13.
「・・・・・くぁ・・・・」

誰の目も気にすることなく、遊戯は大きな欠伸を一つ零した。ちらりと教室の隅に掛けられた時計を見ると、終業まであと20分をさしていた。

(はやく終わらないかなぁ。)

両手で頬杖を突きながら今度は小さく溜息。ノートは漏れず写してはいるが、如何せん勉強が不得手な彼には内容が理解しきれていないため、この時間は退屈そのものであった。よって集中力は遥か彼方に旅立ってしまい、彼はぼーっと黒板を眺めていた。今日はこのあとどうしようかな。帰って昨日のゲームの続きでもしようかな。なんて既に放課後のことを考えながら、彼はなんとなく、窓の方に目をやった。

(・・・・・あ。)

なんとなく向けた視線の先に、ハルカの姿が映った。晴れた空を背景に、黒板に真剣に目を向ける彼女の姿がくっきりと浮かび上がる。彼女の視線は教師の動きを追っており、時々教科書を見てノートに書き込みをしている。遊戯がちらりと黒板を見ると、先生が黒板に何かを書き込んでいる様子はない。それでも何かをノートに書き込んでいるということは、彼女は何かメモでもしているのだろう。

(本当に、勉強熱心なんだなぁ。)

彼女らしいと遊戯は口元をゆるりと緩めた。

(・・・・・・って、なにじっと見ちゃってるの、ボク。)

急にじっと彼女を見つめていたことが照れくさくなって、慌ててハルカから目を逸らす。手に触れている頬が妙に熱いのが、余計に気持ちを乱れさせる。

(どうしちゃったんだろう、ボク。)

現時刻2度目の小さな溜息をついて、手で軽く扇いで顔の熱を冷まそうとする。こんなこと、遊戯の知る限り杏子を前にしたときしかならなかったのに。

遊戯は幼馴染である杏子に気があることを自覚していた。小学校の時から仲がよく、いつも一緒に過ごしていた唯一の友人である彼女は、面倒見がよく優しくて気が強くてかわいい。そんな彼女に恋心を抱いていると気づいたのは中学のとき。その性格からみんなに親しまれる杏子に言い寄る人が現れた時に、芽吹いた気持ちに気づいたのだ。それから遊戯の目は杏子を異性として見るようになり、時には胸を高鳴らせたり頬を熱くさせたりすることもしばしばあった。
けれど。最近そういった現象が、ハルカを前にした時にも起こるようになった、気がするのだ。いつの間にか彼女のことを考える時間が増えている気がする。きっかけは覚えていない。けれど初めて会話したとき、初めて見た笑顔をかわいいと思ったのは確かに覚えている。その日の夜、彼女のことを考えたのも覚えているし、それで一人顔を真っ赤にしてもんどりうっていたことも覚えている。恥ずかしい話だが。

(・・・・もー、なんなのさー・・・・)

最早赤い頬を隠すための頬杖を崩すことなく遊戯は目を瞑って煩悩を振り払おうとした。

・・・・・調子、悪い?
・・・え・・・?
・・・・元気、ない。
ひっ・・・ぁ・・・・
・・・・熱、は、ない。

遊戯の額に躊躇いなく当てられたハルカの手は冷たかった。

「!?!?」

意図せず思い出したことに遊戯は声にならない叫びを口の中で音もなく響かせながら一人身悶えた。思わず暴れだしそうになったが、周りの静けさに今が授業中ということを思い出し必死にセーブをかける。
頬を隠すための自身の冷えた手が熱を冷ますという行動で、以前ハルカが自分の熱を測ってくれたことを思い出してしまったのだ。静かに響く彼女の心配そうな声と、自分以上にひんやりとした彼女の白い手の心地よさ、自分の額に触れた柔らかい感触がどうにも胸を締め付ける。というか余計熱が冷めなくなった。

(ボクのバカ!!ホントになんなんだよーっ!!ハルカさんはただの友達だろう!?こんな変なこと考えるなんて、彼女に失礼だろーっ!?)

妙な罪悪感に思わずちらりとハルカを見た。遊戯の変化にも気づかず、彼女は変わらず真剣に先生の話を聞いていた。

(・・・・・・あれ。)

そこでふと気づいて遊戯は首を傾げた。ハルカが眠そうにあくびをしたのだ。意外な光景のような気がして、遊戯は少し目を見開いた。

(ハルカさんでも授業中に眠くなることあるんだ。)

そんなことを考えながらじっとハルカを見ていると心なしか疲れているように見えた。昨日遅くまで勉強でもしていたのだろうか。

・・・・・でも、そういえば。
ふと、思い出したことがある。最近の彼女はどこか疲れているように見える。いや、彼女だけではない。杏子までも時々疲れたような溜息をこぼしている姿を見かけるようになった。その度にどうしたのかと聞いても、何もないと返されてしまい、結局原因は分からなかった。しかし、二人揃って突然疲れた素振りを見せるようになったのはなんとなく不自然に見えた。何かあるのだろうか。
それにこれも最近気づいたことだが、少し前から彼女らは二人で行動することが多くなったように見えた。いつの間にかハルカから杏子への呼び方も変わっているし、帰りも二人だけで帰宅してしまうことも多くなった。遊戯や城之内がどこかに寄っていこうと誘ってもそれに乗る回数は極端に減っていたのだ。自分たちを除け者にして二人だけで過ごしているのがなんだか寂しい気持ちにさせる。二人に限って、人を除け者にすることはないと思っていたのに。

「ふぅー。」

やっと頬の熱がひいた頃、終業のチャイムが鳴り遊戯は大きく溜息を吐いた。妙に疲れた気がする。遊戯はだらんと机に寄りかかり、もう一度大きく溜息をついた。

「あーっ終わった終わったーーっ!!」

後ろで城之内が大声を出す。欠伸が混じったその声だけで彼も疲れていることが遊戯には分かった。周りがざわざわと帰り支度をするのを見て、遊戯はむくりと身体を起こし机に出されたノートと教科書を閉じて、机の横にかけておいた鞄に詰め込んだ。

「おい、遊戯。帰りどっか寄ってかねー?」

机の中の教科書を掴んだところで、城之内が遊戯の元にやってきてわくわくと期待した声で遊戯を誘った。彼を見ればすでに鞄を持っていて帰る準備は万全である。恐らくその鞄には殆ど物は入っていない。

「うん、いいよー。」

にこりと答え、次いで遊戯は「あっ」と思い出した。

「それならさ、新しくオープンした“バーガーワールド”に行こうよ!そこのハンバーガーがおいしいって評判なんだ!」
「おー!この前見かけたあの店か!ついにオープンしたのか!」
「そうそう!」

急に遊戯のテンションが上がる。彼にとってハンバーガーはゲーム同様テンションを上げる栄養剤の効果を持つらしい。

「お前って本当にハンバーガーが好きな〜!」
「ウス!」

茶化す城之内も授業の疲れが飛んだのか、楽しそうだ。遊戯は照れ笑いをして頭を掻いた。

「おーーしっ!バーガーワールドに行くぜー!!」
「おーっ!!」

二人で拳を挙げて高らかに出発宣言。なんとも元気な二人である。

「あ・・・・あのさぁ、遊戯・・・・。バーガーワールドって店なんだけどさ・・・・・・」
「?」

意気込む二人の横から聴き馴染んだ声に呼ばれ、二人は振り返った。そこには鞄を手にして何故か苦笑いをする杏子とハルカが立っていた。

「杏子たちも行く?」

最近にしては珍しく寄り道に反応してくれた杏子に嬉しくなりここぞとばかりに誘う。しかし杏子は途端に表情を変えた。

「冗談ーっ!!あの店、ムチャクチャまずいって評判よーっ!!ホント!!開店して間もないのにお腹壊した人が続出ー!絶対行かないほうがいいって!!」

畳み掛けるような勢いで早口にそう言われ、遊戯は思わず後退った。

「え、本当?じゃぁやーめた。」
「そうよ!あの店だけは行っちゃ駄目!」

遊戯は「おかしいなぁ」と首を傾げながら渋々頷いた。“おいしい”と確かに聞いたはずなのだが、杏子が全力で否定するのなら、もしかしたらそうなのかもしれないと思った。楽しみにしていた分、ショックはあった。

「ならさー、駅前の“カロリーバーガー”にするから一緒に行こーぜ!」

折角二人が寄り道に反応してくれたこの機会を逃すのはおしいと別の提案をしてみる。変わらずハンバーガーショップなのが遊戯らしい。

「だーめ!今日はハルカちゃんと用事があるの。ね!」
「・・・・・うん、ごめん、ね。」

そうハルカが申し訳なさそうに笑うと、遊戯は慌てて首を振った。用事があるのなら仕方がない。

「それに先生も言ってたでしょー。この街に凶悪犯がうろついてるからまっすぐ帰れって!」
「あー!そうだった!!凶悪犯だよ!街中大騒ぎなんだよーっ!」

杏子の言葉に今朝家を出る前に見たニュースを思い出し遊戯は顔色を変えた。昨夜刑務所から脱獄した凶悪犯が今も尚捕まることなく童実野町を逃走しているそうだ。その脱獄犯は窃盗と殺人の容疑で逮捕されており、死刑判決が出ていた凶悪犯だった。そんな極悪人が町中を逃走すれば既に被害にあった店や家があるらしく、町中がこの話題でもちきりだった。そのため各学校では現在、生徒たちの安全を守るために警戒体制に入り、今朝も注意するよう言われたばかりだった。

「なんだよー、そんなにビビってんのかよー。根性ねぇぜ!」
「でもさー、拳銃持ってんだよー拳銃!」

城之内は慌てる遊戯を見てニヤリと笑う。大騒ぎする遊戯たちを見て杏子とハルカは自分たちから意識が離れたと思いここぞとばかりにそっと彼らから離れ教室を後にした。―――城之内だけが視線だけこちらを見ているとは気づかずに。

「ねぇ、城之内くん、聴いてる?」
「・・・・・・遊戯・・・」

城之内の視線があらぬ方向に向いていることに気づいた遊戯が声をかけると、逆に城之内に名前を呼ばれた。その目は教室の後方の扉を睨んでいる。

「最近、杏子とハルカのやつら、妙に付き合い悪くね?」

そう指摘する城之内は何か考えるように腕を組んだ。どうやら彼もそれには気づいていたらしい。

「・・・・うん。暫く一緒に帰ったことないし・・・・・」

やっぱりなにかあったのかなぁ、と遊戯も思案するように天井を見上げた。とは言え何も思いつくことはなかったが。

「遊戯、これはオレの推測だけどよー。」

ふむ、と何か分かったらしい城之内は口の端を上げて遊戯を見た。

「あの二人、放課後“援助交際”とかやってんじゃねーかな・・・・」
「え!?エンジョイ交配!?なにそれ?」

聞きなれない言葉に、遊戯は首を傾げる。城之内は笑みを更に深くしながら遊戯に近寄った。

「だからさー、金持ってるオヤジ相手に○○で○○ってやつよ!他のクラスの何人かの女子も小遣い稼ぎにやってるって噂だぜ。」
「!?!?」

声のトーンを下げて言われた援助交際とは何かに遊戯の頬は途端に紅潮する。

「城之内くん!杏子もハルカさんもそんなことするハズないじゃないかーーーっっ!!」
「おー、何ムキになってんだー!顔真っ赤だぜー!さては・・・・・」
「そんなんじゃないやいっ!!」

プププ・・・と意地悪く笑う城之内に小突かれ遊戯乱暴に鞄を引っつかんで顔を隠す。そうすれば城之内は大きな声を上げて笑った。

――――それから。

「杏子&ハルカ尾行作戦決行だーーっ!」

(本当はこんなことしたくないのに・・・・)

二人は壁に貼りついて身を隠しながら杏子とハルカの後を追いかけていた。怪しい以外の何物でもない光景である。因みに二人の会話から分かる通り、この作戦は城之内案であり遊戯は強制参加である。

「お、繁華街に向かってるぜー!」

杏子とハルカは仲良く会話しながら繁華街に向かって足を進めていた。今のところ二人に変わった様子はない。

「・・・・・・・」

気づかれないようにある程度の距離を保ちながら曲がり角や電柱の陰に隠れて彼女らを追いかけるが、遊戯の心の中は複雑だった。友人の後をこんな風に追いかけることに罪悪感で胸を痛める。けれど二人が隠し事をしているのも事実。そして万に一つでも城之内が言っていた通り、杏子たちが自身の身体を売っていたとしたら・・・・。そう考えるだけで居てもたってもいられなくなる。そうして結局尾行するという城之内の提案を受け入れてしまったのだ。

「・・・・・?」
「「!!」」

チラリと杏子が後ろを振り返り城之内と遊戯は慌てて曲がり角から首を引っ込めた。

「――――っと、あぶない!!しかし城之内リポーター、ひるまず“女子高生 真崎杏子・彼方ハルカ 禁じられた放課後”のレポートを続けます!」
「城之内くん!Hビデオのタイトルじゃないんだからーっ!!」

この状況を楽しむ城之内に遊戯は非難するが城之内は耳を貸すことなく右手でマイクを持つフリを続けて杏子たちの後を追いかけた。

「おーっと!二人がある建物に入ったぁっ!そこにオヤジが待ち受けているのかー!!ここはぁぁぁ!?」
「「!?」」

杏子たちが入った建物、その建物を見上げると二人は唖然とした。

「バ、バーガーワールド・・・・・」
「なんで・・・・?」

屋根の上に掲げられた“バーガーワールド”の文字。髭を生やしたハンバーガーのキャラクターが目印となっているその店は、先程遊戯たちが行こうとして杏子に止められたバーガーショップだった。
意味が分からないと遊戯たちが揃って首を傾げていると突然店の扉が開く音がして、そちらに目を向けた。現れたのは。

「「ハーーーイ!いらっしゃいませ!お客様2名様ですね!只今お席にごっ・・・・」」
「「!!」」
「・・・・案・・・」
「・・・・内・・・・」

尻すぼみから遂に言葉は途切れ、4人の間に沈黙が訪れる。黄緑のノースリーブシャツに緑のネクタイ、同じく緑の短いスカートを履いて黄色のリボンを頭に結わえた杏子とハルカ(ハルカに至っては珍しく髪を上げている)は、指定されたらしい歓迎のポーズのまま固まっていた。対する遊戯と城之内も、まさかの格好でまさかのセリフを吐いた彼女らに口をあんぐりと開けて固まっていた。

「・・・・む、とう・・・・くん・・・・じょうの、うち、くん・・・・・」

顔を強張らせて小さな声で遊戯と城之内の名を呟いたのは、現状を逸早く飲み込めたハルカ。そして隣りでは杏子が一歩、また一歩と後退り。

「「あ。」」

そうして踵を返して店内に逃げていった。

「・・・・・。・・・・・ハルカさん、これって・・・・・」
「・・・・・・・・っ」

杏子の後ろ姿を見送るハルカに遊戯が声をかけると、ハルカは肩を小さく跳ねさせてそっと振り返った。その表情は気まずそうに歪められている。

「・・・・・ごめん、ちょっと・・・・・」
「あ・・・・」

苦笑いを返したハルカはポニーテールを揺らして店内に戻り、杏子を追いかけてスタッフルームに姿を消した。

「城之内くん、店に来たのマズかったよ・・・・杏子、怒ってるみたいだったし・・・・」
「くく・・・どーりであいつ、俺らをバーガーワールドに近づかせたくないわけだぜ!」

城之内と遊戯は別のスタッフに案内されて窓際の席に座った。遊戯はスタッフルームから物凄い形相で出てきて厨房に向かった杏子とそれを慌てて追いかけるハルカを見ながら鞄を下した。目の前の席では城之内が秘密を握ったと喜んでいる。

(あー、このあとが怖い。)

なんて頭を抱える遊戯。まさかここでアルバイトをしているとは思ってもみなかったのだ。アルバイトは校則で原則禁止とされている。杏子はこれがバレることを恐れて遊戯たちに内緒にし、更に店から遠ざけるような事を言ったのだ。今までなかなか一緒に帰れなかったのも、ここで働いていたからだろう。でもまさか、ハルカまでここで働いていたとは。彼女の様な真面目な人が、放課後の寄り道は許してもアルバイト禁止の校則まで破るとは思いもしなかった。しかしそんな彼女の行動が近寄りがたいイメージを壊してくれて、遊戯はなんだか嬉しい気持ちになった。

(それにしても・・・・コスチューム、可愛かったぜ・・・・)

先の二人の格好を思い出して遊戯は一人頬を染めた。杏子はもともとスタイルがいいのでどんな服も着こなしてしまうのだが、いつもとは違った趣向のあのコスチュームは何時にも増して可愛かった。惜しみなく出された足もすらりと伸びていて、男性にとってはいい目の保養だろう。
そしてハルカの方は、普段制服姿しか見ることがないため新鮮なものだった。彼女も同じく腕と脚を曝け出しており、更にいつも下しているだけの黒髪をリボンで結い上げているのもポイントが高い。普段見られないものほど、見たときの衝撃と感動は高いものだ。

(あー、もういいや。この際どちらをかわいいとか思っても・・・・)

なんて投げやりになってしまう遊戯であった。