25.
本日の授業も全て終わり、帰宅時間。鞄に筆記用具と教材を詰め込み帰り支度を整える。忘れ物はないか机の中を確認し、机の上に置かれた鞄と一冊の本を見た。
それは先日図書室で借りた小説だった。そんなに長編でもないのであっという間に読み切ってしまい、今日昼休みにでも返しに行こうと思っていたのだが杏子の恋バナや帰ってきた城之内の武勇伝を聞いているうちにタイミングを逃してしまったのだ。とは言え楽しい昼休みを過ごせた。
さてとひとつ大きく息を吐いて椅子を引く。するとタイミングを見計らったかのように横から杏子が声をかけてきた。

「今日もタクシー、正門前に来てるんでしょ?そこまで私が送ってくよ。」
「・・・・・・ありがとう。助かる。」

礼を言うと杏子は気にしないでと笑った。
タクシーというのは最近のハルカの帰宅方法である。朝は母親が仕事のついでに学校まで車で送り届けてくれるのだが、迎えは時間が合わないため予め母親がタクシーを予約しそれに乗って帰っていた。こんなところで発生する出費が母子家庭の家計には痛手の筈だが母は笑って金を出してくれている。本当に早く楽にしてやりたいものだとハルカは改めて思った。

「・・・・・・その前に、図書室、行きたい。本、返すから・・・・・。」
「あ、おっけ。図書室って上の階だよね。」

ハルカは首を縦に振り、窓際に立て掛けていた松葉杖を掴んだ。杏子はハルカの鞄を当然のように持つとそのまま二人で教室を出た。廊下を歩きすぐに見える階段に差し掛かったところでハルカは松葉杖をひとつに纏める。それを杏子が預かるとハルカは手ぶらとなり、手すりに両手で捕まって一歩ずつ階段を登る。最初の頃は鞄も松葉杖も持ってもらうことが申し訳なくて何度も自分で持つと言ったのだが、それを頑なに断る杏子にハルカが折れて、今ではこうやって自然に荷物を持ってもらうようになっている。しかしやはり罪悪感は消えないのだが。

「ごめんね、城之内みたいにおんぶしてあげられればいいんだけど。」
「・・・・・そんなことしたら、杏子ちゃん、潰れちゃう。」
「そんなわけないって!」

あははと笑う杏子にハルカは心の中で”笑い事じゃなくてホントに潰れますよー私なんか担いだら重すぎてぺちゃんですよー”と呟いておいた。

「・・・・・・鞄、とか、持ってもらえるだけで、すごく、ありがたい、から。」
「それはもう気にしないでって言ってるでしょ。困った時はお互い様!」
「・・・・うん。」

とん。とん。とん。
一歩一歩確実にゆっくりと歩を進め、階段を上る。両手に力を込めてしっかりとバランスをとって。これにも大分慣れてきたところであるが、それでも毎回落ちないかとひやひやしている。少しでも手の力を緩めたり足を滑らせてしまえば、この身体は階段下に真っ逆さま。階段から落ちることが常人より異常に恐怖となってしまったハルカにとって、階段の上り下りは毎回神経を擦り減らすものだった。

「・・・・・そういえば、城之内くん、たちは?」

踊り場まで辿り着いた所で一息しながらハルカは気になってた事を杏子に聞いた。

「遊戯は職員室に用事あるから先に帰っててって言われたの。生物の課題出しに行くって。さっきの授業中寝ちゃって出しそびれたんだってさ。」

言われてそういえばと先ほどの授業中のことを思い出す。生物の女教師はこの学校には似あわず見た目も口調も大層ゆったりとしていて見ている聞いているだけで安心感を抱く生徒も少なくはない。故にくつろぎすぎて眠ってしまう生徒は居るらしく。今回は遊戯もその声と口調に絆されたらしい。しかしそれなら多少待つくらいできるのだがと思ったハルカの表情を読んで杏子は肩を竦めて見せた。

「私も待ってるって言ったんだけど、ボクはいいからハルカさんを手伝ってあげてって言われたの。タクシー待たせてるんだしって。」

遊戯の気遣いにじんわりと胸が温かくなる。本当に、自分は素敵な友を持ったものだと改めてハルカは思った。

「で、城之内は今日は本田と帰るからって言われたの。ちょっと久々に見たかも、あの二人が並んでるところ。」
「・・・・・・・・!」

本田の名前を聞いてハルカの肩がぴくりと上がったことに杏子は気づかなかった。

本田は城之内とつるんで遊戯を虐めていた過去がある。とは言えそんなに昔の話ではないのだがそれは確かな事実で、実際にその現場を見かけたこともあった。よってハルカの中ではつい最近まで彼は簡単に人を傷つけることができる悪人と区分されていた、のだが。
つい先日のことだ。文化祭の準備期間中に階段から落ちかけたことがあった。それを助けてくれたのはあろうことか本田ヒロト、彼自身であり、何故自分が助けてもらえたのか、ただ目の前で人が落ちかけていたから思わず助けただけなのかと疑問に思い、その人物像は揺れていた。

「・・・・・・・・。」

たった一度遭遇した彼の人助けが果たして決定の材料にはなりにくい。けれどもしかしたら彼は自分が思っている人とは違うかもしれないとハルカは思っていた。今まで悪人と思っていた城之内が、本当は仲間思いの優しい人だと気づいたように。

「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・ハルカちゃん?どうしたの?」

黙りこむハルカを見て不思議そうに杏子が首を傾げる。ハルカはそれに慌ててなんでもないと告げるように首を横に振ると、杏子はそれ以上聞くことはなかった。
どちらにしろ、最近本田が城之内と遊戯を揶揄うこともなくなり、二人が一緒に帰路についたのだとしたら何も問題はない。もともと城之内と本田は仲がいいのだ。偶に一緒に帰ることもおかしくはない。そう結論づけてハルカは階段を下りること再開した。


「・・・・・・失礼します。」
「失礼しまーす。」

図書室の扉を開けて中を覗く。相変わらず室内は静寂が保たれていて人の気配はない、と思ったのだが、通路に誰か立ち読みをしている陰を見つけあれと僅かに目を見開いた。

「・・・・・あれ、ミホ?」

杏子もその人物に気づいたらしくハルカの背後で声を上げる。と言っても大声を出したわけではなく、図書室が静かすぎるため普通の声量でも大きく聞こえただけなのだが。

「あ、杏子、彼方さん。」

くるりと少し紫がかった長いポニーテールを揺らしてこちらを振り返った。突然の声に少し驚いたらしい野坂は声を掛けたのが杏子たちと気づいてホッとしたように口元を緩めた。

「あーそっか、ミホ図書委員だもんね。今日当番だったの?」
「んー、今日はただ本を借りてこうかなーと思って立ち寄っただけ。杏子たちは?」
「ハルカちゃんが本を返すため。」
「・・・・・・・」

そう聞いて野坂はハルカを見て嬉しそうに笑った。

「彼方さん、いつも本借りてくれてありがとう。」
「・・・・・・・・」

とんでもないと首を横に振って笑い返す。ハルカは素直に本が好きなだけなのだ。借りるだけで感謝されることにむず痒さを感じた。

「あれ、ミホとハルカちゃんって仲よかったんだ。知らなかった。」
「普段あんまりお話はしないけどね。入学した時から図書室で時々互いを見かけててそれからなんとなく仲良くなった・・・・って感じかな?」
「・・・・・・・」

野坂の言葉にハルカはこくこくと頷いた。
ある日図書室で勉強しているハルカに野坂が声をかけたのがきっかけだった。いつもここに居るよね、と。それ以来お互い控えめな性格故か会話は殆どなかったものの、共に読書を楽しむ仲となった。読書仲間とでも言うのだろうか。

「なるほどー。」
「あ、返却手続きなら私がするよ。」

そう言って野坂は持っていた本を本棚に戻しカウンターに小走りで向かった。ハルカは松葉杖を使ってカウンターに近づき借りていた本を差し出す。それを受け取った野坂は本の裏表紙を開き、そこに貼り付けられたポケットから貸出カードを取り出してハルカの名前と借りた日付が書かれた欄の隣に返却した今日の日付を書き込んだ。それからカウンターの引き出しに仕舞われていた印鑑と朱肉を取り出すと印鑑に赤いインクをなじませ、返却日が書かれた横に押印する。これにて返却手続きは完了である。司書を呼び出す手間が省けたのでハルカはホッと気づかれないように溜息を吐いた。

「彼方さん、これ面白かった?」

本に貸出カードを戻しながらそう問いかけてくる野坂にハルカはこくりと頷いて見せた。中身は近未来ファンタジーの家族愛もの。ハルカとしては結構好みの内容だった。

「じゃぁ私、今日はこれ借りてこ。また今度この本について語り合おうよ。」

野坂のその言葉にハルカは笑ってこくりと頷いた。これはまた楽しみが増えた。

野坂の貸出手続きが終わると3人で図書室を出た。図書委員である野坂が「もう今日は閉めちゃおう」と図書室の鍵を閉め(あまり人が訪れることがないため、図書室の施錠時間は意外とアバウトである)、昇降口に向かう。途中、職員室に鍵を返しに行くからと野坂と別れ、ハルカと杏子は靴を履き替えて校庭に出た。正門の方を見れば既にタクシーが止まっていてハルカは少し焦った。

「大丈夫でしょ、SHR終わってからそんなに時間経ってないし。」
「・・・・・・そ、かな。」
「大丈夫大丈夫。」

脳天気ともとれる杏子の言葉に曖昧に頷く。確かに図書室から昇降口まではさほど距離はなく時間もかからない。とはいえ人を待たせたことに変わりはないのでハルカは急いでタクシーに近寄ってコンコンと窓をノックした。すると運転手が気づいて窓を開ける。

「いつもご利用ありがとうございます。彼方さまですね。」

お待ちしておりましたと運転手が後部座席の扉を開いてくれる。ハルカは松葉杖を片手に車体に寄りかかりながら杏子の手を借りて乗車する。杏子に持って貰っていた鞄を引き取って自分の身体の横に置くと扉が閉められ、開けた窓から顔を出した。

「それじゃ、また明日ね!」
「・・・・うん、ありがとう。・・・・また、明日。」

小さく手を振る杏子にハルカも軽く手を振り返しすと、見計らった運転手が車をゆっくり発進させる。次第に遠のく杏子の姿から視線を外して窓を閉めると、ふぅと息を吐いたのだった。

* * *

特に何の問題もなく無事マンションに到着すると、自動扉をやや押しやって降り立った。歩道に入ってから運転手に向かってお辞儀をすれば、彼は年相応のしわを深めて手を振り去っていった。それを見送ると踵を返して背後に建つマンションの玄関目指して松葉杖を突いた。

「・・・・・・・?」

そこではたと立ち止まる。振り返る瞬間に見覚えのある赤と金が見えた気がしたのだ。何かと思い視線を巡らすと、少し離れた所で立ち止まる2人の学生の姿が見えた。目をこらして見てみると、それは遊戯と城之内のようだった。
自分の方が先に学校を出たのかと思ったが、図書室に行っている間に遊戯も帰路についていたらしい。しかし何故彼は城之内と遊戯の家である”亀のゲーム屋”の前で立ち往生しているのだろうか。偶々合流してそのまま遊戯の家に遊びに行くことにでもなったのだろうか。

「・・・・・・・!」

じっと観察していたハルカは遊戯と城之内の他に人影があることに気づいた。角刈りの頭がどこか居心地悪そうに城之内の隣でそわそわしている。

「・・・・・・・」

それはいつもと違った光景だった。
あの本田に遊戯が怖がる様子も見せず普通に会話している。本田については表情こそ歪められているが、しかしそれはいつもの意地の悪い表情ではない。寧ろ血色が良すぎている。

「・・・・・・・・。」

まるで状況のわからない光景に呆然と眺めていると、ハルカに気づいたらしい城之内がこちらに向かって大きく手を振っていた。
松葉杖が邪魔なので小さく手を振り返すと、城之内は何か思ったような思案顔をし、遊戯たちに何か言うとハルカの方に走ってきた。その行動に思わずたじろぐ。

「よぉハルカ、今帰りか。」

ハルカの目の前に立った城之内は相変わらず背が高く、ハルカは彼を見上げてコクリと頷いた。

「・・・・・城之内くん、は、武藤くん家、で、遊ぶの?」

とう聞くと「違う違う」と城之内は首と手を振った。

「それよかよ、ちょっとハルカに聞きてぇ事があるんだけどよ。お前って女だろ?」
「・・・・・・・・・。」

彼らしいと言えばそれまでなのだが常識的に考えて女性に対して失礼な質問をする城之内に、ハルカは顔を顰めながらこくりと頷いた。

「野坂ミホって知ってるか?」

と思えば突然先ほど会ったばかりの女生徒の名前が出てきてまるで質問の意図の掴めないハルカはそれにもとりあえず頷く。「読書仲間」と呟けば「マジかっ!丁度いい!」と何故か喜ぶ城之内。

「ハルカなら簡単に人の秘密をチクったりしないだろうし・・・・よし!じゃぁお前もちょっと付き合え!」
「・・・・・・!」

そう言うが早いか突然城之内はハルカの肩にかかっていた鞄を強引に奪い自分の肩に担いでしまう。あっという間の出来事にハルカは目を瞬かせるばかりだ。

「大したことじゃねぇよ。ちょっとお前の意見も聞きたいと思ってさ。」
「・・・・・・?」

よくは分からないがどうやらハルカの考えを必要としているらしい。特に断る理由もないのでハルカは取り敢えず城之内の後ろに付いて行くことにした。