伊達はパトランプが光るパトカーの中で、随分前に数回震えていたスマホをコートのポケットから取り出した。 薄暗い車内の中でスマホの光に照らし出された伊達の顔には若干の疲労が浮かんでいる。トレードマークの咥えた楊枝の頭もどこか下がり気味だ。 今日も今日とて“日本のヨハネスブルグ”などと揶揄される東都・米花町で起きた殺人事件に駆り出された伊達は、立ち会った高校生探偵のおかげで最短捜査で逮捕された犯人をパトカーに押し込み見送ったところである。 スマホの通知は、従姉の結婚式に参加するため北海道の実家に帰っている妻から届いた、『お疲れ様』という言葉といつ頃帰るから、という大変心休まるメッセージがまず1つ。 「伊達さん。すみません、お待たせしました」 あせあせと運転席に乗り込んで来た後輩の高木に、ぼんやりと妻からのメッセージを見つめていた伊達はスマホから顔をあげた。 「おう、気にすんな」 続いて開いた後部座席のドアから覗いた顔が、申し訳なさそうに伊達の名前を呼んだ。 「お手数をおかけしてすみません、よろしくお願いします」 「気にすんなよ、名探偵。この時間に未成年一人で帰すわけにも行かねーからな」 「ありがとうございます」 パトカーの後ろに乗り込んだのは巷を賑わせ、そして“日本警察の救世主”とまで呼ばれている高校生兼名探偵の工藤 新一だ。高木は工藤がシートベルトをきちんと締めたことを確認するとエンジンをかけた。 「自宅にで良かったよね、工藤くん?」 「はい」 走り出したパトカーに現場に残っていた警察官が見送るように敬礼をする。それに軽く返しながら、伊達は再びスマホに目を向けた。 妻に、メッセージの礼などを慣れない手つきで打ち込み送信する。スマホに変えてからそう日が経っていない上に、太い自分の指先は相当気を使わないとすぐに打ち間違いをしてしまうのだ。 「あれ、伊達刑事もスマホに換えたんですか?」 後ろからの工藤の声に伊達は「あぁ」と重い声で頷いた。 「本当は二つ折りの携帯が良かったんだが、まぁ、いろいろあってな…」 そう色々あったのだ。犯人逮捕の最中、がっつり潰れた携帯を買い換えるに当たってに妻からのゴリ押しでスマホに決定したことは一課内では語り草だが、それを高校生に言うには少々。そのあれだ。大人の男としての威厳のあれそれなのだ。 「へぇ……で、メールのお相手は奥さん?」 まるで捜査中のような煌めきで言い当てられて伊達は思わず振り返って名探偵を睨む。犯人を震え上がらせる伊達の鋭い眼光を受けても、悪戯っ子のように笑う工藤の表情は曇らない。むしろキラキラとした目のまま「だって伊達刑事ってば、わかりやすすぎ!」などと宣う。 「現場から離れた時はあんなにピリピリしてたのに、俺と高木刑事が戻って来たら空気も表情も違げーんだもん。 伊達刑事をそんな風にできるの、奥さんのナタリーさんだけだろ?」 得意げ真実を言い当ててくる工藤に、伊達は唇をへの字に曲げるとむすっとした顔で正面に向き直りスマホへ視線を落とす。 「高木刑事にだってわかるよなー?」 「あ、ははは…」 先程までの推理中に被っていた外面というか猫を脱ぎ捨てた工藤は、年相応の自由さで高木に絡んでいる。そして高木の反応…俺はそんなにわかりやすいのだろうかと伊達はさらに渋顔を作りながらもう1つの通知を開く。 それは、久々に飯を食いに行こうと誘う弟分からのものだった。 「こんな時間になっちゃったけど、大丈夫? 工藤くん、お腹とか空いてないかい?」 成長期真っ只中の少年を気遣った高木の言葉に、工藤は少し照れ臭そうに「実はちょっとだけ…」と告げる。 「高木、このすぐ先にコンビニあっただろ。飯屋に連れてってはやれねぇが、奢ってやるから好きなモン買って来い」 「やりぃ! ご馳走になりまーす!」 喜色満面の声をあげる工藤に、高木は「よかったねぇ」と笑いながら見えて来たコンビニの看板に向かってハンドルを切った。 駐車場に停まると、伊達は高木に財布を預けて二人を見送る。「伊達刑事は? いらねーの?」と窓越しに聞いてくる工藤に「タバコ」とだけ答えておいた。 コンビニの明るい店内がよく見えるガラス越しに工藤がレジ横の中華まんコーナーで足が止まっているのが見える。伊達は口元の楊枝を揺らしながら、画面が暗くなってしまったスマホに電源を入れる。 『今晩、一緒に飯でも食いに行かね? 松田と萩原も参加予定』と書かれたメッセージの下には、いつもの店の名前と集合時間が書かれている。スマホ画面の上部に記された時刻表示はすでに集合時間まで短針2つ分ほどだ。 工藤を家まで送り届けて。警視庁に戻って。今日の調書をあげて。と、脳内でこの後の予定を考えても残念ながら合流が出来そうな時間に終わることは無理だろう。チッと舌打ちしつつ返信の文面を考えながらゆっくりとした指運びで入力していく。 おまたせしました、とパトカーに戻って来た二人に「おう」とスマホから顔を上げぬまま答える。入力を終えた文面をもう一度確認してから送信ボタンを押すと、「はい、伊達刑事の分」と後ろから伸ばされた手に顔をあげる。 前につき出された工藤の手にある小さなレジ袋には、頼んだタバコが2箱と肉まんの包みが入っていた。さらに高木から「財布です」と差し出され、それらを黙ったまま受け取る。 「俺は、タバコっただろうが」 「だって、俺だけ食ってるのなんか嫌ですよ」 「伊達さん、ご馳走になります」 苦笑気味の高木の手にも肉まんの包みがあったので、まぁいいかと伊達は少年の気遣いをありがたく受け取った。 パトカーを片手運転するわけには行かないため、高木は大きな口であっという間に肉まんを食べ終えると頬をもぐもぐと動かしながらエンジンをかけて発車させる。走り出した車内で、伊達は手を伸ばしてドリンクホルダーに先ほど置かれたばかりの缶コーヒーのプルタブを開けてから戻しておく。それに気づいた高木が「ありがとうございます」と礼を言って、信号機に引っかかったタイミングで喉を潤した。 タバコの箱を袋からポケットへと移してから、伊達は肉まんの包みを剥がしてがぶりと大口を開けた。そういや昼を食べてから何も口にしてなかったな、と今まで気づかなかった自分の腹の具合を自覚しつつ肉まんを咀嚼する。 買い食い自体も久々で、妻に健康に気を使うようにと言い含められてからめっきり減っている。とはいえ、妻の不在に最近の食事事情はもっぱらコレで、帰って来たら叱られそうだと伊達は心中でぼやいた。 残念ながら、今日も寂しく一人飯となりそうだ。 「伊達刑事、何かありました?」 「あン?」 肉まんに齧り付きながら、工藤の問いに伊達は怪訝そうな声をあげる。 「いや、だってなんかちょっと落ち込んる?」 奥さんに何かあった?と心配そうに聞いてくる工藤の察しの良さに、伊達は苦笑しながら「そんなんじゃねぇよ」と答える。 観察眼の鋭い少年にまたまた心情を言い当てられてしまった。おそらく気遣わしげな視線を後ろから注いでいるだろう工藤に、伊達はそれ以上答えることなく肉まんを食べ終えた。 包み紙をくしゃくしゃに丸めて、ゴミ入れ代わりにしているビニール袋にそれを押し込み、そして避けていた楊枝を再び咥える。未成年と行動することが増えたため、タバコの本数を減らした口寂しさを誤魔化すために始めたそれは、しっかりと癖になっていた。ないとなんか変な感じがするのよね、とは同僚の佐藤の言葉だ。 膝の上に乗せたままになっていたスマホが震える。短いバイブはおそらくメッセージの通知で、伊達はどちらからの返信だろうかとスマホの電源を入れる。 『松田の希望で二次会決定済み。開催地は夏彦宅。 きっと朝までコースだから、今日中に仕事終わるんなら時間気にせず合流しろよ』 伊達の予想に反して、そんなメッセージを送ってきたのは萩原だった。おそらく夏彦から伊達の返信内容を聞いたのだろう、絶対来いよ!の謎のキャラクターのスタンプ付きで送られてきたそれに思わず伊達は口の端を緩めた。 「伊達刑事さぁ、もしかして浮気?」 「はぁ?!」 「うぇ?! 何を言ってるんだい、工藤くん?!」 思わぬ言葉に後ろを振り返ると半分ほどになった肉まん越しから、じとりとした半目が伊達を見つめている。 「だってよぉ。さっきからメールばっかり見てるし、それに一喜一憂してるんだ。 奥さんじゃねーとしたら、ウ・ワ・キかと思って」 「お前なぁ…んなワケねぇだろ!!」 とんでもない推理に声を荒げるが、信用してませんと工藤の目が語っている。 「男友達だよ!」 「おとこ?」 「お・と・こ!」 一音ずつ区切って言い切ってやると「ふーん」と全く納得してない声が返って来た。 「弟分が同期たちと一緒に、今晩どうだと誘って来たんだよ。 ただ今日は行けそうにねぇからな、ナタリーもいねぇし今日も寂しく一人飯だなって思っただけさ」 「伊達刑事の、同期…?」 片眉を器用に跳ね上げた工藤が鸚鵡返しに呟いた言葉に「そうだよ」と伊達も呆れた声で返す。 「お前、前に会ったことあるだろ。爆処の松田」 「爆処の、松田さん……って、あの森谷帝二の事件の時に米花シティビル内の爆弾を解除した人ですよね?」 「そいつだそいつ。会ってるだろお前」 「えぇ。そっかあの人、伊達刑事の同期なのか………え?同い年?」 どういう意味だとギロリと睨めば、工藤はへらりと笑って誤魔化した。 その工藤の誕生日という目出度い日に、工藤への復讐と自分の過去の清算を目的に建築家が起こした事件から、もう少しで1年が経つ。工藤が追い詰め犯人から吐かせた最後の爆弾の解除に向かったのが爆発物処理班の松田だ。 「あぁ、弟分ってことは久崎ですか」 納得したように、ホッとしたようにそう言ったのは高木で、「くざき」と不思議そうに呟いたのは工藤だった。 「高木刑事も知り合いってことは、その人の警察の人?」 「いいや、民間の護衛会社に勤めてる人だよ」 1年前に知り合ってね、僕も仲良くさせてもらってるんだと、答えた高木に工藤は興味が惹かれたようだった。 「今度お前にも紹介してやるよ。お前のその立場柄、夏彦と知り合いになっとくのは悪い話じゃねぇと思うぞ」 「探偵に、ボディーガード?」 「そうさ。もしもの時のためにな」 警視庁に依頼されて殺人現場にこの歳で立ち入ることが多くある工藤は、今の所負の感情に飲み込まれた経験は伊達の知る限りではない。しかし、逆恨みなどからいつ攻撃的な衝動が少年に牙を向くかわからないのだ。工藤がもともと協力者であった父・優作の紹介で捜査に参加するようになってからずっと、伊達はそのことを懸念している。 「警察ももちろん何かあれば守ってやれるが、民間の方はこっちと違って融通を聞くことが多くあるからな。 それこそお前さんの熱烈なファンがストーカーになったらでもいい。ツテは持っておくべきだ」 「ストーカー、ね……確かに、そういう人と接点あるに越したことはないかも?」 今度ちゃんと紹介してくれよ、と言う工藤に伊達は胸を張って請け負った。 これは勝手な話ではない、工藤がこうして現場に何度も踏み入れるたびに感じていた不安を夏彦にはすでに打ち明けており、本人からは「心配なら繋ぎつけといてもいいぜ。うちには伊達の紹介だって言えば伝わるようにしとくから」と了承をもらっている。あとは機会を見てと言う状態だったのだ。 「工藤くん、着いたよ」 パトカーが工藤邸の前にウインカーをつけて停車した。工藤は自分の荷物を持つとパトカーを降りて助手席の脇に立つ。 伊達はウインドーを開けて工藤を見上げた。 「家まで送ってくれて、ありがとうこざいます」 「こちらこそ、捜査協力ご苦労様。悪ぃが今日ことは、今度の休みにでも聴取には協力してくれ」 「はい。それでは、お疲れ様です。早く帰れると良いですね」 先ほどの会話を踏まえての気遣いに伊達は「あぁ」と口の端を緩めながら答えた。 「じゃあな、勉学も疎かにするなよ高校生」 「わかってますよ」と拗ねたように言って工藤はぺこりと頭を下げると、門を開け中に入って行った。工藤が門の鍵を閉めるのを確認してから伊達は「行くか」と高木に声を帰る。ゆっくりと走り出す車の窓越しに工藤が家の中に入って行くのを確認して、伊達は視線を正面に戻した。