11.
「・・・・・・!!」

すぐ傍で何かが光を放った。ハルカは視線を目の前の花咲から光った方に向けた。

「・・・・・・・・・」

途端光は消え去った。気のせいだったのかと思わせるほど一瞬のことだった。しかし個室の空気が一変する。ハルカの目線の先に居る遊戯が突然ふらりと立ち上がった。その顔は伏せられていて表情を見ることはできない。しかしいつもとは全く違うオーラを漂わせる遊戯に、ハルカの背をぞくりと氷が撫でた。
ハルカは一度、これを経験している。重く、暗く、けれど心地のいい闇がそこにある。ハルカは自分の胸が騒めくのを感じた。

「よくも・・・・・・ボクの大切な友達の花咲くんをこんな目に合わせたな・・・・・」

低く静かに呟かれた声。威厳を感じるその声に応じるかのように、重苦しい空気が彼を取り巻いていくのが分かった。それと同時に、ハルカの胸元の服の下でまた発熱が始まる。

「絶対に許さない・・・・」
「・・・・・!!」

伏せられていた顔は上げられ、遊戯の顔が薄暗い個室に浮かび上がった。

「騒象寺!お前を許さない!」

叫んだ遊戯は耳にしていたヘッドホンを外し勢いよくコードを引っ張る。ジャックが機械から外れ、スピーカーから耳障りなノイズが大きく響いた。

「・・・・・・・」

ハルカは隣に立つ遊戯を見上げた。彼の表情はいつもの柔らかなものではなく今までに見たことのない、眦を釣り上げ相手を睨み上げて怒りを顕わにする恐ろしい顔だった。

「・・・・・武藤・・・くん・・・・・」
「な、なんだ、ガンくれちゃってよー。ヘイヘイヘイ!俺に逆らおうってのかーーーっっ!!」

騒象寺は遊戯の態度の急変に動揺しながら威嚇する。サングラスに隠されたその表情はハルカには見えないが騒象寺の米神から一筋の汗が流れた。

「ククク・・・・・・騒象寺!ひとつ質問するぜ!お前は腰抜け野郎か?」
「なにぃぃぃぃ!?」

遊戯は不敵に笑うと騒象寺を挑発した。普段の彼からは想像のつかない行為にハルカは驚愕しながら黙って状況を見守っていた。

「違うってのならこれから行うちょっとした勝負(ゲーム)から逃げるような真似はしないよな!」
「ゲームだとぉ・・・・!」

勝負を申し込む遊戯の自信に満ちた顔に、ハルカは既視感を覚えた。それは数日前、ハルカの大切にしているペンダントが突然光った夜。精神だけ学校に飛ばされ目撃した遊戯に似た男のその笑みと今目の前に居る彼の表情がハルカの頭の中で重なった。

(やっぱりあれは武藤くんだったんだ。)

「・・・・・・・アンタ、」
「・・・・・!」

不意に視線を向けられハルカはドキリと肩を震わせた。ハルカと遊戯の視線が交わる。アメジストの瞳に精神体ではないハルカの姿が映った。

「花咲くんを連れて部屋の前で待っていてくれ。できれば手当してやって欲しい。」
「・・・・!」

そう言われ、ハルカは戸惑いながらも深く頷いた。遊戯と騒象寺の勝負も気になるところだが、今は確かに花咲の手当てをすることが先だ。ハルカは背丈の変わらない花咲を遊戯の手を借りて背負うと、この部屋唯一の出入り口に向かった。扉を開けて廊下の壁に花咲を凭れ掛けさせると、扉の傍にハルカと花咲の通学鞄を置いている遊戯を振り返った。

「・・・・少し、待っててくれ。」

遊戯はまるで先の挑発した顔が嘘のように、少し微笑んだ。ハルカは遊戯のその表情に少しの安堵を感じながら頷いて答えた。花咲の事は任せて、という意味を込めて。それを見届けた遊戯は踵を返し、呆然とこちらを見ている騒象寺の待つ室内に戻っていった。
ハルカの目の前で扉が音をたてて閉まる。これで中で何が起きているのか確認することはできなくなった。遊戯がゲームで一体何をしようとしているのか、ハルカには皆目見当がつかなかった。

そういえば、と。あの夜の光景を思い出す。
遊戯と跳び箱を挟んで立つ牛尾はナイフを振り上げていた。そのナイフが遊戯に向けて振り下ろされた時、遊戯は「ルールを守ることができなかった」と口にしていた。もしかしたらあれはゲームをしている最中だったのだろうか。ゲームの内容までは分からなかったが、ルールを破ったらしい牛尾はその後、遊戯の「罰ゲーム」という言葉と胸元にあるペンダントから発せられる光を受け、豹変した。
もしかしたらあれと同じような事がこの扉の向こうで行われようとしているのだろうか。ハルカは目の前の扉を見上げた。扉の向こうからは何の音も聞こえない。防音設備の整ったカラオケボックスなら当然ではあるが、ハルカはそれだけの理由ではない気がした。まるでこの部屋だけ空間から切り取られ、重苦しい闇の中に溶け込んでしまっているような気味の悪い静寂だった。

ハルカは視線を扉から気絶する花咲に向けた。変わらず目を閉じた彼の顔中の傷跡が痛々しい。ハルカはハンカチを持って近くにあったトイレに入ってそれを濡らした。急ぎ足で花咲のもとに戻ると、割れてしまった彼の眼鏡を外し乾いた血を拭き取り、それから一番酷そうに見える打撲にハンカチを宛がった。それでも花咲は目覚める様子はない。

(武藤くんが戻ってきたら、彼を病院に連れて行こう。)

ここには十分な手当ができる道具がない。ハルカは溜息をつき、もう一度遊戯と騒象寺が居る部屋の扉を見た。やはり変わらず扉は沈黙を守っている。彼は、大丈夫なのだろうか。
全くの静寂に急に不安を感じる。部屋から出されてまだ数分と経っていないはずなのに、酷く長い時間彼を待っているような錯覚を感じた。

「・・・・・・武藤くん・・・・」

ぽそりと呟く。返答はない。
ハルカは片手で胸元からペンダントを取りだし掌に転がした。それは仄かに発光し、けれどそれ以上強く光ることはないようだった。これは遊戯の様子が急変した瞬間熱を持ち始めた。まるで、彼に呼応するかのように。あの夜もこれは突然光を放ち、気づけば精神を飛ばされた。まさかこのペンダントは、急変した遊戯と何か関係があるのだろうか。

「・・・・・・・・」

光るペンダントを見つめながら考え込んだ、その時。

「ひぃぃぃぃぃぃぃーーーーっっっ!!!!」
「!!?」

突然聞こえた叫び声に、ハルカの身体が大きく揺れた。

「・・・・・・・・!」

どきどきと鼓動が早まる。叫び声は目の前の扉から聞こえたようだ。その声は遊戯のものではない。騒象寺のものだった。

「これからは自分の心臓音(ビート)で歌でも唄いな!まさしく“人間カラオケ”の君にふさわしいぜ!」

騒ぐ胸を押さえ扉を凝視していると、内側から扉が開いて遊戯が姿を現した。彼の手で閉められる扉の僅かな隙間から、頭を抱えるもんどりうつ騒象寺の姿をハルカは確かに見た。

「・・・・・武藤・・・・くん・・・・」
「・・・・!」

ハルカの視線に気付いた遊戯は素早く扉を閉めた。見られたくなかったのだろうか、遊戯は眉根を寄せてハルカの方を見ることなく花咲の傍にしゃがんだ。

「・・・・・・・花咲くんの様子は?」

そんな遊戯の様子にやや戸惑いながらも、ハルカは遊戯の傍まで移動して言った。

「・・・・まだ、目、覚まさない。はやく、病院、つれて、かない、と。」
「ならオレが運ぶ。アンタは鞄を持ってきてくれ。」
「・・・・うん。」

ハルカが頷くと、遊戯は気絶した花咲の腕をとって自身の両肩に掛け花咲の身体を自分の背に凭れさせると勢いをつけて立ち上がり収まりよく背負った。ハルカは花咲と自分の鞄を持つと先を歩く遊戯の後を追いかけようと一歩踏み出す。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
「!!!」

聞こえた叫びにハルカの足が止まった。扉を振り返るが、やはりその中を確認することはできない。再び遊戯の方を見れば、彼は気にすることなく先に行ってしまった。ハルカは視線だけ部屋の方に向けると振り切るように小走りでその場から離れたのだった。

* * *

花咲を病院に連れて行くとすぐに手当てをしてもらうことができた。手当の間に目を覚ました花咲から連絡先を聞いて彼の親を電話で呼べばすぐに花咲の母親らしき女性が現れたので、あとの事を任せて二人は帰ることにした。帰り際、ハルカと遊戯は花咲の母親に何度も頭を下げられた。

病院の外に出ると空は真っ黒に染め上げられていた。疎らに散らばる星がちかちかと輝いている。ハルカと遊戯は黙って帰路についた。
ハルカは隣を歩く遊戯をちらりと見た。カラオケボックスを出た後の遊戯は、いつもの楽しそうな笑顔を撒く遊戯ではなく、凛とした表情を見せる遊戯だった。彼はひたすら前を向いて歩いていた。

「・・・・・・・・・」

彼は騒象寺に、一体何をしたのだろうか。あの騒象寺の豹変は、牛尾の時のように光を浴びせた結果なのだろうか。彼の胸元で千年パズルが街の明かりを反射してキラキラと輝く。それを見て、ハルカは胸がキュッと締め付けられのを感じた。“遊戯”の笑顔が、頭をよぎる。

「・・・・・ね、ぇ。」

ハルカは立ち止まり、掠れた声で遊戯を呼び止めた。それはあまりにも小さい声で、ハルカは一瞬届かなかったかと思ったが、しかし彼は少し進んだところで立ち止まってハルカを振り返った。

「・・・・・武藤くん、は・・・・。」

街中で立ち止まる二人をたくさんの通行人が邪魔そうに避けて歩く。ハルカは顔をあげて、まっすぐ彼を見た。

「・・・・・・貴方は、誰。」

凛としたハルカの声が、喧噪の中遊戯の元まで届いた。ハルカは確かめたかった。今ここに居る遊戯は遊戯であるけれど、まるで違う雰囲気を持つ2つの笑顔と微笑み。考えて考えて、ハルカが導き出した答えを、真偽を確かめようとしていた。しかし彼は、なにも返さない。ただじっと、ハルカを見つめる。

「・・・・・・武藤くん、じゃ、ないよ、ね。」

“二重人格”。それがハルカが考えた彼の身に起こる現象の名だった。核心を突くハルカの言葉に、少し離れていた遊戯は静かにハルカに近づいた。

「・・・・・アンタこそ、」
「・・・・・・?」

探るようにハルカの目を見ながら低い声で呟いた。ハルカの肩が、小さく揺らぐ。

「アンタこそ、何者なんだ。どうして闇の中に入れた。」

言っている意味が分からないと、ハルカは口を閉ざした。遊戯はそれを見て続けた。

「闇のゲームは、常人が介入することは不可能。けれどアンタは、あの時突然オレの前に姿を現し、そして消えた。」

(あの夜のことを、言ってるの・・・?)

ハルカはあの夜の出来事を頭の中に浮かび上がらせる。遊戯が言う“闇”とは、あの暗く恐怖を感じさせる“気”のことを言っているのだろうか。

「同じ闇の力を持つ者しか入れない場所に、アンタはやってきた。アンタは何者なんだ。」
「・・・・・私、の、質問に、答えるの、が、先じゃ、ない・・・・?」

ハルカがそう返せば、遊戯は驚いたようにやや目を見開いた。

「・・・・フッ・・・・・」

かと思えば、彼は小さく笑い背を向けて歩き出してしまった。ハルカはその後を追い、彼の横に並んだ。二人の間の空気が、和らいだような気がした。

「・・・・・オレは“遊戯”であって、“遊戯”じゃない。」
「・・・・・・・」

歩きながら遊戯はハルカを見ることなく、けれど口の端を上げながらそう言った。ハルカはそれに耳を傾けながら、やはり前をまっすぐ見つめて歩いた。

「アンタが思ってる通り、別の人格さ。でもこの身体は、“遊戯”のもの。」
「・・・・・・・・うん・・・。」

この人と遊戯は同一人物。しかし人格は違う。この人は遊戯であって、遊戯じゃない。

「これで答えになったか?」
「・・・・・うん。」

点滅していた信号は赤になり、二人は足を止めた。目の前を車が何台も通り過ぎてゆく。

「じゃぁ次はアンタが答える番だぜ。」

ハルカの視界の端で、遊戯が顔をこちらに向けたのを見た。するとハルカは徐に胸元からペンダントを引っ張り出し、留め具を外して彼の目の前にぶら下げた。

「・・・・?」
「・・・・・これ、私、の、宝物。」

ペンダントは既に熱も光も失い、ただのアクセサリーに戻っていた。紅い石に、信号の赤い光が反射している。

「・・・・・前、は、これが光って。気づいた、ら、あそこに、居た。」
「・・・・・・・」

自動車用の信号が青から黄色に変わる。もう少しすれば歩行者用の信号も色を変えるだろう。

「・・・・・何者、とか、分からない、けど。これが、私を、導いた。」

信号は赤となり車が止まる。そして車道の向こうにある歩行者用の信号が青に変わった。

「・・・・・・生まれた時、から、持ってる、もの。あんな、不思議な力、が、あるなんて、知らなかった。」

ペンダントを握りしめてから歩き出せば、遊戯もそれに付いて歩いた。家までもう少しだ。

「・・・・・答えに、なった・・・?」
「・・・・・・・あぁ。」

そう彼が答えたので、ハルカはホッと息をついた。それからペンダントを首に付け直し、プレートを服の中に再び忍ばせる。外に出すことで少し冷えたらしいペンダントが、火照るハルカの肌を擽らせた。

「・・・・・・アンタ、名前は?」
「・・・・?」

突然そう問われ、ハルカは遊戯を振り返ってこてんと首を傾げた。

「いや、聞いてなかったから。」

しかしそういえば自分は彼に名前を呼ばれたことがない、とハルカは思い出した。もしかしたらこの遊戯といつもの遊戯では記憶に多少の差がでるのかもしれない。とは言えこのタイミングで聞くとは、とハルカは罰が悪そうに頭を掻く遊戯を見て思わずクスリと笑った。

「・・・笑うな。」
「・・・・ごめん。」

謝りながらも笑みを消さないハルカに遊戯は不機嫌そうに顔を顰めた。それを見て余計に可笑しくなったハルカは更に笑みを濃くした。

「・・・・・ハルカ。彼方、ハルカ。」

遊戯の目を見て名乗ると、彼は納得のいかない様な顔をしながら「覚えた」と言った。案外この遊戯は子供っぽいらしい。そんなところは少し遊戯に似ている気がする、とハルカは思った。

「あ。」
「・・・・・・!」

突然上がった彼の声に驚き見れば、その視線は正面のゲーム屋に向けられていた。いつの間にか家の近くまで来ていたらしい。“close”の看板と扉の窓ガラスから漏れる明かりが、いつかの城之内との帰りを思い出させた。

「・・・・・それじゃぁ、」

小さく手を振って、ハルカは亀のゲーム屋の前を小走りに通り過ぎようとした。

「・・・・ハルカ。」
「!」

しかし突然名前を呼ばれ、ハルカは足を止めて振り返った。そこには店の扉から漏れる光りに照らされた彼の姿。ハルカを見て、ふわりと笑った。

「・・・また、明日な。」

すぅっと溶け込んでいくその言葉。けれどなんだかくすぐったさを感じて、ハルカは思わず笑った。

「・・・・・また、明日・・・・!」

初めて“友達”に“明日”と言う言葉を使えば、彼は―――遊戯は店の中に入っていった。残されたハルカは、けれどどこか満ち足りた気分だった。

また明日。明日学校で元の遊戯に会ったら、帰りに花咲のお見舞いに行こう。恐らく花咲は大事をとって学校を休むだろうから。
ハルカは踵を返して、我が家に向かった。星は静かに、瞬きを繰り返していた。