マンションを飛び出したハルカは真っすぐに遊戯の家に向かった。日が暮れてカーディガンを着ているとはいえ少しだけ肌寒い。夕飯時のせいかまだ歩道にはたくさんの人が横行しており、ハルカは歩道の隅を難しい顔をしながら歩いた。
然程距離がないためすぐに遊戯の家の前に辿り着いたハルカは、店の扉に掛けられた”CLOSE”の文字にああそうかとドアノブに掛けた手を止めた。店舗であるこの出入口には当然インターホンなんてものはない。つまり鍵の掛けられたこの扉を開けてもらう手段をハルカは持ち合わせていなかった。衝動のまま飛び出したのがいけなかった、とハルカは後ずさると建物を見上げた。電話越しでも済む用事であったし自宅に訪れるのであればアポイントメントをとっておくべきであった。更に言えば明日、学校で会えば必ずこの話題で持ちきりになる筈。そう思ったハルカは仕方がないと踵を返した。
「! ハルカさん?」
「・・・・・・!」
背後で突然開かない筈の扉が開く音がして驚いたハルカはくるりと振り返る。そこには扉を半分開けた状態で顔をひょこりと覗かせた遊戯の姿が。なんてタイミングの良い。
「なにか用だった?」
「・・・・・・」
未だ学ラン姿の遊戯は扉を完全に開けて姿を見せる。その背後で遊戯の祖父が薄手のコートを羽織って隙間からハルカを覗いていた。
「・・・・・・あの、ニュース、見て、」
「あ、ハルカさんも見た?館長さんの事件!」
ハルカの言葉に遊戯が頓狂な声を突然出すものだからハルカは驚いてこくんと小さく頷いて見せた。
「ボク、今からじいちゃんと吉森教授のところに行こうとしてたんだ。きっと教授、発掘の関係者が亡くなって落ち込んでると思うから、元気づけにね。」
「・・・・・・そう、なんだ。」
ハルカは昼に世話になった吉森教授のことを思い出す。優しく人の好い彼なら、確かに遊戯の言う通りきっと酷くショックを受けている筈である。途端に吉森のことが心配になったハルカはそれなら自分もと顔を上げた、その時。
「よう遊戯!」
「ハルカちゃん!」
「あ、杏子!城之内くん!」
ハルカの背後から聞きなれた友人の声がしてハルカは身体ごと振り返った。昼に見たままの恰好の杏子と城之内がこちらに歩いてくる。その表情はどこか戸惑いが見えていた。
「館長さんのニュース見たぜ!」
「さっき会ったばかりじゃない!もうびっくり!!」
突然のことに動揺する二人にハルカも遊戯も頷く。それだけでハルカたちがそのことについて話していたことが二人にも分かったようだった。
「で、遊戯たちはどっか行くところ?おじいさんコート着てるし・・・」
ハルカの後ろに立つ遊戯と双六を見た杏子が首を傾げる。世間話をするにしたって双六まで出入口に姿を見せている事を疑問に思ったのだろう。
「・・・・・・今から、吉森教授のとこ、行くって。」
「なるほど。吉森教授なら事件の詳しいこと知ってるかもな。」
ハルカの言葉に城之内がそうかと納得したように顎に手を宛がう。ハルカと杏子と城之内の様子を見ていた双六はそれならと口を開いた。
「ならみんなで行くかの。」
全員が吉森のことを心配している。ならばいっそ皆で見舞いに行こうという双六の提案にハルカたちは当然のように頷いた。童実野大学ならばバスに乗ればすぐに着くくらいには遠くない。ならば早速と、ハルカたちはバス停に向かうため歩きだした。
「この事件、絶対”呪い”の仕業だぜー?」
「また始まった・・・・・・」
「・・・・・・」
先頭を歩く城之内の深刻そうな様子にハルカの隣を歩く杏子が溜息を零す。ハルカはそれは仕方がないと苦笑いを浮かべる。城之内と杏子の他愛無い言葉のお蔭で、ほんの少しだけ空気が軽くなったような気がした。
「杏子、城之内くん、ハルカさん・・・・・」
すると突然、一番後方で双六の隣を歩いていた遊戯がハルカたちの名前を呼んだ。その小さな声になんだと全員が遊戯を振り返る。遊戯の足は、ぴたりと止まっていた。
「三人は行かない方が良いと思う・・・なんか、そんな感じがする・・・・・・」
「え・・・」
不安そうに眉を下げて言う遊戯に一同きょとんとした顔を見せる。遊戯は自分の曖昧な言葉に不審がられたと思ったのか視線を下げて、それきり黙ってしまった。隣の双六も遊戯を心配して見つめている。ハルカはただ、遊戯のそんな様子をじっと見つめた。
「遊戯、大丈夫よ!城之内が呪いとか言ってビビッてんの心配してくれるのは分かるけど。」
「別に怖がっちゃいねーって!!」
遊戯の突然の言葉に驚きはしたものの遊戯の気遣いだと悟った二人は笑いかけた。
「吉森教授には美術館案内してもらったり世話になったしよー。遊戯と同じで俺らも心配なワケよ!それにあの人、いい人そーじゃん!」
だからなにも心配するなと言外に含めて城之内が笑って見せる。そんな二人の笑顔に、遊戯は「そーだよね!ごめん、変なこと言って」と安心したように笑った。気にせいだと片づけた遊戯たちは再び歩き出す。けれどハルカだけは、その表情を曇らせたままゆっくりと彼らに着いて歩いていた。
遊戯のあれは所謂嫌な予感というものだろう。そういうもの程よく当たるということを、ハルカはよく知っていた。まして遊戯は、本人は気づいていないが千年パズルの"呪い"を受けた者。不思議な力を操るもう一人の遊戯の心を宿す彼が感じた予感とは、果たして無下にできるものなのだろうか。
ハルカはふいと空を見上げた。太陽の光が遠くに行ってしまった夜空は、不安を掻き立てる闇色を溶かしていた。
* * *
童実野大学の考古学研究室内では、一人の男が机に向かい思考していた。組まれた手はまるで何かを願うかのように、閉じた瞼の裏に誰かを思い描くように、眉間には深い皺が寄っている。男の部屋はエジプト考古学に関わる資料や物が所狭しと並んでいる。電気も点けず月灯りだけで照らされた部屋の中、誰かのお土産かツタンカーメンの胸像がぼんやりと浮かんで見えて不気味な空間だった。
男は、吉森は大きくひとつ溜息を吐くと片手を額に当て冷や汗をたらりと流した。脳裏を廻るのはつい数か月前の王墓発掘の様子。地元の人間に漸く協力を得ることができ見つけた王の墓は、彼の夢で溢れていた。歴史が刻まれた壁や石板、それに調度品。ここにエジプトの歴史の一部が詰め込まれている。その感動と言ったらなかった。吉森は手伝ってくれた金倉と喜びの握手を交わす。彼が居なければ、あそこまで辿り着くことはできなかった。大切は友であり、仲間だった。なのに。
「くっ・・・」
突然脳裏に描かれた金倉の変わり果てた姿。
机に伏し目を限界まで見開き閉じる力を失った口はだらしなく開いて短い舌と涎がだらんと流れていた。傍には何かの鳥の羽が落ちていて、果たして何故そのようなものが落ちていたのか未だ分かっていない。けれど美術館の防犯カメラには学生服を着た少年以外不審人物は誰も映ってはおらず、館長室の前では見知らぬ外国人までも心肺停止状態で倒れていたためただの心臓発作にしてはあまりにも不審な現場であった。メディアは王の呪いと謳う。けれど吉森はそんなはずはないと何度も心の中で否定した。呪いなんて非科学的なことがあるわけがない。ならば自分の仕事は一体なんのために存在するのか。歴史を紐解き後世に伝える。そんな夢があり大切な仕事を、してはいけないとでもいうのだろうか。知らないことを知ることが、いけないことだと言うのだろうか。
「!!」
突然、背後で音がした。吉森は慌てて振り返るが、そこは変わらず暗い自分の部屋が存在するだけだ。
「・・・・・・気のせいか・・・」
心臓が五月蠅い。頭では呪いなんてないと分かっていながら、心のどこかで恐怖を感じている。吉森は閉ざされた扉をじっとみつめると、ふいに肩の力を抜いた。大きく長い溜息が零れる。詰めていた息を吐き出すように。
「今日は朝からいろいろあったから、疲れているようだ・・・・・」
身体の向きを正面に戻し、再び目を閉じる。自分に言い聞かせるように呟いた言葉に、漸く落ち着きを少しだけ取り戻す。
「もうすぐ武藤さんがお孫さん達を連れてやって来てくれる・・・今日ほど友人を待ち遠しく思える日はない・・・・・・」
つい先ほど貰った双六からの連絡に、どれほど救われただろうか。一人で居ては、不安と動揺と焦燥に押しつぶされそうだった。こんな時、家族の誰かが傍に居てくれればいいのだが、生憎夫を、父を心配してくれる妻子はここには居ない。遠い土地で、二人で幸せに生きている事だろう。自分のことなど忘れて。だからこそ、双六たちの訪問が嬉しかったのだ。
「・・・・・・」
静寂だけがこの部屋を包み込む。吉森は目の前に張られた大きな窓の向こうに映る暗い校舎を光のない瞳で見つめた。だから、気づいてなどいなかった。背後に迫る白い衣装の男に。
その男、シャーディーは、まるで吉森を親の仇の様に見下していた。シャーディーにとって、吉森は王家の谷の神の領域を冒した罪人だった。王墓を守る者として、暴いたこの男を生かしてくことはできない。金倉と同じく、裁きをかけねばならなかった。
けれど、とシャーディーは胸元に吊るした千年錠を掴む。裁きを与える前に、心の部屋を覗くのだ。金倉は心に怪物を飼いならしていたが、もしも吉森の心に罪の意識の欠片でもあれば、罪の重さも変わるのだ。
シャーディーは音もなく千年錠を吉森に近づけかちゃりと回す。そうして意識はふわりと吉森の”心の部屋”に引きずり込まれる。
すぐに部屋は目の前に現れた。
四角い空間は沢山の本棚と遺跡での出土品で溢れかえっていた。本棚に隙間なくぎっしりと入っているのは考古学に関するものばかり。流石考古学者と言うべきか、心の大半は考古学への固執観念で占められていた。
ぐるりと見渡して部屋の隅に出土品以外のものが転がっているのに気づき、シャーディーはそれを手に取ってみた。それは額に入れられた写真だった。三人の人物が映っており、仲睦まじく笑顔でこちらを見ている様子から家族と伺える。けれどその写真は埃とも砂ともとれるものを大量に被っていて、色も褪せていた。まるで長い年月放置されたようなそれは、この心の持ち主が発掘に取りつかれ家族を蔑ろにしてしまい、それに対する後ろめたさを表しているとシャーディーは推測した。
写真立てを元の場所に戻すと天井を見上げる。全体的にこの部屋は暗く、まるで先ほどの研究室のように薄暗かった。それは現在、吉森が不安と恐怖を感じているという証拠。金倉の死が、吉森の部屋の色調を暗くしていた。
「・・・・・・ン」
けれどその時、傍らから僅かな光を感じた。暗く冷たい部屋に似つかわしくないその暖かな光を、シャーディーは知っていた。希望の光だ。友人の訪れを待つことで安心感を得られた吉森の心に、僅かに光りが灯ったのだ。
シャーディーはけれど吉森が誰を待っているのか知らなかった。目を閉じ、そっと光に触れてみる。するとシャーディーの頭の中に、数人の男女が仲良く歩いている姿が浮かび上がる。
「!!」
シャーディーは驚き思わず目を見開いた。その集団の中に遊戯が混じっていたからだ。
思わぬ再会にシャーディーはほくそ笑む。吉森をうまく利用すれば、遊戯の隠された力を引き出すことができるかもしれないと思ったからだ。吉森を利用するなど、男には造作もないことであった。何しろ彼には人の”心の部屋”を”模様替え”して、シャーディーの操り人形にしてしまうことができるからだ。シャーディーは早速千年錠を握りしめる。操り人形とするならば、この模様しかあるまい。
“玩弄模様(がんろうもよう)”
“人を弄ぶ”使用にした部屋は更に暗さを増す。ぐにゃりと歪んだ”心の部屋”は次第に闇色の靄に飲み込まれ姿を隠してしまった。シャーディーはすぐに”心の部屋”から脱出し、微動だにしない吉森の後ろ姿を眺めた。かちりと固まり姿勢よく椅子に座る吉森はまるで人形のよう。いや、本当にシャーディーの”人形”と化してしまったのだ。
シャーディーはすうと目を細める。ここからがゲームの第二幕となる。