バシンッと耳元で大きな音が弾けた。と同時に身体のバランスが崩れ、床に倒れる。
一瞬なにが起きたのかハルカには分からなかった。しかし上げた視線の先で近くに立っていた男が手を返して笑っている様子に、漸く自分が打たれたことを把握し少しだけ涙が滲む。
何度この感覚を味わったことだろう。自分は無力であると。なけなしの勇気を振り絞っても何も守れない。これは女である性が。力のないせいか。牛尾からも脱獄犯からも蝶野からも海馬からも、この身を盾にしても誰も救えなかった。情けないと思った。それでも。
泣くことだけは絶対にしたくなかった。こんな相手に涙を見せてなるものか。
滲み出た涙をぐっとこらえ、ハルカは立ち上がった。
「ハルカ。」
「・・・・・・!」
すると突然自分の手首を誰かに掴まれぐいっと引っ張られた。何事かと慌てて振り返れば、頬に痣を作った遊戯がハルカに小さく笑いかけ、先程彼がぶつかった古タイヤの傍にあった別の積まれた古タイヤの上に誘導されたではないか。
「・・・・・・・?」
「フフ・・・・今度はこちらから仕掛ける番だぜ!」
男たちを振り返り遊戯がぶつかって転がった古タイヤに足をかける遊戯の口元には、小さく笑みが浮かぶ。まるでこの状況が自分たちに不利とは語らせないように。
「ゲームを!お前ら4人に挑むぜ!」
「!!」
その単語にハルカの肩が小さく揺れた。裁きの合図だ。負けた者には罰が待っている。冷酷な程恐ろしい罰ゲーム。
「フフ・・・気がつかないか・・・お前らの足元には“時限式の地雷”が隠されてることを・・・・・そしてその地雷はある“スイッチ”に連動している・・・・・すでに秒読みに入ってるぜ!」
「地雷だと・・・・・!!」
「なに言ってるんだ小僧・・・・・!」
“地雷”と言うこの場に似つかわしくない単語に背後のハルカも男たちも動揺し辺りを見渡す。しかしそこにあるのは遊戯の乗る古タイヤと、ドラム缶、それから城之内を縛るロープくらいだ。視線を彷徨わせる男たちはバシャリと足元の水を蹴った。
「さぁ、その“スイッチ”を見つけ出すことができるかな・・・・・・見つけられたらあんたらの勝ち!オレを生かすも殺すもあんたらの好きにするがいい・・・・・だがもし見つけられなかった場合・・・・・・あんたらは罰ゲームとして“地雷”の餌食となる!」
「・・・・・・!!」
命がけの危険なゲーム。どちらが勝っても片方が傷つき最悪の場合命を落としてしまうルールにハルカは顔を強ばらせた。“地雷”がどこにあるのか定かではないが、今まで幾人の対戦相手を精神崩壊させた彼が嘘を吐くとは思えない。だからハルカは動揺したのだ。
しかし対して男たちは、その現実離れした遊戯の言葉を鼻で笑った。
「蛭谷さん・・・あんなガキの言ってる事、ハッタリに決まってますぜ!」
「・・・・・」
蛭谷の横で話を聞いていた男が嘲笑する。見当たらない“地雷”が何よりも嘘の証拠と何の躊躇いもなく遊戯に一歩近づく男を、蛭谷は考えるように無言で見ていた。
「あんなガキ・・・このスタンガンでヤキ入れてやりましょうぜ!」
「・・・!!」
そう言って男が取り出したのは、黒く厳つい四角い物体。先端の金具がぎらりと光り、如何にも物騒なそれはスタンガンだった。一般の高校生が持つような代物ではない。ハルカははっとしてロープに吊される城之内を見た。未だ気を失う彼は外傷も酷いが、もしかしたらスタンガンで気絶させられたのかもしれない。そう思うと一層焦りと不安がこみ上げ、ハルカは胸元に置いていた手をぐっと握りしめた。
「ま、待て・・・スタンガンは使うな!!」
「え!?」
その時、蛭谷が焦った様子でスタンガンを構えた男を引き止めた。止められた男はいざ遊戯に電撃を浴びせようと揚々と手をかざしていたので頓興な声を上げた。
「フッ・・・なるほどな・・・そのガキの言葉、なまじハッタリとは限らないかもな・・・・」
そう蛭谷が呟くと、目を細めて静かに遊戯を睨みつけた。
「見ろ!いつの間にかオレ達は雨を受けて全身が濡れている・・・・・あのガキの立ち位置にうまくおびき寄せられたために雨漏りを受けてしまったワケだ・・・この小僧、どうしてワザと殴られて、裏で計算してやがった・・・・・・」
「ハッ・・・!ホントだ・・・いつの間に濡れてる・・・・・・」
倉庫の屋根は所々に穴が空いている。それによって蛭谷たちの傍には大きな水溜まりができていた。遊戯が最初水溜まりの中でわざわざ立ち止まったのは蛭谷たちを誘導させるためだったのだ。出入り口の穴から男たちがスタンガンを持っているのを見ていた遊戯は咄嗟にこれらの細工を思いついたということである。
「ってことは・・・・・・」
「そうだ・・・その場で一人でもスタンガンのスイッチを入れたら指先から足元の水溜まりを20万ボルトの電流が伝わり・・・オレ達は4人とも、小僧の言う“地雷”のエジキというワケだ!」
水は電気を通す。不純物の交じる雨は勿論電気を通す。それは誰もが知る知識だ。このままでは確実に感電してしまう。それに気づいた蛭谷とその仲間たちはニヤリと笑い、遊戯に一歩近づいた。
「ククク!小僧、“スイッチ”は見つけたぜ!ようはスタンガンさえ使わなければいい・・・・・」
蛭谷たちの勝ちだった。ハルカは愕然とした。こうも簡単に“地雷”を見つけられてしまうとは。喧嘩ばかりの不良集団ではあるが大きな勢力を持つ団体のリーダーである蛭谷はなかなか頭の切れる男であった。
遊戯の敗北が決まった。罰ゲームを受けるのは彼。じりじりと距離を詰める蛭谷たちは、ゆっくりと拳を握った。
「代わりに拳で教えてやるぜ!」
それを合図に全員が勢い良く走りだす。
「ハハハ・・・小僧、このゲーム、オレ達の勝ちだ!」
「望み通り罰ゲームとしてこの場で殺してやるぜ!」
もう駄目だ、そう思ったハルカは顔を手で覆った。遊戯が負けるとは思ってもみなかった。結局誰も助けられなかった。蛭谷の言うとおり、何もできなかったのだ。誰にとも言えない謝罪の言葉を、心の中で呟いた。
「お前らは“スイッチ”を見つけられなかった!オレの勝ちだ!」
「な、なに!?」
しかし次に聞こえてきた遊戯の声は絶叫ではなく、勝利宣言だった。その言葉に蛭谷たちは足を止め、顔を覆っていたハルカもそっと目を開く。
遊戯は何故か、不適に笑んでいた。
「そしてその“スイッチ”は、まもなく作動する・・・」
その言葉に反応するように、その"声"は小さく聞こえた。
「・・・う、う〜ん・・・・・」
「な、なんだこの声は・・・・」
誰かの唸り声。それは蛭谷たちでもハルカでも城之内でもない。その犯人は。
「!!」
「う・・・・」
遊戯の足元で、ハルカたちが来た時から倒れていた男が顔を顰めた。その男の左腕は不自然にも鉄の棒で支えられぐらぐらと危うげに左手が揺れている。その手に握られているものは。
「ス、スイッチは奴の腕!!」
ジジ・・・と電気音を漏らすそれは、スイッチの入ったスタンガン。男の頬を、水がぽたりぽたりと濡らしていた。その先を辿れば倉庫の柱と柱に繋がれた鎖に吊された千年パズルが。パズルは雨に濡れ、先端から小さな雫を零していた。それは男の目を覚ますには丁度いい役割を果たす。
「あ・・・オレ・・・」
冷たい雨水で意識を取り戻した男が目を開き身動ぎする。ともすれば男の腕を支えていた鉄の棒はバランスを崩し、僅かに水溜まりから浮いていたスタンガンが真っ直ぐに水溜まりに向かう。
「め、目を覚ますなぁ!!」
「“スイッチ”オン!」
蛭谷の叫びも虚しく、スイッチの入ったスタンガンは水溜まりの中に突っ込まれ、瞬時に電撃が水溜まり全体に広まり蛭谷たちを襲う。
「ギャアアアアアアアッッ!!!」
4人の男が目を見開いて絶叫するその様子は、正に地獄絵図。ハルカはそれから目を背け耳をふさいだ。響く叫び声は耳を塞ぐ手を僅かにすり抜け耳に届く。雨の匂いに混じる焦げ臭い匂いに、ハルカは顔を歪めて身を小さくした。言い知れぬ恐怖は、スイッチとなった男が慌てて起き上がるまでの少しの間だけ続いた。
「ハルカ・・・・・・。」
「・・・・・・!!」
肩を叩かれて漸くハルカの意識が現実に戻ってきた。気づけば叫び声は途絶え、ビリビリと電流の弾ける音も止んでいる。スイッチの男も、いつの間にか姿を消していた。
「少し、アンタには刺激が強すぎたな。悪かった。」
「・・・・・・!」
振り返れば遊戯が困った様子でハルカを見て、ハルカの目元を親指で撫でる仕草をする。雨とは違う、温かい液体に初めて自分が泣いていることに気づいた。
「怖い思いをさせた。でもアンタが奴らと対峙してくれてたお陰で仕掛けも準備できた。ありがとう。」
「・・・・・、」
その言葉にハルカは複雑そうに視線を反らす。助かるためとは言え蛭谷たちに降り注いだ罰はあまりにむごい。視界の端に映った誰かの脚が痙攣しているのに気づいて、ハルカはふるりと身体を震わせた。
「・・・・・・・オレが、怖いか?」
「・・・・・・・」
ハルカの震えに気づいた遊戯が問う。けれどハルカにはすぐに答えることはできなかった。
確かに彼の行う“罰ゲーム”は恐ろしい。簡単にこのようなことができるもう一人の遊戯は怖かった。しかしできるならば、ハルカは遊戯にこれ以上このような恐ろしいことはして欲しくはないと思っていた。本当の彼は―――優しい人だ。それは本当の人格である遊戯と同じ、ハルカと話している時の彼の言動は優しい。そのような人に“怖い”という感情を抱かせて欲しくなかった。
ハルカが黙っていることをどう捉えたのか、遊戯は静かにハルカから離れ吊るされたままの城之内のロープを解く。そうして倒れこんできた城之内を受け止めた彼は、城之内を地面に寝かせて怪我の様子を見ていた。
ハルカも気不味くはあるが遊戯に近づき、そっと城之内の顔を覗きこむ。その胸は緩やかに上下しており、顔中に痣はあるが見た限りでは命に別状はなさそうであることにホッと息を吐いた。
「・・・・!」
「あれ?ボク・・・・・・」
と、突然遊戯の胸元に下げられた千年パズルが光り、顔を上げる。その表情は柔らかく、ハルカにはすぐに彼が元の遊戯であることが分かった。
「!! 城之内くん!」
自分が抱えている人物が城之内と気づいた遊戯は、城之内の身体を小さく揺らす。
「城之内!」
「遊戯!ハルカちゃん!」
「本田くん!杏子・・・」
背後から本田と杏子の声が聞こえ振り向くと、二人は倉庫内の惨状を見渡していた。4人の男が倒れ、ハルカも遊戯も頬を腫らし城之内を抱えている姿に困惑の色を隠せない様子だ。
「こりゃ一体・・・・・、城之内は大丈夫か・・・!」
「二人もボロボロじゃない・・・・・・」
大丈夫?と杏子に腫れた頬を撫でられ小さく頷く。自分は一度打たれただけなので大したものではない。
「う・・・」
「!!」
小さな呻き声にハッとして、全員で遊戯の腕の中を見る。気がついた本人は僅かに身動ぎし、瞼をゆっくりと持ち上げた。
「城之内くん・・・!」
「・・・・・・遊・・・、」
酷く掠れた声で遊戯の名前を呟く城之内。その視線はふらふらと彷徨い、漸く遊戯の大きな瞳と合わさる。
「城之内くん・・・・・・一緒に帰ろう!」
遊戯が微笑んでそう言うと、城之内は少しずつ表情を歪め、そしていい知れぬ感情が爆発したかのように遊戯に縋り付き絶叫した。
「ゆ、遊戯ーーーっ!!!」
枯れてしまった声は大切な友の名前を紡いで吹き抜けの天井を駆け上がって雨空に吸い込まれる。遊戯の腕の間から見えた城之内の頬を濡らすものは、果たして雨なのか、それとも。
もう一人の遊戯が戻る間際に浮かべた悲しげな表情の真意を知る者は、誰も居なかった。