そこは今はもう使われていない、港近くの倉庫だった。中は要らなくなったドラム缶や鉄の板や細々したものが無造作に置かれており、本来詰め込んでおくべき荷物と思われるものは一つもなかった。そのため倉庫内は本当に無駄に広く、寒々としていた。埃と砂と老朽化した鉄の匂いが入り混じり、長時間居れば身持ちを悪くしそうなそこは、トタン屋根に所々空いた穴からついさっき降りだした夕立が容赦なく振り注ぎ、少しだけ肌寒さを感じる。そんな倉庫内で、鈍く重い音がせわしなく響いていた。
「・・・・・ゼィ・・・・・ゼィ・・・」
天井の柱からぶら下がるロープに縛られた城之内が、苦しげに息を吐き出す。顔には痣がいくつもあり、切れた唇からは血が流れている。手に括りつけられたロープでやっと立っているような彼は、荒い息をしながらも5人の男の先頭に立つリーダー格、蛭谷を睨みつけた。
「フフ・・・なかなかいい眺めだぜ、城之内。」
睨まれているにも関わらずしかし蛭谷は口元を歪めるばかり。元々細いつり目が更に細められ、ズボンのポケットに両手を入れながら小さく肩を揺らした。
「へっ・・・こっちからの眺めもまんざらじゃねぇぜ!ケツの赤えボス猿が下っ端つれて吠えてやがる姿がよ・・・・・・」
「・・・・・・」
城之内の言葉に蛭谷から笑みが消え、雨で冷やされていた空気が更に凍てつく。蛭谷の前に2人の男が静かに立ち城之内を睨みつけると、
「ッ、ぐっ・・・・・・!」
腕を、足を振り上げ城之内を痛めつけた。その勢いに容赦などない。
「城之内・・・おめぇは中坊ン時からそうだったよなぁ!オレに対していつも対等のつもりでいやがった!」
下っ端が城之内を痛めつける様子を見ながら、蛭谷は昔を思い出し語る。静かに、そして僅かな怒りを滲ませて。
「ま、それでもオレ達二人がツルんでりゃ怖いもんなかった・・・・・・そこらの高校まで名は轟いたし舎弟も結構な数従えた・・・だがオレには最後まで成し得なかったことがあった・・・・」
蛭谷は一度目を瞑り、そしてゆっくりと瞼をあげて言った。
「てめぇが二番で・・・その上にオレが居る・・・・・・そのことをてめーに教育し忘れてたぜ!」
語尾を荒らげて叫ばれたその言葉は、広い倉庫内に木霊した。雨がトタン屋根を叩きつける音が次第に増す。
「ハハハ・・・やっぱ、ボス猿の考えそ―なことだぜ!」
霞む目をなんとか蛭谷に向けながら城之内は覇気なく笑う。その目に挑発の色は忘れない。
「どーした、へ・・・・終わりかよ・・・・オレはまだ記憶も飛んじゃいねぇ!てめぇら下っ端どもの顔・・・どいつが何発入れやがったかも全部記憶してるからよぉ・・・・・・執念深いぜぇオレはよぉ。きっちり倍にして返してやるぜ!」
僅か脳震盪を起こす頭で絞り出した強がりだが、実のところこの状況から脱する手立てはなかった。助かる見込みも反撃する力ももうなかった。
「安心しろ・・・・スペシャル・メニューはこれからだ・・・・・・記憶も吹っ飛ぶフルコースだぜ!ククク・・・」
「!!」
城之内の顔色が変わる。蛭谷の言葉が合図となり、下っ端たちはそれぞれ自身の制服のポケットからあるものを取り出したのだ。
「へへ・・・スタンガンだぜ。20万ボルトのな・・・」
「こいつのスイッチをONにすれば電流は流れ続ける・・・記憶が飛ぶなんて通り越して昇天しちまうかも知れねぇぜ!」
「くっ・・・」
パチンと小気味の良い音が周りから次々と響き、そしてパチパチと電気の爆ぜる音が城之内に恐怖を煽る。それを蛭谷は、やはり楽しそうな顔で聞いていた。
「ヘヘ・・・イッちまいな、城之内!」
城之内の前に立った男がスタンガンをゆっくりと近づけた。それを見た城之内は下唇を噛み、眼を見開く。
「くそったれがーーーっ!!」
片足に力を入れ、ロープに吊るされ不安定な身体をなんとか支えながらもう片方の足を相手の顔面に振り上げる。まさか反撃されるとは考えていなかった相手はその蹴りを見事に受け短く呻き声を上げながら後ろに倒れた。
「野郎〜!!」
弱ったはずの城之内の反抗に怒りを覚えた他の男たちが一斉に城之内に向かってスタンガンを向け走りだす。腕を縛られ身動きの取れない城之内は、全身の筋肉を強張らせた。
「!!」
バチンッ!と耳元で大きく弾ける音が聞こえたと思えば、突然全身が大きく揺れる。
「ぐわあああああああああっっ!!!!」
城之内の悲痛な叫び声が、天へと駆け上った。
* * *
“J‘z”の前で別れ暫く走ったところで、ハルカは足を止め肩で呼吸をしながら頬に貼り付く髪を無造作に払い除けた。雨はまるでバケツをひっくり返したかのように大降りで視界は酷く悪い。それに加え厚い雨雲とそろそろ夜にさしかかる時間のせいで暗い。なかなか見つからないことに焦りを感じ、ハルカは大きく溜息を吐いた。正直なところ、手がかりがない状態でこの広い町の中たった1人を見つけるなど不可能に近かった。ただ闇雲に探しても埒が明かない。今できることは取り敢えず自分が探し回ったところに城之内は居なかったことを3人に伝えることだけだ。互いの情報を交換すれば、捜索範囲も段々と絞られるだろう。ハルカは踵を返し、約束の公園に向かった。
「・・・・・!!・・・武藤、くん!」
その道中、目の前を駆けていく遊戯らしき人物に走る速度を緩めた。雨で霞んで見え難いが、あの独特の髪型とシルエットは間違いなく遊戯だ。普段あまり大声を出さないハルカはこの時ばかりは雨音にも負けないように呼んだ。するとどうにか聞こえたらしい、遊戯が走る足を止めて振り返った。
「・・・・!ハルカ・・・・・!」
「・・・・・!」
叫ばれたハルカの呼び方に違和感を覚え首を傾げる。取り敢えず小走りに遊戯に近づくと向こうも走り寄りすぐに互いの顔がはっきり見えるようになった。
「公園に向かっていたのか。」
「・・・うん・・・・。」
そうかと頷く遊戯。けれどその雰囲気はどこかいつもと違うことをハルカは感じていた。つり上がった眦に鋭い眼光。普段とは違う雰囲気の彼は。
「・・・・・キミ・・・もうひとり、の・・・・・・?」
「城之内くんの居場所が分かった。公園に向かうなら本田くんたちに伝えて欲しい。」
遊戯はハルカの言葉を遮るように早口で言った。酷く焦っている様子は、先のハルカが感じた見つからないという焦りとは違う、危機を感じ取ったもの。
「・・・何か、あった・・・?」
「千年パズルが教えてくれた。城之内くんは埠頭の近くの倉庫に居る。そこで蛭谷たちに暴行を受けているんだ。」
「!!」
まるで見てきたかのようにそうはっきりと言う彼の言葉に、ハルカは目を見開いた。千年パズルにはそのような力まであるのかと思う傍ら、城之内が危険な状況に陥っていることに酷く胸がかき乱される。心臓が早鐘を打つのをはっきりと感じた。
「オレは今からそこに向かう。だから、本田くんたちを・・・」
「・・・ダメ。私も、今から、一緒に向かう。」
「だが・・・!」
言いたいことは分かっていた。本田には何かあったらすぐに伝えろと言われている。城之内が暴行を受けているのなら本田に来てもらった方が助けられる確率は上がる。けれどもう一人の遊戯が現れたとなれば蛭谷にゲームをしかけることは容易に想像できた。また一人で危険に身を投じるのではないかとハルカは心配しているのだ。
「・・・埠頭なら、本田くんが、探してる方向に、ある。なら、本田くんが、倉庫に着くのも、時間の問題。もしかしたら、もう居るかも、しれない。」
だから大丈夫と遊戯の目を見た。見返す遊戯は困ったように顔を顰める。
「・・・・・・」
数秒の間、見つめ合う二人。そうして暫くすると、遊戯は参ったとばかりに大きく溜息を吐いた。
「前々から思っていたが、大人しいヤツかと思えば、アンタは本当に無茶をするやつだ。」
「・・・・・・」
視線をハルカから逸らし、額に手を置く彼の姿にハルカは苦笑した。君に言われたくないよ、と心の中で呟きながら。
「何笑ってる。」
「・・・・・何も。」
ハルカがそう答えると遊戯再び溜息を零す。その様が妹の我が儘に困り果てる兄のように見えてハルカは思わず笑いそうになったがなんとか堪えた。これ以上彼の機嫌を損ねては埠頭まで付いて行かせてくれなくなるかもしれない。
「・・・・・んっ・・・」
と、少し気が抜けたのか急に寒さを感じてハルカは自分の身体を抱き身震いした。流石に春とは言え、雨に濡れてしまえばかなりの寒さだ。走っていたせいか手もいつの間にか冷え切っていて、この寒さのせいでペンダントの熱にも気づかなかったことに漸く合点が行った。
「・・・寒いのか。」
手を擦り合わせ息を吹きかけるハルカの様子に気づいた遊戯はハルカに問うた。それにハルカは肩をすくめて答えると、突然遊戯が何を思ったかハルカの手を掴んだ。
「本当は上着を掛けてやりたいところだが、生憎オレの制服もずぶ濡れでね。大して変わらないだろうが逸れないよう対策も兼ねて、だ。行くぞ。」
そう言ってハルカの右手を掴んだまま走りだす遊戯。ハルカも慌てて足を前に出し、突然のことに崩しかけていたバランスを戻しながら彼の後に付いて走った。
彼の手は、暖かかった。
* * *
「見えた!あそこだ!」
「・・・!!」
遊戯が指した先にあったのは見るからに使われていない廃れた倉庫だった。割れた窓と穴の空いた屋根からは雨が降り込み、とても人が居るようには見えない。が、それこそ人を襲うには最適な場所なのだろう。
あそこに城之内が居る。ハルカたちは倉庫に近寄り、出入り口にされている様子の大きな壁の穴の傍で立ち止まった。
「・・・・・・」
手をそのままに遊戯は壁に身を寄せ、ハルカの方を向いて唇に人差し指を当てる。それに頷いて、ハルカも壁に身を寄せて耳をすませた。
「・・・じょうの・・・声・・・・・よ・・・・けいれ・・・・・」
雨音に混ざって誰かの声が聞こえた。低いそれは恐らく男性のもの。その声が紡いだ言葉に"城之内"という単語が混じっていたことに気づいた遊戯はそっと穴から中を覗きこんだ。その時。
「やれ!」
「え・・・!?」
別の男の声が響く。野太く威厳のあるその声は恐らく蛭谷のもの。中で何が起きているのか、全く把握できない。繋がれた手に力が籠もった。
「殺れ!!」
「やめろ!」
一弾と力強く蛭谷が叫んだ瞬間、ハルカが状況を飲み込むより先に遊戯が手を離し、叫んだ。
一瞬の静寂。入り口とされる穴の前に仁王立ちし、中に居るだろう蛭谷らを睨む彼。その横顔にははっきりと怒りの感情が浮かんでいる。ハルカはその表情に見覚えがあった。これは“罪人”を裁く時の顔だ。
「・・・・・・」
「・・・・・・!」
すると遊戯はゆっくりと倉庫の中に歩を進めた。ハルカは慌てて追いかけようとするが、遊戯が一瞬寄越した視線に踏み止まる。来るな、と言うことか。
「・・・・・・」
彼一人、倉庫内に姿を消す。ハルカはやや逡巡して、取り敢えず穴に少し近づいてこっそりと中を伺うことにした。
「・・・クク・・・見たことあるガキだと思ったら、さっき城之内に懷いてたガキじゃねぇか・・・。」
「城之内もあんなのが救いに来るようじゃ終わりだな・・・ハハハ!」
雨脚が緩んできたのか、先程の豪雨の時より幾分声が聞き取りやすくなっていた。中では思っていた通り蛭谷たちが集っており、彼らの背後には天井から伸びるロープに吊るされてぐったりとした城之内が居た。ピクリとも動かないその様子に、ハルカは思わず息を飲む。まさか、殺されているなんてことは。
「・・・・・・」
挑発の言葉を受け流し、遊戯はそのまま彼らの傍に出来た大きな水たまりの中に入り立ち止まる。ハルカの場所からは遊戯の表情は見えないが、恐らくその小さな身体で威圧するように蛭谷たちを睨んでいることは想像できた。小さな間が出来た時、徐ろに遊戯の一番近い場所に居た下っ端が遊戯に近寄った。
「おいボウズ・・・ここは子どもの来るとこじゃ・・・ねーんだよっ!!」
「・・・!!!」
ガツンッと鈍い音がし、遊戯の身体が大きく横に吹っ飛ぶ。狙って飛ばされたのか、壁際に置かれたドラム缶に立て掛けてあった古タイヤに身体をぶつけ、派手は音を立てながら床に倒れた。ハルカは思わず口元に手を当て小さく悲鳴を零した。
「ハハハハハハ!!弱っちい助っ人だぜ!!」
その光景を見ていた男たちは下品に笑う。倒れる遊戯を完全に見下し、まるで相手にする価値もないと笑う。あまりの事に、ハルカは堪らず走りだした。
「・・・・・・やめてっっ!!」
「ん?」
笑っていた男たちは突然現れた女に視線を向け、やや面食らった様子で駆け寄るハルカを凝視した。
「なんだぁ?今度は女か?」
「しかも超弱そう。なんか城之内がかわいそうになってきたなぁ!」
ハハハと再び笑い出す彼らに、ハルカは震えそうになる足を抑えて睨みつけた。視界の端で遊戯がもぞりと動いたのが見えた。
「嬢ちゃん、威勢がいいのは良いがオレたちを舐めると痛い目にあうぜ?」
「・・・・・・」
今しがた遊戯を殴った男がふらりとハルカに近づく。恐怖だった。逃げたい、逃げなくてはと頭の中で激しく警報が鳴り響く。けれど今ここを動いては何も救えない、と言う別の声がハルカをそこに留める。
「・・・・・・じょう、の、うちくん、を・・・返して・・・・・!」
震える唇を無理矢理動かし、近づく相手を懸命に見据えながらそう絞り出すと、男はハルカの目の前でぴたりと足を止めた。
「このガキ・・・・・・!」
「・・・・・」
男の表情がにやにやとしたものから一変する。まるで気に入らないとでも言いたげに、大きく眉間に皺を作る。
「クク・・・・・なかなかいい目をしている。城之内を助けに来るだけはあるな・・・。」
「蛭谷さん・・・・・・」
突然の蛭谷の言葉に、男は小さく振り向く。そのお蔭で男の影に隠れていた蛭谷の姿がハルカにも見えた。蛭谷は楽しそうに笑っていた。
「だがそれだけだ。何もできやしねぇ。お前なんかにはな!」
そう言って大きく笑い出す蛭谷に合わせて、周りの男たちも愉快そうに笑う。蛭谷の方に振り返った男もハルカに視線を戻し、笑った。
「女がでしゃばってんじゃねぇよっ!!!」
「!!?」