04.
用がある、というのは強ち間違いではなかった。ハルカは少し早歩きで自宅のマンションを目指した。6階の角にある部屋のチャイムを鳴らして鍵のかかっていない扉を開けて靴を脱ぐ。母への挨拶もそこそこに、ハルカは自室に直行し鞄を勉強机の上に置いた。カーテンを閉め切り、全身姿見の前に立つ。そして制服の上着を脱ぎ、首元のリボンも解いた。いつもなら皺にならないようにすぐにハンガーにかけて消臭スプレーをしておく所だが、今は気持ちが急いていてそれどころではない。上着もリボンも床に無造作に捨て、ブラウスのボタンに手を掛けた。
ひとつ、ふたつと開けてゆき、次第に見えてくるのは、見慣れた少ない胸元。そして。

「・・・・・・光ってる・・・」

細い鎖に通し、首から下げた金色のプレートタグネックレス。それは鳥と花が彫刻されており、真ん中にはルビーが埋め込まれていた。そしてそのルビーの部分が、小さく、しかし確かに光を放っていた。
そっとそのプレートに触れてみると、ほんのり熱い。さっきからこれが熱を発していたのだ。

「・・・・・・」

この石は双六が話した千年パズルの話に反応するように熱を持った。

いつか聞いたハルカの母の話によると、ハルカはこのプレートタグを小さな手で握りしめて生まれてきたという。本来ならありえない話であるが、実際にそうやってハルカは生まれてきた。出産に立ち合った病院の人たちも、異例のことに酷く驚いたと言う。以来ハルカはこのプレートをお守り代わりに肌身離さず身につけている。自分と一緒にこの世に現れたその金属は、きっと何か大切なものであるはずだから、と。

そして今日、このプレートは光り、熱を持った。ハルカの記憶が正しければ16年間生きてきた中でこんなことは一度もなかった。

「・・・・・・。」

突然目の前が歪み、急激な疲労感を感じてハルカはふらつき傍にあったベッドに倒れこんだ。身体が重く、強烈な眠気がハルカを襲う。どうしたと言うのか。もしかして今日は一度にいろんなことがありすぎて、キャパ越えをしてしまったのだろうか。ハルカは回らない頭を枕に沈めて、嗚呼と呟いた。もう今日はこのまま寝てしまおう。勉強も、また明日にすればいい。

重たい腕を持ち上げてなんとか眼鏡を外し、ベッド脇にあるチェストに置く。そしてそのまま、ハルカは掛け布団に潜ることなく深い眠りについたのだった。


* * *


遊戯は一人自室で机に向かい、もくもくとパズルの組み立て作業をしていた。もう夜も遅く、月は高いところから彼を見下ろしている。その月明かりと勉強机に置かれたスタンドの光で照らされた“千年パズル”は光を反射し金色に輝いている。そしてそのパズルは彼が長い時間を費やした甲斐あって、やっとその形を見せ始めていた。

「うーん・・・・ここから先が詰まっちゃうんだよなぁ・・・・・」

部屋に小さく木霊する金属部品たちがぶつかり合う音は、不規則な旋律を奏でながら夜に溶け込んでいく。

「・・・ふわ・・・・ぁ・・・・。」

大きなあくびがひとつ、遊戯の口から漏れた。休憩とばかりに一度パズルを机の上に置き、凝り固まった身体をほぐすため伸びをする。身体のどこかから小気味のいい音がした。遊戯はふーっと大きく息をつくと、机に置かれたパズルに目をやった。

作りかけの、“千年パズル”。今日、祖父からそのパズルが遊戯の元に来るまでの話を初めて聞かされた。曰くがどうのということは置いておくとして、「願いが叶う」という自分の推測が半ば当たっていたことに興奮を覚えたのは記憶に新しい。遊戯は頬杖をついてまだまだ未完成のパズルをつついた。
このパズルが完成したら。そうすれば、長年の自分の願いが叶うかもしれない。そう思うと、遊戯の胸の奥でやる気が燃え上がるのが分かる。こんなにわくわくするなんて、まるでよくできたRPGゲームを攻略している時みたいだ。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。夕方、杏子と共にあれやこれやと考えながら作業をしここまで組み立てたパズルは、それほど遊戯を興奮させる代物だった。

そういえば、とはたと思い出して遊戯は手に触れたパズルのピースを弄び始めた。

「彼方さん・・・・。初めて話したけど、なんか不思議な人だったな。」

今日、昼休みに遊戯が初めて言葉を交わした女子生徒。いつも銀縁の眼鏡をかけていて、長い黒髪を靡かせ、勉強用具を抱えている女の子。身長は自分とさして変わらないことを遊戯は今日帰りに並んだ時に初めて知った。

「この近くに住んでたなんて、知らなかったなぁ。」

あまり人とつるむことはなく、一人で居ることが多い。昼休みには教室から姿を消し知らない間に戻ってくる。静かで、だけど声を掛ければちゃんと答えてくれて。話し方は少々辿々しく、そして淡々としているけれど。彼女ならそれも悪い気はしないなと遊戯は思った。そのミステリアスな感じが、彼女の魅力の様に思える。

「・・・・!な、なに考えてるんだボク・・・・!」

思わず頭を左右に振って、思想を振り払う。頬が妙に熱い。

「・・・・・でも、」

本当に、彼女の空気は不思議なものであることに変わりなかった。
どうしてか、彼女とは少ししか会話していないはずなのに、今まで誰にも見せたことのない宝物を見せようと思ったのだ。彼女になら、話しても良い。いや、話さなくてはならない。そう思えて。
静かに遊戯の話を聞く彼女は、しっとりと空気を濡らす水面のように、静かに佇む。それでも、回想の中の彼女の微笑んだ顔はとても可愛い、と思う。

友達に、なれたらなぁ・・・・・。

「だっから!ボクはなにを・・・・っ!!」

自分で発した大声に慌てて口を手で覆う。今の時間は深夜1時を回っている。もうとっくに遊戯の母親も双六も寝ている時間であり、ここで大声を上げるのは間違いなく迷惑行為だ。

「・・・はぁ、続きやろう・・・・。」

遊戯は大きく溜息をついてから、再びパズルに手を伸ばした。ピースはまだたくさんある。明日も学校だけれど、もう少しこのパズルに挑戦していたい。
一度止んだ金属のぶつかり合う音は、再び不規則な旋律を奏で始めた。


それから更に1時間近くパズルと格闘したところで、遊戯は瞼の重みが限界に近いことを感じ始めた。頭はぼーっとし、脳が今すぐに睡眠をと命令しているかのようだ。身体が休憩を欲しているのが、自分でもよく分かった。それでもパズルを手放さない彼の手は、なんと執着的なことか。

彼の首が、ひとつ船を漕いだ。限界を半分越えている彼のその上瞼と下瞼は、今にも引っ付きあいそうである。

コクリ、コクリ。
船を何度も漕ぎ、やがて瞼同士がくっつく。遊戯は組みかけのパズルとピースを手に持ったまま、ついに机に突っ伏してしまった。小さく寝息を立てる彼は、すでに夢の世界へと旅立ってしまっている。
パズルを掴んでいた手は力を失い、パズルが小さく音をたてながら机に転がった。しかしそんな些細な音でも遊戯が目を開けることはなく眠り続けている。手放されたパズルは、スタンドと月明かりで鈍く光る。その空洞からは大地を揺るがしてしまいそうな力の音が響いていた。


* * *


ハルカは自分の意識が浮上していくのを感じてそのまま目を開けた。辺りを見れば暗く夜も深いことが分かる。しかしその空間は真っ暗ではなく、月明かりが仄かにカーテンから透けていて、ぼんやりと室内を照らしていた。
起き上がって身体を見下ろせばブラウスに皺が寄っていてハルカは思わず顔を顰めた。眼鏡をかけていないため視界はぼやけるが動くには問題ないので床に散らかしていた上着とリボンの皺を軽く伸ばしてからハンガーにかけ、夜中に風呂に入るのは親にも隣人にも迷惑だろうと朝にシャワーをあびることにし、取り敢えず寝間着に着替えた。
皺の寄ったブラウスを持って洗面所に向かうべく廊下に出た。洗面所はハルカの部屋とは反対の壁沿いにありリビングの出入口に近いところにある。ハルカはそこにある洗濯機の横の籠にブラウスを放り込んだ。ついでに歯磨きも済ませ洗面所から出ると、扉が開かれたままのリビングにあるテーブルの上にハルカの分と思われる夕飯が、ラップがかかった状態で置かれているのがぼんやりとした月明かりで見えた。食べ物を見ると急に空腹感を感じてしまったが、今の時間に食べるのは女の子としていささか問題があると思い、仕方なくそれらを冷蔵庫にしまった。明日の朝食にでもしてしまえば、問題はないだろう。
自室に戻り今度はちゃんとベッドに潜り込んでハルカはふぅと一息ついた。とは言え先ほどまで寝ていたものだから眠気がやってくる気配は微塵も感じられなかった。ハルカは横向きに寝転がり、胸元からペンダントを引っ張り出した。石はいつもと変わらずカーテンから漏れる月明かりを僅かに反射して光るだけで、先ほどのように石自体が光る様子はない。熱も感じられなかった。

本当に、あれはなんだったのだろうか。
考えてみてもまるで検討がつかなかった。気のせいで片づけてしまった方が早いのかもしれない。寧ろ知ってしまうのが怖いような気さえした。

「・・・・・」

石をひと撫でし、そのままきゅっと握る。目を瞑ってしまえばそこはすぐに暗闇の世界となった。はやく、眠れ。忘れてしまおう。そう祈りながら、明日を待つのだった。


結局あれからハルカは浅い眠りしかできず、しかしそれでもいつも通りの時間に家を出て、いつも通りの時間に学校に着いた。
ハルカが学校に来る時間は、まだ人が少ない時間である。静かな校舎を満喫できるこの時間がハルカは好きだった。窓を開ければ朝の新鮮な空気が入り込んでくる。席に着いて鞄の中身を机に入れて、何をするでもなく校庭と街を眺める。ちらほらと校庭を歩く生徒と朝練に励む生徒が見える。もう少しすればその数も増えるだろう。このように外を眺め見るか本を読んで時間を過ごすのがハルカの日課であった。

その時、正門に一列に向かう紺色の集団が目に入った。校舎から出てきた彼らは、一人の大きな男子生徒を先頭に整然と並び、正門に到着すやいなや軍人のように姿勢良く方向転換をしてピタリと横一列になった。そして先頭の人が何か指示するような仕草をすると、一斉に登校する生徒に絡み始めた。
それは不定期に行われる風紀委員の抜き打ち服装チェックの様子だった。入学して間もないが、それでも2、3回はその光景を見たことがあるので頻繁に行われているらしい。彼らが出てくる時間はまばらな為回避は難しい行事である。仕事熱心なようでそのチェックはかなり厳しい。ハルカは引っ掛かったことはないが、しかしあの軍人のような集団は妙な威圧感がありハルカは苦手だった。
そんな彼らを開けられた窓からじっと見つめた。先頭に立つ大きな男、委員長なのかポケットに手を突っ込んだまま通り行く生徒を見下ろしている。その男に、ハルカは既視感を覚えた。昨日の帰りの光景がその男に重なる。あの威圧的な雰囲気と大きな身体。あまりにインパクトのあるその男を記憶から引き出すのは容易であった。

(そうか、風紀委員の人だったんだ。)

しかしと思いハルカは目を瞬かせる。風紀委員が遊戯に一体なんの用だったのだろうか。ボディーガードがどうのという話だったらしいが、たかだか一介の風紀委員が果たして個人のガードまでする必要があるのだろうか。虐めを知っていた、と言うのは、もしかしたら風紀委員のミーティングかなにかで知らせがあったのかもしれない。それならあの男が遊戯の虐め被害について知っていたことには納得が行く、のだが。

(・・・・・ボディーガード・・・・)

どうにも嫌な予感がする。昨日からハルカの胸中は落ち着かないばかりだ。

遊戯が登校してきたのはそれから暫くしてからで、教室に入ってきてハルカと目があった遊戯はハルカに小さく手を振った。思いがけないアクションに、ハルカは少々驚きながらも手を振り返す。その反応が嬉しかったのか、遊戯は照れたようにはにかんで自分の席についた。妙な予感で騒いでいた心は、いつの間にか平穏を取り戻していた。


* * *


今日も変わらず昼休みがやってきた。今日は教室で昼食を手早く済ませ図書室に行く準備をする。昨日帰宅してからできなかった分の勉強もやっておかねばならない。そう決めて立ち上がろうとした時、遊戯がこちらに向かってきているのが見えた。彼も昼食を終えたらしい。

「昨日帰るとき顔色悪かったから心配してたけど、もう大丈夫そうだね。よかった。」

安心したように笑った遊戯にハルカはきょとんとして目を瞬いた。確かに昨日は突然胸元が熱くなって妙な疲労感を感じて慌てて帰宅したが、まさか表情に出ていたとは思っていなかったのだ。遊戯に心配させてしまったことと、そんな些細の変化でも気にしてくれたことへの感謝に“大丈夫”と“ありがとう”と答えた。

「そうそう、あの後杏子と一緒にパズル頑張ってみたら少し進んだんだ!」
「・・・手伝い、できなくて、ごめんね。でも、進んで、良かったね。」
「気にしないで!うん、でもやっぱり難しくてさぁ。途中からひっかかって夜中まで頑張ってみたんだけど全然解けないんだよねぇ。」

お蔭で少し寝不足なんだ、と小さくあくびする彼の目元には、なるほどうっすらと隈が見える。もしかしたら遊戯は一度熱中すると周りが見えなくなるタイプなのかもしれない。

「遊戯くん!」
「ン・・・・・?」
「・・・・・・・・?」

すると突然教室の入口から男の太い声が飛んできた。聞き慣れないその声に二人で振り返れば。

「ちょっといいかな・・・・・・」
「あ!」
「・・・!」

今朝見た風紀委員が教室の出入口でズボンのポケットに手を入れて立っていた。呼ばれた遊戯は思いがけない人物の登場に戸惑ったように身体を揺らす。その様子はいつものおどおどしたもので、あんなに柔らかかった笑顔はどこへやら、何かされるのではないかと怯えた表情を見せていた。
男、名を牛尾と言うが彼を見れば何故かにやにやと笑っていて怪しい雰囲気である。とは言え相手は上級生。下級生の遊戯が反応を見せないのはあまり利口ではない。困ったようにハルカを見る遊戯と視線を合わせて、ハルカは数回軽く頷いた。

「・・・・・行ってくるね。」

助けを求めるように視線を投げながらも、遊戯は仕方がないと踵を返して牛尾の元に向かった。そして二人はそのまま教室を出て行き、すぐに見えなくなった。

教室内は、いつの間にハルカひとりとなっていた。本を読んで待っていよう、とも思ったが。

「・・・・・・・・・」

ハルカは遊戯が残した視線と牛尾の笑みがどうしても気になった。普段あまり人と言葉を交わさないせいか観察力のあるハルカは本能的にあの男を“怖い”と思っていた。彼は遊戯の虐めを気にする人ではあるが、ただの高校生が“ボディーガード”を買って出ると言うのはいささか引っ掛かる。恐らく遊戯を連れて行ったのも、昨日言っていたその“ボディーガード”の件だろう。
弱いくせに妙に正義感が強い自分の性格にハルカ自身呆れるが放っておくわけにはいかない。ハルカは教室を出ると、彼らの後ろを付いて行く事にした。