「ではワシはこの“千年パズル”を展示するので失礼させていただきますぞ!みなさんごゆっくり、な。」
ややあって、今まで静かに遊戯たちの様子を見ていた金倉はにこりと笑顔を見せて会釈する。金倉の手に抱えられ遠ざかっていく千年パズルに注がれる遊戯の視線はどこか寂しげであった。
「遊戯スゲーじゃん!遊戯の宝物がエジプト展で有名になるんだぜー!」
「エヘヘ、そっかなー!」
遊戯のそんな視線を知ってか知らずか城之内がまるで自分のことのように嬉しそうに言うため、遊戯は困ったように笑んで頭を掻いた。なんであれ友人にこのように褒められるのは遊戯も素直に嬉しかったようだ。
「あとでさーパズルの前で記念写真撮ろーよ!」
「・・・・・・でも、美術館って、普通、撮影禁止・・・・。」
「あれ!?そうだっけ。」
ハルカの言葉に残念と肩を落とした杏子に吉森はふふと笑った。
「千年パズルは遊戯くんのものなんだからパズルの前だけなら私が特別に許可するよ。宝物を貸してくれた礼も込めて。」
「うおー!教授!太っ腹!」
許可を得られた途端はしゃぐ城之内は静かな美術館には向かない客なのかもしれない。ハルカは再び城之内の服の裾を引っ張って諫めた。
「遊戯くん、ごめんね・・・宝物、ホントは手放したくはなかったろうに・・・・」
誰よりも“宝”の在り方を知る吉森は遊戯に頭を下げた。千年パズルが遊戯にとってどれだけの宝物なのか双六から聞かされていた吉森はそんな遊戯と宝物を一時的でも引き離してしまったことに少なからず罪悪感を覚えていたのだ。
「いえ、一日だけって約束ですから。」
しかし遊戯はにこりといつもの優しい笑顔を吉森に返した。戻ってくることが約束されている貸し出しだ。自分の宝物でこのエジプト展が盛り上がるのなら胸元の物足りなさも我慢できると言外に含めているのをハルカはなんとなく感じていた。
「今回の発掘もあの金倉さんが居なかったら成し得なかったことでね・・・ボクの立場上なにも言えなくて・・・」
発掘とは金の掛かるもの。吉森は力なく笑って礼を述べた。
「ねー見て!これキレイだなー!!」
杏子が一枚の絵の前で立ち止まり指さした。ハルカは見ていた展示品から視線を逸らし、杏子の隣に並んでそれを見上げた。古代エジプト独特の文字と人と獣人の繊細なタッチは杏子の言う通り美しい。僅かな着色でも美しいと言わせてしまうその絵画はなんと魅力的なのかとハルカも溜息を零した。
「これはパピルスに描かれた“死者の裁判”のシーンだよ。冥界の王の前で死者は生前の行いや罪を天秤を使って計量される。もし罪の重さで天秤が傾いたら怪物(アメミット)に喰われてしまうんだ!」
「エジプト流閻魔さんだな!」
本田の閻魔発言に軽い笑いが起こる。“罪の重み”という言葉通り、重量の場合罰せられるとは随分さっぱりとした判決であるが古代の人の考えとはこのようなものなのだろうとハルカは思った。
「次はいよいよミイラのコーナーだ!」
「ミイラ〜〜〜!?」
お待たせとばかりに笑んだ吉森とは真逆に城之内の表情が一瞬にして青ざめる。
「やっぱ見るの〜!?」
「城之内ビビってんのー?ダサーい!」
杏子の冷めた視線に言葉を呑んだ城之内の目に、どんと映るは干からびた人間。
「うわあああああああああ!!次行こーぜ!それ異常見たら呪われるぜー!」
「ははは!呪いなんかこの世にはないんだよ!」
城之内の豪快な恐怖振りに吉森は本当に楽しげに笑った。目を閉じ自らの身体を抱えるように眠る男とも女とも分からないミイラを横目に見ながら、夢やロマンを追いかけるような人でも呪いという非科学的なことは信じないのだなと、ハルカはなんとなく思った。自分の隣に立ちガラス越しにミイラを見上げるこの少年はパズルを完成することで“闇の知恵と力”を得たというのに。
ハルカはミイラを真正面で見上げてからふいとそれに背を向けた。他にも見る物はたくさんある。杏子たちも既に他の展示品に視線を向けている。ハルカはぐるりと視線を巡らすと、一際大きな石の棺が目に入った。棺の側面に掘られた文字はまるで遊戯の千年パズルを納めていた黄金の箱のようで、なんとなく惹かれるものがあった。ハルカがそれを近くで見ようと足を向けた時、その人とすれ違った。
「・・・・・!」
ハルカは思わず足を止め、その人を振り返る。全身を白い布で覆い同じ白いターバンで頭を装ったその男性の黒く灼けた肌がすぐに外国人であることを認識させた。けれどハルカがその人を振り返ったのは見慣れない外国人だからというわけではない。
(冷たい。)
すれ違う瞬間彼から感じた冷たさ。それは体温をさしているわけではない。空気だ。まるで幽霊が傍を通ったかのように彼が纏う空気が冷たかったのだ。おかしな話である。今ハルカの目の前で遊戯の隣に立ってミイラを見つめるその外国人の足下には確かに陰があり、呼吸をする度に肩はゆっくりと揺れている。どこから見ても生者であるはずなのに、ハルカは首を傾げた。自分の思い違いか。
一瞬の出来事故に、ハルカはそれ以上その男を気に掛けることはなかった。この男が何者であるか。否が応でも考えさせられるその時は意外と近い。
* * *
遊戯は隣に立つ男を見上げた。黒人の男のその出で立ちは所謂民族衣装、すぐにエジプト出身の人であると分かった。白いターバンには一枚の白い鳥の羽が飾られ、首からは十字架のような形をした大きな黄金のペンダントを下げ、片手の平で不思議な模様が彫られた天秤をバランス良く持っていた。民族衣装に摩訶不思議な装飾品を身につけるその男は、ガラス越しに展示されたミイラを見て、何故か涙を流していた。
「なんで泣いてるの?」
純粋に不思議に思った遊戯は言葉が通じるかどうかを考えるより先にそう男に尋ねた。遊戯の問いかけに気づいた男はどうやら日本語が分かるらしい、ちらりと視線を遊戯に向けた。
「これは私の涙ではない・・・・この、土埃の人形のごとく朽ち果てたその姿・・・・それでも尚永遠なる偉大なファラオ・・・・その名と共に魂は生き続ける。永遠なる眠りすら許されず、魂の嘆きは涙となりて私の頬を伝わる・・・・」
遊戯の質問の答えに見えてまるで独り言のような言葉に遊戯は首を傾げた。この男は、ミイラの代わりに涙を流していると言うのだろうか。変わった人である。
「かわいい坊やだな・・・」
「!?」
男は大きく身長差のある遊戯の頭を屈んで撫でた。どうやら小学生くらいの小僧と思われたらしい。遊戯は去りゆく男の背中に憤慨した。
「ねぇ杏子。さっき変なエジプト人が居てさぁ。」
「え?気がつかなかったけど・・・・」
このどうしようもない怒りを誰かに聴いて欲しく思った遊戯は近くで展示物を見ていた杏子に声を掛けた。しかし遊戯が言葉を発するより早く、城之内の場違いな大声が飛んでくる。
「お!見ろー!遊戯のパズルがあそこに展示してあるぜー!」
「エー!ホント!」
城之内の言葉に反応した遊戯は先程の怒りも忘れ城之内の指さす方向を見た。そこには確かに大きなガラスケースに宙づりで展示された遊戯の宝物があった。ケースの前には先程別れた筈の金倉と知らない男性が立っていた。「素晴らしい!」と抑えつつも興奮したような声を発する男はどうやら外国人のようだ。今度は先程のエジプト人ではなく白人の如何にもアメリカ人と言った容姿の男だった。彼の目はケースに飾られた千年パズルに釘付けで勢い余ってガラスケースに手を当てている。そんな男の横で金倉は、嬉々として駆け寄ってくる遊戯たちの存在にいち早く気づき顔を顰めた。
「では商談は閉館十分前に私のオフィスの方で・・・・」
「Mr.金倉、この“千年パズル”素晴らしい・・・お金に糸目はつけません!!」
「ハイハイ兎に角その話はあとでゆっくり・・・・・・」
焦る金倉の様子に気づかない外国人、二人の会話は声量を抑えられていて遊戯たちには届かない。金倉は尚も千年パズルを見たがる外国人の背を押して、遊戯たちに気づかれる前にとその場を去った。
「ガラスケースに入っててかっこいいじゃん!!」
「それじゃここで一枚撮るねー!こっち向いてー、チーズ!」
「バーガー!!」
千年パズルが納められたガラスケースの前でポーズを決めて楽しそうに写真を撮る彼らに背中越しに視線を向ける金倉の思惑を知る者は、彼が背を押すこの外国人しか知らない。遊戯の宝物である千年パズルをこの外国人に売り飛ばし、多額の金を手に入れいくらか遊戯にも金を包んで納得してもらうという企てをする金倉は、立ち場所とポーズを変えてもう一枚写真を撮る遊戯たちの姿に口の端を上げて嘲笑を向けた。
「最後の記念写真か・・・・」
金倉の呟きは、古代の宝物たちの呼吸の中に溶けて消えた。
* * *
「あー楽しかった!」
全てを見終えたハルカたちが美術館の外に出たのは夕日が傾き出した頃だった。赤く色づき出す空を見上げて満足そうに溜息を零す杏子の隣でハルカも大きく頷いた。普段なかなか見ることのできない貴重な古代遺産は神秘的で実に面白かった。更に言えばハルカとしてはこのようなイベントを友人たちと見に来られたことが何よりも楽しかった。美しい、楽しい物事を同じ時間に分かち合える喜びは何物にも代え難いものである。自然とハルカの口元にも笑みが零れる。
「ボクもエジプト行ってみたくなっちゃったぜー!」
伸びをする遊戯の顔にも楽しそうな笑みが見える。遙か遠い異国の地の文化に触れると行ってみたくなるのは誰も同じのようだ。
「ホホ、吉森教授!今日はありがとうございますじゃ!」
「いえ、今度は大学の研究室の方にも遊びに来て下さい。」
朗らかに笑う吉森にハルカたちも感謝を述べる。見学中の彼の解説は、流石大学の教授と言うところか実に分かり易く、遊戯がエジプトに行ってみたいと言ったのも彼の言葉の影響もあるのだろう。
「それでは私は大学の方に戻りますのでこれで・・・」
「さようならー!」
去る吉森の背に全員で手を振って見送ると杏子がくるりとハルカたちを振り返った。
「みんなはどうするの?これから。」
「ボク、閉館時間までここで待ってよーと思う!パズル返してもらってから帰るよ!」
「オレらも帰るわ!」
「ワシも店があるしの・・・」
ハルカがしてきた腕時計を見ると時刻は16時30分と確かにそろそろ帰宅時間である。頃合いは良いだろう。城之内の帰宅宣言に小さく挙手したハルカを見て、杏子はよしと頷いた。
「それじゃここで解散―っ!」
「また明日なー。」
「バイバーイ!」
パズルを受けとらなければいけない遊戯を残してハルカたちはその場から歩き出す。ハルカたちと同じく美術館を満喫した客たちの波に乗って歩くハルカと杏子と双六は近くのバス停へ、城之内と本田は商店街の方を目指す。帰る方向によって自然と二手に分かれたハルカたちも互いに手を振ると、道すがらの話題はやはり先程の発掘展の感想で盛り上がった。
楽しい一日で終わる。実に充実した日曜日。
明日も楽しかった一日の思い出話で盛り上がると、ハルカは信じて疑わなかった。その日の夜、夕飯時のテレビで突然流れたとあるニュースを見るまでは。
「速報です。只今入ってきたニュースです。現在エジプト発掘展が開催されている童実野美術館の館長金倉氏がオフィスで亡くなっているのを発見されました。警察によりますと他殺ではなくショックによる心臓破裂と発表されていますが、検死官の話ではそのような死因は通常あり得ないとされ、更なる調べが進められております・・・・・・」
ファラオの墓を暴いた呪いによるものか、と非現実的な言葉で締めくくられたそのニュースはハルカに衝撃を与えるには十分であった。箸を持つ手は止まり、開いた口をそのままにテレビを凝視する。向かいで同じく食事をしながらテレビを見ていた母親の今日遊びに行った所ではないかという言葉で漸くハッと我に返った。心配そうに娘を見る母親の視線から逃れるようにハルカは慌てて箸を置くと立ち上がる。母親の呼びかけにも応えず真っ直ぐに自室に飛び込んだハルカは美術館に行くときに着たカーディガンを羽織り、ポシェットをひっつかんで肩に掛けた。そうして玄関に向かえば追ってきた母親に行き先を告げる。
今日会ったばかりの人間が突然謎の死を遂げた。信じられなくて受け入れきれなくて、双六と遊戯と話したいと思ったのだ。夜も遅いが知人の訃報ともなれば母親もハルカの外出を許可するしかなかった。
気をつけて行きなさいという見送りの言葉にいってきますと応えたハルカは扉を閉めると一目散に掛けだした。