久しぶりのバイトへ向かう道中ずっと嫌な予感がしていた。それは渦となって胸を掻き乱し、集中力を低下させる。隣で楽しそうに話す杏子の話も殆ど頭には入らないハルカの頭の中を占領しているのは遊戯の事だった。
奪われてしまった双六の大切なカード。気づいてすぐに取り返そうと試みるも失敗に終わり、結局バイトだからと遊戯本人に託してしまったが、本当に大丈夫なのだろうか。海馬はハルカが思っていたよりも数倍怖い人間だった。人を蔑むあの冷たい青い目。思い出すと、勝手に身が震えた。ハルカはまるで縋るかのように、胸元のペンダントを服越しにギュッと握った。
店内に入り、久しぶりに顔を合わせた同期に挨拶をして、杏子と共にスタッフルームで着替えをしようとした時、既にそれは始まっていた。
「・・・・・!」
ジワリと胸元の熱を感じて、ハルカはブレザーを脱ぐ手を止めて身体を強ばらせた。
「・・・・・・」
胸元を見れば、紅い光がブラウス越しに透けて見える。それは何度も見た光景だった。この光は、間違いなくもう一人に遊戯に人格が表に出た合図。まるで信号の様に紅い光がぼんやりとハルカの胸元を赤く染める。
「ハルカちゃん、先行くよ?」
丁度ハルカの背後にある扉付近から杏子に声をかけられ、ハルカは慌てて襟元を戻し首だけそちらに向けて頷いた。
「・・・‥すぐ、行く。」
返答を聞いた杏子は軽く手を振ってから部屋から出て行った。どうやら気づかれなかったらしい。
「・・・・・・・・・・」
再びシャツの胸元を開きペンダントを見下ろす。変わらず紅い光を放つそれをハルカはじっと観察した。
「・・・・・・・・・!!」
するとそれは突然変化を見せた。まるでハルカを飲み込むかの様に光が膨張する。そして一瞬の間を置いて、光は爆発した。
耳の奥でキィンと糸が張り詰めたような音がする。思わずぎゅっと目を閉じて、口を真一文字に引き結んだ。瞼の裏が真っ赤に染まり、意識がふわりと浮くような不思議な感覚に捕らわれたのを感じる。まるで長時間着用していた鎧を脱いで開放されたような。そしてハルカの意識は紅から白へと変わった。
* * *
そっと目を開けると、見慣れた光景が広がっていた。沈みかけた夕日に照らされた学校の下駄箱。今はもう皆下校してしまったのだろう、そこに人影はない。
「・・・・・・・・」
そっと自分の手元を確認する。掌を広げてみると下駄箱周辺に敷かれた簀子がハルカの掌を通して見えた。更に足元を見ると、夕日を背後にしているはずなのに何の陰りもない。この現象は、過去にも一度経験したことがあった。
(また、飛ばされた)
一度経験しているからか殆ど驚きも動揺もない。代わりに思ったことは、何故今回は意識が飛んだのか、という疑問であった。
前回自分が知らないところで彼が現れた時は、例え願っても意識が彼の元に飛ぶことはなかった。意図せずして発動するこの現象。一種のテレポーテーションとでも言うのだろうか。
「・・・・・・」
兎に角この現象が起きたということはどこかに遊戯が居るはずであり、ハルカはそれを見ることができるということ。ハルカは取り敢えず、ふわふわと踏みしめる感覚のない足を動かして廊下を進んだ。
とは言うものの、遊戯が居る場所などハルカには検討もつかなかった。手がかりが何もないので当たり前なのだが、闇雲に歩いたとしても学校は広い。見つけるには相当時間を掛けることになる。さて、と自分の通う教室の出入口で首を傾げた時だった。
「・・・・・・!」
ぞわり、鳥肌が立つ。
感じた寒気にハルカは身を小さく震わせた。どこか禍々しくも冷たく、けれど馴染みを感じる気配。それは丁度ハルカの背後から感じるものだった。慌てて振り返るが、そこに広がるのは無人の廊下。夕日の沈むスピードは早く、既に廊下は白い蛍光灯の光にぼんやり浮かんでいた。
「・・・・・・・・?」
ハルカは辺りを見回してその気配を探る。自分にこのような第六感があるなど知らなかったが、しかし間違いなく言葉では言い表せられない気配を感じていた。
「・・・・・・・・!」
彷徨わせた視線が廊下の窓から見える反対の校舎のとある教室で止まる。そこだけぼんやりと何か黒い靄のようなものが見えたのだ。
「・・・・・・っ」
それには見覚えがあった。あれは遊戯が誰かにゲームを仕掛ける時に現れるもの。つまりそれは遊戯がそこに居ることを示していた。そう思うが早いかハルカは弾かれたように白い廊下を掛けだした。
目指す教室は丁度ハルカたちの教室と反対に位置しており、そこは資料室や文化祭などイベントで使用するものを置いている倉庫のような教室がある場所だった。海馬がハルカを突き飛ばしたのもその廊下である。そこに行くには少々手間がかかり、3階に登って渡り廊下を渡って1階分階段を降りるか、こちらの棟で1階分階段を降りて外に出来た廊下を渡って向かいの棟に入り階段を上るかのどちらかになる。ハルカは前者のコースでその部屋を目指すことにした。
ふわふわとした感覚にハルカは何度も足を縺れさせた。それは焦りも含まれていたのかもしれない。なんとか階段を上りきると、今度は使い慣れた渡り廊下を走る。不思議なことに疲れは全く感じなかった。普段あまり運動をしないハルカは走ればすぐに息を切らせてしまうのだが、呼吸は正常に緩やかにリズムを刻んでいる。これはもしかしたら、所謂精神だけの状態だからなのだろうか。いずれにしろ疲れないことを良いことにハルカは全力疾走した。
* * *
ようやく問題の教室が視界に入った時、ハルカは異変を感じた。まるで闇がざわざわと騒いでいるような、そんな感覚。胸騒ぎにも近いそれに、ハルカの胸に不安が募る。まさか遊戯の身に何かあったのではないだろうか。
「・・・・・!」
言い知れぬ不安に足を動かすのを更に早める。あと少し。
そうして漸く教室に辿り着いた時、中から誰かの笑い声が漏れた。その声には聞き覚えがあった。海馬の声だ。高揚した笑い声に冷や汗が流れる。中で海馬と遊戯が対峙していることを確信した。ハルカは慌てて閉まる教室の扉に手を伸ばし、窪んだ取っ手を掴もうとした。
「・・・・!!・・・・!?」
しかし急いで開こうと力を込めた手はスカッと間抜けな音がしそうな程豪快に空振りを決めた。それどころか腕が扉を突き抜けてしまったのだ。
驚きで思わず眼を瞬かせる。自分の手を返して確認するが特に変わった様子はなく、相変わらず半透明である。そうしてもう一度扉に手を当てると、やはり腕はスルリと扉を通り抜けてしまった。その異様な光景に肩を震わすも、少し考えてああそうかと納得した。
ハルカは今、言わば精神体。ならば身体が物を通り抜けてもおかしくはない。それなら遠回りなどせずに壁を突き抜けてここに来れば良かったとハルカは苦笑いした。しかしこんなことしている場合ではない。ハルカは拳を握ると慌てて扉をくぐり抜けた。
最初に目に入ったのは1つの机に向かい合って座る遊戯と海馬の姿だった。その机上には見たことのない生物が蠢いており、遊戯の手元に1体、海馬の手元に2体存在していた。これが今、彼らが行っているゲームなのだろうか。果たして今どのような状況なのか理解し得ないハルカは、その机上の生物を観察した。
遊戯の手元に佇む生物。それには見覚えがある。あれは遊戯が昨日、自分の切り札だとハルカに見せたカードのモンスターではないだろうか。そして海馬の手元に居る、あの白い龍。
「・・・・・・!」
“青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイトドラゴン)”。
漸くハルカにもこれがマジック&ウィザーズであることが分かった。カードの絵柄が実体化しているのは恐らく遊戯の不思議な力によるものだろう。全く見たことのない光景にハルカは息を呑んだ。
「お前の“デーモンの召喚”カードの攻撃力は2500ポイント!ボクの“青眼の白龍”カードの攻撃力は3000ポイント!!その差500ポイント!遊戯のライフポイントも残りピッタリ500ポイント・・・・つまり、次の攻撃でお前のライフポイントは0となり、オレの勝ちだ!」
「・・・・・・!」
海馬の言葉にハッと目を見張る。遊戯の顔に焦りの色が見え、彼が窮地に追い込まれているのがすぐに分かった。
遊戯が負ける。負けた者には恐ろしい"罰ゲーム"が待っている。罪人を裁くための、恐ろしい“罰ゲーム”が。
「いけぇぇぇ“青眼の白龍”!!遊戯の息の根を止めろおおおおおおお!!」
白い龍の口が大きく開き、牙がギラリと光る。そして口元に白い電流を帯びた光る玉が姿を見せる。あれがまさか、遊戯に当たると言うのか。そうして彼は、負けると言うのか。
脳裏に精神崩壊した牛尾、怯え震える脱獄犯、苦しみ叫ぶ騒象寺の叫び声が蘇った。そして気づけば、ハルカは走っていた。
「だめえええええええええ!!」
「!!」
身体が机を突き抜けて遊戯と“青眼の白龍”の間に立つ。遊戯を守るように両手を広げて目をきつく瞑る。痛いかもしれない、と反射的に思ってしまったのだ。精神体のハルカにあの光の玉が当たることはないのだが、今のハルカにそれに気づく余裕はなく、只彼を、遊戯を守ることだけで必死だった。後ろで遊戯が息を飲むの音が聞こえた気がした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・?」
けれど、いつまで経っても痛みはやってこない。それどころか、あんなに眩しかった光が止んでいる。おかしいと思い、ハルカはそっと目を開けた。
「・・・・・・・・・?」
「え・・・・・・・・・!?」
「・・・・・・・・・。」
三者三様の反応を示して固まる。共通するのは、視線が机上の“青眼の白龍”に向いていること。
「な・・・・なんだ!?なぜ攻撃しない!」
海馬は目を見開き愕然と宙に浮く“青眼の白龍”に怒鳴る。何故か"青眼の白龍"は攻撃を止め、あの白い光る玉を消滅させていたのだ。龍は静かにとどまり身動きすらしない。その青い瞳はまるで悲しむようにひっそりと輝いていた。
「・・・・・・・・?」
「・・・・ハルカ・・・・お前、なんで・・・・」
“青眼の白龍”の行動に同じく驚愕するハルカが首を傾げていると、突然現れた彼女に驚いた遊戯がぽそりと呟くように言った。それに気づいて振り向くと、遊戯も海馬と同じく驚いた顔をしている。
「・・・・・・・・」
まっすぐに見つめる遊戯に、見返すハルカ。僅かな沈黙の中、遊戯はつと机を突き抜けて立っているハルカの姿を見て一度目を細めてから、視線を海馬に戻した。今はそれどころではないと言うことだろうか。遊戯の反応にハルカは静かに彼の前から身を避けた。
それにしても、とハルカは海馬の方を見やった。海馬は何度も「どうして・・・何故・・・・」と呟きながら“青眼の白龍”を凝視している。まるで突然現れたハルカに気づいていない様子である。“青眼の白龍”が攻撃しなかったことがよほどショックでそんな余裕がないということなのだろうか。ハルカはそっと遊戯の後ろに立ち、成り行きを見守ることにした。どうやらまだ、遊戯が負けたとは限らないようだ。
「海馬・・・・お前はこのゲームを本当に理解しているとは言えないようだな・・・・。」
静かに遊戯がそう口にすると、海馬は弾けたように顔を上げ、鬼のような形相で遊戯を睨んだ。その視線にハルカは思わず遊戯の後ろに隠れるように後退った。
「何故攻撃しないのか・・・・それはその"青眼の白龍"のカードにお前の心が宿っていないからさ!!」
「な・・・・・なんだと・・・・・・」
そんなバカなと冷や汗をかく海馬の瞳に未だ静寂を保つ"青眼の白龍"が映る。
「オレには見える!“青眼の白龍”と重なりあうじーさんの心がね!」
遊戯は“青眼の白龍”の向こうに双六の姿を見定める様に目を細めた。龍の瞳が遊戯の視線をとらえ、濡れた瞳をてらりと煌めかせる。
「あ・・・・・・“青眼の白龍”が・・・・・・消えていく!!」
「・・・・・・!」
すると突然、身体から煙を出しながら足元から徐々に崩れていく“青眼の白龍”。自身が消滅していくにも関わらず、龍は静かにその身を煙へと変えていく。まるでそれが当然のように。そう望んでいたかのように。
「“青眼の白龍”は己の戦いの宿命とじーさんの心への忠誠心が意識の中でぶつかり合い、自らを消滅させることで使命を遂行したのかも・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
自分は双六のカードだから。双六が大切だから。双六の大切な家族である遊戯を傷つけることは、龍にはできなかった。しかし所詮自分はモンスター。戦うことで存在を意味する我が身は、ならばと消滅を選んだのだ。
「そ・・・そんなバカな・・・・・・カードが意識を持つなどあり得るワケがない!」
遊戯の言葉に否定の意を唱える海馬は、窃盗を犯してまで手に入れた最強と言われるモンスターの消滅を認められないようだった。何しろ彼は、カードに宿る心を知らない。
「さて次はオレの番だが・・・・・・ここに「魔法カード」を伏せてある・・・・・それをこのターンで使うことにする!」
ゲームの続行を示すように、遊戯は自分の手元に置いていたカードに手をかける。手元に伏せた「魔法カード」とはモンスターの戦闘の手助けをするカードである。
「い・・・いつの間に「魔法カード」を・・・・・・!一体そのカードとは・・・・」
自分の手元に召喚されたモンスターがレベルの低い一体だけとなってしまった海馬は遊戯が持つ「魔法カード」を見て震える。ハルカは後ろからそのカードの絵柄を見てハッ目を見開いた。そのカードは。
「“死者蘇生”のカード!!当然その対象となるモンスターは・・・・・・“青眼の白龍”!!!」
敵・味方を問わずモンスターの魂を蘇生させ味方にすることができるカード。遊戯はそれを使い、海馬の元にあった“青眼の白龍”を呼び戻したのだ。龍は煙を身にまとい、咆哮を上げて姿を現す。その姿は先程見た憂いた様子のものとは違い、迫力のある本来の神々しい姿であった。
「な・・・なんだと・・・・・・その切り札を持っていたとは・・・・・・」
最強のモンスターが自分に牙を向けていることに恐怖を感じたのか、海馬の声と龍を指さす手が震えている。決着の時だ。
「その攻撃!!“滅びの爆裂疾風弾(バースト・ストリーム)”!!」
攻撃力3000の攻撃を受け、海馬の手元に居た唯一のモンスターも消滅し、海馬自身のライフポイントも0になる。遊戯の勝利だった。
「うわあああああ!!全滅だぁ!!」
海馬の絶叫が木霊する。しかし遊戯は間髪入れずに裁きを告げる。
「そして罰ゲーム!!」
遊戯の首から下げられたパズルが光る。その光は海馬を貫き、そして海馬は椅子から転げ落ちて何かに怯えるように叫びだした。
「うわああああああああああ!!」
「・・・・・・・!?」
何かを見上げ、何かを見て恐怖する海馬。逃げたいのに腰が抜けてしまったのかその場で無様にももがき苦しむ突然の海馬の変貌に、ハルカは呆然彼を凝視した。彼に一体何が起きたと言うのだ。
「海馬くん・・・君はその世界で“死の体感”をすることになるだろう・・・・・だが安心しな!それは一夜限りの悪夢・・・幻影さ!これはオレの願いだが君がカードの一部になることでこのゲームへの“心”を取り戻して欲しいのさ!そうすればオレのじーさんのような本当のゲームマスターになれるはずだ!」
遊戯は床で悶え苦しむ海馬を見つめながら静かにそう語りかけた。しかし海馬本人は恐怖で遊戯の言葉を聞く余裕はない。
「そしてこの“青眼の白龍”カードはじーさんに返すぜ!それがこのカードにとって最も幸せなことだからね!」
そう言って遊戯は机上に置かれていた“青眼の白龍”のカードを手に取りポケットに仕舞った。
遊戯の“死の体感”という言葉にぞくりと背筋が凍り付いた。只管に「来るな!」と叫ぶ海馬。まるで見えない怪物に襲われ恐怖し苦しむ海馬の姿は、とても見ていられないものであった。
「・・・・・・」
海馬が双六の大切なカードを盗み、双六の心を踏みにじったのは紛れもない事実。それはハルカも許せないことではあった。
けれどハルカは僅か良心が痛んでいるのに気づいていた。ハルカとしてはカードを盗んだ彼からカードを返して貰い、反省して遊戯に謝ってもらいたい、ただそれだけだった。きっと元の遊戯もそれだけで良かったはずだ。優しい彼が今の海馬の姿を見たらなんと言うだろうか。
「・・・・・・!おい。」
「・・・・・・・・・。」
「うあああああああああああ!!」
うまく動かない足を縺れさせながら教室の隅に逃げる海馬。ゲームが終わったせいか黒い霧は消え、教室内を柔らかい月明かりと廊下から僅かに漏れる蛍光灯の明かりが照らしていた。
「・・・・・・・・・海馬、くん。」
「・・・・・・っ!っ!!」
頭を抱えて震える海馬は、ハルカの呼びかけにも答えず歯をガチガチと震わせて呻いている。その様子は、間違いなく尋常ではなかった。
「・・・・・・。」
ハルカは海馬の背を撫ぜようと、手を伸ばした。けれど。
「・・・・・・!」
その手はするりと海馬の身体を通り抜けてしまい、その背に触れることはできなかった。どうやら物だけでなく、人にも触れることはできないらしい。
「・・・・・・海馬くん。」
もう一度声をかける。しかしやはり彼は振り返らない。ハルカはどうしたものかと顔を顰めた。
「・・・ハルカ。」
「・・・・ごめん、なさい。放って、おけなく、て。」
いつの間にか背後に立っていた遊戯の咎めるような声にハルカは振り返らずに答えた。
「・・・多分、暫くは誰の声も聞こえない。誰も見えない。海馬の意識は今、マジック&ウィザーズの世界に居る。」
幻覚ではあるけれど、と付け足しながら遊戯は教室の扉を開けた。ハルカはそれに気づき、顔を上げる。音に反応した海馬はまた叫び声を上げ、今さっきまで居た場所と反対側へ走って行ってしまった。恐らく扉を引く音が何か怪物の雄叫びか何かに聞こえたのだろう。ハルカの胸は海馬のその姿にズキリと傷んだ。
「行くぞ。」
そう言われてハルカは再び遊戯の方を向く。対する遊戯は廊下に出てこちらを見ている。けれどハルカは、そこから動くことが出来なかった。
「・・・あんな、海馬くん、置いていけない。」
「・・・・・・・・・」
このまま海馬がここで苦しみながら一夜を過ごすことが心配で仕方がなかった。だからハルカはその場にしゃがみこみ、月明かりの下怯える海馬の背中を見つめた。
「・・・お前、その身体どうしたんだ?」
少しの沈黙の後、遊戯はハルカを見ずにそう問うた。どうやら咎めることもハルカを置いていくこともしないらしい。
「・・・分から、ない。バイト先に、居たはず、なのに、ペンダントが光ったら、ここに居た。」
ハルカも海馬の背から眼を離さず、そう答えた。月明かりのせいか、心は穏やかなものとなった。
「初めて会った時と同じだな。そのペンダント、一体なんなんだ。」
「・・・分からない。前も言った、けど、生まれた時から、持ってる、から。」
結局未だにこのペンダントのことは何もわかっていない。あの紅い蛇も最近は見ていないし、この現象だって久しぶりのことだ。ただ、分かっているのは。
「・・・貴方が、現れると、ペンダントの石が、光ること、だけ。それだけは、分かってる。」
「・・・・・・・・・。」
まるで彼と呼応するように。だから、もしかしたらこのペンダントはもう一人の遊戯と何か関係があるのかもしれない。今はそれだけしか見出せてはいなかった。
「オレと・・・・・若しくは千年パズルと何か関係があるのかもしれないな。」
同じように考えたらしい遊戯が呟く。
そうなれば、遊戯とハルカが出会ったのは偶然ではない。もう一人の遊戯自身、若しくは千年パズルとハルカのペンダントが引きあわせたのだとしたら。ハルカのペンダントと遊戯のペンダントがつながりを持っているのだとしたら。もしかしたら千年パズルを調べれば一緒に自分のペンダントについても情報が出てくるかもしれない。ハルカはそう考えた。
けれどどんな関係があるにしろ、このように遊戯の元に再び精神を飛ばすことができてよかった、とハルカは思った。こうして無事な姿を見ることができたのだから。
「・・・・・・無事で、良かった。」
「!」
遊戯に聞こえるか聞こえないかの小さな声でぽつりと呟いたその時、突然目の前が真っ白に染まった。それは本当に一瞬で、眩しくて強く閉じていた目を開ければ、見慣れた自室の天井だった。
あれ、と思い身体を起こすと、どういうわけかハルカは自室のベッドに横になっていた。手を見ると、透けること無く実体であることが分かる。つまり精神体から元の身体に戻ったらしい。全くハルカの意思とは関係なく。置いてきてしまった海馬のことを思い返したハルカはやや焦ったが、それと同時に何故自分がバイト先ではなく家に居るのかという疑問にきょろきょろと忙しなく部屋を見渡した。
「・・・・・・・・・」
もしかしたら、倒れた自分を誰かが発見して家に運んだのかもしれない。精神体となっていたのなら、元の身体は全く動かなかったはずだ。何かが起きて気絶したと勘違いをしてもおかしくはない。
また迷惑をかけてしまったことにハルカは溜息を吐いた。折角今日からバイト復帰だったというのに、これではまた暫くは病院通いをさせられるかもしれない。気絶していたのだから精密検査をした方が良いのではないかと母に言われそうだ。
明日にでも杏子に謝ろうと心に誓いながら、ベッドから抜け出て閉められていたカーテンを引く。目の前にはぽつぽつと町の明かりが見えた。その向こうには自分が通う学校があり、恐らくまだそこに海馬と遊戯が居る。
「・・・・・・・・・」
結局海馬には何もしてあげられなかった。
明日になって、彼がまた他の罪人たちのように精神を崩壊させていたらと思うと、胸がツキンと傷んだ。けれどこれは、ゲームに負けた“罰”。もしもこれが逆転して海馬ではなく遊戯が負けていたとしたら、彼が先の海馬のように悶え苦しんでいたかもしれない。そう思うと更に苦しくなって、ハルカは考えるのをやめた。今までだって、罪を犯した人たちが遊戯によって裁かれ、“罰ゲーム”を受けてきた。それは海馬も同じなはずなのに、どうしてか海馬のあの苦しむ姿だけは見るのが辛かった。
何故。けれどどうしてもあの姿を見て悲しかった。
今まで罰を受けた人を直接見ることがあまりなかったからだろうか。“罰ゲーム”を受ける一部始終を見ていたのは今回がまだ2度目。幻覚を見て喜ぶ牛尾と幻覚を見て苦しむ海馬の違いのせいで、こんなにも悲しいのだろうか。分からない。分からないけれど。
初めて遊戯が下した“罰ゲーム”に恐怖を感じた夜だった。