「遊戯くん!」
「あ、海馬くん!」
すると海馬は人混みから前に出て遊戯に声を掛けた。その顔に先程までの人を見下した笑みはない。
「フフ・・・・このゲームはまわりで見ていても楽しいね!」
「・・・・!」
代わりに柔らかな笑顔を見せた海馬にハルカは驚いた。あのような彼の表情を見たことがない。まるで心から楽しいと思っているような無邪気な笑顔。こうも表情を変えられる彼はまるで役者だ。その変化を見逃さなかったハルカは余計に海馬から目を離せないと思った。
「ところで・・・・・ひょっとしてその鞄の中には"青眼の白龍"カードが入ってるんじゃ・・・・・これはボクの勘だけど・・・・・。」
突然出てきた"青眼の白龍"と言う単語にハルカは肩をぴくりと揺らした。遊戯の鞄の中に“青眼の白龍”が。何故それが入っていると海馬は思ったのだろう。ハルカや城之内、杏子はそんなことは聞いていないし知らなかった。つまり遊戯は一言も“青眼の白龍”の持参を発言してはいない。
「まいったなー、よくわかったね!実は昨日じーちゃんに無理言って一日だけ貸してもらったんだ!ゲームには使わない条件でね!」
遊戯は照れたように頬をかき頷いた。遊戯もこのカードゲームの愛好家の一人。幻のカードを一度でいいから持ってみたいという気持ちでも沸いたのだろう。
「よかったらもう一度見せてもらえないかな?昨日そのカードを手にしてからというもの、興奮して夜も眠れないほどでね!それに・・・・」
海馬は一度言葉を区切ると、意味深にそっと微笑んだ。
「・・・・昨日のおじーさんの一言がボクに気づかせてくれたんだ。カードを愛する気持ちをね!」
真っ直ぐに遊戯を見つめる海馬。遊戯はそんな海馬の目を見つめ返すと、にこりと笑った。
「うん、いいよ!見せてあげるよ!」
そう承諾した遊戯は、机の横にかけてあった鞄を手にとって中身を探り始める。すぐに出てきた彼の右手には1枚のカードが。"青眼の白龍"。それは大勢の人の目がある中で、遊戯の手から海馬の手に渡った。
「う〜ん、やっぱりいつ見ても美しいカードだ!」
両手に持ってカードの絵柄を凝視する海馬。彼のその様子に、ハルカにだけ緊張が走る。沢山のカードと引き替えに渇望した幻のカードが無防備に海馬の手にある。同じクラスの生徒として信じたい気持ちの一方で、信じてはいけないという警鐘が聞こえた。
「・・・・・・!!」
そうしてハルカは見てしまった。
海馬の青い目がぎらりと光り、片方の手をズボンの後ろポケットに入れて何かを引っ張り出すところを。それは遠目でも分かる、裏面に印刷された赤紫の独特な柄。それは間違いなくマジック&ウィザーズのカードだった。そして反対に持っていた“青眼の白龍"のカードを海馬は躊躇うことなく素早く後ろポケットに収めた。
「ありがとう遊戯くん。なんかそのカードを手にしたらさらにこのゲームへの愛情が深まった気がするよ!」
「うん!」
何事もなかったかのように笑顔で遊戯にカードを返す海馬。しかしその手は先程"青眼の白龍"を持っていた方の手ではなく、ポケットから取り出したカードを持つ方の手だった。
海馬はこの一瞬でカードをすり替えたのだ。それに気づかない遊戯は素直にカードを受け取る。
「それじゃぁ!ゲームを楽しんでくれたまえ!」
それだけ言い残すと海馬は廊下に出て行ってしまった。ハルカはすぐに立ち上がり遊戯に近寄る。今見てしまった事が確かなものか、確認するために。
「どうしたの?ハルカさん。」
「・・・・武藤くん、今、海馬くんに、見せたカード、私にも、見せて。」
「え?い、いいけど・・・・。」
そう答えてしまおうとしていた“青眼の白龍”のカードをハルカに差し出す。ハルカはそれをじっと観察した。
絵柄は間違いなく“青眼の白龍"。表記された文字も絵柄の題名の下に描かれた星の数も昨日見たものと同じだ。
「・・・・・・・。」
けれどカードに触れた瞬間からハルカは違和感を覚えていた。昨日双六に見せてもらった"青眼の白龍"は見ているだけでも神々しさを感じた。しかしこのカードからはあの時の感動を感じられない。
「・・・・・・!」
そうして気づく。絵柄のプリントがやや荒く、紙質も違うことに。これは、レプリカだ。"青眼の白龍"をカラーコピーして作られた偽物のカード。マジック&ウィザーズのカードはイラスト印刷の劣化を防ぐためなのか薄いフィルムが貼られていて艶が出る。しかしこのカードにはその艶がない。海馬の犯行を確信したハルカは遊戯にカードを返すと慌てて海馬の後を追って教室を飛び出した。
* * *
すぐに追いかけた甲斐あって海馬を見つけるにはそう時間はかからなかった。
「・・・・海馬、くん・・・・!」
慌てて呼び止める。けれどハルカの声が小さかったのか、それとも同じタイミングで教室から響いた遊戯と城之内を応援する声でかき消されてしまったのか、彼は振り返ることなく歩を進める。廊下は人が多く、生徒たちの話し声が溢れている。ハルカは必死に後を追った。
「・・・・・・!」
コンパスの差が大きいせいで歩みは早くない筈なのにどんどん距離を離されてしまう。ハルカは小走りで海馬に駆け寄り、慌てて彼の学ランの裾を掴んだ。
「・・・・・・!」
思わぬ引き留めにつんのめった海馬が驚いた様子でハルカを振り向く。その目はハルカの顔を確認して困惑に揺れていた。
「・・・・ご、ごめんな、さい。」
ハルカは慌てて彼の学ランから手を離し、行き場を失った手を後ろに回す。捕まえたは良いが、いざ問い詰めようにもなかなか言葉が出てこない。
「・・・・・何か、ボクに用かい?」
黙るハルカに海馬はゆっくりと問いかけた。まるで小さな子供に話しかけるように薄く笑い、声は柔らかい。逆にそれがハルカには不気味に思えた。まるで動揺を隠すような落ち着いた様子に。
「・・・・・武藤くん、の、カード、持ってる、よね?」
「・・・・・!」
たっぷり間を置いてから前置きなしに核心を突く。すると海馬から一瞬息を飲むような声が聞こえた。ハルカはそれを聞き逃さなかった。
「・・・・っ、なにを言っているのかボクにはさっぱりわからないね。ボクが遊戯くんのカードを持ってるわけないじゃないか。」
騒ぐと周りに怪しまれると考えたのか、彼は至って落ち着いた様子で答えた。しかしその青い目からは狼狽えの色が伺える。ハルカはできるだけ小さく、けれど彼には聞こえるようにポツリと言った。
「・・・・・ごめん、なさい。・・・私、見てた。」
「!!」
海馬はハルカが言いたいことが分かったらしい。一歩後退った。
「き、君の見間違いなんじゃないのか?だって君は窓際の自分の席に居ただろう。」
「・・・・・それでも、見てた。後ろポケットから、偽物のカード、取り出す、ところ。」
そう言い終えたところで突然海馬はハルカの手首を掴んだ。驚いて抵抗する間もなく、ハルカは海馬に引きずられる。
「で、お前はボクが偽物の"青眼の白龍"を遊戯くんに返すところを見たと、そういうわけだね?」
「・・・・・・・」
ハルカは答えなかった。無言の肯定である。海馬に引きずられるようにして連れて来られたのは人気のない資料室の前だった。棟の奥のにあるこの部屋は廊下の末端にあり人の往来は滅多にない。それどころか廊下自体が教師の物置と化していた。そんな狭い場所で、ハルカは壁に背をついて目の前に立つ長身の彼に情けないことに怯えていた。悪事を働いたのは海馬のはずなのに、何故ハルカが脅される羽目になるのか。
「面白いことを言うね。そんなにボクを悪者にしたいのかい?」
「・・・・・・!」
ハルカは首を横に振った。悪者としてつるし上げたいわけではない。穏便に、遊戯にカードを返して欲しい。それだけが海馬に対するのハルカの望みだった。
「どうせ君はあれだろう、自分だって頭が良いのにボクには勝てないから、何かボクを引きずり下ろせるようなネタが欲しいだけなんだろう?」
「・・・・・!?」
海馬のまさかの言葉にハルカは全力で首を横に振った。
ハルカは勉強以外取り得のない女生徒と認識している海馬は、入学試験で満点を取った自分を妬んでいると思っているのだ。しかしハルカはそのようなテストの優劣など気にしたことはなかった。成績が伸びれば嬉しい、下がればもっと頑張ろうと素直に受け止めているハルカにとって、彼の今発言した発想は到底浮かばなかった。
「君も大人しく見えて、意外と大胆なんだね。狡い女だ。」
ハハと嘲笑する海馬の言葉にハルカは身を小さくする。そんなこと思っていない。そんなのは言いがかりだ!
「・・・・・返、して。返して、武藤くんの、カード・・・・!」
壁に身を預けて下を向いていたハルカは海馬に体当たりするようにしがみついた。笑っていた彼は虚を衝かれ後ろによろめく。けれどそこはやはり男、一歩後退っただけで倒れることはなく、忌々しげに舌打ちした。
「・・・・返して・・・・!カード、返して!」
治ったばかりの左足に力を入れて海馬に体当たりを繰り返す。けれど男はびくともしない。それどころかハルカの肩をがしりと掴み勢いよく投げ飛ばした。
「・・・・・!!」
ガタン!!バサバサバサ・・・・・・
使われなくなった壊れた机に横腹をぶつけ、そのまま机と共に散らかった小冊子の上に倒れた。
「・・・・・・っ」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。呆然としてハルカは顔だけを振り返る。そこには投げ飛ばした後の体制でこちらを睨む、海馬の姿が。
「・・・・・・・。」
漸く自分が海馬に突き飛ばされたと気づくと、腹の打ち身がずくんと痛んだ。
「身に覚えのないことでボクを責めないでくれないかい?そんなにボクに勉強で勝ちたければ、もっと努力することだな!」
「・・・・・・・・・っ、」
だからそれは関係ない、とハルカは片腕で身体を支えながら首を振る。滲み出た冷や汗で乱れた髪が顔に貼り付いた。
自分は只、カードを返して欲しいだけ。
「これは正当防衛だ。君の方から仕掛けてきたんだから、仕方がないだろう?」
それだけ言うと、海馬は振り返ることなく背を向けて去ってしまった。
「・・・・・・・。」
ハルカは呆然と小冊子の中に蹲った。彼の気迫に緊張していたのか、彼が居なくなるとホッと息を吐く。そうしてじわりと目頭が熱くなり、慌ててハルカはぎゅっと目を瞑った。
「・・・・・・・・・。」
なんて弱い。なんて臆病。
大切な人の大切なものさえ取り返せなかった自分が腹立たしい。言い返せもしなかった。もどかしさを感じる。
「・・・・・・・っく・・・」
喉が引きつった音を立てる。
(ああ、嫌だ。)
「・・・・・・う・・・・っ・・・」
ぽつりと雫が、日焼けした紙の上に一つ落ちた。
チャイムが鳴った頃、ハルカは漸く物置と化した廊下から離れ保健室に向かった。意地で止めた涙を拭い、自分の身体の状況を見て手当をしてもらった方がいいと判断したからだ。まだ痣は浮き出ていないが身体のあちこちが痛い。それに頬や手の甲などには細い切り傷が出来ている。恐らく小冊子で切ってしまったのだろう。数が少なければそのままでも良かったのだが、以外にもその切り傷が足など露出したところ全てにできてしまい、流石にこのまま教室に戻ってしまっては血まみれホラー騒動になりかねなかった。
身体を引きずりながら1階の保健室に向かう。最近の自分は保健室にお世話になっているなと苦笑いが漏れる。疫病神でも憑いているのかもしれない。近いうちにお祓いをしてもらわなくては。
そんな他愛ないことを考えながら、ハルカは授業が始まって誰も居なくなった階段をゆっくりと降りていった。