始業ベルが鳴る30分前にもなると登校する生徒の数は増してくる。ハルカ達はそれぞれの席に座り、リボンちゃん基い野坂がいつ現れるかとどきどきしながらその時を待っていた。
始業20分前。野坂が教室に現れ、ハルカと遊戯、城之内、本田の間に緊張が走る。
「あ、おはよ、彼方さん。」
「・・・・・おはよ、野坂さん。」
ハルカの横を通ると野坂はにこりと笑って挨拶をした。ハルカも同じく笑顔を返せば野坂は嬉しそうに自分の席に着いた。そんな野坂の背中を見てからハルカはちらりと本田を見やった。
まさに挙動不審だった。机に両腕を乗せて伏せていながら少し顔を上げたかと思えば目線は黒板と野坂の間を行き来し、誰が見ても彼が野坂を気にしているのは丸分かりだった。次いで遊戯とその傍の誰かの机に座る城之内を見ると、彼らもそんな本田の様子を見ており、面白いのか笑っていた。すぐに向こうもハルカの視線に気づき二人して親指を立てる。ハルカはそれに声を抑えて笑った。
(うまく行くといいな。)
そう思いながらハルカは頬杖をついて窓の外の青い空を見上げた。
しかし事件は始業ベルが鳴ったあとに起きた。
ベルが鳴ると同時に担任教師が現れ、いつも通りの朝のSHRが始まった。教師の言う連絡事項を聞きながらハルカはちらりと野坂を確認してみるが、彼女はまだプレゼントに気づいた様子を見せず、いつも通り真面目に教師の話を聞いている。本当は用具を机に入れることで気づいて貰えるという算段だったのだが野坂はどうやらあまり用具を机に入れないタイプだったようで最早どのタイミングで気づくのか分からない状態となってしまった。
SHRは先日の文化祭について反省会があるため委員は放課後参加するようにという話で締めくくられた。学級委員が号令を掛け皆で立ってお辞儀をすると教師は教室を出て行く。途端に騒がしくなる教室。ハルカは次の授業の教師が来るまで取り敢えず次の授業の予習ノートを見直すことにした。次の授業の教師は蝶野という女性教師である。毛先をカールさせた長い金髪が特徴の彼女はいつも化粧をばっちり決めてその美しいボディを見せつけるようにタイトなスーツで身を飾り、にこやかな笑顔を振りまいて男の目を独り占めしている、言わば男の憧れの女性であった。
しかしその人気の裏で、恐れられてもいた。蝶野はとにかく校則に厳しい。過去に校則違反で退学させられた生徒が多発。今年も既に15人も彼女に退学にされ、新入生の間でも要注意教師として噂されていた。あまりにも退学をさせてしまうため、生徒からは影では"退学魔女リン"と呼ばれていた。
学校に内緒でバイトをしているハルカや杏子にとっても、かなり要注意人物である。
「はいはいっ!席についてーっ!」
ガラリと勢い良く扉が開かれ、金髪を靡かせて例の女性教師・蝶野が颯爽と教室に入ってくる。生徒たちは慌てて席につき、彼女も教卓の前に立って微笑みながらその様を見ていた。ハルカも教科書を閉じて居住まいを正す。
「起立!」
学級委員が号令をかけ生徒全員が一斉に立ち上がる。ハルカは担任教師の考慮で号令は座ったままでも良いと言われているため座ったまま蝶野の方に身体ごと向き直るにとどめる。一斉に蝶野に向かって礼をし、着席。それはいつもとなんら変わりのない、授業開始風景だった。
「さぁみなさん!教科書を開く前に・・・・・」
ただ、ひとつ違ったのは。
「鞄の中身机の中のモノをすべて机の上におだしなさぁぁいっ!所持品検査よーーっ!!」
「えーーーーーーっ!!」
「なにーーーーーっ!?」
突然のことに教室中が騒然とする。
所持品検査はこの学校の風紀からして時々行われるため、突然言い出されるのはおかしくはない。ハルカとしてはやましいものは何も持ってきていないのでいつも焦ることはないのだが。今回に関しては焦りを隠せず冷や汗をかく。自分のことではない。野坂の、本田のことである。机の中の物を出すとはつまり、野坂の机からあれも出てきてしまうということ!
ハルカは慌てて本田を振り返った。遊戯も城之内も事の重大さに直様気づいたのか本田を見ている。当の本人は、
「・・・・・・・」
完全に放心していた。ハルカは野坂の方も確認する。彼女は丁度机の中を覗いている最中だった。机の中から例の箱を取り出した野坂は不思議そうに首を傾げている。もう後の祭りであった。
ハルカの机に並べられたのは勉強用具と弁当箱、教科書、ノート、それからSHRが始まるまでの空き時間で作った包装紙の余りで出来たメモ帳と読書用の本である。全くなんの問題要素もない品揃えである。そんなことよりもハルカはしんと静まる教室内を歩く蝶野から目を離せなかった。蝶野は早速窓際列の一番前の席の机の上を確認している。そうなると野坂の順番は早いのだ。何しろ彼女の席は窓際列の前から2番目である。
「・・・・・・・・・・。」
ひとつひとつ確認をした蝶野は問題なしと判断し、「よろしい」と頷いて歩を進める。焦るハルカ、遊戯、城之内、本田の気持ちは報われることなく、蝶野の視線は野坂の机上に流れる。そして。
「アラ・・・・・これは何?野坂さん。」
一瞬にして4人の間で緊張が走る。他の生徒からも妙な緊張感を感じられた。このような形で登場するはずのなかったあの箱が、校則に厳しい退学魔女の手に渡ってしまった。
「あ・・・・あの・・・・・知りません・・・・・気がついたら机の中に・・・・・・」
野坂は顔を真っ赤にし俯いてそう呟いた。その声はか細く震え、公衆の面前で教師に目をつけられたことに羞恥と恐怖を感じているのだろう。
「・・・・・・・・・!」
すると突然、蝶野は野坂に許可なくプレゼントの包装を豪快に破り始めた。にっこり笑顔は崩さず、リボンも無理やり引っ張り花柄の包装紙は細かい破片となって床に散らばる。それはなんと恐ろしい光景だことか。
「アラ・・・・これはジグソーパズルね!」
教卓に戻って箱の蓋をあけた蝶野は中身を確認して楽しそうに笑った。土台とピースを見せつけるように箱を逆さまにしてばらばらと取り出し、ゆっくりとピースを嵌め始める。
「あらおもしろい!ピースを組んでいくと文章が出てくるわ!」
本当に楽しそうな蝶野の高い声が響く。遊戯が本田の代わりに書いたラブレターが、本来読まれるべき相手ではなくどちらかと言うと絶対に読まれたくない相手に読まれてしまっているこの状況。最悪だった。
「こーゆうのってついつい夢中になるのよね!なになに・・・・・」
尚も笑顔を崩さない蝶野は教師なだけあって頭はいいのかするすると文字だけのパズルを組んでいく。ピースが組まれるぱちぱちという音が、まるで死刑宣告された罪人が断頭台を上る足音のように響く。ハルカ達としては、今すぐにでもその音を止ませたいものだった。
「"愛しい愛しいリボンちゃん"・・・・"きいろいリボンも"・・・・・なんて稚拙な文章!!フフ!!」
瞬間ドッと教室中に笑いが起きた。ハルカはそれを聞いて目を瞑った。・・・・確かにお世辞にも高校生が書いたものとは言い難い文章ではあるが、それでもそれは遊戯が一晩必死になって書き上げたラブレターである。本田の気持ちをなんとか表現しようと無茶ぶりにも懸命に応えた結果。それを笑いものにする蝶野に、ハルカは怒りを覚えた。
「・・・・・・。」
自分宛の拙いラブレターを公で発表された野坂は、必死に顔を隠そうと下を向いていた。席の位置的にハルカには見えていないが、その両頬は朱に染まり実は目には涙さえ浮かんでいた。背は細かく震え、今にも逃げ出したい衝動を必死に堪えている様子であった。
今一番傷ついているのは野坂である。タイミング悪くプレゼントを彼女に用意してしまったばっかりに公衆の面前で恥ずかしい思いをさせてしまった。ハルカはそれが悲しく罪悪感から唇を噛んだ。
「さて・・・・」
パズルをある程度完成させてラブレターを読み上げた蝶野は教卓に手をついて笑みを深めた。
「問題は誰がコレを彼女に渡したかっていうことね!」
瞬間生徒たちも笑うのをやめ、教室は静寂に包まれる。ここからが"退学魔女リン"のショータイムなのである。
「校則にもあるわよねー、"男女の不順な交際は厳しく罰する"と・・・・このパズルは明らかに不順な男女関係の起爆剤になるのよ!!」
喧嘩騒動も抑えられない学校ではあるが、確かにこのような校則も存在していた。そもそも不順異性交際、つまり不健全性的行為は18歳未満の健全な育成において支障があると主張される性的行為のことを指す。まだ自分たちの年齢では自分自身の行いに全ての責任を負うことも、まして他人の責任も負うことも出来るはずがない。故に決して間違った校則ではない。確かに本田は所謂不良で問題児ではあるが、今回の彼の恋は本物であるとハルカは思っている。本田は純粋に恋をし、互いに支障を来すような事は望んでいない。昨日の本田の真剣な目にハルカはそう感じていた。
「さぁこれを書いた者は名乗り出なさい!今なら許さないコトもないわよ!」
蝶野の言葉に皆誰だと辺りをキョロキョロ見渡す。蝶野は許すと言うが、退学魔女と呼ばれる彼女がそんなに甘いわけがない。彼女はこの状況を楽しんでいるだけなのだ。
ハルカは膝の上に乗せていた手を強く握った。これは本田ひとりの問題ではない。手を貸した自分にも否はある。プレゼントはそれがいいと促したのは、自分だ。ハルカは心の中で野坂に謝り、立ち上がろうとした。
「そ、それ、ボクが書きました!」
ハルカが立ち上がるより先に響いた声にハルカは目を見開く。まさか本田かと思ったが、その声は彼よりも高くて。振り返って確認すると、皆着席している中で遊戯だけがぽつんと立ち上がっていた。その顔は少し赤く、周りからは大笑いをされているが、遊戯は我慢して背筋を伸ばし蝶野に訴えかけるように真っ直ぐに見つめている。
「いや!机ン中に入れたのはオレだぜ!センセー!」
次いで遊戯の後方で城之内が立ち上がる。途端に笑い声が増した。城之内はうっすら頬を染めながらも挑発するように蝶野に向かってにやりと笑んでいる。
「・・・・・・・・・。」
すぐに解った。彼らは本田を庇っている。皆に笑われることも退学にされるかもしれないことも顧みず、二人は"本当の事"を言って自分が犯人であると主張していた。それは“友”を思っての行動。ハルカも同じ気持ちだった。
「・・・・・・ラッピング、私、しました。」
「えーーーっ!!彼方もー!?」
「お前百合だったのかよーっ!!」
ゲラゲラ笑う男子生徒たち。ひそひそと話し合う女子生徒たち。正直なところ、ハルカはこの恥ずかしさに耐えられそうになかった。けれど自分はもともと人とはあまり関係を持たなかった人間であるから。人に笑われて噂の種にされても、―――野坂に嫌われても。大丈夫だと思った。蝶野を見つめる視界の端で野坂が驚いたようにハルカを振り返っているのを見たような気がした。
「・・・・もういいよ。」
しかしそんな決意をした傍でポツリと後ろで呟かれた言葉にハッとする。
「サンキューな、城之内!遊戯!ハルカ!そのパズルはオレの気持ちッス!ホント!」
「!」
「あ、バカッ!」
なんと本田が立ち上がり、顔を真っ赤に染めながら自白した。遊戯も城之内も慌てて座るように促すが、彼は頑としてそれは自分のだと主張する。
こうして気づけば4人が自分が犯人だと主張し、蝶野と対峙していた。
「な・・・・なんで4人も居るのよー!犯人はひとりのハズよ!誰か嘘を吐いてるわ!」
流石に同時に4人も退学者を出せば教育委員会に目をつけられてしまうのだろうか、蝶野が少し焦ったように笑う。もしそうならば、このまま4人が犯人であることを突き通して、処罰を軽くしてもらうことができるかもしれない。そう考えたハルカは片足立ちで辛いのも我慢し蝶野に向けた真っ直ぐな視線を反らさず訴えた。
それの起爆剤になる"かもしれない"ものが発見されただけであって、規則はまだ破っていない。それならば誰かが退学になるというのはおかしな話である。もしも退学になるならば十分闘える要素はあるだろう。
「センセー、オレらひとりも嘘ついちゃいねーぜ!」
城之内の言葉に他3人も頷いた。その通りどれも事実だ。ラブレターを書いたのは遊戯、ラッピングしたのはハルカ、机に入れたのは城之内、野坂が好きなのは、本田だ。今ハルカたちが持つ武器はこの事実しかなかった。
「フフ・・・」
誰一人嘘とは言わない現状に困った蝶野は、しかしややもして小さく笑みを零した。
「そーだわ!パズルを完成させればいいだけ!この残りの4ピースに差出人の名前が書かれているハズだわ!」
「!!」
蝶野の言葉に戦慄する4人。それがあったか、と。箱にも包装紙にも差出人の名前は書いていなかったが、どうやら遊戯はラブレターの中に名前を記入したらしい。遊戯の顔色は蒼白となった。
残り4ピース。それを完成させてしまえば、本田が退学させられてしまう。
「その名前が分かった時・・・・その生徒はー、退学ーっ!聖職者である教師を騙したんですもの!当然よね!オホホホホ!!」
「・・・・・・!!」
ついに退学の言葉が出てしまった。蝶野の笑みはハルカたちを蔑むように向けられる。“私の勝ちだ”とでも言うように。
「ひとつめー。」
パチン、と、ピースが嵌る音が響く。それはまるで、制裁の時の音を奏でる時計の様に。
「ふたつめー。」
パチン。あと2つ。
敢えてゆっくりとピースをはめる蝶野が憎たらかった。2つ名に違わず、彼女は魔女だ。
本田を守る手段はもうない。誰にだって、心に締まっておきたい秘密はあるのに、それをこのような形で大勢に晒すなんて許せない。諦めと、悔しさに瞼を下ろした時だった。
「・・・・・・!」
ぼんやりと胸元に感じた熱に、ピクリと肩が跳ねる。両手を机についてバランスを保っているため手で触れて確認することはできないが、それには覚えがあった。
「みっつめー。」
パチン。
「・・・・・・・・・・っ」
ひやりとした感覚が背筋を襲う。自分の胸元に落とされていた視線を上げと、視界の右、丁度教室の真ん中辺りで黒い霧が立ちこめていた。それは他の人たちには見えないのか、誰も気づいた様子はない。
「・・・・・・・。」
ハルカはそっとその方向、遊戯を確認するべく視線を巡らせた。そうして見えた彼の顔に、ハルカの胸はドキリと鳴った。
「・・・・・・・・・!」
顔面蒼白から一転し、怒りに歪められる表情。窓から漏れる陽の光を受けて、彼の胸元で千年パズルがキラリと光る。ハルカにはすぐに分かった。あれはもうひとりの遊戯であると。胸のペンダントの熱がなによりの証拠だ。
彼は今から何をしようと言うのかとハルカは不安に瞳を揺るがせる。こんなに人がたくさん居る前で、ゲームを仕掛けるとでも言うのか。遊戯はハルカの視線に気づいたのか、こちらをちらりと見やる。
「・・・・・・。」
「・・・・・・?」
人差し指を口に当て、ニヤリと笑む。静かにしろと。一体何をと思ったその時、4回目のパチンとピースが嵌る音が聞こえた。
「名前がわかったわぁぁ!」
「!!」
蝶野の言葉に教室内の緊張が一気に高まる。次に呼ばれた名前の人物、その人が今この時をおいて、退学となる。
「退学者はぁ、本・・・・」
ポロ・・・・ボロボロボロボロ・・・・・
「きゃああああああああっ!!」
「うわああああああああっ!!」
「え・・・・・」
それはまるでホラー映画でも見ているかのようだった。突然蝶野の顔の皮がボロボロと崩れ始めたのだ。まるでパズルのピースの様に崩れていく顔。そうして現れたその顔は。
「げっ!!」
「見ろっ!!」
「うわああっスゴい顔だ!」
「うそーっ!!」
人を蔑み精神的に痛みつけることを楽しんでいるような、ひどく醜い顔だった。それはいつもにこにこと優雅に微笑む顔からは程遠く、見るに耐えられないもの。まさに化けの皮が剥がれる。
濃いメイクの下に隠されたのは、醜い本性だった。
「げげーっ!!今日の授業の事はなかったことにしましょうね!!アンタ達も私の秘密をバラしたらタダじゃおかないわよーーーっ!?じゃあねーっ!!」
蝶野は手で顔を隠しながらそれだけ残して逃げるように教室を去っていった。途端に騒がしくなる生徒たち。なんだなんだと感想を言い合う生徒たちの喧騒に混じって、ハルカはもう一度遊戯の方を見やった。
「城之内〜、見たか、すげー顔だったなー!」
「ああ・・・・でもあぶないとこだったぜ!」
「?・・・・??」
あまりの出来事に驚きを隠せない本田に対し、城之内はホッと溜息を吐いた。そして遊戯はと言うと、いつものおっとしりした表情でキョロキョロと周りを見回していた。まるで何が起きたのか分かっていない様子だった。いつのまにかあの黒い霧も消えている。
「・・・・・・・・・。」
恐らく、いや確実に、先程の現象はもうひとりの遊戯が起こしたものだとハルカは思った。まだ一度しか彼が罰を下す瞬間を見たことがないがハルカだが、あのような不思議な現象は不思議な力を持つ彼にしかできないことだ。
いつも遊戯は誰かを罰する際ゲームを仕掛ける。恐らく彼が現れたことによって、蝶野が解いていたパズルは彼女自身の制裁を左右するゲームと化したのだろう。
「・・・・・・・・・」
ハルカはストンと腰を下ろして、そっとた溜息を吐いた。もう今は誰もハルカ達を気にすることなく、それよりも今見た蝶野の真実の顔のことで会話は持ちきりだった。恐らくラブレター事件よりもそちらの方がインパクトが強かったのだろう。けれど。
「・・・・・・・・・・」
ハルカは自分より少し前の席に座る野坂を見た。彼女は騒ぐ生徒たちの中でぽつんと静かに座している。
彼女を傷つけてしまったことに変わりはなかった。ハルカは互いにもう少し落ち着いたら謝ろうと心に誓って、そっと目を閉じた。
* * *
放課後。
生徒たちは何事もなかったかのように帰路につく。夕日が眩しく教室内を照らし、ハルカはオレンジ色の光を浴びながらぽつんと自分の席に座っていた。時刻は16時少し前。そろそろ母親が迎えに来る頃である。
「・・・・・・・」
けれどハルカがここを動かないのはまだやらなければならないことが残っているから。
ハルカは野坂を待っていた。というのも帰りのSHRが終わったあと、本田が彼女を呼び出したのである。恐らく遊戯たちに背を押されて、直接彼女に想いを伝えようと思ったのだろう。彼女の机の上にはまだ鞄がある。そして本田と城之内、遊戯の分も。城之内と遊戯は本田の恋の結末を見届けに行ったのだろう。ハルカは16時に母が迎えに来ることを伝えていたので付いて行かなかった。けれど矢張りどうしても今日中に野坂に謝りたかったハルカは、母には悪いが少しここで待たせてもらっているのだ。
ハルカは何とは無しに窓の外を見た。夕日が眩しく視界を焦がす。ハルカは目を細めて校庭を見下ろした。部活を始めるために準備運動をする生徒たちが見えた。
「・・・・・彼方さん・・・・?」
「・・・・・!」
名前を呼ばれて慌てて振り返る。すると教室の出入り口に、待っていた野坂が立っているのが見えた。
「・・・・・まだ、帰ってなかったの?」
「・・・・・・・」
コクリと頷く。ハルカは小さく口を開けて謝るタイミングを見計らった。しかし野坂はハルカが頷くのを見ると、教室に入って真っ直ぐに自分の席に向かった。彼女の表情はいつもと変わりなく、怒っているのかどうかわからない。野坂は自分の机まで来るとハルカに背を向けて鞄に手をかけた。
「・・・・・さっきね、本田くんに告白されたんだ。」
突然野坂はハルカに背を向けたままそう呟いた。ハルカは開いた口を閉じて、その背を見つめる。
「・・・・・それから謝られた。恥ずかしい思いさせてごめんなさいって。本田くんって怖い人に見えるから、正直謝られた時は驚いたけど・・・・いい人だね。」
「・・・・・・・・・」
ハルカは黙って頷いた。本当に彼はいい人だ。階段で転んだハルカを助け、庇おうとしたハルカ達を逆に庇った。本当は優しい人。
「・・・・・でも告白は、申し訳ないけど断っちゃった。あんまり彼のこと知らないし、私、他に好きな人居るし!」
えへへと笑う野坂。謝るタイミングが見つからないハルカは困ったように笑った。
「・・・・・・・・彼方さん、本田くんのお手伝いをしただけなんでしょ?」
「・・・・・!」
驚いた。なぜ彼女がそれを知っているのだろうかと。ラッピングしたとは公の場で発言したが、それが本当かどうかは野坂には分からないはずだ。
「本田くんに聞いたの。あと彼方さんたちを責めないでやってくれとも言われた。そんなつもりはなかったんだけどね。念を押されちゃた。」
「・・・・・」
(本田くん、そんなことまで言ったの・・・・・?)
ハルカ自身、一緒に野坂を困らせた共犯者だ。それでも自分ひとりが悪いと言い切る本田。ハルカは本田の考えに戸惑い、野坂の背中から視線を反らして今朝言われた本田の「ありがとう」の言葉と笑顔を思い出した。
「・・・・・だから、本田くんに"ごめん"はもらったから、」
「・・・・・・!」
視界の端にピンク色が映り込み、ハルカは慌てて顔を上げた。そこにはいつの間に移動した野坂が立っていた。
「彼方さんは謝らなくていいよ。私、彼方さんとは、ずっと友達でいたいから。」
そう言ってふわりと笑う野坂。ハルカはこみ上げてくるものを感じてきゅっと唇を結んだ。
「・・・・・・それだけ。今日ちゃんと言えてよかった。怪我、お大事にね。また明日!」
野坂はそれだけ言うと、鞄を肩にかけ直して踵を返した。少し早歩き気味に出入り口に向かう野坂。
「・・・・・・っ」
このまま、黙ってていいの?
頭の中のもうひとりの自分がそう問いかける。何か声をかけなければ、何かを失ってしまう気がして。
「・・・・・野坂、さんっ!」
丁度野坂が教室を出ようとした所でハルカは野坂の名前を呼んだ。
「なに?」
黄色いリボンで結ばれたポニーテールを揺らして野坂はくるりと振り返る。ハルカはそんな彼女の姿を見て目を泳がせるが、慎重に言葉を選んで、
「・・・・・・・また、明日!」
やや叫ぶように言った。何の代わり映えのない、再会の約束。
「うん、またね!」
笑って手を小さく振った野坂は、今度こそ教室から出て行った。
「・・・・・・・・・・」
後に残ったのはハルカと遊戯たちの鞄だけ。下を見ると、夕日がハルカの影を長く長く伸ばしていた。
「・・・・・・・・・。」
(良かったのかな。これで。)
ハルカはそう自分に問いかけて、それから心が満たされているのを感じてこれでよかったのだという結論に至った。
本田の恋は叶わなかったけれど、彼が本当は優しい人であることは野坂にも伝わったうえハルカ自身も知ることができた。直に帰ってくるだろう本田と城之内と遊戯はどんな顔をしているだろうか。
「ほら泣くなー!ハンバーガーおごるからよ!」
「本田くん、かっこよかったよ!」
「うう・・・・っ城之内ぃ、遊戯ぃ・・・・!」
廊下から聞こえる彼らの声を聞きながら、ハルカは静かに笑った。