15.
ハルカの目の前で電話が爆ぜた。驚いてそれを凝視していると、また何かが爆ぜるような音がハルカの近くで響く。いや、これは――発砲した音。

「そこのカウンターの下に居る女!!立て!!」

突然の大声にハルカの身体が跳ねる。伸ばしたまま固まってしまった腕が明らかにぶるぶると震えた。カウンターの下の女。そこに居るのは自分だけ。つまり。

(バレた・・・・・!)

「立てぇっ!さっさとしろぉっ!!」

再び怒鳴られハルカは震える身体を必死に抑えながら立ち上がる。男のぎらついた眼がハルカを貫いた。

「・・・・・・こっちへ来い。」

静かな声でそう指示される。怒気が含まれた声だった。やってしまった、と刹那思った。
ハルカはゆっくりと蹲る人の間を縫って男のもとに向かった。途中、呼び出されたのがハルカだと気付いたらしい城之内が「ハルカ・・・・・・」と呟いたのがハルカの耳に届いた。

「・・・・・・・」

男の目の前に立つ。拳銃は杏子ではなくハルカの方を向いている。

「てめぇ・・・・今何しようとしていた。」
「・・・・・・・」

向けられた凶器に恐怖を覚え喉の筋肉が引き攣り上手く声が出ない。逃げたい衝動を抑えるよう必死に拳を握る。足もカタカタと震え、みっともないことこの上なかった。

「なんだぁ、その目はぁ・・・・・。」

恐怖と悔しさでただ茫然と男を見るハルカの目が、男には気に喰わなかった。ハルカ本人は気づいていないが、身体は震えつつもその眼はまっすぐに男を射抜き、まるで屈しないとでも言うように見開かれているのだから。

「・・・・そんなに死にてぇのか、あぁ?」

にやりと笑った男にぞわりと冷たいものがハルカの背筋を駆け上ってゆく。

「てめぇ、さっき落ちてた携帯で通報しようとしてたろ・・・・・おめぇは運がねぇなぁ、オレと違って!」

ハハハと笑う男に、その通りだ、とハルカは心の中で呟いた。
運がなかった。あと少しだったのに、ハルカが携帯電話を手に入れようとしているところを見られてしまったのだ。そして男は発砲し携帯を壊して、2度目の発砲でハルカを脅したのだ。悔しさにこれ以上ないくらい手に力を入れる。爪が食い込んだ掌が痛かった。

「・・・・だから・・・・その目はなんだっつってんだよぉ・・・・!!」

男は瞳孔をカッと開き、険しい顔で突きつけた拳銃の安全装置に指を掛ける。

(殺される・・・・・!)

「オレを怒らせたんだ。呪いたきゃ不運だった自分を呪いな!」

ニヤリと再び笑う男を見てハルカの頬を雫が伝う。胸が熱かった。

「あばよ。」

カチリ、と。安全装置が外される音が響いた。そのとき。

「うぁっ!!」
「!!!!!」

ハルカと男の間で突然血のように紅い光りが噴出した。ハルカは一瞬打たれて吹き出した自分の血かと思ったが、しかしそうではないようだ。それは男の目を眩ませ慌てて片腕で自らの目を庇い、そして。

パァンッ!

「・・・・・っ!!」

チリッと左腕を何かが掠めたような熱さ。次いでヒリヒリとする痛みがじわじわ身体を侵食されるのを感じてハルカは身体を揺らした。紅い光は一瞬の爆発を見せたかと思うと、すぅと音もなく何事もなかったかのように消えていった。

「・・・・・・!・・・・・?」

消えていく、というより吸い込まれると言った表現の方が正しいのかもしれない。紅い光りはハルカの胸元で光るペンダントの紅い石に吸い込まれていったのを、ハルカは確かに見た。

「・・・・・・・」

しぃ・・・ん、と静寂が降りる。男が目を守るように翳していた腕を下ろし、ハルカを凝視した。

「てめぇ・・・・何しやがった・・・・・」
「・・・・・・!・・・・・っ!」

震えながらハルカは首を横に振った。自分は何もしていない。そう伝えるために。

「っ!てめぇっっ!!」
「っ!!!!」

けれどそれが気に喰わなかった男は手を振り上げた。刹那、バシンッとハルカの耳元で大きく爆ぜる音がした。耳から何かが滑り落ちる。ああ、眼鏡が外れたのかと思った時には、もうすでにハルカの身体はバランスを崩していて。震えた足が縺れて床に倒れ込みそうなった。

「・・・・・っ」

スローモーションのように近づいてくる床にぶつかる覚悟をしたハルカはぎゅっと目を瞑った。

「・・・・・・」
「・・・・・・!」

しかしと。ハルカの身体を受け止めたのは冷たい床の感触ではなく、暖かくて逞しい何か。

「・・・・・・・・・!」
「大丈夫か?」

慌てて目を開いてそれを見上げると、頬を殴った男とは違った低い声が降ってきた。さっきまでそこには居なかったはずの遊戯だった。

「・・・・・・」

近いところにあるいつもの彼とは違う目を見て、ハルカはコクリと頷く。ハルカは一瞬で悟った。それはもう一人の遊戯なのだと。そして遊戯に肩を抱かれていることに気づき、慌てて身を起こして離れた。
遊戯は片手に酒のボトルとグラス、それからタバコとライターを乗せた盆を持ってハルカの横を通り過ぎた。そして盆を男の目の前に置くと、ドカッと勢いよく男の目の前の席に腰を下ろした。

「お望みのものを持ってきてやったぜ!」
「きさまぁ!誰がテーブルにつけと言ったぁぁ!」

足を組んでにやりと笑う遊戯の姿に男は驚いたのか少し声に動揺を含ませて怒鳴り、拳銃を遊戯に向け安全装置を躊躇うことなく外した。ハルカはその状況にどうしていいのか分からず微動だしないまま遊戯を見る。

「なぁに・・・・・あんたの遊び相手になってやろうと思ってね・・・あんたに度胸があるなら、オレとゲームをやらないか?」
「げ・・・・ゲ・・・ゲームだとぉぉ!?」

眼鏡を紛失したハルカには男の顔は見えないが、しかし男が動揺しているのは声から分かった。そして遊戯がまた“ゲーム”によって“罪人”を裁くことも。

「・・・・・・ほぉ、ゲームねぇ・・・少しばかり興味はあるな・・・・・」

男は少しの間を開けて冷静になったのか先程運ばれてきたばかりのタバコの箱から1本を片手で器用に出し、口に咥えた。その姿は余裕さえ見える。

「ただし、このゲームに負けた者は命を落とすぜ!」
「!」

“命を落とす”と言う言葉に今度はハルカが動揺した。今まで罰ゲームを受けてきた人たちのようになってしまうのではなく、死罪を与えるというのか。そんな危険なゲーム、してはいけない!

「アンタはそこを動くな!」
「!」

止めようとハルカが足を一歩前に出したところで遊戯はぴしゃりと怒鳴りつけた。ハルカは驚いて動きを止める。反動でシャリンとネックレスの鎖が擦れる音が響いた。

「おもしろそーじゃねぇか・・・・ルールを聞きたいね・・・・」

男はそんな些細なハルカと遊戯のやり取りを気にすることもなく酒の入ったボトルを手にしてゆっくりとグラスに注いだ。もう片方の手にある拳銃は変わらず遊戯に向いている。

「オレとあんたがこうして向かい合っている間、ひとつの制限を課すことにする。」

言って遊戯は両掌を男に見えるように広げた。ルール説明は淡々と進んでいく。

「それはこの10本の指の中の決められた1本の指以外動かしてはならないという制約さ!どの指を選ぶかはお互いの自由という事にする。さぁ、どの指を選ぶ?」

遊戯がそう促すと男は楽しそうに笑みを深めて言った。

「それなら当然、この人差し指を選ぶね!今お前をぶっ殺すために必要なのは引き金を引くためのこの人差し指だけで十分だ!」

すでに安全装置が外されている拳銃。とすればゲームが始まると同時に男がトリガーを引いてしまえば、瞬く間にゲームは終了となってしまう。それは傍に居るハルカにもすぐに理解できた。

「OK!それならオレはこの親指を選ぶよ!」

対して遊戯は親指を立てて余裕そうに笑む。まるで彼の考えが分からないハルカは不安を募らせた。一体親指ひとつで何をしようというのか。

「ゲームスタートの合図をしたら何をしようと自由だ。当然、引き金を引くこともね!・・・・それじゃぁいくぜ。ゲームスタート!」

流れるように宣言されたスタートの言葉に男は待ってましたとばかりに大声で笑った。

「ハハハハ!!この一瞬でゲームオーバーだ!!」

素早く男は拳銃を遊戯に突きつける。終わりだと思った。ハルカは思わず目を瞑る。彼の血濡れの姿なんて、見たくない。

しかし耳に届いたのは、カチンと何かを開けるような軽快な音だった。
不思議に思ってそっと目を開くと、遊戯がライターの蓋を親指だけで開けて男の方に向けていた。はてと思い彼の持つライターの先を見ると、火の付いていないタバコが男の口に銜えられていた。

「ちっ・・・・そうか、ライターの注文を忘れてたっけな・・・・。ムショの中じゃずーっと吸えなくてよ、我慢してたとこでなぁ・・・・。最後にその親指でオレのタバコに火をつけさせてやる・・・・・。その後殺してやるぜ!」

そして遊戯は静かに男の咥えているタバコにライターを近づけ、火を灯した。火はタバコに引火し、タバコの先から煙が瞬く間に立ち上る。そしてタバコからライターが遠退き、途端男がこれで終わりだと笑った。しかし。

「!?」

遊戯はライターの火を消さずに未だ酒を注いでいる男の左手の甲の上に静かに置いた。思いがけない遊戯の行動にハルカも男も首を傾げる。

「そのライター、あげるぜ。あの世に持って行きな!」
「・・・・・・!」

途端ハルカも男も遊戯の言葉を理解し目を見張った。ぼやけた視界ではあるが、ハルカは遊戯が酒を注いでいる方の手の甲にライターを置いたのを見た。もう片方の手には拳銃が握られているが、しかし今はゲームの最中、他の指を動かすことは許されない。いや、例えゲームの最中だろうと男は指の1本さえ動かすことはできなかった。何故なら今男が少しでも動けば自分が死んでしまうことを悟ったからだ。

「ためしに銃をぶっぱなしてみな!反動で確実にライターは落ちるぜ!因みにその酒はロシア製のウォッカ。アルコール度数、90%だ!」

まさかの展開にハルカは男を凝視する。動けない男の手により注ぎ続けられた酒は表面張力を失いグラスから溢れ出す。それはテーブルの上を伝い男の身体にボタボタと落ちて男の服に酒のシミを広げた。もしもこの酒に引火すれば、酒まみれの男の命は。

「杏子、行こうぜ!ハルカも、早くこっちに。」
「・・・・・!杏子ちゃん!」

遊戯に名を呼ばれ男にとって最悪の展開を予想していたハルカは我に返り、慌てて男と杏子の座る席を迂回して杏子に駆け寄った。彼女は目隠しをされて状況を理解できていないながらも素直に遊戯に腕を引かれる。杏子を連れてハルカも男から離れた瞬間、背後で叫び声と熱を感じた。

「・・・・!見るなっ!」

まさかと思いハルカが振り返ろうとした瞬間遊戯に手で目隠しされる。ゲームの緊張で上がったらしい体温が、ハルカの目元をやんわりと温めた。

「アンタは見ない方がいいぜ。こっちを向け。」

目隠しされたままくるりと身体を反転される。そしてその手を退けると、遊戯はじっとハルカの左腕を見た。

「撃たれたのか。」
「・・・・!」

言われて自分が怪我をしていることを思い出したハルカは自身の左腕を見た。むき出しの左の二の腕には擦りむいたような傷がある。恐らく男が打った弾が腕を掠ったのだろう。

「・・・・だい、じょうぶ。痛く、ない。」
「頬も叩かれていたろ。」

指の背で左頬を撫でられ、ハルカはくすりと笑った。

「・・・・心配性。」
「悪いか。」

ふるふると首を横に振る。心配をかけて申し訳ないと思う反面、それが嬉しいとも思った。

「もう無茶するなよ。」
「・・・・・ごめん、なさい。」

そう謝れば、遊戯は満足したのかフッと笑った。そして落としていた筈の眼鏡をハルカに差し出しながら言った。

「アンタ・・・・眼鏡取った方が可愛いな。」
「・・・・・?」

きょとんとするハルカに遊戯はやはり笑いかけるのみ。ハルカが遊戯の言葉を理解する前に、「遊戯・・・・ハルカちゃん・・・・・」といつの間にかリボンを解いていた杏子の声が二人に掛けられた。

「・・・・・杏子ちゃん!怪我は、ない!?」
「え!?あ、ないけど・・・・ねぇ、さっき・・・・」
「あ!杏子!よく無事だったねー!」

杏子は何かを聞きたそうに口を開いたがいつの間にか元に戻っていた遊戯の杏子の無事を喜ぶ声に遮られてしまった。ハルカはそんな杏子と遊戯を見ながらそういえば彼にお礼を言ってなかったと小さく嘆息した。

「おー!お前ら無事で良かったぜー!!」
「城之内くーん!!」

漸く全てが終わったことに気付いたらしい城之内がこちらに走ってくる。他のスタッフや客も、脱獄犯の声がしなくなったことに気づき立ち上がっていた。途端叫ぶ者や逃げ出そうとする者、警察と救急に連絡する人で再び店内は騒然となる。
ハルカは杏子の傍に寄り添いながら、あの男を振り返ろうとしてやはり思い留まった。

きっとそこには、ゲームに負けて罰を受けた、無残な男の姿があるはずだから。