10.
ハルカたちは学校を出てからすぐのバス停を通り過ぎ、本来向かうはずだった大型の本屋への道とは違う方向に足を進めた。先を行くハルカの背を追いながら、遊戯は慌てて声を掛ける。

「ねぇ、ハルカさん!本屋こっちじゃないよ・・・!」
「知ってる。」

歩く速さを変えないハルカはそのまま近くの喫茶店に入った。大人っぽく落ち着いた雰囲気の洒落たその喫茶店の店内は、ティータイムをするには微妙な時間だからか人もまばらだった。店員に2人だと伝えるとすぐに席に通された。それからハルカは紅茶、遊戯はオレンジジュースを頼んでやっと一息ついた。

「・・・・・・」

二人の間に沈黙が下りる。飲み物だけの注文はすぐに来て、二人の間に紅茶のカップとオレンジジュースのグラスが並んだ。紅茶から立ち上る湯気の向こうに見えるハルカの表情は一見して無いものに見えるが、遊戯はなんとなく彼女は怒っているのが分かってきゅっと下唇を噛んだ。

「・・・・ねぇ、武藤くん。」
「な、何?」

ややして突然ハルカに声を掛けられた遊戯の肩が跳ねた。

「・・・なに、隠してる、の。」
「・・・・・!」

ハルカの静かな声に遊戯は今度こそ「なんでもない」と答えることはできなかった。さっきの今で遊戯が悩んでいたこと、考えていたことが分かったのだろう。決して人に迷惑をかける行動ではなかったはずなのに何故か怒っているハルカの普段では聞けない声に遊戯は震えた。

「・・・その、チケット。なにが、あるの。」
「・・・・・・」

花咲から預かったパーティー券。これが遊戯の悩みの種。そう確信したハルカは単刀直入に聞いた。それでも最後の抵抗か、遊戯は沈黙を守る。背を丸めて下を向く遊戯と、険しい顔で問い詰めるハルカ。これでは自分が悪いことをしているみたいだ、とハルカは心の中で溜息を吐いた。

「・・・・・・・さっき、私を止めたの、何か理由、あるんだよね。場合によっては、私、お礼を言わないと、いけないと思う、の。それに、武藤くんひとりで、悩まないで、欲しい。」

幾分和らいだハルカの声に遊戯はおずおずと顔を上げる。その表情は不安で揺らいでいた。

「・・・・・・・・・実は・・・・・、」

ぽつりぽつりと遊戯は語りだす。
ライブ主催の騒象寺のこと。ライブの概要。騒象寺の歌声の酷さ。誰も行きたがらない理由。自分の過去の体験。そして実は遊戯自身もチケットを売る様に今朝脅されたこと。被害者は過去に数しれずのライブパーティーに、ハルカには行って欲しくなかったと伝えた遊戯は、人に話せたことで多少肩の荷が下りたのだろう、ホッとしたような顔をした。

「・・・・・じゃぁ、さっき、私を止めたのも、花咲くん、の、チケット、受け持ったのも・・・・」
「・・・・・・イヤな思いをするのはボクひとりで十分なんだ。」

苦笑いしながら、氷の溶けたオレンジジュースに刺さったストローを銜える遊戯。そんな彼の優しすぎる、お人好しな性格にハルカは呆れたように笑った。

どうして彼は悪いことを全て自分ひとりで抱え込もうとするのだろう。彼一人に面倒なことを押し付けて、自分たちだけ助かろうなんて、ハルカには我慢できなかった。ハルカは話の途中で机上に出されたチケットを見つめた。

「・・・・武藤くん、ありがとう。止めてくれて。」
「・・・・・・」

遊戯は顔を上げず、ストローでジュースを吸い続ける。照れているのか気まずいのか、その耳は赤くなっている。

「・・・・でも、」

するとハルカは傍に置いた鞄から財布を取り出し、遊戯の目の前に1000円札2枚を置いた。

「・・・え・・・」

それを見た遊戯はストローから口を離して顔を上げた。その目が大きく開かれる。

「・・・・・ひとりで、全部、抱え、込まなくて、いいよ・・・・」

そう言ってハルカは机にあったチケットを手に取る。それを遊戯に取り返される前に財布にしまい込み、鞄に戻した。

「・・・ハルカさん・・・・・なんで・・・・」

思いがけないハルカの行動に遊戯は「信じられない」と声を震わせる。誰も得をしない避けられない不幸を共にする理由、ハルカには十分なものがあった。

「・・・・友達、でしょ。」

あの日。遊戯が小さな身体で城之内たちを庇った日。今まで自身を虐めてきた人たちを“友達”と呼び、“友達”のためなら身を挺して守ろうとする遊戯のその姿勢に、ハルカは惹かれたのだ。彼の優しさは彼の強さ。一見して柔く見えるそれは絶対の強さだった。例え身がボロボロになろうとも、しかしその強さのお蔭で遊戯も城之内も笑いあえる結果を手に入れた。そんな彼はハルカのことも“友”と呼んだ。「何かあったら相談して」と惜しみなく優しさを向けられたのなら、自分もそれに応えたいのだ。彼の“友達”として。

遊戯の表情は、やがて柔らかな笑顔となった。

* * *

それから3日後。遊戯の手元には、遊戯とハルカの分が引かれた束のパーティー券が残った。どうやらあの券を売りさばくように言われたのは遊戯と花咲だけらしく、今日が騒象寺のライブだと知る者は誰も居なかった。それだけで遊戯はホッと胸を撫で下ろした。開催時間は放課後。ハルカと遊戯はSHRが終わると用具を詰めた鞄を持ち、早々に学校を後にして指定のカラオケボックスに向かった。

「・・・・・ハルカさん・・・・本当にいいの・・・?」

遊戯はのろのろと歩きながら最終確認とでも言うようにハルカに訊ねた。

「・・・・いいの。」

遊戯を見ることなくハルカは言い切った。正直なところ騒象寺の歌声の酷さなどハルカには予想もつかなかった。しかし例えどんなに辛いことが待ち構えているにしろ、遊戯を見捨てるつもりは毛頭ない。遊戯はハルカの返事を聞くと、諦めたのかそれ以上何も言わなかった。

「・・・・ここ、だよね。」

辿りついたカラオケボックスを見上げる。まるで魔王の城に乗り込む戦士のようにその建物を睨みながら、ハルカを先頭に店の中に入っていた。

時代錯誤した人がそこには居た。
完璧にセットされたリーゼントに薄茶色のサングラスを掛けスタンドマイクを手に颯爽と登場したその人こそ、このパーティーの主催者・騒象寺だった。この日のために新調したのだろうか、白い派手な装飾のジャンプスーツがひと昔前のロックミュージシャンを彷彿とさせる。

「・・・・・・」

そして現在、3人の居る個室内には不穏な空気が渦巻いていた。たくさんの客が来ることを想定した無駄に広いその部屋は、廊下で流れるBGMが扉越しに漏れる音しかしなかった。歌声の響かない個室の天井にはミラーボールが虚しく電灯の光を反射している。ハルカは個室に設置された大きなソファに腰を下ろし、じっと騒象寺の様子を伺っていた。対して遊戯は両手に持ったリングベルを小さく振りながら、目の前の小さな簡易舞台に立って険しい顔で見下ろす騒象寺を怯えた様子で見上げた。

「遊戯・・・・お前今何つったぁぁ・・・・・」

抑えきれない怒りを込め騒象寺がぼそりと呟く。途端個室内の温度がまた一段と降下した。ぷるぷるとスタンドマイクを握る騒象寺の手が震える。

「パー券が1枚しかさばけなかったとぬかしやがったのかーっ!」

物凄い速さで遊戯に近づいた騒象寺は勢いよく遊戯の胸倉を掴み火山が大噴火したかの如く大声で怒鳴り散らした。思わず隣に座っていたハルカの身体も揺れる。

「ざ・・・残念だけどみんな今日は用事があるみたいで・・・・・・」

遊戯は騒象寺に掴まれたまま苦し紛れに嘘をつく。ハルカはその嘘に横で頷いて顔が歪まないように必死に意識しながら笑顔を作った。

「・・・・みんな、来れなかった、けど、私、が、みんなの分まで、聞かせて、もらう、よ・・・・!」

そう言えば騒象寺はハルカの方を向き、更に顔をしかめた。

「おめーみてーな地味な女が居てもちっともオレは盛り上がんねーよっ!!!」

ハルカは騒象寺の言葉に苦笑いを返した。

「ボ、ボクも騒象寺くんの歌を聞かせてもらうよ・・・・・」
「当たり前だ!お前らには朝までとことん付き合ってもらうぜ!血のライブをなぁぁぁぁぁっ!!」

物騒な言葉が騒象寺の口から飛び出す。ハルカは先日遊戯が言っていた彼の歌声で散々な目にあった者が続出したという言葉を思い出した。これは思っていたより危険なライブなのかもしれない、と冷や汗が流れるのが分かった。

「遊戯にはまず手始めに、こいつでオレの歌をじっくり聞かせてやるぜ!彼方はその後だ!」

騒象寺は遊戯から手を離すと、予め用意されていたヘッドホンを遊戯にズイっと差し出した。それを遊戯は震える手でなんとか受け取り耳に装着した。一体今から何が始まるというのだろうか。
騒象寺は遊戯が装着したヘッドホンのジャックをカラオケの機械に差込みヘッドホンボリュームをMAXに上げた。それを見たハルカと遊戯の間に戦慄が走る。

「ンだばまんず、オレの得意なナンバーからっ!いくっちゃ〜〜っっ!!」

舞台の上で騒象寺がマイクを持って構えると、いつの間に入れたのか全く知らない曲が流れ出す。そして歌い始めが来た瞬間、騒象寺は大きく息を吸い込んであらん限りの力でマイクに声をぶつけた。

「っっっ!!!???」
「〜〜〜〜〜△×♀!!!」

それは世辞にも上手いとは決して言えない酷い歌声が大音量で部屋中に響く。彼の声自身が大音量らしく、マイクが音割れを起こしてキーンと甲高い機械音まで響いてきた。まるで人間の声ではない。
ハルカは自分の耳を手で塞いだ。たまったものではない。ちらりと遊戯を見れば彼は言葉にならない叫び声を上げながら目を白黒させていた。生声でここまで騒音なのだからヘッドホンでダイレクトに、しかも音量MAXで耳に響く歌声の威力は相当なものだろう。すぐにでもそのヘッドホンを外してやりたいが、今この手を離せばハルカの鼓膜までやられてしまいそうだ。

「―――――っっっ!!」

(耳が痛い。)

視界がくらりと歪む。静かな場所を好むハルカにとって、この大音量は身体が対応しきれないらしく頭痛がした。ひたすら早く終わることを願うばかりだった。

直に曲は終盤に入り、騒象寺が自己流のポーズを決めて曲は終りを告げた。瞬間静寂が部屋を満たすのだが、ハルカはまだ何かが流れているような錯覚を感じ、耳が機能していないようだった。
ハルカはソファの背もたれに身を預けて深呼吸を繰り返した。頭がくらくらする。同じように遊戯も束の間の休息をとっているようだ。

「カーーッ!痺れるぜーー!」

騒象寺は満足げ笑うとスタンドからマイクを抜き、疲れ切っている二人の方を見た。

「さてー、次の曲に行く前に、今夜の特別ゲストを紹介するぜ!」
「・・・・・・!」
「・・・・・・?」

騒象寺の言葉に疑問符を浮かべながら二人して億劫そうに顔を上げる。そんな二人の様子を気にも留めず、騒象寺は部屋の片隅に引かれたカーテンまで移動し、勿体ぶるようにそれに手をかけ楽しそうに意地悪い笑みを浮かべながら「ジャーン!」と効果音をつけて勢いよくそれを引いた。

「・・・・・!」
「・・・・・・!?花咲くん!!」

そこから現れたのは何故かボロボロの姿で座り込む花咲だった。顔中に痣をつくり、目を伏せているところを見ると大分弱っているようだ。

「ククク・・・・見ろよ、かわいそうによー・・・・こんな痛々しい顔になっちゃって・・・・・そもそも遊戯、お前が花咲のパー券を横取りするからこーゆーことになるんだぞ!」

騒象寺はサングラスの隙間から目を覗かせながら厭らしく笑った。騒象寺は見ていたのだ。遊戯が花咲からチケットすべてを受け取っている所を。彼にとって花咲のこの状態は命令した通りにしなかった報いのつもりなのだ。

「花咲くん!ごめん!ボクが余計なことをしたばかりに・・・・・・・」
「・・・・・花咲、くん・・・・・」

ハルカと遊戯は慌てて花咲のもとに駆け寄った。掠り傷からは血が少し滲んでいるし彼の特徴の眼鏡はひび割れていた。もしかしたらその破片すら怪我に入ってしまっているかもしれない。

「ゆ、遊戯くん・・・・謝るのはボクの方だよ・・・・・君はボクの分まで背負おうとしてくれたんだね・・・・それにどっちみちこーなってたよ・・・・・ボクがパー券を君に売ろうとしたからバチが当たっちゃったんだ・・・・・」
「・・・・・・・・」

ハルカはポケットからハンカチを出して彼の怪我から滲み出る血を拭った。少し乾いてきているようで、殆ど拭うことはできなかったが。

「・・・・・彼方さん・・・・ありがとう・・・・君にも・・・・迷惑かけてごめんね。・・・・・遊戯くん・・・・彼方さん・・・・・ホントにごめんね・・・・・・・・」

そう呟くと、花咲はとうとう意識を失った。

「花咲くん!!」
「・・・・!!」

騒象寺に暴力を受けた上、恐らく先ほどの騒象寺の歌を聞いていたのだろう花咲。そのダメージは大きかった。

「・・・・・花咲・・・・くん・・・・!」

彼は何も悪くない。それなのにこんな仕打ち、酷すぎる。 ハルカがぽつりと彼の名前を呼んだ、その時だった。