伊達が、久崎 夏彦という男にはじめて出会ったのは1年ほど前。忘れもしない2月7日の事だ。 あの日、夜通し対象者の張り込みを終え高木と警視庁へと帰り足、自分たちの前に1台の車が止まった。運転していたのは明るい髪の色の若い女性で「道を教えていただきたいのですが…」と大変申し訳なさそうに声をかけてきた。 なんでも、仕事で向かう場所に行くのに迷子になってしまったそうで、車から降りた女性と目的地までの道順を説明している高木の背中を伊達はぼんやり眺めながらとタバコを吹かして、その日の重要案件に思いを馳せていた。張り込みも終えた今、オフモードに切り替わりかけている思考は、本日の午後に恋人ともに両親へ挨拶をする時へと飛んでしまっている。 高木が手帳に簡単な地図を書いて説明しているその後ろで、停車していた彼女の車に思いっきり車が突っ込んできたのだ。 ギョッとした伊達たちの目の前で、自分の車に起きた事故に女性が「ほわあああ」と謎の悲鳴をあげた。 一番先に我に帰った伊達が、追突してきた車に駆け寄る。ノーブレーキで突っ込んできたことから、居眠りか、ドラッグの可能背もある。運転席を覗き込むとぐったりとした運転手がエアバックに顔を埋めるように突っ伏していた。窓ガラスを強く叩いて声をかけるもピクリとも反応はない。ドアは鍵がかかっているせいで開かなかった。 「高木!!」 「はっ、はい! すぐに!」 高木は慌てたようにポケットからスマホを取り出し110番にコールする。その横で女性もスマホをだし「私は救急車呼びます!」と伊達に視線を向けたので、「頼む」と応えてから伊達は再び運転手への声かけを続けた。 通報を受けて到着した警察と救急車によって、居眠り運転での衝突事故と判断された。幸いにも運転手にも大きな怪我はなく、被害は2台の車だけで済んだ。もう間も無くレッカー車も到着すると言うことだった。 駆けつけた顔見知りの交通課の宮本が事故処理の最中、帰り際の伊達たちに「運が良かったわね」と言ってきた。意味がわからず2人で首を傾げると宮本は「だって」と何とも言えない表情で続けた。 「彼女の車がなかったらきっと、2人の方に突っ込んでたわよ」と。 ゾッとした。声をかけられた時、伊達は高木に今日のことを話そうと手帳に入っている指輪を見せるため立ち止まっていたのだ。 目の前の2台、追突している車は斜めにめり込んでいる。その進行方向を辿った場所はちょうど伊達が立っている場所だった。 ひぇえと隣の高木が情けない声をあげた。伊達も流石に背中に嫌な汗が滲むのがわかる。 思わぬ救世主となった女性は、三池から簡単な聴取を受けていた。そこに慌てた様子で駆けつけてきたスーツ姿の青年に名前を呼ばれ、振り返った彼女は「ナツヒコ先輩ー」と情けない声をあげた。 青年は彼女の職場の先輩であった。べっこりと凹んだ車には驚いたものの、すぐさま彼女の怪我の有無を確認した後、脱力するように肩の力を抜いた。何でも、集合場所に来ない彼女を心配した職場の上司が連絡したところ「事故にあった」と彼女から報告され慌てて彼が迎えに来たらしい。 「怪我がねぇならいいさ」とぽんぽんと後輩の彼女の頭を撫ぜると、青年はこちらの視線に気づき一つ頭を下げた。それに会釈で返し、伊達と高木は交通課に全てを引き継ぎ警視庁へと戻ることにした。すでに時刻は通勤ラッシュが始まる頃合いだ。 「ようやく帰れますね」 「そうだな。目暮警部にはもう連絡入れてるし、飯でも食ってから帰るか」 「はい!」 高木と並んで歩き出しながら伊達は、交通課に尋ねられて二人が名乗った「クザキ ナツヒコ」と「タカセ アキト」の名前をひっそりと記憶した。 その彼と2度目に顔を合わせたのも、何の因果か交通事故の現場でだった。 今年に入ってからの張り込み中。車内から対象がいる部屋を見張っていると、聞こえて来たのは夜中の静けさに響いたクラッシュ音。運転席の高木と顔を見合わせてから、1つ頷きあって伊達だけが車からそっと降り音の発生源に向かって足音がなるべく響かないように走り出した。 事故が起こったのは伊達たちがいた道に繋がる大通りの交差点。伊達が駆けつけると倒れたバイクと被害者、それから「大丈夫ですか?」と声をかける目撃者らしき男だけ。犯人はすでに逃走しているようだった。 「何があった?」 駆け寄りながら問えば、顔をあげた男は伊達を見て驚いたような顔をした。正直に言って伊達も似たような顔をしていただろう。男は、あの現場で会ったクザキ ナツヒコだった。 「接触はしてなかったんですが、突然飛び出して来た車を避けようとしてこの人のバイクが転倒したんです」 被害者の後ろを走っていた彼は、目の前で発生した事故にすぐさまハザードランプをつけて車を停めると、ふらつきながら電柱にすがった被害者にすぐさま近づき声をかけていたのだという。 同乗者がすでに通報と119番を終えており、そしてこちらが刑事だとわかると事故の詳細、さらには逃走車の番号まで諳んじてくれたおかげで当て逃げ犯は翌日には逮捕された。 被害者に目立つ外傷はなく意識もあったため大事はないとすぐ聞き取りに応じようとしていたが、転倒した際に頭を打っているはずだと二人が強く主張するため、やって来た救急車で早急に病院に運ばれて行った。 「適切な対応と証言、ありがとうございました」 事故処理を交通課が進める中、伊達が二人に頭を下げた。簡単な聴取も終わり、今後何か証言が必要であればと二人は名刺を伊達に渡した。伊達はこの時、ようやくクザキ ナツヒコが「久崎 夏彦」と書くことを知った。 「あの、もし違ったらすみません。刑事さん、前にも会ったことありますよね?」 やはりという気持ちで頷くと、夏彦は「なんか見たことある顔だなって思ってたんですよ」と笑った。夏彦の同乗者が不思議そうに「知り合いか?」と呟いたので、夏彦がそちらを振り返って「ほら、去年の」とその疑問に答える。 「アキトの車が後ろから衝突された事故あったでしょう。その時現場にいた刑事さんの一人です」 夏彦の言葉に合点が言ったのか、その人は「あぁ」と声を漏らした後伊達に「その節は」と頭を下げた。 「貴方達に道を聞くために車から降りてなければ、あの子は怪我をしていた筈です。 貴方があの場にいてくれてよかった。ありがとうございます」 その礼に伊達はひどく落ち着かない気持ちになった。宮本のあの時の言葉を思い出す。 運が良かったわね──。運が良かったのは自分の方だ。礼を言うべきなのは自分の方ではないのか。 伊達が言葉に詰まっている間に、二人はもう一度伊達に頭を下げると自分たちの車の元に歩き出してしまった。 手には先ほど二人から渡された名刺が2枚、握られたままだった。 3度目の再会は、なんと居酒屋の個室でだった。 同期の松田とその繋がりで友人となって長い萩原の二人に、紹介したい奴がいるんだと引っ張って連れていかれた居酒屋で紹介されたのが久崎 夏彦だったのだ。あんぐりと口を開けて驚く自分たちに松田と萩原は不思議そうに顔を見合わせた。 萩原曰く、夏彦とは行きつけのバーで知り合い意気投合したそうで、伊達とも気が合う筈だから紹介しようとなったらしい。 夏彦曰く、萩原達から紹介したい同僚がいるとは聞いていたがそれがまさか二度も事故現場で顔を合わせた伊達だとは思っていなかったそうだ。そりゃそうだ、伊達だってまさか紹介されたのが夏彦だとは想像もしてない。 事故現場?と怪訝そうな顔をした松田達に、伊達はビールを注文してから「ちょっと長い話しになるが」と前置きして話し出した。 結果として伊達と夏彦は意気投合した。顔の厳つさが似ていると酔っ払って爆笑している萩原に蹴りを入れるタイミングまで合うほど仲良くなった。 夏彦は、初見のとっつきにくい容貌に反して気のいい男で。今回の飲み会で伊達達の3つ下の社会人であること、学生の頃は随分ヤンチャしていたらしいが、今の会社に入るための条件として提示された大卒・別の会社での社会人経験をきちんとこなし今の会社に入ったのだと言う真面目な一面もあるということを知った。 あの時の女性はその年に入社した新入社員だったそうで、今でも元気に同じ職場で働いているらしい。元気が良すぎるのも考えもんだけどなぁとぼやきつつも、そう語る夏彦の目は優しかった。 人のごちゃついた賑やかな居酒屋の個室で酔っ払いながら、伊達はふとあと2人ほどこの場にいたらどんなに楽しいだろうかと思った。どこに所属したのか、警察学校卒業後とんと連絡がつかなくなった友達がいのない男達。きっと彼らも夏彦とは気があうだろう。 「伊達ーもう酔っ払ったのかー?」 赤い顔で伊達の肩に腕を回して寄りかかって来た萩原に「んなワケねぇ」とぶっきらぼうに返しながら伊達は緩くなったビールを煽った。 その対面した席で松田と夏彦が笑っている。あぁ、いいなぁと伊達は笑った。