ポアロに訪れた彼女は、最近定位置になっているカウンター席の端に腰を落ち着けると、いつものようにコーヒーの注文を入れる。安室はそれに笑顔で応じて、カップを出しコーヒーを淹れる準備を始めた。 買い出しに出かけているマスターと、今日は休みの梓さん。珍しく安室一人しか立っていないカウンターの内側を覗き込んでいた佳純は何気ない仕草で店内を見渡し、自分以外の客がいないことを確認したところで「安室さん」とひっそりとした声で呼びかけてきた。 視線だけでその呼び声に答えると、佳純は僅かにためらった後「探偵の安室さんにご依頼があるんですけど」と口にした。 探偵として優秀な小さな友人がいるにも関わらず、自分に依頼を持ってきた彼女に純粋な驚きを覚えつつ、安室は淹れたてのコーヒーを出してから話を聞く体制に入った。 「僕でいいんですか? 毛利先生やコナンくんではなく」 「いや……前者は職業だからいいとしても、後者に依頼するのはかなり問題があると思いますケド……」 素直に尋ねた疑問に佳純は苦笑まじりに答えて、コーヒーが入ったカップへと視線を落とす。 「安室さんの実力と探偵としてのポリシーを信頼しての依頼なんです、これは」 「なるほど……。では、お二人には内密に?」 内密に、と言って口元に人差し指をあてて見せれば、真似した彼女が「はい、内密に」と口元に指を当てて「しーっ」とジェスチャーして悪戯っぽく笑った。 佳純が持ち込んだ依頼は、友人のストーカー調査と解決するまでの身辺警護だった。 なるほど、これは確かに毛利小五郎や江戸川コナンに頼むには向かない内容だと安室は内心納得する。毛利小五郎に頼めば依頼を完遂することは可能だろうが、おまけで江戸川コナンがついてくる可能性が高く。友人であるコナンに頼めば、少年探偵団の子供達がついてくる可能性が高い。どちらも事を“賑やかに”してしまうだろうし、それはストーカー被害の対応としてはマイナスでしかない。 佳純はその友人からストーカー被害についての相談を受け、知り合いに信頼できる探偵がいると安室の名前を出したそうだ。彼女は新任の小学校の先生で忙しく、佳純が代わりに安室と繋ぎをつけに来たというわけだ。 「以前にいただいた名刺、お恥ずかしいことに無くしてしまって……直接ご依頼をと思うと、平日の子供達がいない時間を狙う必要があったので」 「あぁ、だからこんな時間に」 「えぇ、ちょっと休み時間をもらって来ちゃいました」 よくやく話終えた佳純はコーヒーを一口飲んで、ホッと一息ついた。 「それで……お願いできますか?」 「はい、もちろんですよ。僕でお力になれるのなら」 「……ありがとうございます」 ふっと肩先が僅かに落ちたのに、彼女が思ったより緊張していたようだと気づく。 では、と依頼人と直接会うための予定を話すため、手帳を開いてあらかじめ友人から聞いていたらしい友人の予定を見る佳純のつむじを見下ろして安室は目を細めた。 ポアロの常連であの江戸川コナンの年の離れた友人である彼女に、安室はとある疑惑の目を向けている。 岡本 佳純は、来葉峠の事故での遺体を赤井であると断言した監察医だ。書類上ではその遺体は身元不明という扱いになっているが、安室は確かに聞いたのだ。彼女がコナンに「あの遺体は“彼”だった」と話すのを。 それは、赤井の死を疑う安室にとって、彼女がこの一件に関わっているという証拠に他ならなかった。 すでに公安の調べで、彼女がアメリカの研究所に勤務していたことも、そこで捜査協力としてFBIとの繋がりがあったことも把握している。とはいえ、赤井個人との面識があったかまでは不明だが、それでも繋がりは“0”ではない。 「佳純さんって以前はアメリカでお仕事されてたんですよね」 「え?」 顔をあげて不思議そうにこちらを見上げる佳純に、にっこり笑いかけて安室は「コナン君から聞いたんですよ」と情報元を嘯く。 「東都大の法医学教室に入る前はアメリカの研究所にいたって」 「あー…なるほど。おしゃべりさんだなぁ……。 えぇ、留学した先で出会った尊敬する先生のもとで学びたくて。無理して渡米したんですよ」 若さゆえの勢いってすごいですよねぇと照れ臭そうに笑った佳純に、「すごいですねぇ」と安室と言う。 「でも、そんなに頑張ってアメリカにまで行ったのに、日本に帰って来たのはどうしてですか?」 手帳から顔をあげた佳純は不思議そうに目を瞬かせた。 「どうして、ですか?」 「それほど尊敬する先生だったんでしょう? ブレナン博士でしたっけ、本も出されてるその道では有名な方ですよね」 探偵さんだとそういう方面も詳しいんですね、と純粋に驚いている様子の佳純に笑顔でもちろんと返す。 「なので、少々不思議に思ってしまって……その、あちらと日本では技術的にも体制的にも大きく違うでしょう? ですから、そんな立場を捨ててまで日本に戻ったのは何か理由があったのかなぁって……あぁ、すみません。好奇心丸出しで聞いてしまって」 こちらをまっすぐに見上げる瞳に気づいて、途中から尋問じみかけた言葉を誤魔化すように謝ると、佳純は「いえいえ」と気にしてませんという仕草でひらひらと手を振る。 それから佳純は視線を落とし手のひらでカップを包み込みながら「そうですね」と静かに呟いて、言葉を選んでいる様子だった。とはいえ、こちらの質問をはぐらかすためと言うよりは上手く伝えるためにどうすべきかを考えているように安室には見えた。 「先生……ブレナン博士は、とても実力のある方で……同じ研究所につけたのは奇跡みたいなものでした。 彼女の元で働くことは学ぶこともとても多く、そして幅広い経験を積むことが出来ました」 そこまで語って佳純は少しだけ眉を下げて困ったような顔で笑った。 「でも、やっぱり最後は生まれ育った国で、学び得た力を振るいたいって思ったんですよね」 「……」 「愛国心、とも違うな……故郷のために何か出来ないか、と言うか。なんというか……上手く言えませんね。 あ!でも、日本での恩師に頼まれたから、そういう道もあるんだって思ったのも確かなんですけど」 私、講演会とか下手でこういう話するの苦手なんですよね!と照れたように最後に付け加えて、佳純は顔を隠すようにコーヒーを煽った。 空になったカップに「おかわりは如何ですか?」と問えば、一瞬の躊躇いの後「お願いします」と空いたカップをカウンターの上に返してくれた。 疑惑は“0”になったわけではないが、少しばかり信頼してもいいかと希望的観測のような考えを頭の隅に置きながら安室は新しいコーヒーを入れる手を動かした。 「あ、そうだ」と佳純はポンと手を打った。 「安室さんってボクシング経験がおありとコナンくんから伺ったのですが」 その言葉に彼は本当に“おしゃべりさん”だなぁと内心苦笑しながら安室は頷く。 「えぇ、とは言っても趣味みたいなものですけど」 謙遜しながらそう答えると佳純は目を輝かせた。 「では! 一発ぶち込んでやりたいクソ野郎に、全力をぶつけるコツって何かありませんか?」 今までに見たことのないようなキラキラとした笑顔で尋ねられら内容に、思わず間をたっぷりととってから安室は「は?」と間抜けな声を漏らしてしまった。