29.
白を基調としたこの建物内は、窓から漏れる陽光に反射して少し眩しい。つんとつく薬の匂いと、消毒液の匂いに慣れないせいか少し居心地の悪さを感じる。さっきまで読んでいた本は名前を呼ばれる前に読みきってしまった。学校で既にクライマックス直前まで読んでいたので、仕方がないと言えば仕方がない。こんなにも時間がかかるのならばもう一冊本を持ってこればよかったと心の中で溜息。ちらりと左隣を見やれば母親は女性雑誌を読んでいた。そして反対に目をやれば足元に小さな本棚。中には児童向けの絵本と数冊の漫画と新聞や様々な雑誌。新聞と雑誌の表紙に大きく書かれた「KC、新たな事業へ」の言葉がやけに目についた。

「彼方さ〜ん、彼方ハルカさ〜ん。」
「・・・・・!・・・はい!」

名前を呼ばれてハルカは慌てて立ち上がる。癖となりかけた左足を庇う立ち上がり方に、母が慌てて手助けをする。
怪我から2週間過ぎ。最後の検査をしてもらうため、ハルカは看護師の後について診察室に入っていった。

* * *

ハルカのクラスには入学試験を満点で通った優等生が居る。
勉強もスポーツもでき身長も高く顔も良い。所謂才色兼備、高スペックな完璧人間がまさかこの学校には存在する。しかしその人は、だからといって人気者というわけではなかった。

相も変わらず読書に励むハルカ。周りの生徒の会話はいつも通りなので気にすることはない。少し離れたところでは杏子と本田が会話を弾ませている。それから後方には女生徒たち。それはいつもとなんら変わりない光景。ここで男子生徒が入ってきて杏子たちをバスケに誘うのも日常茶飯事。そうしてハルカと、彼を誘わないのもいつもの事だった。

「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」

海馬瀬人。

他の男子生徒とは違い制服をきっちりと着こみ、落ち着いた茶髪をいつも綺麗に揃え、けれど前髪辺りが少し長めなのが妙に印象深い。その長い前髪の下から覗く青色の目はやや闇を帯びているように暗く、それは本に印刷された文字を静かに追っていた。これだけの表現ではまるで根暗な男子生徒に聞こえるが、彼は決してそんな人物ではない。彼こそがその優等生である。
周りの人間はあまり彼に近寄りたがらない。彼が威嚇しているわけではない。その雰囲気が原因だろう。妙に大人びた同い年とは思えない厳格と雰囲気が近寄りがたいのだ。

海馬の持つ本の表紙に書かれた題名をハルカはそっと視線でなぞった。経営がどうのと書かれたその本は明らかにビジネス向けの本だった。同じ読書家として彼がどのようなジャンルの本を読むのかと少し前から気になっていたハルカは時々このように盗み見ていた。そうして彼はいつもハルカが読むような小説とは違い難しそうなものばかり読んでいることに気づいた。将来起業でも目指しているのだろうか。

「ハルカハルカ!今日帰りに喫茶店寄ってかね?んでその後遊戯ん家行こうぜ!」
「城之内くん、読書の邪魔しちゃ駄目だよ〜。」

後ろの扉から入ってきた城之内の大きな声にハルカは視線を海馬からそちらに移した。トイレから帰ったところなのだろう、遊戯がハンカチで手を拭きながら城之内をたしなめている。

「・・・・・問題、ない。いいよ。」
「おーし!ハルカの怪我の完治祝いだ!!本田が奢ってくれるってよ!」
「なんでオレがお前に奢ってやらなきゃならないんだ!」

杏子と話していた本田が城之内の言葉に大きく顔を顰めて怒鳴る。対する城之内は「ケチケチすんなよ〜」と笑った。

「それはともかくお祝いなんて、城之内にしちゃ良いこと言うじゃない。」
「まぁこれは遊戯の案なんだけどな!」

杏子の賛同の言葉に城之内は遊戯を親指で指差す。名指しされた遊戯は少し照れた様子で笑った。

「やっと怪我が治ったんだもん!お祝いしなくちゃ!」
「・・・・ありがとう、武藤くん。」

彼の心遣いに喜びが胸をいっぱいにする。しばらく怪我のせいで彼らと放課後遊びに行くこができなかった上、ハルカが一緒に行けないことを気にして彼ら自身も集まって遊びに行くことを控えて居てくれたことを、ハルカは気づいていた。恐らくハルカの怪我の完治祝いは遊びに行ける口実も含まれているのだろう。

「奢るのは主役のハルカ分だけだ。城之内、お前自分の分は自分で払え。」
「オレ今月もうやばいんだよ〜。お前も知ってるだろ?」
「この前あんなたっかいスニーカーなんぞ買ったからだ。」
「あれは前から欲しかったものなんだ!こつこつ小遣い貯めてやっと手が届いたもんなんだからしょうがないだろ!?」
「その後痛い目にあった上俺達にまで迷惑かけたのはどこのどいつだ。」
「う・・・・・」

言葉負けした城之内は罰が悪そうに本田から視線を逸らした。その言葉に先日ブランドものスニーカーを買ってその後とある不良グループに襲撃され、買ったばかりのスニーカーを盗まれたという話を城之内本人から聞いたのをハルカは思い出した。買いに行った翌日、3人揃って顔に痣を作っていてハルカも杏子も大変驚いた。喧嘩には勝ったと自慢する城之内と本田は相変わらずだが。

「まぁまぁ本田くん。あの後ちゃんとスニーカーも取り返せたんだしさ。」
「遊戯、おめぇは優しすぎるぜ!それに一人で取り返しに行くなんて無茶しやがったしよ・・・・。」
「あれは、だってボクもオーナーのやり方が許せなかったし・・・・・。自分でも無茶したなとは思ったけど、でも店についたらオーナーはもう倒れてたし。」
「でももしそのオーナーが倒れてなかったらお前やられてたかもしれないんだぞ?」
「うう・・・・」

今度は止めに入った遊戯が何故か本田に言葉負けして項垂れる。本田に至っては単純に心配して言っただけなのだろう。

城之内のスニーカーが盗まれる事件は彼らが不良グループに絡まれて殴られただけでは終わらなかった。城之内たちはその後もう一度不良グループの前に現れ、仕返しをしたらしい。そして真相を突き詰めたところ、彼らは城之内がスニーカーを買った店のオーナーに雇われていたらしく、高級なスニーカーを店で売ってはその不良グループに客を襲わせ、商品を取り返して金を得ると言う詐欺を繰り返していたらしい。それを聞いた遊戯が真っ先に店に引き返したらしいが、気づけば彼の手には盗まれたはずの城之内のスニーカーがあり、足元にはオーナーがペットにしていたサソリに刺されて倒れていたらしい。遊戯自身、店に入るまでは覚えていてもその後どのような経緯で彼の手にスニーカーが戻ったのかはわからないと言っていた。しかしハルカだけは、その話を聞いた時に気づいていた。どうして彼の手にスニーカーが戻り、犯人は倒れていたのかを。
ハルカの胸元に収まるペンダント。丁度その日に一度、そのペンダントが熱を帯びて光ったのだ。それは遊戯のもう一つの人格が表に現れたと言う合図。遠い場所でも彼が現れたことに反応するハルカのペンダントのその怪奇現象の真相については未だに判明されていない。けれどあの日ペンダントが光ったと言うことは、彼が現れオーナーを裁きにかけたのだろうとハルカは思っていた。一体どういった"ゲーム"をしたのかは分からないが、どちらにしろ命に関わる内容の"ゲーム"をしたのは間違いない。何しろ“罰ゲーム”でオーナーはサソリに刺されているのだから。その日は一日心配でそわそわしていたハルカだが、翌日怪我はしているものの元気な遊戯の姿を見てほっとしたのはまだ新しい記憶である。

「と、取り敢えず、今日の放課後な!まず近くの喫茶店に行くぜ!」
「あー、城之内。喫茶店まではいいが、オレその後用事あるから悪いけどそこで帰らせてもらうぜ。」
「あんだよノリ悪いなぁ。」
「しょーがねーだろー。」
「私何頼もっかなぁ。やっぱケーキかな!」
「ボクも甘いものにしよー。」

楽しそうに笑う彼らの傍らハルカはそっと微笑む。どんなことがあったにしろ、彼らとこうやって遊べるのは嬉しい。今から放課後が楽しみである。
ちらりと彼ら越しに見た読書家の彼は、未だ静かに本を読んでいた。

* * *

放課後、近くの喫茶店に向かったハルカ達はそこでケーキを食べて談笑した。先に言っていた通り、本田がハルカの分を本当に奢ろうとしていたのでハルカは慌てて止めようとしたが、主役が気にすんなと笑って会計を済まし、彼だけ先に帰路についてしまった。人に奢られることに慣れていないハルカはどうしたものかと悩んだが、ここは彼の気持ちを素直に受け取っておくべきかと考え直した。

「んー、お腹も満たされたし!満足!」

隣で伸びをしながら杏子は本当に幸せそうに笑いながら歩を進めている。城之内と遊戯はハルカ達の前方を並んで歩いている。

「勉強で疲れた時にはやっぱり甘いものね!」
「・・・・・そうだね。」

ハルカがくすりと笑いながら答えた。

「そういえば、バイトはいつから復帰するの?」
「・・・・明日、辺りには。もう店長には、連絡して、あるから。」
「そうなんだ。良かった!」

以前自前の酒を店に隠していたことがバレたあの不良店長は今は別の所に飛ばされ、現在はとても優しく仕事熱心な社員が店長を務めている。最後の診察をしてもらう少し前にそろそろ復帰できることを連絡したところ、都合が良い日に入ってきてと言われたので、ハルカは明日を指定させてもらったのだ。と言っても完治したばかりなのであまり長時間の労働はせず、2時間程度のシフトにされてしまったが。

「じゃ、明日は一緒に店に向かいましょ。私も明日入ってるから。」
「・・・・うん。」

久々の出勤でやり方を忘れていないといいななどとひっそり心配している間に、バス停につく。丁度バスが到着したところで、ハルカたちは慌てることなくバスに乗り込んだ。

「・・・・・ところで、どうして急に、武藤くん家に?」

バスに乗り込んでからふと気になった事を隣に座った杏子に問いかける。下校時間から少しずれたためか、バス内はあまり混んでいなかった。

「なんかよー、遊戯のじーちゃんがおもしろいゲームを入荷したらしいぜ!」

だからそれを見に行こうって話になってよーと、何故か城之内が振り返って答えた。

「・・・・・ゲーム?」
「そう!多分この辺じゃまだやったことない人が多いんじゃないかな。」
「マイナーなゲームなの?」
「ううん、最近徐々に有名になってきたゲームだぜ!」
「どんなゲームだ?テレビゲームか?」
「それは見てからのお楽しみ!」

悪戯でも仕掛けたように楽しそうに笑う遊戯の言葉に期待が高まったのか城之内はいそいそし始めた。ハルカと杏子も顔を見合わせて首を傾げ、そんなハルカ達の様子に満足しながら遊戯は背負っていた鞄を抱えながら肩をゆらゆら揺らすのだった。

「ホホ・・・・・これがアメリカですごいブームになったカードゲーム・・・・マジック&ウィザーズじゃ!」

そう言って双六が見せたのは数枚のカード。それは見たこともないものだった。

「日本でも密かに流行してるらしいよね!」

ハルカは自分の手にある1枚のカードを裏返したりしながら観察した。トランプとは違ったカードを用いるゲーム。表に描かれた怪物と、そのイラストの題名なのかこの怪物の名前なのか、書かれた文字を読んでも一向に使用方法は分からなかった。

「トランプなどと違うところはホレ・・・・いろんな絵が描かれておるじゃろ!何千もの種類のモンスターや魔法のカードがあるんじゃ!」
「へぇ、絵がすごく綺麗だね!中にはグロテスクなものもあるけど・・・・」

言われて杏子が持つカードを覗いてみると、確かに妖精のような人物が描かれているものやどろどろした何かが描かれていたりしている。まさにファンタジーだ。ゲームの仕方はよくわからないが、こうやって眺めるだけでもなかなかおもしろいとハルカは思った。

「でもこれどーやってプレイすんだ?メンコみてーなゲームかな・・・・・・」

メンコにしては紙が薄い。これでは叩きつけても勢いはなく、相手のカードをひっくり返すことはできないだろう。

「これはトレーディングゲームっていう・・・・つまりカードの交換ゲームなんだ!」
「・・・・交換、ゲーム?」

交換、という言葉に好きな絵柄のカードを交換してコレクションするものなのかと考えるがそれではゲームという名前はつかない。ハルカは益々分からないと首を捻った。

「そう!二人でプレイするんだけど、お互い一枚のカードを賭けあって負けると相手に取られちゃうんだよ!」
「・・・・・なるほど・・・・。」

意味を理解していないハルカの様子に遊戯は得意げに説明する。一般的な家庭用ゲームとは違い、勝敗に対する利益不利益がはっきりとしていて、勝負を楽しめる一方でコレクションもできるというゲーム、と言ったところか。物を賭けると言うリスクはなかなか恐ろしいものだが、こういった刺激が海外では特に受けが良いのだろう。なかなか大人な遊びである。

「ルールはね、プレイヤーはお互い魔法使いっていう設定で、手持ちのカードの魔法の力やモンスターをうまく利用して戦うんだ!」
「魔法使いなんて、なんかわくわくしちゃうね。」
「・・・・・うん。」

遊戯の説明を聞いていた杏子がやや興奮した様子でハルカに耳打ちする。確かに魔法使いや剣士などと言ったファンタジックで非現実的な職業に自身がなると言う設定はなかなかおもしろい。大抵の人なら漫画やアニメ、小説の中で活躍する彼らのようになれたらと夢に見たことはあるだろう。

「カードにはそれぞれ攻撃力や守備力なんかがあって、先に相手のライフポイントを失くした方の勝ちさ!当然、カードによっては力の強いもの弱いものがあるんだよ!」
「ロールプレイングゲームの戦闘みたいね。」

カード一枚一枚に書かれた数字がそのカードの強さということだ。勝負に勝ち、より強いカードを経て自分の手持ちのカードたちを強くしていく。勝負で経験値を経てレベルを上げるロールプレイングゲームに確かに通じるものがあった。

「でもよー、何千種類もあるもの集めてたらキリねーぜ!」
「・・・・全部集める、必要は、ないから、自分の好みの、カードを、たくさん、集められるって、ことじゃない?」
「うーん、まぁそうか・・・・。」
「アメリカじゃ家一軒売ってカードに替えたマニアもおるそうじゃ!」
「マジかよ!!こんな紙切れのために!?」

思わず手元のカードたちに目をやる。強さによってはプレミアがつくものもあるということだろう。それにしたってマニア根性恐るべしである。

「実はじーちゃんもマニアですごいカード持ってるんだよ!ね!」
「・・・・すごい、カード?」

自慢気に言われた遊戯の言葉にハルカは再び顔を上げて双六に視線をやる。杏子と城之内も"すごい"という言葉に反応して双六に注目した。

「ホホ・・・・しょうがないの・・・・ちょっとだけ見せてやるか・・・・ワシの宝物じゃ!」

そう言って双六はハルカ達に背を向けて売り物が入った戸棚の奥をごそごそ探り始める。固唾を飲んでその様子を見守っているとすぐに双六は小さな手のひらサイズの箱を持ってこちらを振り返った。どこか嬉しそうに笑いながら箱を開け、一枚のカードを取り出す。

「コレじゃ!!」

勿体ぶるように裏返しにされていたカードの表をこちらに向けて差し出す。ハルカ達はそれを頭を寄せて覗きこんだ。