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方舟を使って教団へと帰ってきたエクソシストたち。全員怪我が酷く、婦長や他の看護師たちは慌ただしく看病にまわっていた。

しかし今、ハナコはひどい重傷であったにも関わらず病室から抜け出していた。無表情でぽてぽてと覚束ない足運びで冷たい廊下を歩いているハナコ。


「…おなかが、へりました」


ぽそりと独り言を呟き、はぁと小さく溜め息。


「では私の作った新作ケーキを試食、などどうですか?」


その時、ふと後ろから声を掛けられた。それは彼女にとってとてもとても聞き慣れたもので。目を丸くして振り向くと、そこには鮮やかな金。


「…なん、で」
「まったく、病人は病室で大人しくしているものでしょうに。あぁ、あなたに常識が通用した試しがありませんね。ところでいつまでそんな呆けた顔をしているのです?言っておきますがそのような顔、私たち以外の前でしても笑われるだけですからね」
「……おしゃべりハワード。どうして、ここに」


さっきまで無表情であったにも関わらず、彼女の表情は今驚きで染まっている。そしてようやく出された声は震えていた。のちにあのおしゃべりで説教たれなお堅いハワードにからかわれるはめになるというのに!


「おしゃべりとはなんですか、失礼な。しかしそうですね、少し喋りすぎました。いえ、別に普段からこのようにおしゃべりな訳ではありませんよ?今日はとても久し振りにあなたに会えたからいつもより饒舌になっているだけです」
「ハワード、」
「あぁ、そういえば後者の質問に答えていませんでしたね。私がここにきたのにはちゃんとした理由があるんですよ。…しかしそれはまた後でお教えしましょう」


そこで彼女の目の前の男、ハワード・リンクはにこりと微笑んだ。


「大変遅くなりましたがハナコ、お久しぶりです。とても元気そうには見えませんが、あなたとまたお会いできて心から嬉しいですよ」
「ハワード、ハワード」


ハナコは自分の服の裾を強く握りながら涙声で彼の名前を呼ぶ。


「はい」
「わたしも、みんなにあいたいの。あなたにもすごくすごくあいたかったのよ、ハワード」


いつも以上に呂律の回らない舌を一生懸命に動かして言葉を紡ぐハナコ。そんな彼女にまた更に近づくリンク。ハナコは両腕を広げて彼に向けた。リンクはそれを優しく受け止め、自分の腕の中に彼女を閉じ込める。


「まったく。婦女子たるものそう簡単に男に抱きついてはいけませんよ。一体何度常識を教えれば身につけてくれるのですかね」
「ハワードはかたくていかんっ」
「そうですね」
「さみしくなんかなかったけどっ、わたしもハワードにあえてうれしいっ」
「なんと。寂しくなかったのですか?私はあなたに会えなくて毎日が寂しかったというのに!他のやかましい鴉共も毎日あなたに会いたい、手紙が来ないとカーカーと喧しく鳴いたんですがね。特に手に負えなかったのが誰か分かりますか?テワクですよ、テワク!彼女ったら教団の男にあなたが汚されていないかと口を開いてはそれを言うんですよ。彼女はそろそろあなた離れするべきだと思うのですがね、どう思います?」


おしゃべりなハワード・リンクは話しながらハナコを抱く腕に力を込めた。自分の腕の中の彼女が誰にも見えないように。ハナコも回した腕に力を込める。


「みんな、げんき?」
「お言葉ですがそれは愚問中の愚問ですよハナコ、奴らに関しましてはね。煩すぎて彼らの嘴を髪結いのゴムで縛ってやろうかと思いましたよ」
「そう。よかった…」


静かに涙を流すハナコの口元はほんのり綻んでいて。ハワード・リンクはそこで腕の力を緩めた。


「ずっとこうしていたいのは山々なんですが、これから会議の準備をしなければなりません」
「かいぎ?」
「はい。とても大事な会議です」
「そう…」
「そう落ち込まないで下さいまし。ところで言い遅れましたが、あなたのお父君も来られているんですよ」
「!!おとうさまが?」
「えぇ。後で会いに行ってみてはどうでしょう。きっと…いえ、必ず喜んでくださると思いますよ。…それでは失礼します」
「ハワード、」


ハナコは咄嗟に、去ろうとする真面目なハワード・リンクの腕をとって引いた。それから耳に口を近づけて小さく耳打ち。


「うそ。ほんとうはすごくさみしかった。あえてうれしいよ、ハワード」
「ハナコ…!」


ハワード・リンクは目をこれでもかと丸くして彼女を見つめる。それからハナコはハワードの腕を放した。


「…はやくいかんか。だいじな会議なんでしょう」
「…また後で」
「うん」


そうしてそこで別れたふたり。ハナコはしばらくその場に佇んでいたが、じきにハワード・リンクとは別の方向へまた歩き出した。その足取りは先ほどよりも軽快なもので。


「ふふっ、てがみかかなきゃ。てがみ、てがみっ」


自室へと向かう彼女は教団内であるにも関わらずとても笑顔だった。


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