「おい、起きろ」 昨日試合を終えて疲れているはずの男を見上げながら、それよりも遅く起きるってなんだろうと空は、まだ重い瞼でもったりとした瞬きをする。 「はよ…」 なんとか音にした挨拶の言葉はほとんど掠れていた。 「あぁ、飯出来たって」 「んー」 「俺、先に出るぞ」 布団と友達になりたがる体を起こして寝癖でボサボサな頭も気にせず、ぼーっと蛭魔が制服を着る後ろ姿を見つめる。 というか、この部屋の主であるはずなのに、ベッドで寝るのが久々な気がする。ま、寝袋の寝心地は嫌いではないが。 「早い…ね」 「あー、部室の改装するからな」 「………たけくら君くるの?」 「あぁ、仕事回してやんねーとな」 ケケケと何時ものように笑う背中がいつもより淋しく見えて空はゆっくりと瞬きをする。 彼については仕方がないとは言えひどく悲しい事だ。 「あれ……そういや、ヒル魔、昨日どこで寝たの?」 「床、テメーの寝袋小せぇのな」 「……ごめん」 やっぱり寝袋だったか*と思わず額に手を当てると、蛭魔が難しい顔で黙り込んだ。 不思議に思って顔をあげると、ふいっと顔ごと視線が逸らされる。 「……むしろ、女の部屋に居座ってる俺が問題だろ」 「それは別にいいんじゃないかな」 「──……」 キョトンとした顔でこちらを振り返った蛭魔には気付かずに。 そういや、何時からだったかなと蛭魔とほぼ同居になっているのだろうかと、寝ぼけた頭で考えてみるがよく思い出せない。それぐらいに日常に馴染んでいるのだ。 「ヒル魔といるの、嫌じゃないし」 「………そうか」 「うん」 ただ申し訳ないのが物がないこの部屋にあるこの小さなベッドか床しかないのは身長のある彼には辛かろう。 こうやって居候同然になる前までは、脅迫手帳に収録済みのビジネスホテルにいたらしいのだから、不便もあるだろうと思う。 それでもここに帰って来てくれる事に自惚れを感じながら、ならば居心地のよい帰る場所を提供したいと思うのだ。 「懸賞に、ベッドなかったかなー……」 買うよりは彼も気を使ったりしないからいいだろうと考え、自分のくじ運のよさを頼って買う懸賞の本の中身を思い出す。 「それ、ダブルベッドにしとけ」 「? なんで……?」 「なぁ、空」 ベッドの脇にしゃがみ込んだ蛭魔の真っ直ぐな視線を寝ぼけ眼で受けながら、その真剣な表情に首を傾げる。 「俺達、いい加減にはっきりさせようじゃねーか」 「──うん?」 寝ぼけたままの頭で一瞬言葉の意味が飲み込めずマヌケた声で返事をしてしまった。 「付き合わねーか」 どこに?という不粋な質問は出来ないような雰囲気の蛭魔に微かに目を見開く。 「ヒル魔……」 「別に、付き合ったとしても、今までとなんか変わるとは思わねーけど。 言葉した方がお前でもわかるだろ、俺の気持ち」 「は──……?」 「俺だって、男だ」 ぐっと距離を詰めた近付いた蛭魔の唇が自分のそれが微かに触れて離れる。 「テメーにこうする事が出来る、存在になりてーんだが?」 「──……」 「返事は?」 「うん……」 「どっちの意味だよ」 「私も……ヒル魔の帰る場所になれるなら、いいよ」 微かに目を見開いた後、珍しく蛭魔が柔らかく笑って寝癖に乱れた頭をくしゃりと撫ぜた。 そうして唇に軽く自分のそれを押し当てるとすくりと立ち上がった。 「早く用意しねーと遅刻すんぞ」 「……うん」 柔らかい感触の残る唇に触れながら、部屋を出ていこうとする背中を見送る。 閉まり行くドアの隙間から見えた彼の耳が赤かったのは見間違いではなかっただろう。 ぱたんと閉まったドアと同時に、空はぼふりと布団に沈み込んだ。 じわじわと眠気が覚めていくと逆にかっかと頬が熱くなっていく──夢ではないのだろうか。抓った頬はきちんと痛い。 案外呆気なく、今までの怠惰な関係がようやくきちんとした形になった。なってしまった。 ま、らしいといえばらしい、色気もくそもない告白だと思う。 無意識に緩んだ口元が弧を描いた。 だらだらと続いたクラスメート以上恋人未満の関係が終わり、新しく恋人という関係が始まる。 ま、彼の言う通り何かが変わるとは思えないが。 新しい日が始まる。 「空ー」 昼休みの賑やかな教室で、自分を呼び声に空は顔をあげた。 「まもり」 「一緒にお昼食べない?」 まりもが掲げた弁当箱に「うん」と頷いて、空は机に広げていた雑誌とお弁当をずらして彼女のスペースを空けた。 「何、読んでたの?」 「懸賞の雑誌。私、よく当たるんだ」 「へぇ、いいなぁ」 「“ROCKET BEAR”の商品もあるよ、送っとこうか?」 「え、ほんと?どれどれ」 見送ったページを戻しながら彼女が好んでいるブランドを指せば、欲しいようなので送っておこう。 「くじ運とかいいの、羨ましいな」 「お小遣い減らないのは確かに良いことかな」 弁当箱を広げながら笑うまもりに、笑い返しながら自分のオカズを口に入れる。 お金はと尋ねられたのでいらないよと答えれば、「じゃあ報酬!」と言われて渡されただし巻き卵のがだいぶ高上がりなくらい美味しかった。ふわっふわだった、今度作り方を教えてもらおう。 「空は、今何を狙ってるの?」 「んー、ベッド」 大きいの、と言えばまもりは不思議そうな顔をした。 「壊れちゃったの?」 「いや、シングルだと二人で寝るのに狭いから」 「え?」 「ん?」 ぽかんとした顔のまもりに首を傾げる。 いつのまにか、教室の雑音も途絶えていた。 「ん?」 その様子を見渡して小首を傾げていると、タイミングよくガラリと教室のドアを開けてやって来た蛭魔に殊更教室は静まり返る。 蛭魔はつかつかと、空が座る席までやって来た。 空の机の横に立つと、一緒に食べている相手が姉崎と気づいてか微かに片眉をはね上げたが特に何も言わず「唐揚げ」とだけ呟く。 「ん、それで?どうしたの」 要求されたオカズを口に入れてやりながら用事を聞けば、蛭魔は「傘」とただ一つ言った。 「あぁ……そういや、午後から雨って言ってたね」 「あんのか?」 「忘れたの?」 「帰り待ってろ」 「教室にいる」 「卵焼き」 「はいはい」 餌付けのようだなと思いながらもう一つ蛭魔の口にオカズを入れる。 モグモグと口を動かしながら、ポケットに入れられてた手が空の膝に置いてあった懸賞雑誌を拾い上げた。 「いいのあったか?」 「折り目つけといた」 「ふーん」 ペラペラとページを捲る細い指先を見ながら自分も唐揚げをぱくり。 止まった手に、何か目ぼしいのがあったのかと思っていると雑誌が突き返された。 開かれたページにはシンプルなデザインのダブルベッド。 「これ?」 「それだ」 広さも縦も十分なくらいあるそれに、机に出しっぱなしだった赤ペンで大きく丸をつける。 「じゃあ、送っとく」 「あぁ」 「武蔵君によろしく伝えてね」 「テメーで言え」 教室をとっとと出て行ってしまった蛭魔を見送って、空は役目を終えた雑誌を閉じて机にしまった。 さて、お弁当を食べてしまおうと向き合った正面で、ぽかんとしたまもりと目があう。 「まもり? どうかしたの?」 「…空」 「ん?」 「もう一度聞くけど……蛭魔君とはどういう関係なの?」 静かな教室の視線が空とまもりに集中する。 それにきょとり瞬きしながら、説明するの難しいなぁと空は呟いた。 「同棲、する仲?」 一番適切かな、と思った答えに教室に地なりのような絶叫が響き渡った。 END (な、なんか二年の教室で恐ろしい事が……!?) その頃、下の階でセナ達一年生が怯えていた。 (2010年10月サイト掲載作品再録)