05.
後を追って行くと二人は昇降口で靴を履き替え外に出た。先頭を歩く牛尾の足が向かう先が体育館裏と気づいた時、不安が倍増した。こんなところに連れ込むなど、不穏すぎる。
二人が話しながら体育館の裏に入っていくのを確認したハルカはそっと角まで近づいた。ドキドキと高鳴る胸を深呼吸して抑え、そっと壁に身を寄せる。柄ではないがしかし遊戯を放っておくことはできない。慣れないことに緊張して汗ばむ手をきゅっと握った。

「城之内くん!本田くん!」
「!」

遊戯の叫び声にハッとして、ハルカは慌てて少しだけ顔を出して体育館裏を覗いた。

「・・・・・・!」

心臓がドキリと大きく跳ね上がった。驚きに目を見開き、暴れる心臓を抑えるように胸元に手を当てて、触れたペンダントを制服の上から握った。
壁の向こう側には遊戯と牛尾が居て、そして何故かここに居るはずのない二人の男子生徒、城之内と本田が互いを背凭れにするように力なく座り込んでいるのが見えた。暴行を受けたのか、顔も制服もボロボロで流血もしている。始めて見たその光景が日常から酷く浮いた光景に見えた。この学校は喧嘩が絶えないというのは知っていたが、ハルカが実際にその現場を見たのはこれが始めて。頭の隅で教師を呼ばなくてはと焦りの声が聞こえるが、あまりのショックに足が動かなかった。

「こ・・・これは一体・・・!?」
「言ったハズだよ、遊戯くん・・・・・この牛尾、君のボディーガードを買ってでると・・・ね。だから制裁を加えてやったのだよ!このいじめっ子どもにね!」
「そ、そんな・・・!」

なんて酷い。例え相手が悪と言える“いじめっ子”であろうと、身体を痛めつけるのはあまりに惨い。あの二人と牛尾との体格差は大きい。無傷の牛尾を見ると城之内たちが一方的にやられたのは一目瞭然だった。

「だ、大丈夫かい城之内くん!本田くん!」

遊戯が慌てて膝をつき、二人の俯く顔を覗く。遊戯の声に反応して、城之内が僅かに顔を上げたのがハルカの位置からでも見ることができた。

「遊戯・・・てめぇ・・・・・気が済んだかよ・・・・・・」
「違うよ!ボクがこんな酷いことを頼んだとでも・・・・・!?」

か細く吐息に交じって漏れた言葉に大きく頭(かぶり)を振る遊戯。腫れ上がった頬のせいで歪になった城之内の苦笑が痛々しかった。すると牛尾が突然、座り込む遊戯の肩を掴んで思い切り引き、横に突き飛ばした。

「どけ遊戯!まだ制裁は終わったワケではない!!」
「うげっ・・・・・・っ!」

言い終わるか終わらないかのうちに牛尾は城之内の腹に容赦なく蹴りを一発入れた。思わずハルカは強く目を瞑る。城之内の苦し気な呻き声が酷く鮮明に耳に届いた。このままでは城之内たちは更に酷い目に合わされる。事態の悪化に危険を感じたハルカは兎に角教師を呼ぼうと踵を返そうとした。

「やめろ!」

その時、聞こえた静止の声に出かけた足が止まった。聞き間違えでなければ、あれは遊戯の声。

「おやおや、遊戯くん。お前こいつらをかばうっていうのか?変なやつだなぁ・・・・・。」

もう一度覗き見ると、見えたのは手を大きく左右に広げ小さな背中で倒れる二人を守るように立ちはだかる遊戯と、嘲るように笑い対峙する牛尾の姿だった。もう一度城之内に蹴りを入れようとしていた足を下ろしながら不思議そうに遊戯を見下ろしている。

「今までの恨みを晴らすチャンスなんだぞ!殴れよ!蹴れよ!」

大きな身体を揺らし笑う牛尾の姿にハルカは恐怖感を覚える。彼は楽しんでいるのだ。この状況、人を痛めつけることを。あのような危険人物に普段温厚な遊戯が敵うはずがない。場合によっては城之内たちを庇う遊戯にすら暴力を振るいかねない雰囲気に焦りを感じた。

(逃げて)

城之内たちを見れば立ち上がる気配はない。
二人は遊戯を虐めてきた人たちだ。遊戯が二人を見放しても誰も責めたりはしない。だから逃げて欲しい。事が起きる前に。

(逃げて、武藤くん!)

「“友達”にそんなことできるわけないだろ!!」
「・・・・・・!!」

ざわり、と。その場に一筋の風が吹く。悲痛な叫びが、人気のない体育館裏に木霊する。ハルカは自分の耳を疑った。彼は今、なんと言った?

“友達”

今まで自分を虐めてきた相手を、“友”と呼ぶ。誰も予想できなかった彼の発言に、少なからず牛尾も驚いたようで、その目を見張っていた。

どうして、そんなに君は優しいのか。どうしてそんなに純粋なのか。昨日会話したばかりのハルカでも、彼の純粋さはすぐにわかった。

(あんなにもまっすぐに、綺麗に笑う人を、私は知らない。その笑顔を、傷つけてはいけない。)

牛尾の大きな笑い声が、体育館裏に響いた。

「おめでたい奴だな。今友達と言ったのか・・・日頃お前をいじめパシリをさせてきた連中だぞ!」
「いじめられてるんじゃなくて、オトコの指導なんだけど・・・・・」

もごもごと答える遊戯の目線が下がっていく。やはり城之内たちをボコボコにした凶悪な相手を前にしては、物怖じしてしまうのだろう。

「まぁいいや・・・・・」

ぽつりと牛尾が呟いた。

「ところで遊戯くん!お前には払うモン払ってもらうぜ!ボディーガード料、しめて20万だ!」
「なんだってぇ!!20万円!!」
「!」

高校生にしてはあり得ない金額の提示に遊戯は驚愕の声を上げる。ハルカもまさかの展開に息を飲んだ。この話は昨日遊戯が断っていたはずだ。それにやっていることはそこらの不良と変わりない。風紀委員でありながらこの暴挙。“ボディーガード”とはよく言ったものだ。悪事を働いて金を要求するのは、まさに外道と言ってもいい。

「20万円でこいつらを好きなだけ殴れるんだぞ・・・・日頃の憂さ晴らしができるんだ。安いモンだと思うがね・・・・・」

遊戯は言い返せないのか小さくなりながら押し黙っていた。

「おやおや・・・・、ならその二人をもっと痛めつけないと満足してもらえないワケか・・・・・」
「もうこれ以上、二人に手を出さないで!やるんならボクをやりなよ!」
「!!」

それはダメだ!止めようと飛び出しかけるハルカ。しかしその足は恐怖故か動くことはなく、僅かに身じろぎするだけに終わった。遊戯の言葉に反応してぴくりと肩を震わせた城之内に気づくことなく。

「変通り越してイカれてるぜお前・・・・・・わかったよ、望みどおりにしてやるよ・・・・・・」

歪に笑む牛尾は遊戯に手を伸ばし、その胸倉を掴んで宙づりにした。途端に遊戯の表情が恐怖で歪む。

「金払わねーとどーなるか・・・・前もってお前の体に覚えといてもらおうか!本来オレはイジメは嫌いなんだよ・・・これからすることは“イジメ”ではなく“警告”なのさ!」

ガツンッと鈍い音がしたかと思えば遊戯の身体が宙を舞った。牛尾の左ひじが遊戯の頬を殴ったのだ。続いて右足を軸に左足を後ろに大きく振り上げた牛尾は、地面に降下する遊戯の腹に向かって膝を埋め込んだ。

「ギャッ!!」

最初の一発目で口の中を切ったのか、遊戯は血と唾を吐き出しながら地面に身体を叩きつけた。しかしそれだけで終わらせるつもりのない牛尾はうずくまる遊戯に何度も何度も蹴りを入れる。

「・・・・・・ぁ・・・・・・ぁぁ・・・・・」

ハルカはその光景にただただ口元を両の手で覆って見ている事しかできなかった。その目元には僅かに光るものが滲む。

「ぐぁっ・・・ふっ・・・・!」
「武藤くん・・・・!」

止めの一発とばかりに腹に大きな蹴りを入れた牛尾が少し距離を取ったのを見てハルカはようやく咳込む遊戯の元に走り寄った。血と泥で汚れたその身体を抱き上げれば、彼は身体を震わせ荒い呼吸を繰り返しながら片目だけでハルカの姿を確認した。その目は何故ここにハルカが居るのかと問うているようだった。

「・・・ほう、昨日の女か・・・・・」

低く地を這うような声にハルカの肩がぴくりと揺れる。見上げれば、冷たい双眸がハルカを睨みつけていた。ごくりと唾を飲み込む。

(怖い。)

背が冷える感覚。突き刺す冷徹な眼差しと気迫に今にも逃げだしたい衝動に駆られる。しかし抱く温もりがハルカを奮い立たせた。なけなしの勇気で相手を睨み返す。しかしきっと、迫力もなにもあったものではないだろう。手は震え、いつの間にか零れた雫は乾いた土を濡らした。

「・・・・ふん。」

震える女には何もできないと踏んだ牛尾は嘲るように笑う。

「・・・・・まぁこれくらいにしておくぜ。いいな!明日までに金持ってこい!20万だ!!」

どうやらこれで“制裁”も“警告”も終わりのようだ。ハルカの登場で気が逸れたらしい。

「約束やぶったら今程度の痛みじゃ済まないぜ・・・・・もっと強烈な痛みを教えてやるぜ!」

言って牛尾はポケットから二つ折りの細長いものを取り出し、かちゃんと開く。それは銀色にきらめく、鋭い刃物。

「こいつのよ・・・・・・」

それに舌を這わせ笑う牛尾に更なる恐怖を覚える。ぞくりとハルカの背筋を冷たいものが滑り落ちた。この人なら、本当に切り刻んでくるだろう。それくらいの狂気を感じる。

「お前もだ女!チクったりしたら、分かってるだろう・・・・・」
「・・・・・っ」

そうして彼は高らかに笑いながら去っていった。相手の背が見えなくなって漸くハルカは息を大きく吐いた。恐怖は去り、安堵ばかりが身体の力を奪っていく。

「・・・・彼方・・・・さん・・・・・」
「・・・!武藤くん・・・・!大丈、夫・・・・・!?」

呼ばれて慌てて遊戯を見下ろせば、彼は咳き込みながらも地面に手を着いて身を起こした。が、ふらついていて危なっかしい。ハルカはもう一度彼の背に手を回した。

「・・・・ありがとう。大丈夫だよ・・・・・・」

どうみても大丈夫ではない遊戯の頬や制服についた砂を払ってやると、ハルカはポケットからハンカチを取り出して口元から流れ出ている血を拭ってやった。それに遊戯は少し痛そうに顔を歪めた。

「ボクより、城之内くんたちを・・・・・」

言われて壁にもたれ掛かる二人を振り返る。大分衰弱していて、虚ろな目で浅い呼吸を繰り返していた。ハルカは自力で座っている遊戯の背から手を離し、城之内たちに近づいた。ハンカチの綺麗な方を表に向けて、まず本田の血が出ているところを抑える。ピクリと彼は反応し、ハルカを見た。

「彼方・・・・・・・」

城之内にもたれ掛かるようにしている本田をそっと動かし、壁に寄りかける。酷い怪我だった。城之内のケガの血もある程度拭いて、ハルカは顔を顰めた。

「・・・ちょっと、ハンカチ、濡らして、くる。」

ハルカは体育館裏の反対側にある水洗い場に走り、血と砂がついたハンカチを一通り洗ってから少しだけ多く水分を含ませた状態でハンカチを畳み、再び彼らの元に戻った。濡れハンカチで城之内と本田の傷口周りの砂を拭きながらケガの具合を見る。擦り傷だらけの手足と顔。早く治療をしなければ。しかし三人の男子をハルカ一人で運ぶのはどう考えても不可能。ここは養護教諭を呼んできた方が早いと結論付けた。チクるなという牛尾の言葉が思い出されたが、内容を言わなければ大丈夫だろう。そう考えたハルカは取り敢えず本田の鼻血だけでも止めておこうとポケットティッシュを取り出し顔を下に向かせ、ティッシュ越しに小鼻を強めに摘み暫くしてからティッシュを離した。少しは止まったようで、垂れてくる血は殆どない。

「・・・・待ってて。保健の、先生、呼んでくる。」

返事も待たずに駆け出す。さっきの恐怖が消え去った今、ハルカを動かしているのは彼らを助けなければという強い意思だけだった。

* * *

「・・・先生!こっち・・・・・!」

呼んできた養護教諭は救急箱を片手にハルカと一緒に走って体育館裏を目指した。体育館の角を曲がった時、しかしここを離れる前と少し情景が変わっているのにハルカはすぐ気付いた。

「・・・・城之内くん、は・・・・?」

ハルカの声に、本田の様子を見ていた遊戯が振り返る。

「さっきまでここに居たんだけど、いつの間にか居なくなっちゃったんだ・・・・・」
「・・・・・・・」

あのケガで、どこに行ってしまったというのか。探した方がいいかもしれないが、取り敢えず本田と遊戯の治療を先にしてしまおう。そう考えたハルカは遊戯の傍に跪いた。教諭は既に本田の怪我の具合を診ていた。救急箱から消毒液とガーゼを取り出し、傷口に消毒液を噴射していく。本田から痛そうな呻き声が漏れた。

「・・・・一体何があったの?」

教諭が手を止めずに言う。それは本田に聞いているのか遊戯に聞いているのか、はたまたハルカに聞いているのか分からなかったが、皆一様に口を閉ざした。教諭はそんなハルカたちの様子を見て、けれどそれきりなにも言うことなく手を動かし続けた。薬を塗ってガーゼを乗せ、包帯や紙テープで止めていく。小さな保冷剤にタオルを巻いて腫れた頬に宛がうと、本田本人に持つように言い、他の部分も診ていく。ハルカも救急箱から別の消毒液とガーゼを取り出すと、ガーゼを宛がいながら遊戯の頬の傷口に振りかけた。

「・・・・・ありがとう。」

遊戯の呟きにハルカは顔をあげる。見れば彼は眉を下げて情けなく笑っていた。ハルカはそれに笑い返し、再びケガに目をやる。教諭と二人で治療をし、終わったところで昼休み終了のチャイムが鳴った。

「さて・・・・」

救急箱の蓋をぱちんと閉めて教諭は立ち上がると本田を見下ろした。

「本田くん、あなた念のため病院に行っておきなさい。骨は折れていないようだけどヒビが入っているかもしれないから。武藤くんも。」

二人は答えず、俯く。それを見て教諭は小さく溜め息を吐いてからハルカの方を見た。恐らく二人を任せたということだろう。ハルカが頷けばっ教諭も頷いてその場から去っていった。何も言ってなかったが、きっと彼女は他言するつもりはないのだろう。

その後、ハルカたちは無言で教室に戻った。