21.
終業のチャイムが鳴り、帰り支度を終えた生徒たちがぞろぞろと教室を後にしていく。ハルカも用具を入れた鞄を肩に掛け、松葉杖を掴んでゆっくり立ち上がった。いつもなら杏子たちが助けてくれるのだが、今日は杏子は委員会の会議があるとかで既に教室から姿を消しており、遊戯と城之内は中途半端になっている片付けの残りをしに校庭に出ていた。

「あ、彼方さん、手伝おっか?」

一人で松葉杖をつくハルカに気付いた教室の出入口近くの女生徒何人かが声をかける。しかしその申し出にゆるゆると首を横に振った。

「・・・・・大丈夫、ありがとう。」

今日みたいに杏子たちの力を借りることができない日は、なるべく一人で移動している。つまりリハビリだ。彼女たちの申し出はありがたかったが、ハルカは気持ちだけ受け取って教室を出た。
廊下には教室内には置いておけない大小道具が置かれており、普段よりも幾分か狭くなっている。更に帰宅を急ぐ生徒が廊下を行き来しており、これはなかなか掻い潜るのは難しそうに見える。

「・・・・・・・・。」

ハルカはひとつ深呼吸をすると松葉杖をしっかりと握りゆっくりと歩を進めた。

階段まで来るとハルカは松葉杖を一つに束ねて手すりに捕まって一段、また一段とゆっくり下りていった。しかし流石に松葉杖を抱えて下りるのはひとりでは辛いものがあり、なかなか進むことができない。横を通り過ぎてゆく生徒もちらちらとハルカを見ている。

(流石に無茶だったか。)

ひとりでは何もできないことへの苛立ちといつバランスを崩してここから落ちてしまうのかという緊張感で脂汗が浮いてくる。ここまで来たのだ。最後まで頑張るしかない。
一度大きく息を吸い込んで、一気に吐く。そうしてまた一段足を下した時だった。

「・・・・・!?」

緊張で滲み出ていた汗で手がすべり、手すりから手が離れてしまった。あっと気付いた頃には身体のバランスは崩れており、前のめりに倒れてゆく。

ふわりと身体が宙に浮くような感覚。
その感覚に、ハルカは言い知れない恐怖と吐き気を感じた。脳裏にフラッシュバックしたのは、先日狐蔵乃に突き落とされた時のあの光景。ブワリと体中から汗が噴き出す感覚を感じた。

(また・・・・落ちる・・・・!)

遠くでガランガランと大きな音を耳にしながらハルカはギュッと目を堅く瞑った。

「!!」

グッと腹の辺りに腕を回され後ろに引っ張られる。驚いて閉じていた目を開くと、視界に映ったのはこちらを見て目を大きく見開く数人の生徒たちと、階段下に転がる松葉杖。そして背中に感じるのは誰かの体温。

「・・・・・・・」
「・・・・・本田・・・・・くん・・・・?」

振り返って見上げた先に見えたのは、同じクラスの本田の姿だった。本田は厳しい顔をしながら手すりに捕まり、もう片方の腕でハルカを支えていた。

「・・・・あ、りがとう・・・・」
「・・・・・・・・・」

恐怖で固まった喉になんとか唾液を通して震えた声でお礼を言うが、本田は何も言わずにハルカの鞄を奪ってから腕を掴み、自分の首の後ろに回した。驚いて固まるハルカをよそに、本田はやや引きずる形で階段を降りて行き、踊り場で固まる一人の男子生徒に松葉杖を持つよう指示して1階までハルカを下ろした。
ハルカを壁に寄りかからせた本田はハルカの鞄をぐいと突きつけると、後ろから付いてきていた男子生徒から松葉杖を受け取るとしっしっと追い払う仕草をする。

その人を見ればあれと気づいた。あれは木材を提供した鈴木だ。明るい茶髪に色黒で制服を着崩している鈴木は、所謂チャラ男という人種らしく。しかし今の姿はさっきまで作業をしていたせいかタオルを頭に巻き学ランを脱いで赤いインナーを露出させズボンのポケットからは軍手がはみ出しており、まるで道路工事か若手の大工を連想させた。去り際にちらりとハルカを見た鈴木は、それから本田を見てから顔をしかめて去っていく。

「・・・・・あいつ、お前に気があるらしいぜ。」
「・・・・・」

さっきまで一言も喋らなかった本田が口を開いたかと思えば、意味の分からない事を呟いて、ハルカは目を瞬かせる。

「・・・・3日前くらいからな。そんなに悪いやつじゃないが、ま、あいつはやめとけ。お前には合わねぇだろ。」
「・・・・・・・・?」

3日前とは怪我をした次の日のことだが、しかし只のクラスメイトとしてしか認識していない相手にやめておくもなにもない。それに何故今この状況で色恋沙汰の話になっているのかがハルカには謎だった。

「・・・・・・じゃ、気をつけて帰れよ。」
「・・・・・・!」

もんもんと考えていると、本田は自分の鞄を抱え直して昇降口に繋がる角を曲がっていってしまった。

「・・・・・・・・・・・・・・。」

ポカンと口を開けて角を見つめるハルカ。それが余程間抜けに見えたのか、ちらちらと視線を感じて慌てて口を閉じた。
あれは本当に本田だったのか。ハルカの中での本田は遊戯をいじめて楽しんでいた悪人で。喧嘩っ早く城之内といい勝負な不良だった筈。あの風紀委員、牛尾に殴られる事件以来全く会話していなかったのだが。

「・・・・・・・・・」

何故彼は助けてくれたのか。何を思って助けてくれたのか。イメージとはかけ離れた彼の行動に、ハルカは首を捻るばかりだった。

* * *

翌日、漸く慣れ始めた母の車での通学を果たしてから午前授業を受け、昼食を摂ってから昨日の続きで文化祭の準備に取り掛かる。昨日家で仕上げだけ残して塗ってきた衣装は、このまま順調にいけば本日中には完成するだろう。
昼休み終了のチャイムと共に各自作業場に向かう生徒たちを見送っていると、その数人のうちの一人と目が合いハルカはぱちくりと目を瞬かせた。相手は廊下へと向かっていた身体の向きをかえ、こちらにまっすぐ向かってくる。

「彼方。」
「・・・・・・?」

席についたままのハルカの目の前に立ったその人物、鈴木は何処か真剣な顔でハルカを見下ろしている。

「・・・・・お前、本田と付き合ってんのか?」
「・・・・?」

唐突な質問にハルカは大きく首を傾げる。

「いや、昨日やたら密着してたのにお互いに全然気にしてないっぽかったから慣れてんのかなって・・・・。」

あの時は階段から落ちたことと本田の行動に驚いていたので反応ができなかったという話であり。正直何故彼がそこから付き合うという発想をしたのかまるで分からなかった。

「・・・・・別に、驚いて、反応、できなかった、だけ。」
「じゃぁ付き合ってるわけじゃねぇんだな?」

違うと首を横に振れば鈴木はホッとしたような顔をしたかと思えば、次の瞬間にはニヤリといやらしい笑いに変わった。

「じゃぁさ、オレお前のことハルカって呼んでいい?」
「・・・・・?」

どかりと昨日杏子が座った前の席に座ってハルカと目の高さを合わせた鈴木がまた意味の分からないことを言い出す。

「いやぁお前ってば眼鏡外したら意外とかわいいんだな。マジ見たときびっくりしたわ。」
「・・・・・・・・・」
「なんで急にコンタクトに変えたの?前からそうすれば良かったじゃん。」
「・・・・・・・・・・」

安堵した途端態度を変えた彼に追い付けないハルカは目を白黒する。まるで二重人格だ。

「ねぇねぇどこ中出身?家って近いの?」
「・・・・・・・・」

答えてもいないのにどんどん質問する鈴木。ひとりで喋る彼はハルカが無言でも気にすることはないらしい。はっきり言って迷惑だ。

「髪っていつから伸ばしてんの?アレンジとかしないんだ。アップにしたら絶対かわいいと思うんだけど。」

ハルカの机に頬杖をついて喋る鈴木はハルカの髪に触れようともう片方の手を伸ばしてきた。その時だった。

「おおおい鈴木っ!お前が居ねぇと壁が出来上がんねぇだろっ!皆あっちで待ってるぜ!さっさと来やがれっ!!」
「うおっ!?ちょ、城之内!首締まるっ!」
「締めてんだよバーカッ!おら来いよ!」
「ちょっ・・・、離せよ城之内いいいっ!!」

突然現れた城之内が鈴木の首に後ろから腕を回し、もう片方の腕で回した腕を挟んで絞めている。所謂ヘッドロックだ。その顔は満面の笑みであり、苦しむ鈴木とは対照的である。
その後ろから遊戯が姿を見せる。心配そうに、しかしどこか怒ったような表情をする遊戯は、城之内に連れて行かれる鈴木を凝視している。珍しく少し怖い顔だ。

「・・・・武、藤くん、どうしたの?」

ぎゃーぎゃーと騒ぐ鈴木と笑顔で何かを言う城之内の姿が教室の外に消えるまで見届けた遊戯に声をかける。すると遊戯はハッとした表情をし、それから心配そうな顔で近寄って来た。実に忙しい子である。

「ハルカさん、大丈夫だった?」
「・・・・・ちょっと、疲れたけど・・・・」

そう答えると遊戯は顔を顰めて教室の扉の方を振り返った。

「鈴木くん、ああやって女の子に絡むの、よく見かけるんだよね。」
「・・・・・・うん。助かった。城之内くん、に、後で、お礼、言わないと。」
「ボクから伝えておくよ。ハルカさん、またあいつが絡んでくるようだったらボクか城之内くんに言ってね。ボクじゃ力になれないかもしれないけど・・・・」
「・・・・・・そんなこと、ない。・・・・分かった。気をつける。」

どうやらまた心配をかけてしまったらしい。ハルカは表情を曇らせた。

「・・・・・もしかしたら、あいつだけじゃなくなるかもしれないけど・・・それでも、兎に角困ったらちゃんと言ってね。」
「・・・・・・?うん・・・・・。」

少し俯きがちに声のトーンを下げて呟いた遊戯の言葉に首を傾げながらもハルカは頷く。前半の意味は理解できなかったが後半の約束には素直に嬉しかった。

「・・・・、絶対!絶対だよ!」

それだけ言い残して遊戯は走り去っていった。そして矢張り首を傾げるハルカ。
昨日から本には載っていない、理解の範疇を越えることばかりが起きる。

「・・・・・・・・・」

大きく溜息をついて、ハルカは一度頭を掻いた。それから鞄とは別で持ってきていた手提げ鞄から青ヒゲの衣装と裁縫セットを取り出す。考えても分からない場合は一度考えることをやめた方が良い。こういうものは一度別のことに集中すれば、その内唐突に答えが浮かび上がるものだ。
針に糸を通し、指ぬきを指にはめてから縫い物を手にする。縫い始めてから暫く、ハルカは裁縫に没頭したのであった。

* * *

ひたすら縫い続けて一周したところで簡単に取れないよう返し縫をして裏面に針を通す。それからしっかりと玉止めをし、余った糸を糸切り鋏で切る。解れそうなところはないか十分に確認し、広げて自分の真正面に服を翳して全体を見る。異常なし。白地のポロシャツに水色の太めの横縞。これなら十分、青ヒゲの衣装となり得るだろう。

「あ!衣装できたんだ!」
「おー!いい感じじゃん!」

終了した看板作りから景品入れの箱作りに移行していた女子たちがそれの完成に気づいてハルカに駆け寄る。彼女らにそれを確認してもらうと高評価を得た。頑張った甲斐があったというものだ。

「あとは青ヒゲ役を誰がやるかだねー。」
「男子がやるんでしょ。あんなの女子がやる役じゃないし。」
「城之内辺りとかいいんじゃない?」
「あっはは!適役ー!!」

きゃあきゃあと笑う女子たちの話しを聞きながらハルカは糸と針を片付けて衣装を畳んで手提げ鞄に入れた。全てのリーダーである杏子にも確認が必要なのだが生憎彼女は現在外に出ているため、戻ってきた時にでも見せようとハルカは頷いた。
ひと仕事終えたハルカは大きく伸びをしてぱたりと机に伏せる。心地よい疲れと伸ばすことでほぐされた筋肉の戻る感覚にしばし浸る。やんわりと刺す春の陽光とやわらかな風も心地よく、このまま眠ってしまいそうだ。とは言えここで眠っては駄目だ。みな其々仕事をしているのだ。自分だけ休むのはずるい。ハルカは落ちかけた意識を慌てて引き戻しむくりと上体を起こした。まだ楽しそうにおしゃべりする彼女たちを振り返って、何か仕事はないかと口を開いた。

「ふざけるなぁぁ!文化祭ではこの敷地はワシら3年D組のなわばりと決まっとるんじゃァ!!」
「!!」

突然外から響き渡った怒鳴り声に、ハルカを含め教室に居た生徒全員の動きが止まり、窓の外に視線を向ける。
なんだなんだと窓に近寄って外を覗く彼女らと同じく、ハルカも自分の席から声のした方向を見やる。外の人間たちも怒鳴り声がした方見ており、その視線は正門近くのとあるブース前に向けられていた。

「あれ、あたしたちのクラスのじゃない?」
「なんか言い合いしてない?」
「あれ杏子ちゃんだよね。その前に居るやつ誰?」
「3年D組って言ってなかった?」
「え?先輩?」

ざわざわと騒ぐ彼女らの言葉通り、ハルカたちのブースの前で杏子と長ランを来た何人かの男子生徒が言い合いをしていた。杏子の目の前に立っている生徒は一際大きくてガタイがよく、遠目から見てもとても目立つ風貌をしている。その後ろの生徒たちは何か大きな黒い板のようなものを担いで待機している。
ここからではよく聞こえないが、先の怒鳴り声は縄張りがどうのと言っていた。ということは、場所についてなにか言い合いをしているのだろうか。自分より幾分も大きい男相手に立ち向かう杏子にハルカがハラハラしながらじっと見ていると、大男と板を持った男たちが大声で笑い出した。状況を見守る周りの生徒たちが話も作業もストップしているため、無駄にその笑い声が校庭内に響き渡った。

「よく聞けえぇぇい!ここは毎年ワシらがお好み焼きを焼く伝統の場所なんじゃぁぁぁいっ!!くされカーニバルゲームなど去れ!去れぇぇぇいっ!!」

またもでかい怒鳴り声が響き渡り、教室組もびくりと肩を跳ねさせる。
しかしあの場所は杏子がくじ引きで正当に得た場所であって、決して彼らの縄張りなどではない。それに他のクラスもちゃんとくじ引きで宛がわれた場所で作っている。それを勝手に決めた“伝統”で横取りするというのか。

「・・・・なに、あの人・・・・」
「なんで勝手にそんなこと決めてんの?」
「ねぇあの人、文化祭実行委員長だよ。」
「ええ?実行委員長だからってあんな横暴なことしていいわけ?」
「先生は?」
「うちの学校でああいう人止められる先生居ないでしょ。」

ふつふつと沸き上がる怒りを隠さず吐露する女生徒たち。
ハルカはそれを聞きながら、ブースの様子を見ていた。と、突然大男がブースの中に入って行った。それに気づいた杏子が慌てたように中に入っていく。一体中で何が起きたというのか。
するとすぐに大男がブースから出てきたかと思えば壁に向かってビシッと指を指す。

「いけぇぇぇぇぇっ!鉄板部隊!!カーニバルゲームの砦を壊せーっ!こいつらの催し物をぶっ壊すのだぁぁぁぁぁっ!!!」
「おおおおおおおっ!!!」
「!?」

聞こえた言葉に全員が窓から身を乗り出す。しかし鉄板部隊と呼ばれた生徒たちは、黒い板・鉄板を担いだまま壁に向かって躊躇いなく突進する。

「・・・・・・・・・・!」

誰もが声をあげることすら忘れてその鉄板が出来たばかりの壁にぶち当たる様を茫然と見つめた。勢いよくぶつけられた鉄の板により壁からはドスンという鈍い音が発せられ、校庭の生徒たち、ハルカたちと同じく窓からことの成り行きを見守っていた生徒たちの耳に重く響いた。

「くそぉ!やめろーっ!!」
「オレたちのカーニバルゲームが!」

間近で攻撃を見せられる生徒たちも抗議の声を上げるが、誰一人手を出すことができない様子だった。自分たちに成す術はない。

「やめなさいよーっ!!」
「そーーーれっ!!」

鈍い衝撃音の後についにバキバキというひび割れの音まで混じってくるようになった。それに気づいた女生徒たちが、短い悲鳴をあげる。

「ハハハハーッ!どうだ!厚さ15ミリ、一度に50人前は焼けるその鉄板の威力はーっ!この伝統の場所はワシらのものだーーーっ!!」

破壊音にも負けない大声で男が笑う。それを聞いてハルカは唇を強く噛んだ。ぷつりと皮が切れる感覚がしたが、それさえどうでもいい。