闇の扉が開かれる。そして、開いた者には罰を。
「運命の罰ゲーム!!!【GREED‐欲望の幻想‐】!!」
自身に眠る闇の力が千年パズルを通して放出されるのを感じながら、遊戯は敗者・牛尾の姿を見つめていた。今の牛尾の瞳には彼の欲望しか映されていない。それが虚像であることを知らないまま、彼は幸福感に浸る。それはなんと滑稽なことだろう、と遊戯は思った。
もう彼はその“幸福”から抜け出せない。現実なんて見えない。今まで築いてきた全てが壊れようとも、その虚像に縋るのだろう。
「金に目がくらむなんて言葉があるけど・・・・・もうあんたの眼には“欲望の虚像”しか映らないぜ!ま、強欲な君にとってはまさにハッピーエンド!フフ・・・・・」
少し散らかった紙幣を集めて制服のポケットに突っ込みながら、遊戯は牛尾の横を通り過ぎる。もうこの男に金を払う必要なんてない。そうしてこの場所から去ろうと歩を進めれば、正門近くに誰かが居ることに遊戯は気づいた。
(誰だ。)
遊戯はその人物が何者か見定めるように目を細めた。何しろ彼にとってこの事態は有り得ないことだった。常人ではこの“闇”に入る事は不可能。入る事を許された人以外はすぐに心が“闇”に喰われる。同じ闇の力を持たない限り侵入することは決して許されないのだ。だというのに、人が居る。
正門近くで呆然と佇むそれは女。外に出るには不向きな格好をしている。長い黒髪は濡れており、着ているのはどう見ても寝巻きだ。足元を見れば何も履いていない裸足。そして彼女の身体は・・・透けていた。まるで幽霊のように、そこに佇む彼女は、眼鏡の奥の瞳を揺るがせ遊戯の方を見ていた。
(幽体・・・いや、)
何かが違う。直感的に遊戯はそう思った。彼女は生きた人間だ。そして、この闇の世界に入り込むことができる力を持つ者。それは遊戯の気を引くには十分の要素を持つ女。見ているとゲームで昂った遊戯の心がやんわりと落ち着きを取り戻していくのを感じた。
それは不思議な感覚だった。初めて見(まみ)えたはずなのに、どこかホッとする存在。黒く、透き通った瞳から目が離せなかった。
(この瞳に見つめられることを、オレは長い間望んでいた。)
そんな気がする。
「・・・・・お前・・・」
(何者なんだ。)
吸い寄せられるように彼女に近づく。一歩、また一歩と歩を進めれば、その分彼女との距離が縮む。彼女が顔を伏せた。濡れた黒髪が、その表情を隠した。
すぐに手を伸ばせば触れられる距離まで近づいた。彼女は決して動くことなくそこに立っていた。じっと見つめれば、遊戯のその視線に気づいたのか、女の顔があげる。再び交わる視線。
安心する瞳。黒曜石が、遊戯の眼を離させない。しかし反して、彼女はどこか怯えている様子だった。眉根を寄せ、目をやや細めて眦を下げている。
そんな顔するな。
無意識に伸ばした手はゆっくりと彼女の頬を目指す。それはスローモーションのようだった。本当にゆっくりと、遊戯の手が女に触れようとしているのが視界に映る。
(もう少し。)
やがてその頬に遊戯の手が触れた。―――と、思ったのだが、その手が触れたのは空気。はっと気づけば、女は遊戯の前から姿を消していた。伸ばされた手に月明かりが降り注ぐ。手のひらを返して、何も触れることのできなかった手を遊戯は見つめた。
彼女は誰だったのだろうか。何度と過るその疑問にきゅっと拳を握る。そうして思い出す。ああそうだ、彼女は“自分”のクラスメートだ、と。儚く微笑むあの顔が遊戯の脳裏に思い出される。
(不思議な女。)
心の中でつぶやいて、そうして漸く遊戯はその場を後にした。
闇が晴れると、そこはいつもの世界。夜でも音と光に溢れた世界。帰ろう。すべては終わった。
もう、悩むことはない。
ゆっくり休め、もうひとりの“オレ”よ・・・・・・。
* * *
「おい遊戯!あの映像、結局テレビに流れてたぜ!」
「う、うん。母さんとじいちゃんにすごく驚かれたよ・・・・・それでテレビ局に電話したんだけど、なんか担当ディレクターが出てくれなくてさ・・・・」
「あ、それ私も見た!なんなのあれ!遊戯、いつやられたのよ!」
「えっと、この間・・・?」
「くっそー!やっぱ殴り込みか!?」
「それはやめておいた方がいいと思うけど・・・・」
「けどよーっ!オレの腹の虫が収まらねーぜ!この前はちょっっっと油断しちまったが、借りはきっちり返してやる!」
「城之内!許せないのはわかるけど、暴力は駄目!」
「それに学校側がそのテレビ局に抗議して、そのディレクター、クビにはならなかったけど暫く謹慎ってことになったみたいだし。もうボクは気にしてないよ。」
「けどよー・・・・・・」
「気持ちだけ受け取っとくよ。ありがとう、城之内くん。・・・・・・・でもね、ひとつ気になることがあるんだ。」
「なにかあったの?」
「うーん、なんかね、そのディレクター、謹慎処分にはなったみたいなんだけど、母さんが電話した時にディレクターは出勤できる状態じゃなくなってるって聞いたんだって。」
「はぁ?なんだそりゃ。」
「わかんない。謹慎なら出勤しないのは分かるけど、できない状態ってのはおかしい表現だよね。」
「うーん・・・・」
「なぁ、ハルカ、お前どう思う?」
「・・・・・・っ」
ハルカは口に含んだ米を咀嚼し飲み込みながら今の状況に必死に慣れようとしていた。と言うのも普段図書室で昼食を取るハルカは図書室に勤務する司書以外とは昼食を共にしたことはないのだが、今目の前には遊戯と城之内、そして杏子がハルカの席の周りの空いている席に座して会話を楽しんでいるのだ。
「・・・・・わからない。別に、深く考える、必要、ないと、思う。そんな情報、流す方が、おかしい。」
「まぁそうだけどなー。」
「そうだよね。そんな気にすることでもないか。」
「ちょっと引っかかるけどね。」
「・・・・・・・」
ハルカの言葉に素直に頷きこの話題は終わったらしい。3人は次いで今度行われる英語の小テストについて会話し始めた。このような状況はハルカの記憶では恐らく2日前から始まったことだった。昼休みに入ると図書室に向かおうとしていたハルカに杏子が声を掛けてきたのが始まり。そしてもっと言うなれば、昼休み以外でもハルカに絡むようになったのは牛尾との事件以来だろう。
迷惑はしていない。図書室に入り浸るようなハルカだが賑やかなのは嫌いではない。どちらかといえば、静かな場所が好きというだけであって、よって遊戯たちが目の前で騒ごうと気にするつもりはない。しかしいつの間にか学校生活で見かける所謂“仲良しグループ”の一員のように扱われていることに戸惑いを感じているのだ。
遊戯と城之内が仲良くなったのはやはり牛尾の事件がきっかけ。そして元々遊戯と幼馴染という関係の杏子が遊戯つながりで城之内と仲を深めるようになったのは、ハルカもなんとなく理解できた。とは言えそんな彼らの中に自分が果たして介入して良いものなのだろうかと、人付き合いが下手なハルカは戸惑っているのだ。
「ハルカさん、何かあったの?」
慣れない状況にそわそわするハルカを心配そうに遊戯が声を掛ける。遊戯の“ハルカさん”呼び(武藤くんは何故か"さん"をつけたがる。)にもまだ慣れを感じないハルカは、苦笑いをしながら首を横に振った。
「・・・・・・・なんでも、ない。」
「そう?それならいいけど。何かあったなら相談してね!ボクじゃ頼りないかもしれないけど、話聞くくらいならできるからさ!」
にこりと笑いかけてくれる遊戯の優しさがこそばゆい。
「・・・・ありがとう。」
「気にしないで、友達なんだから!」
どうやらハルカにも、漸く友達と呼べる人ができたようだった。
* * *
春の昼休み後の授業ほど眠くなる時間はない。
満腹感が身体を満たし、風通しを良くする開けられた窓からは清々しい空気が運びこまれ、温かな陽光が教室内を照らしポカポカと生徒たちの身体を暖める。同時に、耳に入ってくるのは男性教師の子守唄のような朗読する声。低い声は心地よく鼓膜を打ち、思考回路が曖昧になった頭では運ばれる言語にフィルターがかかり、上手く処理されずに右から左へ流れていく。教室内は非常に静かで、教師の声以外で聞こえる音といえば、窓の外から漏れてくる電車の走る音と、誰かの寝息くらいだった。
喧嘩の多い学校ではあるが、こういった非常に平和な時間もある。いくら大柄で喧嘩っ早い人でも、眠くなる全ての条件が揃ったこの状況には勝てないだろう。そしてハルカも絶賛壮大な眠気と格闘中だった。昨夜もいつも通り早い時間に眠ったはずのハルカだが、「春眠暁を覚えず」とはよく言ったものだ、この陽光は簡単に眠気と言うものを作ってしまうらしい。
朗読をしていた教師も欠伸を噛み殺している。もういっそのこと、この時間は学校全体で昼寝の時間にしてしまえば良いとさえ思った。そうすれば、脳が活性化され学校の偏差値も上がるのではないだろうか。
なんて考えていると瞼同士がくっつきそうになり慌てて目に力を入れる。しかし直ぐに疲れてしまい、くぁっと欠伸ひとつ。沢山の酸素が肺一杯に取り込まれる。目の端に溜まった涙を無造作に指で拭って、気分転換にと視線だけ自分の周りに廻らせた。
クラスの大半が視線を下に向けているのが分かった。中には机に伏せて完全におやすみモードの人もいる。少しハルカの席から離れたところに居る城之内もその一人で、大きく上下する肩が完全に彼が眠っているのを物語っている。そして眠る城之内の斜め前に座る遊戯は頬杖をつきながら舟を漕いでいた。危なっかしくカクンカクンと揺れる頭。倒れかけては戻しを繰り返していていずれ机に盛大な“こんにちは”をしてしまうそうだ。
観察しているうちに眠気が旅立ってしまったハルカの目は今や完全に開いている。対して前のめりになる遊戯の目は閉じられている。意識の半分が夢の世界に行っているようだ。ゆっくり、ゆっくりと遊戯は前のめりになっていき、やがて。
ゴンッ
「いっ・・・・」
予想していた通りの音に思わす口の端が上がる。結局遊戯は見事、机に向けて深く頭を下げてしまった。小さめな、しかし痛そうな音に微睡んでいた生徒たちが身動ぎしたのが分かった。額を押さえきょろきょろと周りを見る遊戯はどうやら目が覚めたらしい。誰かに見られたのではと思ったのだろう、その頬は少し赤い。
(ごめん、武藤くん。一部始終見てた。)
ハルカが心の中で謝っているとパチリと遊戯と目が合った。もともと大きな彼の瞳が更に大きくなり、同時に頬の紅潮は更に増していく。口をパクパクし恥ずかしがる遊戯の様子に、少しだけ罪悪感が湧く。
(大丈夫?)
ハルカは自分の額を指差して、口パクでそう問うた。遊戯は顔を赤らめたまま首を傾げたが直ぐにハルカが言いたいことに気付いたらしい、コクコクと何度も頷いた。ハルカはそれに対して「良かった」とにこりと笑い返す。そして黒板に視線を戻せば教師が板書を始めていた。それをさらさらとノートに書き込む。気持ちは軽く、眠気なんてどこへやら。その後の授業も、気持ちよく受けることができたのだった。
牛尾の事件以来変わったのは昼休みだけではなかった。下校時間が早くなったのだ。
と言っても早退するわけではなく、放課後図書室に直行して勉強に勤しむ習慣が、遊戯たちとの寄り道をしながらの帰宅にすり替わったのだ。少々生活リズムが変わってしまったが、勉強できなかった分は家に帰ってからしっかり予習復習をしているので困ることはなかった。あまりゲームセンターやファーストフード店に行ったことがないハルカを、遊戯たちは嬉々として連れて行った。一昨日初めて4人で帰宅する際もゲームセンターに寄った後、遊戯の提案によりハンバーガーショップに寄った。ハンバーガーショップなんて最後に行ってから数年経っているハルカには流行りのメニューなんてものは当然分からなかったので、遊戯がハルカに合わせたお勧めを教えていた。どうやら彼は、ハンバーガーが好物らしい。結構頻繁に食べるようだが、そんなに太っていない遊戯を見るとハルカは少し嫉妬した。
そして今日も別のハンバーガーショップに向かう4人だが、今日はカロリーを考えた店らしく、女性に人気だと杏子がハルカに説明した。
「ハルカちゃんって、あんまりご飯食べないわよね。」
窓際の席に4人で座り、注文した少々小ぶりのハンバーガーをちびちびと齧るハルカを見て杏子が言った。
「・・・・そう、かな。」
「あ、それ、ボクも思った。」
「もうちょっと食べたほうがいいと思うよ?」
なんか心配になっちゃう、と杏子はストローを咥えた。言われてハルカはちらりと並べられたトレーの上を見る。向かいに座る杏子はセットを頼んだらしく、ハンバーガーにサラダとドリンクが置いてあった。その隣の遊戯のトレーにはセットにプラスしてナゲット。城之内に至ってはセットに大きなハンバーガー1つが追加されている。そしてハルカの手元にはSサイズのドリンクと手に持った小さめのハンバーガー1つ。明らかに量に差があるがハルカにとっては充分の量だった。
勉強したときは糖分摂取を目的に飴を舐めることもあるが、基本あまりお腹がすくことはないハルカ。だから朝も昼も夜もハルカの食べる量は一般的なそれと比べて少なめだった。
「少食なの?」
遊戯の言葉にまじまじと自分のトレーの上を見ていたハルカはコクリと頷いた。
「だからそんなに細いのねー。うらやましー。私どうしても食べちゃうから最近ちょっと太ってきたのよねー。」
その言葉にハルカは杏子のプロポーション抜群の身体を上から下まで見る。ハルカとしては出るとこ出ている杏子の容姿の方が羨ましい。
「そーいやーちょっとふっくらしてきたよなー。杏子、そろそろダイエットしたらどうだ?」
ニヤニヤと笑う城之内の額にチョップが入りハルカの隣で机に突っ伏した。
「まぁ足りてるならいいんだけどさ。あんまり無理とかしないでね。」
「・・・・うん、ありがとう。」
(帰ったらお母さんにお昼もうちょっとだけ増やしてって頼んでみよう。)
そんなことを考えながら、ハルカはまた一口ハンバーガーを齧った。
「あれ?」
店を出てから少し歩いたところで杏子が声を上げた。それに振り返れば、杏子が歩きながらも何かに視線を向けていた。
「どうしたの?杏子。」
「ううん、あそこ、なんか新しい店立つんだね。」
そう言われて杏子が指さす方を見やれば、なるほど建設途中の建物が見えた。もう外観はほとんど出来上がっているようで、建物を囲うシートもあまり見当たらない。もう夕方なので工事は中断されていた。
「ああ、そうそう。ここに新しいバーガーショップができるんだって!」
遊戯が嬉々として杏子に言った。流石ハンバーガーショップの情報だけあって早い。
「あ、ホントだ。バーガーワールドだって。」
杏子が建物の近くに立てられた建設物の説明看板を覗く。ハルカもそれに倣って覗いてみれば、確かに“バーガーワールド”と書かれていた。
「完成したら、絶対行こうぜー!」
嬉しそうに言う遊戯に杏子は「はいはい。」と答えて看板から離れた。ハルカは建設途中の建物を見上げた。大きな看板に掛けられた布越しに、ハンバーガーのキャラクターらしきものがうっすらと見えた。
「ハルカーっ!置いてくぞーっ!!」
「!」
慌てて振り返れば、少し離れたところに3人が居てこちらを振り返っている。ハルカは慌ててその場から離れ、彼らのもとに掛けていった。