42.
閉館間際の美術館内は抑えられた明かりでぼんやりと照らされていた。そんな美術館の関係者だけが通れる廊下を、ある男が歩いていた。待ち合わせの時間に合わせて近くの喫茶店で時間を潰していた白人の男である。彼はこの美術館の職員ではない。とある国の美術品コレクターだ。
彼が向かうのは館長室。これから彼にとって大切な商談がある。今回扱われる商品が商品なだけに通路を歩く彼の足取りはとても軽い。辿り着いた館長室の前で立ち止まると、男は意気揚々と声を掛けた。

「Mr.金倉!」

金倉は広い館長室の机に座って手にする黄金のパズルを眺め見ながら気味悪く笑っていた。

「くくく・・・・ワシの資金でファラオの墓が発見され、尚且つ“千年パズル”で一儲けできるとは、ワシはついとる。」

一体この黄金でどれだけの金が手に入るのか、それを想像するだけで金倉の笑みは止まらなかった。そしてすぐに、件の男の声が扉越しに届く。

「Mr.金倉!」
「おお来たな!入ってきたまえー!」

金倉の言葉に扉のノブがゆっくりと回される。金倉は千年パズルを机の隅に置くとにこやかに入ってきた相手を迎えた。のだが。

「・・・む!!」

入ってきたのは白人の男ではなく、白いターバンと白いマントで身を包んだ見知らぬ黒人の男であった。

「な、何者だぁ〜!?貴様は!!」

思ってもみない男の出現に動揺を隠せない金倉は男を指さして声を張り上げた。ここは関係者以外立ち入り禁止であり、館長室に続くひとつ手前の出入り口では警備員が見張っているはず。白人の男は事前に通すように言っておいたがそれ以外の者がここに入ることは許されないのだ。もちろん美術品を展示しているだけあってセキュリティーも万全だ。しかしこの見知らぬ男はここに居り、金倉を光のない瞳で見つめている。正に不審者だ。警備員はどうしたと金倉の視線が意味もなく彷徨う。あの取引相手の男は一体どこに。

「我は3000年の墓守の血族、アヌビスの使徒・・・・・・」
「あ、ア、アヌビスの使徒!?」

流暢な日本語で言われたアヌビスという単語に酷く動揺した金倉の心臓が大きく波打つ。
アヌビスとは、古代エジプトでは“死者の神”と崇められていた神。金に強欲な男でも遺跡発掘に携わった男、すぐに言葉の意味を理解し目を白黒させた。

「お前の汚れた欲望によってまたひとつ、王家の谷(ビハン・エル・ムルク)の神の眠る領域は冒された。よって貴様をこの場で裁く!」

すらすらと述べられた言葉はまるで神話の登場人物である。あまりにも突飛な発言に金倉は男はなにかしらの調査員で自分を脅しにかけていると瞬時に考えた。そう思えばどうということはない、知らぬ存ぜぬと押し通せば良いだけだと安心した金倉は、ソファの背凭れにゆっくりと体重をかけた。

「わ、分かったぞ。お前、エジプト政府の回し者だな!わ、ワシは財宝の密売などしとらんぞーっ!!」

しかし男は金倉の弁解には聞く耳持たず、どんっと机に持っていた天秤を置いた。目の彫刻が真っ直ぐに金倉を見つめており、金倉はぎくりと肩を揺らした。

「死者の書(ブシュコスタシア)第125章“最期の審判”の場面は知っているな。これはその“真理を量る天秤”だ!」

“最期の審判”とは。死者は冥界の王オシリスの前で生前の行いを“魂の裁判”にかけられる。天秤の片方には“真実(マァト)の羽根”を、もう一方には死者の心臓、つまり魂を置かれ罪の裁量を行う。その結果もし“真実の羽根”よりも罪の方が重かった場合、その者は怪物アメミットの餌食となる。丁度遊戯たちが見たパピルスに描かれた、本田の言った“エジプト流閻魔”の事である。この男はこれから金倉にその裁きを行うと言うのだ。全くもって非現実的な話の筈なのに当たり前のように話す男の様子から金倉は冷や汗をかきながら大きく顔を顰めた。

「これからゲームをする!闇のゲームだ!」

ターバンに飾れた白い羽根を手に笑む男。彼は本気だ。

「この天秤の片方の皿には“真実の羽根”を置く。見ての通り今は釣り合った状態だ・・・。」

小さな羽根は殆ど重さがない。故に秤は水平を保っている。

「そしてこれからいくつかの質問をする。もしお前が“真実”を答えぬ場合、もう片方の皿に重さが加わっていく。それはお前の罪の重さなのだ。もしその皿が地面に触れたら・・・死の罰ゲームが待っている。」
「罰ゲーム・・・・・・!!」

何も乗っているはずのないもう片方の皿が、まさか独りでに傾くとでも言うのか。あり得るはずのない説明にも関わらず、頭で分かっていながらこの身体を取り巻く恐怖を確かに感じながら、金倉は唾を飲み込んだ。

「では最初の質問。」

ふわりと立ちこめる黒い霧。それは二人を包み込みゆうらりゆらりと漂っている。闇のゲームの始まりである。

「深い井戸に少女は落ちた・・・。それを見たのはお前だけだ。しかしお前の足下には少女の身につけていた金の指輪が落ちている。・・・・さあ、どうする?」

金倉の心臓がひとつ鼓動を打つ。

「助ける!!その少女を助けますぞ〜〜〜!!!」

揺れて傾いたのは、金倉の“罪”の皿。

「バカな・・・・・ワシは嘘はついとらんぞー!」

独りでに傾いた皿に恐怖する金倉は額からだらだらと冷や汗を流す。肘掛けを掴む手に力がこもり、キュッと嫌な音が響いた。

「では次の質問・・・・、」

* * *

美術館の出入り口前で座り込んで赤から紺になりゆく空を眺めていた遊戯はふと腕時計を確認した。デジタル時計は16:55を表示している。閉館時刻5分前だ。

「よし!そろそろ閉館時間だし・・・パズルを返してもらいに行こーっと!」

立ち上がった遊戯はおしりに着いた僅かな砂を払うと館内に軽い足取りで入っていった。

閑話休題。

秤は既に大きく傾き、ゲームも終盤に差し掛かっていた。もちろん、沈んでいるのは“罪”の皿。

「な、なんで・・・・ワシは嘘ついとらん!!何も乗ってない皿が沈むなんで・・・・なにか仕掛けがあるんだろーがっ!罰ゲームって一体なんだ!」

淡々と進める男の声を遮って金倉は怒鳴り散らす。何か細工があるのがろうと秤に手を伸ばそうとする金倉を止めるように、男は凜とした声で言った。

「よかろう・・・・・最後の質問に行く前に罰ゲームを教えよう。それはお前の心の中にある・・・・・」
「・・・え・・・・」

空気の流れが変わった事に金倉は気づいた。不穏な空気だ。思わず辺りを見渡す。冷たい空気が自分を中心に集まるかのようで寒気がする。いや、金倉を中心にではない。彼の背後だ。

「!!」

ぐじゅぐじゅと不気味な音を立てて黒い肘掛け椅子が溶けていく。と言うよりもぐずぐずに溶けた溶岩が形を変えるように、黒い粘着物は伸び縮みと繰り返して何かを形作っていた。

「い・・・・椅子が姿を変えていく・・・・・・!!」

肘掛けは爪の鋭い四本指の獣の手となり、がしりと金倉の両腕を掴む。そして背面は。

「ひぃぃぃぃぃ!!!!」

じゅるりと生暖かい涎を垂らし大きな鰐口から覗く幾本の牙をぎらつかせた鰐のような生物と姿を変えていた。

「アメミットだ・・・お前の“心の部屋”に住み着いた怪物・・・」

頭は鰐、鬣と上半身が獅子、下半身は河馬の古代エジプトの幻獣アメミット。この獣に魂を喰われたが最後、その魂は二度と転生することができない。つまりこれが本当の死である。

「では最後の質問だが・・・・・・お前は神の領域を冒し、輝きに満ちた宝を金に換え、私腹を肥やしたか?」
「や、やめろ〜〜!!金なら払う!!ハウマッチ〜〜〜!?」

ついに音を立てて“罪”の皿が地面に触れる。怪物に捕らわれ恐怖する男は、命の最期まで嘘で塗り固められていた。正に、“重罪”である。

「お前の“心の部屋”に“真実”はない。あるのは欲望のみ・・・・。よって裁きを受けるが良い。」

男の声が引き金か、アメミットはその大きな口をがばりと開けて金倉の頭に食らいつく。

「ぎゃああああああああああああ!!!!!」

ぐしゃり。べちょ。ばき。
魂の喰われる音が部屋の中で木霊する。男はアメミットに魂を喰われる哀れな罪人の姿を静かな目で見つめていた。

「人は皆“心の部屋”を持っている。私の“千年錠”を使えば“心の部屋”の扉を開けることができる。お前の“心の部屋”は金と欲望の臭気に満ちあふれ、そこは魔物(アメミット)の格好の住処となる。お前はその罪悪によって自らが生み出した幻影に食い殺されたのだ!」

男は羽根をターバンに戻し秤を手に取ると、胸元に光る十字架、“千年錠”を揺らして踵を返そうとした。しかし。

「ム・・・」

視界の端できらりと光った金色に視線を戻す。それは男にとってここに存在することが信じられない代物だった。

(こ、これは、“千年パズル”!!)

男はそのパズルの存在を知っていた。けれどこのパズルは3000年もの間組み上げられたことは一度もないと伝えられていた。それがこのような欲望にまみれた男の傍に無造作に転がっている。しかも組み上がった形で。男は目を見開いた。
このパスルが組み上がったということは、この国に組み上げた者が居ると言うこと。それは勿論金倉のような男であるはずがない。一体誰が解いたと言うのか。

「・・・・・・」

男はその解いた人物を探すため、千年パズルを懐にしまい今度こそ部屋を出た。閉まる扉の向こうでは、金倉が机の上で息絶えていた。

* * *

遊戯は迷子になっていた。

「まったく〜。この美術館、まるで迷路だよ〜。さっきの場所にパズルがなかったから館長さんが持ってる筈なんだけど〜・・・・・・」

事情を説明して再入場した遊戯は館内を走り回っていた。てっきり展示してあったショーケースにあると思っていたのだがそこは既にもぬけの殻。よもや館長がコレクターに密売しようと持ち去ったとは露程にも思わない遊戯はひたすらに館長室を探していたのだが、案内掲示板には展示場所の説明しか書いておらず、関係者以外立ち入り禁止の扉を無断で開けるわけにもいかない。と言うわけで先程から誰か職員は居ないか探しているのだがどこもかしこも同じような展示物があるため自分が今どの辺りに居るのかも分からず迷子になっていた。館内は走ってはいけないことは重々承知だが、この際構ってはいられない。

「ん・・・・・・!」

すると前方から一人の人影がゆらりと現れた。その人物に遊戯は見覚えがあった。ミイラの前で涙を流した謎のエジプト人である。相手も遊戯に気づき歩いていた足を止めた。
漸く見つけた人がまさかエジプト人とは思わなかった遊戯は、迷ったが取り敢えず聴いてみようとおずおずと尋ねてみた。

「あの〜、ここの館長さん見ませんでした?こんな形のパズル・・・返して貰う約束してるんだけど・・・・・・」
「!!」

両手で逆三角を作る遊戯の言葉に男は愕然とした。遊戯の言う“館長が持つ逆三角のパズル”が、今男の懐にある千年パズルを指していることを瞬時に理解したのだ。

「やっぱ知らないよね・・・・・・」

うんともすんとも言わずじっと自分をみつめる男に無言が否定であると思った遊戯は肩を落とした。しかし男は、そんな遊戯の言葉をもう聞いてなどいなかった。

男の一族には不思議な力がある。それは闇の力。先程金倉を裁いた力もそれである。“千年パズル”を解いた者にはこの力が宿ると伝わっている。とすれば今男の目の前に立つ少年にもその力が宿っていると言うこと。であれば、男がしなくてはいけないことはひとつだった。

男は胸元の千年錠を手にすると目を閉じた。この錠を使って確かめるのだ。遊戯の“心の部屋”を。

遊戯の額に錠の先端が宛がわれ、くるりとまるで鍵を開けるように回す。途端男の意識が、遊戯の胸に吸い込まれた。それは男にとっていつもの感覚。けれど目の前に広がった景色は、いつものそれと全く違っていた。

「こ、この少年の心の中には2つの“部屋”がある!!」

通常、心の部屋とは一つの魂に一つしか存在しない。言わば個性を具現化したものが“心の部屋”だ。しかし遊戯にはあるはずのないもうひとつの部屋が心の中に存在していた。部屋と部屋の間にある廊下のような場所に立つ男はそっと一方の部屋を覗いた。開け放たれた扉の向こうはおもちゃが散らばっており、まるで子供部屋だ。そして純真で邪念がない。先程の金倉の“心の部屋”とは真逆の“美しい”部屋だ。恐らくこれが男がさっきまで(一方的ではあるが)会話をしていた少年の部屋であろう。

ではもうひとつの部屋はどうか。黒い鉄の扉は重々しく完全に締め切っている。まるで許可なしに誰も寄せ付けないその扉には男のよく知る目の彫刻が施されている。冷たいその扉を開けるか開けないか、少しの葛藤をする。

「む・・・!!」

突然ギッと重い音を立てて扉が内側から独りでに開いた。そしてその扉の向こうには。

「!!」
「ほー、オレの“部屋”を訪れる奴が居るとはな・・・・。くく・・・入ってこいよ・・・・・勇気があるならな・・・。ゲームが待ってるぜ!」

姿形は先程の少年と瓜二つの、怪しげな少年が立っていた。