『試合開始には間に合わないかも。お弁当は無理そう。スポドリと蜂蜜レモンは間に合わせるから』 蛭魔は先ほど空から届いたメールを見ながら小さく舌打ちすると、姉崎が持って来たおにぎりをかじった。 家の手伝いの用事がギリギリでねじ込まれてしまった空は、蛭魔達選手とは同行出来ずに遅れてくる事になった。 『急げ』と短い返信をすると、あとで罰だなと恐ろしい事を考えながら、食事を終えて自分の足元に戻って来たケルベロスを見下ろす。 「まだ来れねーってよ」 狂犬の耳が微かに下がったのを見て、蛭魔は鼻を鳴らした。 自分と似たような反応しやがってと、呆れながら蛭魔は指先についた米粒を口に押し込むと立ち上がった。 見渡した会場には、王城の桜庭目当てのマスコミとファンを抜きにしたら、ほとんどアメフトに興味がある奴など残らないような会場だ。 その中に、さらに面倒臭い集団を見つけて蛭魔は目を眇める。 関東の強豪・神龍寺ナーガが、おそらく王城の進の偵察だろうが来ている。 ダサい色の胴着を珍しく身に纏う見知ったドレッド頭の男を睨んだ後、蛭魔は視線を選手達に向けた。 今の敵は奴ではない。いつかはあの天才を名乗る男を潰してやりたいという気持ちに代わりはないが。 「いいか、テメーら!」 肩に抱えていた銃器を人口芝の地面に叩き付け蛭魔が吠えた。 試合までのこの短い時間で、ど素人達に今回の作戦を教え込まなきゃいけない。 蛭魔の声に思わず背筋を伸ばす助っ人集団に、栗田は荒れてるなぁと呟いた。 「空ちゃん、来てないもんね」 「えっと……誰ですか?」 思わず呟いた独り言に隣にいた後輩が首を傾げたものだから、栗田は「そういえばまだ会ったことなかったよね」と言った。 「空ちゃんはね、姉崎さんが来る前からアメフト部のお手伝いをしてくれてる子なんだけど。 僕達が一年の頃から応援してくれてるんだー!」 「部員、なんですか?」 「ううん、ヒル魔が二年かけて勧誘してるけど未だにダメみたい」 所属はしてくれないけどやる事はしてくれるから栗田は彼女に感謝している。 「いつも試合も見に来てくれるんだけど、前は用事があったらしいし。 でも、今回は遅れるけど来てくれるらしいから会えると思うよ」 「でででも、ヒル魔さんも言う事聞かせられないって、凄い人なんじゃ…」 ビビり症の後輩の言葉に栗田はいやいやと首を振る。 「ヒル魔はね、空ちゃんを──」 「話聞いてんのか、糞デブ!」 「ヒィ!」 銃を乱射され悲鳴をあげたセナに舌打ちすると、蛭魔は試合開始を告げる合図に顔を上げた。 そろそろ、“アイシールド21”に着替えて貰うかともう一度ビビりの後輩を見れば、その姿は忽然と消えており蛭魔は目を見開いた。 「……おい、あの糞チビどこ行きやがった!」 「ファ……チビって何よ!」 蛭魔のスラングに目を見開いた姉崎がその声に負けないぐらいに返しながら、もうと小さく呟いて自分の携帯を見せ付けるように蛭魔に突き出す。 「セナなら、ビデオテープを買いに行きました! サボってるみたいに言わないで!」 カワイイ幼なじみがこのアメフト部で主務をしていると思いこんでいる姉崎を無視して、蛭魔はギリギリと歯噛みした。 「逃げやがったな〜!」 「え〜!?」 地を這うような蛭魔の声に栗田の気弱な悲鳴が続く。 蛭魔は拗ねて檻に戻っていたケルベロスを呼びながら、『逃走した人間に対する追跡用』に採取していた髪の毛と骨をケルベロスの鼻先に突き付けた。 匂いをケルベロスが確かめたのを確認してから、蛭魔は大きな斧を振り上げケルベロスを繋ぐ三本の鎖に向けて振り下ろす。 「喰ってこい!」 ジャギンっと鎖が切れた音と共に、狂犬らしい吠え声を残しケルベロスが走り出す。 そうして、それほど離れていない場所から聞こえた悲鳴に、蛭魔は案外遠くまで逃げてなかったようだと目を細めた。 だがしかし、なかなか戻って来ないケルベロスに苛々と蛭魔は悲鳴の場所に歩き出す。 角を曲がってそこにいた人物に、蛭魔は目を見開いた。 「あ、ヒル魔」 両手に荷物を抱え、足元にじゃれつくケルベロスを困ったように見下ろしていた空が蛭魔に気付いて振り返る。 そしてその傍で壁にへばり付くような後輩の格好に蛭魔はさらに目を見開いた──アメフトのユニフォームに着替えた彼は逃げたわけではなかったようだ。 「ヒル魔ー、ケルベロスを一旦離してくれない? これじゃあ動けない」 「──ったく、テメー命令忘れてんじゃねーよ」 ご褒美の骨を少し離れた所に向かって投げれば、食い気が勝る狂犬は直ぐさま空から離れる。 それを見送ってから空はもう一度蛭魔を見上げた。 「遅れてごめん、試合始まってないよね?」 「ギリギリだな」 両手に抱えられたスポドリのタンクを受け取りながら、蛭魔はアイシールドをつけたチビを顎でさす。 「空、あいつが新しいRBだ。覚えておけ」 「え、あぁ……、二年の東原です。よろしく」 蛭魔に荷物を持って貰ったおかげで空いた手を差し出した空にセナはびくびくしながらその手を握り返した。 「ちなみに糞マネには正体は秘密だ。バラすなよ」 「えぇ?なんで姉崎さんには秘密なの?」 「危ないから辞めろだの喚き出すだろ」 スポドリのタンクを持ってさっさと歩き出した蛭魔の後ろで、空の「あぁ…」となんとも言えない納得したような呟きが落ちた。 「あ、あの東原さんは、僕の正体を知ってるんですか?」 「うん、ヒル魔から名前だけは聞いてたよ。会うのは初めてだね」 そう穏やかに言いながら凛とした表情は、幼なじみの姉崎と違いクールなイメージを覚えてセナは「はぁ」と曖昧に返した。 恐ろしい先輩である蛭魔と対等に話すこの先輩もまたセナにとっては恐怖の対象になりかけていた。 先を歩く蛭魔はスポドリをベンチに置くと、空の方を振り返った。 「糞マネがいるから、テメーはそれほど動かなくてもいいがな、進が出たらタックル受けた奴は診ておけ。 使えるようなら出すし、駄目なら代わりを使う」 「清十郎君、また強くなったみたいだよ。体がまた一段と鍛えて来てたし」 荷物を同じようにベンチに置きながら言った空の言葉に蛭魔は眉を跳ね上げた。 「テメー……王城にまた仕事しに行ったのか?」 「みどりさん、忙しかったからね。最近は学校関係は私が行ってるよ」 「なら、情報を流せ」 「無理、店の信用問題に関わる」 「マネージャー」 「やりません」 テキパキと持って来た荷物を広げながら空と蛭魔はテンポよく言葉を交わしていく。 ふと、顔を上げた空はベンチに座ってこちらを唖然とした様子で見ていた姉崎に気付き、あっと目を見開いてから横目で蛭魔を睨む。 「空」 「何」 「糞マネにフォメーションの記入の仕方を教えろ」 「姉崎さんなら……」 「頭のデキがよくても素人だ、あと前との選手の能力差記入しとけ」 はいはいと軽く返事を返した空に、返事は一回だと言いながら蛭魔はフィールドで選手達に集合をかける。 空はため息を一つ吐いてから作業を続けた。 「あの…さ。東原さん?」 「はい?」 「蛭魔君とは、どういう関係なの……?」 おそらくこの場の誰もが思ったであろう事に、空は不思議そうに首を傾げた。 「え、クラスメート…だけど」 嘘つけと誰もが思った。 二人の雰囲気は、ただのクラスメートのものではなく。 熟年夫婦のそれだった。 >5