結局その後、城之内が教室に戻ることはなかった。そのまま最後の授業も終わり、帰宅時間になる。本田はさっさと帰ってしまったらしく、彼の席を見た時には既にその姿はなかった。そして遊戯も上の空な様子でのろのろと教室を出ていく。明日支払わなければならないボディガード料のことを考えているのだろう。ハルカはそんな遊戯の後ろ姿を見送ると、鞄を持って図書室に向かった。いつも通り階段を一階分あがり、渡り廊下を歩く。
城之内は一体どこに行ってしまったのだろう。怪我をしているのに、大した治療もしていない。嫌な人ではあるが、ハルカは心配だった。しかし探すにも彼が行きそうなところなどハルカが知る筈もなく。無事に家に帰っていれば良い、そう祈りながら渡り廊下から図書室に続く廊下に出た。その場所を見て、ふと昨日の昼の出来事をハルカは思い出した。
城之内はこの窓から何かを投げ捨てていた。あれは一体どうなったのだろうか。ハルカはなんとなく窓から外を覗いた。
「・・・・・!」
見えたプールに人影があった。沈みかけた夕陽の光を反射して水がオレンジ色に輝いている。染まる水を掻き分けながら、ひとりの男子生徒がプールに浸かっていた。その様子は泳ぐと言うより何かを探しているようで、更に彼は学ランを来たまま入水している。驚くべき光景ではあるが、更にハルカが驚いたのはその人物が誰であるかということ。金髪を濡らし、オレンジの水面に目を凝らすその人は。
「・・・・・・」
ハルカは踵を返し下靴箱に向かった。歩きながら鞄を探れば目的のものが指に触れる。それを引っ張りだし、上履きからローファーに履き替えて校舎裏のプールに向かった。
目的地に着いた時、彼は未だ水面とにらめっこをして潜っては浮かびを繰り返していた。ハルカは入り口から入り、プールサイドに立ってその様子をじっと見つめた。相手はハルカに気づいていないらしく、こちらを向くことはない。鞄を隅に置き、彼が戻ってくるのを待ち続けた。
「・・・・・・っ、あった・・・・!!」
そう声が上がったのは、もうすぐ日が沈みきってしまう頃だった。ハルカはその声に伏せていた顔をあげる。彼は何かを掲げていた。それは美しく輝く、金色のパズルのピースだった。
「・・・・・城之内、くん。」
「!?・・・・・うわぁっ!!・・・ぶっ!!」
バシャンと大きく水しぶきが上がる。ハルカの声に驚いた城之内は足を滑らせ沈んでしまったのだ。まさかの出来事にハルカも驚く。
「ぷはっ!・・・な、彼方!?」
「・・・はやく、上がったほうが、いい。風邪、ひく。」
彼は目を丸くしてこちらを凝視していたが、すぐに気を取り直しこちらに向かって泳いできた。ザバッと豪快な音をたててプールサイドに上がる。見事に濡れ鼠となった城之内の身体からはボタボタと水が滴り、プールサイドに大きな水たまりを作った。学ランが水を含んで重そうだ。城之内は学ランを脱ぎ、プールに向かって絞った。大量の水がプールに貯められた水の元へと帰っていく。ハルカは静かに持っていたハンドタオルを渡した。すると城之内はそれを素直に受け取った。タオルは城之内の髪の水分を吸い取っていくが何分サイズが小さいのであまり拭いきれていない。まだ少しぽたぽたと水が髪から滴っていた。拭き終わる頃を見計らって手を出せば、彼は首を振った。
「洗って返す。」
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったハルカは、少し目を見開いた。それからこくんと頷く。
「お前、いつからそこに居たんだ。」
「・・・・ちょっと、前。」
「ふぅん。」
タオルを絞ってパンッと勢いをつけて広げる。適当に畳んで城之内は自分の鞄にタオルを入れた。
「・・・・聞かねぇのな。」
「・・・・なんとなく、分かってる。」
「 ・・・・・・・・そーか。」
それから二人の間から会話はなくなり、視線を合わせることなくハルカは足元を見た。いつの間にか点いていたプール周りの電灯が二人を照らし、目の前に長い影を作っている。プールの水の色は夜色に変色していた。
「・・・・お前さ、」
「・・・・・・・」
呼ばれて顔を上げれば、城之内は正面を見据えたまま口を開いた。
「遊戯ん家、分かるか。」
少し間をおいてハルカはゆっくり頷いた。それが視界の隅に映ったのか、城之内は踵を返してプールの出口に向かう。
「ちょっと、道案内してくれ。」
その声はどこか清々しかった。彼が今からしようとしていることを、ハルカはなんとなくわかっていた。それは日常の少しの変化。ハルカは自分の頬が緩むのがわかった。きっとこの一瞬で、彼へのイメージが変わったのだ。
ハルカは隅に置いていた鞄を拾い上げ、先を歩く城之内の後を追いかけた。
* * *
昨日遊戯と二人で歩いた道を今度は城之内と二人で歩いていた。昨日と違うのは相手が遊戯ではないことと会話がないこと。とは言えそれが気まずいと言うわけでもない。今の二人に会話は必要ないという、ただそれだけだった。
車や人通りも多い街中を並んで歩く。その歩調はゆっくりとしていて、時々城之内が先を行くがすぐに平行に戻る。ぎこちないながらもハルカの歩調に合わせているのはハルカも気づいていた。身長差があるハルカたちではコンパスの幅も違う。ハルカは気づかれない程度に歩くペースを少しだけ早めた。
暫く歩いていれば直に遊戯の家が見えてきた。もう夜と言っていい時間なのでゲーム屋の文字看板は煌々と光っており、扉の擦りガラスからも中の光が漏れていた。そして店の前では双六が箒で掃除をしている。もうすぐ店仕舞いするのだろう。
「・・・・・・城之内くん、あそこ。」
「ん・・・・?」
ハルカは立ち止まって、先に見えるゲーム屋を指差した。城之内も立ち止まりハルカの指の先を辿って店の方を見た。
「・・・あそこ、武藤くんの、家。」
「ああ、あのゲーム屋が遊戯の家だったのか。」
どうやら店は知っていたらしい。城之内はなるほどと言った顔で店先の双六を見た。
「・・・私、ここで、待ってる。」
「あ、ああ。んじゃぁ、ちょっくら行ってくる。」
そう言って城之内はゲーム屋に向かった。ハルカは人の通行の邪魔にならないように端に寄ると二人の様子を眺めた。二人は何かを話した後、城之内は双六にパズルのピースを手渡した。双六は渡されたピースを見て驚いた顔で城之内を見上げた。すると城之内は頭を下げ、何か言っているようだ。双六が慌てたように彼に頭を上げさせようとしている。恐らく遊戯の怪我について謝っているのだろう。
こんなに人は変わるのか、とハルカは思った。いや、変わったと言うよりあれが本来の城之内の姿なのかもしれない。きっかけは今日の事件。遊戯が必死に身を呈して守ろうとしたその姿を見て、気づいたのだろう。遊戯は“弱虫”ではなく、ただ“優しい”心の持ち主なのだと。
少しして、城之内がこちらに戻ってくる。その表情はスッキリしているようにハルカには見えた。
「遊戯のやつ、怪我について何も話してなかったらしい。」
「・・・・・うん。」
「ちょっと、言ったのまずかったかな。」
「・・・大丈夫、きっと。」
「・・・・そっかな。」
ハルカが笑えば、城之内も照れくさそうに笑った。
「・・・・・その・・・彼方にも、いろいろ迷惑かけたな。悪かった。」
謝る城之内に、しかしハルカはそっと首を横に振った。
「・・・気にして、ない。大丈夫。」
「・・・・・ありがとな。」
笑う彼に今度はこくりと頷いた。ふと城之内の後ろを見れば、双六がこちらを見ているのが分かった。どうやらハルカに気づいたらしい。会釈をすると双六も頭を下げてからにっこり笑い、そして店の中に戻っていった。
「さて、そろそろ帰るか!もう遅いし送るぜ。」
大きく伸びをしてから言う城之内に首を横に振れば、彼は首を傾げた。
「・・・・家、すぐそこ、だから。大丈夫。」
言って今度はゲーム屋の奥のマンションを指差す。少しデジャヴュな気がしてハルカはクスリと笑った。
「なんだ、お前ん家、遊戯の家の近くだったのかよ。」
「・・・・私も、昨日、知った。」
大丈夫だからと笑えば、彼は納得したようで鞄を持ち直して背を向けた。
「じゃぁな、彼方。・・・・また明日。」
「・・・・・!」
少し照れた様に付け加えられた言葉に、ハルカは目を見開く。
「・・・・うん。また、明日。」
そう応えれば彼は後ろ手に手を振って夜の町に消えていった。
(また明日、か。)
ハルカの口元には、柔らかな笑みが浮かべられていた。
* * *
遊戯が帰宅した時、母親も双六もその姿に驚いた。正に満身創痍、絆創膏やガーゼだらけの息子の姿に母親は涙目になりながら理由を尋ねた。しかし遊戯は、まさか暴行を受けた上に金を要求されたなど言えるわけもなく、「転んだ」と無理のある言い訳をして自室に逃げ込んだ。正直なところ、本人にとって傷などどうでもよかった。今遊戯を悩ませているのは金銭問題だ。どう考えても一介の高校生が20万という大金を容易できるはずがなかった。所持金は毎月母から貰う小遣いしかなく、日頃学校の帰りに寄り道をしてしまう彼には貯金も殆どなかった。遊戯は大きく溜息をついて鞄を机の傍に放った。制服から私服に着替えようとしたが、ケガの痛みで苦戦した。やっと着替え終わった頃には夕飯ができたと母に呼ばれ、夕飯を食べてからそのまま風呂に向かう。二度目の着替えと身体を洗う事に苦戦し風呂から出たあと、母にもう一度手当をしてもらい、漸く自室に戻った頃には20時を過ぎていた。
遊戯は取り敢えず部屋に置いてある貯金箱をひっくり返し、鞄に入れていた財布の中身も全て出して数えてみた。
「1656円・・・・」
どう見ても足りないそれに愕然とする。
「あー・・・どうしよう・・・・。20万円だってぇ・・・そんな大金あるワケないじゃないか・・・・。」
大きな独り言は虚しい無音の空間を散漫するだけで状況は何も変わらない。机の上には札と小銭、それから昨日作りかけだったパズルが置かれていた。昨日大分形ができたので、今日は壊れてしまうのも嫌なので机に置いていったのだ。遊戯は頬杖をついて目の前の全財産を眺めた。出てくるのは溜息ばかりだ。
「どうする・・・・・払わなきゃまた痛い目に合うんだぞ・・・」
しかも次は、もっと痛い思いをしなくてはならない。それを思うと、余計に心がずしりと重くなった。とは言えどれだけ考えても解決策が浮かぶことはない。母親や双六に相談すればもしかしたらなんとかしてくれるかもしれないが、こんなことで二人に迷惑をかけたくはないしこれ以上の心配もさせたくはない。遊戯は唸りながら手に触れたものを掴んで弄んだ。
彼にとってそれは無意識の行為だった。手に触れたものを片手にもう片方の手で傍に転がっていたピースを持つ。そしてそれをできかけのパズルにはめようと正解の位置を探り始める。カチャカチャという金属同士のぶつかり合う音に、遊戯はハッとして自分の手元を見た。
「! なんでパズルなんかやってるんだ。そんな場合じゃないのに・・・」
どうやら頭は解決策を模索しながら、気持ちは現実逃避を試みているらしい。遊戯は慌ててパズルから手を離した。けれど。
「・・・・・・・」
少し考えて、遊戯はもう一度パズルに手を伸ばした。
(考えたところで解決策が見つかるわけでもないし・・・・・こうしてパズルを解いていれば少しは気も晴れるかもしれない・・・・・・)
金属音が遊戯の部屋を満たす。遊戯は散らかした財産を隅に寄せ、本格的にパズルと向かい合った。
「あ、うまくはまった・・・そうか、こいつは一旦はめこんだら半回転させればよかったのか・・・・」
何度やっても嵌まらなかった筈のピースがピタリと嵌る。コツを掴めたことに俄然やる気が出てきた。
「そうすればコイツもはまるハズ・・・・」
もう一つの問題のピースを手に取り、先の要領で正解と思しき場所に宛がってみた。
「ホラ!」
するとそのピースもするりと嵌まり固定された。気分は最悪な筈なのに、不思議なくらいスラスラパズルが解けていく。これはもしかしたら、このまま完成させることができるかもしれない。遊戯は高揚して震える手を残り少ないピースに伸ばした。
カチャカチャ、カチャカチャ・・・・・・カチリ。
みるみる嵌るピースに、気持ちは高ぶって行くばかり。そうして気づけば。
(で、で、できた・・・・・!?)
最後のひとつの空洞を残して、パズルはその形を初めて見せた。長年“見たことがなかった”その姿。三角錐のそれは黄金色に輝き、まるでエジプトのピラミッドの様だ。
「最後のパーツをはめこんだら完成だ!!」
緊張と期待で手に汗が滲む。喉もカラカラに渇いてきた。遊戯は最後のピースを嵌めるべく、ピースの入っている箱に手を伸ばした。
「え・・・・!?」
けれど手は空を掴んだだけだった。箱の中にあるはずの最後のピースが何故か姿を消していたのだ。
「ない!最後のパーツがない・・・!!ない・・・・!」
キョロキョロと辺りを見回しても、ピースはどこにも見当たらない。箱をひっくり返しても、机とベッドの間を見ても、布団を引っペがしても、引き出しの中身をひっくり返しても、カバンの中身をぶちまけても、それは出てこない。
そんなはずはない、と遊戯は呆然とした。自分はしっかり管理していたはずだ。昨日杏子とハルカに見せるまで、遊戯は誰にもパズルを見せたことはないし触らせてもいない。箱からピースを出した時も、必ず全部しまったかチェックしていたし、家と学校でしかその箱は出していない。それなのに。
「ないーーーーっっっ!!!」
結局最後のピースが見つかることはなかった。もうすぐ完成するかもしれない、そう期待した分、落胆は大きい。寧ろそれは絶望だった。
(パズルは・・・・パズルは永遠に完成するコトはない。)
そっと“未完成”のパズルを抱える。真ん中にぽっかり空いた空洞が、まるで今の遊戯の心の様だった。完成すれば願いが叶うと信じて今まで諦めずに8年間挑戦してきた。
遊戯がパズルに願ったこと。それは、“親友が欲しい”という願い。どんな時でも裏切らない・・・そして裏切られない“親友”を。ずっとずっと願ってきた。それがやっと叶う。そう思っていたのに。
(もう・・・・どんな願いも届かないんだ!!)
涙が溢れて止まらなかった。もう大金のことも暴力のことも何もかもどうでもよくなった。この先の人生にいいことなんてひとつもない。遊戯は顔を机に伏せて涙を流した。静かな部屋に、今度は彼の微かな嗚咽が響いた。
音も立てず誰かが遊戯の背後に立った。その影はそっと遊戯の背後から机の上を覗く。無造作に置かれた金色の三角錐を見て、その人は驚きの声を上げた。
「ホホーこりゃたまげた!パズルを完成させおったー!」
ついにやり遂げた我が孫に、双六は嬉しそうに笑った。けれど遊戯はそんな双六の明るい声とは対照的に、表情を暗くしたまま双六の方を見ようともしない。
「ううん・・・結局パズルはできなかったんだ、じいちゃん・・・・・・」
涙をパジャマの袖で拭き、自分の手元に目をやる。もう希望なんてものはない。大好きな双六の嬉しそうな笑顔さえも今は疎ましく思えた。
「どれ・・・ホホー・・・」
双六は三角錐に空いた空洞を見て、何かを悟ったように頷いた。
「遊戯・・・・・お前はこの“千年パズル”に8年もずーっと願いをこめていたんじゃろ・・・なぜもっと信じてやらんのじゃ!」
口角を上げてそう励ます双六の言葉に、遊戯は顔を上げた。それは、つまりどういうことだ。
「願いはきっと叶うはずじゃ!」
そう言ってずいっと遊戯の前に差し出された手は拳を握っている。それはまるで何かを握っているように閉ざされていて、遊戯は思わずその拳を凝視した。そして拳はゆっくりと遊戯の目の前で開かれ、煌めく中身が姿を現した。
「あ!!!」
双六の手のひらに現れたもの。それは。
「じ、じいちゃん・・・」
金色の、最後のピース。
「サンキューーッ!!よく見つけてくれたぜー!」
「オイオイ。」
感動のあまり遊戯は双六に抱きつく。双六よりも小さい遊戯を年にも負けずしっかりと受け止める双六。
「遊戯・・・それはワシが見つけたんじゃないゾ・・・」
「え!?」
持ってきてくれたのは双六なのに。遊戯はどういうことかと首を傾げた。双六曰く、誰かが店にやってきて、このピースを渡して欲しいと頼んだらしい。その人は雨も降っていないのに髪や服を濡らしていて、おまけに傷だらけだったようだ。遊戯はそれを聞いて、それが誰かはピンと来なかったがすごく親切な人が見つけてくれたということは確かなようで、心の中でお礼を言った。
双六は最後のピースを見つめる孫の背中をじっと見つめた。事情は城之内から聞いていた。双六はポケットから茶封筒を取り出し、そっとそれを遊戯の学生鞄に入れた。封筒の中身は遊戯を救うための金。誰にも相談せず、ひとり苦しんでいた孫を救えるのならば、双六にとって20万など安いものだった。喜ぶ遊戯を見て双六は微笑んだ。
「おやすみ、遊戯!」
「ありがとーじいちゃん。おやすみ。」
そうして双六は遊戯の部屋を後にした。“千年パズル”を完成させ、希望を得た孫の幸せを祈りながら。
遊戯はパズルと再び向き合った。
最後のピースは、今自分の手の中にある。これさえ嵌めればパズルは完成、そして願いが叶う。遊戯はドキドキしながら、最後のピースを三角錐の空洞に近づけた。そっとそれを空洞に宛がい、押し込む。カチッと小気味のいい音が遊戯の部屋に響いた。そのとき。
眩い光が、千年パズルに彫られた目の紋章から溢れた。その光は蛍光灯の反射でも月の光でもなく、パズル自体から光が噴出していた。そしてパズルは目の紋章の形に光を浮かび上がらせ、遊戯の額に近づいて行く。それが額に触れたとき、まるで彼をその目で捕らえるかの様に強烈に光を放ち、それに飲まれた遊戯は意識を手放したのだった。