる。
「そゆ鬱陶しい語りはいいから。サクッと真琴の場所教えろって」
気だるく、まるでどうでもよさそうな、心底面倒くさそうな重い瞳。すべてが彼女のペース。僅かに聞こえてくる、輪郭のはっきりとしない音。とらえどころの無さは、先ほど白夜叉へ向けた評価とも重なるが、それとはまた別種の音楽。無伴奏の中、自由気ままに奏でられるその音。
「……アカペラと呼ぶほどの高尚さもない……ただの
「はァ」
怠そうに雑な返事をする雪の刀を、河上が押し切った。両者後方へ跳び、拮抗する鍔迫り合いに終止符が打たれる。
「オメーさん、話長いとかまどろっこしいとか言われない? やめたほうがいいよ〜その調子だと老害まっしぐら」
「そう言うぬしは随分とせっかちなものだ。急いては事を仕損じるという言葉をしらぬか」
「いや若い私の時間は老いた奴らのそれとは比べ物になんない価値だから。新卒は最低三年続けろとかアレ時間溝に捨ててるだけだから。合わねェと思ったらさっさと切るべきだから」
「なんの話をしているでござる」
「ちんたら話すなっつってんの」
雪がこきこきと首を鳴らし、二人のやりとりはそこで一度打ち切られる。雪は刀をまっすぐ河上に向けると、改めて開口した。
「までも、その調子だとオメーさんはもうなーんも教えるつもりがねェわけだ。駄目上司よろしく『それくらい自分で考えろ』と」
「好きに捉えるでござる」
「そ、じゃ」
意味を汲みづらい短い返事。──不意に、あちこちの喧騒に混ざってエンジン音が聞こえてくる。ハッと周囲を見回せば、先ほどまでいたはずの隊士の男が、いない。そう気づいた刹那、そばに停められていたパトカーが音を立てて急発進した。
「──!」
パトカーに向かい駆け出した女を、河上が追おうとしたその瞬間。何かが体を異様に刺した。
河上は咄嗟に刀を背後に振り切った。ヘッドフォン越しに衝撃音が伝わる。交わったのは木刀。それまで妙に黙っていた銀時が、その死んだ瞳に確かに怒気を孕んで、河上に襲い掛かっていた。
「あのドヘタレチキンが好き好んで
彼の攻撃を防ぐ傍らで、駆け抜けていくパトカーのボンネットに雪が勢いよく飛び乗った。その様子を横目で見やりながら、河上は口を開く。
「勧誘したのは拙者ではない。クレームなら人事担当に言ってもらおう」
「戦力増やそうとでも考えてんならやめとけ。どうせ足手まといにしかなんねーぞ、クソザコビビリチキンだから」
「過去に幕府につながりのあった者だ、利用価値がないわけではない」
「ああ……んだが伊東に真選組の実権握らせて、間者にでもすんのとはわけが違ェぞ。過去なんざ所詮過去だ」
「フッ……背信行為を平然とやってのける者を仲間にするほど、拙者たちは寛容にござらんよ」
「!! じゃああの男は……ならてめー、真琴のことも殺すってか?」
「さて、あの女はまた本質が違う。殺すにはちと惜しい」
それに晋助が何やら目をかけているからな、と胸中で加えた。繰り返される剣戟の中で、銀時が再び怪訝そうに河上を睨みつける。
「充分寛容じゃねーか。おめーらのこと欺いて、
「そうでござるな。さて、どうしたものか。女一人、作戦に支障をきたす前に殺すことは容易い。だが幕府とのつながりは利用できるやもしれぬ。ぬしらへの盾とするのも、また一興。
……だが、それよりも先に」
直後、脳を揺さぶるような轟きが戦地を支配した。鉄道橋に仕掛けられていた爆弾が、列車の振動により作動したのだろう。ゼロ距離で爆発を受けた車輌は、砕けた橋梁の間からごうごうと流れる河川に向かって、弄ばれたおもちゃのように宙ぶらりんに投げ出されていた。
「伊東よ……哀れな男でござる。己が器量をしる時はもう遅い。すべて、砕け散ったあとだ」
銀時の『音』が酷く揺らぐのを聞いて、河上の口元が妖しく弧を描いた。