盆の頃になって、一緒に暮らす祖父が体調を崩した。 婆さんが迎えに来てくれたかな?と軽口で笑う祖父に、やめてよと笑った顔は随分酷いものだったらしい。 冗談だと穏やかに笑って、只の夏バテだから病院で点滴を受ければすぐに元気になるさと、子供のように宥められてようやく普通に笑えた気がした。 置いていかれてしまうことに、私は酷く怯えるようになってしまった。その原因を考えないように思考を止める──思い出すには、まだ辛い。 幾つか留守の間の頼み事を祖父から聞き、入院するに辺り用意した荷物をベッド脇の棚に仕舞うと、面会時間も終わりに差し掛かっていた。 祖父にちゃんと体を休めるよう念を押し、笑顔の見送りを背に病室を後にする、帰り際ナースセンターに挨拶をしてから病院を出た。 日の長い夏は、日が落ちるにはまだかかる。 春乃は蝉の音に目を伏せて小さく息を吐き出すと、ゆっくりと家路についた。 春乃がブロッケン邸を離れたのは、王位争奪戦後の事だった。 ドイツに戻るブロッケンJr.に誘われたものの、ソルジャーことキン肉アタルのもと成長したJr.に、春乃は役目を終えた事を感じていたからだ。 彼が見れなかったJr.の姿を見守ることが自分の役目だと思っていたから、 立派になったJr.に烏滸がましくも肩の荷が下りたような気がしていた。 日本に戻ると昔のように祖父の家で暮らし始め、王位争奪戦で出逢ったマリさんの勧めで幼稚園を手伝いながらの、以前に比べればかなり平和な暮らしをしている。 Jr.とは時たま、手紙を通してやり取りをしているが当主となった彼は忙しいようで、便りの間隔はだんだんに開き始めていた。 寂しくも思うが仕方がないことだ──先に突き放してしまったのは自分の方なのだから。 別れ際のJr.の顔を、今でも不意に思い出すことがある。 (だとしても、私がずっと傍にいることが出来るはずないじゃないか……) 夏の日差しに滲む汗を拭いながら、心中でそう呟く。 汗で襟が首筋にくっついて、不快だ。 日傘を持ってくれば良かったな、と思うが家を目前にして今更遅いだろう。 今日は祖父の変わりに迎え火を焚かねばならないのだ、夕暮れまでには今少し涼しくなってくれればいいのだが。 門口で焚く迎え火は、還ってくる先祖の霊が迷わず辿り着く為の目印なのだと聞く。 (──来てくれたら良いのに) 思わず浮かんだ願いに、苦笑が滲んだ。 (何を馬鹿な事を……) 迎え火を焚いたところで、あの人が帰る場所はここではないのだ。 私は此処だと、呼んだところで──むしろ、来たとしてJr.の所に行けと蹴り出したほうがいいのかもしれない。 暑さのせいか、とりとめの無いことを考えながら、足を進める。 家に着いたら、冷えた麦茶を一杯飲み干して、それから夕飯の準備と迎え火の用意をしよう。 迷わないようきちんと帰ってこれるように。 「すみません」 不意に背中からかけられた声に足を止める。 鼓膜を震わせたその音に、何故か息が詰まった。 「家を探しているんです、このあたりの家で」 僅かに片言さのある日本語に、うそだと呟いた唇が震えた。 ゆっくりと振り返った先で、小さな紙を手にしたあの人が一瞬驚いた顔をしてから緩やかに笑った。 「あぁ、ちょうど良かった──春乃、お前の家を探していたんだ」 じいさん、びっくりだ。 迎え火焚く前に帰って来た。 (君に呼ばれた気がしたんだ)