灰となって散って逝くクィレルの亡骸から、手元へと視線を落とす。 「よく、がんばったね……」 囁きかけた言葉に、ハリーの寝顔が少し和らいだように見えてマリーは口元を緩めた。 マリーは今にも途切れそうな意識を必死で押し止め、近づいてくる足音の主の到着を待った。 扉を覆い尽くす炎が揺れ、飛び込んで来た黒い影にマリーはゆるりと微笑んだ。 素早く室内を見渡して、階段下に座り込むマリーとハリーを見つけた黒い目が見開かれる。 「マリー!!」 駆け寄って傍に膝をついたスネイプにいつにない強引な力強さで肩を捕まれ、驚きつつもマリーは笑った。 「大丈夫、問題ないよ」 「っ──…!」 その答えにスネイプは悲痛そうに顔を歪めると、マリーを強く抱きしめた。 マリーの隻眼が丸く見開かれる。その視界はスネイプの黒色のローブで埋め尽くされていた。 「心配ばかり、かけおって……!」 抱き込まれた胸から響く言葉に、マリーは見開いた目を伏せて「ごめん」と素直に謝った。 スネイプの背に腕を回して、マリーは震える彼の背をなだめる様に優しく触れる。 走って来たせいか上がった体温によりローブに染み付いた薬草と彼の匂いがいつも以上に強く感じられて、その慣れてしまった匂いへの安心感からか意識せずに入っていた体の力が抜けて、抱き寄せられたスネイプの胸に頭を寄りかからせた。 「ハリーも……無事だよ」 ちょっと無茶して寝てるけどね、と膝を貸している少年の癖のある髪を撫ぜながら囁けば、スネイプは少しの間を明けてから「あぁ」と不機嫌そうに応えた。 気づいていなかったのかと思えば、気づいてて知らないフリをしていたらしい。悪い大人だ、と笑えばスネイプは黙れと言うことか、抱き寄せる腕に力を込めた。 それからそっと体を離し、スネイプは覗き込んだマリーの顔を汚す血を親指で拭った。 「あれほど…クィレルには気をつけろと言ったであろう」 唇を汚す血をあらかた拭い取ったあと、スネイプの手は色濃く残る首筋の手の痕に触れる。 殺す気で締め上げたその痕は、白いマリーの首を赤黒く染め上げていた。 「そうは言っても、ヴォルデモートが出てくれるなら話は変わるよ……呪いのこともあるし」 本音をぽつりと零す。事実、ヴォルデモートの気配を色濃く纏ったクィレルが接近してきただけで、一気に眠りの底まで引き釣りこまれてしまったのだ。 今回は、アレの残骸のようなものだったからこそ、この程度で済んだのだろう。楽観視できるような状況では相変わらずない。 「でも、死ぬつもりは、あまりなかったよ。私が死んだらハリーが泣くと言うし、それは困る。 彼の涙は一生分、あの夜に見尽くしている……もう見たくない」 昔からリリーの涙が苦手だった。だから彼女にそっくりなあの目で泣かれるなんて辛いことはできれば避けたい。 ふと、もう1つ思い出したことにマリーは、そっと顰めっ面のままのスネイプの乾いた頬に触れた。 「君に、泣かれるのも苦手だったな……」 在りし日の情景を思い出してそう呟けば、スネイプはその触れた手に自分の手を重ねた。 「私が泣いて縋れば、お前は死にたくないと思ってくれるのか?」 「……君は、泣かないだろう」 私のためには、とマリーは心中で呟いて目を細めて笑った。 その言葉に怖い顔をしたスネイプに目を瞬いた瞬間、ぐらりと視界が揺れてマリーは意識を繋ぎとめようと唇を噛み締め、スネイプの肩口に頭を凭れさせた。 「マリー?」 「…、すこし、めまいが……」 肩を貸してくれ、と途切れさせながらも頼めば。スネイプは答えの代わりにか、そっと背中を支え直してマリーが寄りかかりやすいように体勢を変えてくれた。 その優しさにマリーは小さく「ありがとう」と感謝を呟いた。 深く呼吸を繰り返しているうちに、治ってきためまいに少し顔の向きをずらしてスネイプの顔を見上げる。 横顔が飛び込んでくるであろうという予想に反して、ばちりと合ってしまった目と目に、思わずぎくりと体を震わせてしまった。 「眩暈は、いいのか?」 「あ、うん……落ち着いたみたい……」 ぎこちなく返すと、額に滲んだ汗で張り付いた髪をスネイプは優しい仕草で払ってくれた。 自分より体温の低いその指先の温もりが心地よくて、目を伏せていると不意に不機嫌そうな声が落ちてくる。 「話を戻すが、どうしてそう思う?」 低く唸るような声で囁かれ、マリーは「え」と声を漏らした。頭があまり回っていないせいか、話の流れを完全に見失っていたのだ。 スネイプはことさらに不機嫌そうな顔と声で言葉を続けた。 「どうして、私がお前の為に泣かないと思ったんだ。 どれほど、私が──想っているのか、知らないとでも言うのか」 スネイプの肩口に寄りかかっているだけでも近い顔が、ずいっと近く。 目の前で動く唇が、ほんの少しでも身じろぎしてしまえば触れ合いそうな距離感の中。働かない頭を混乱に沈めながら、マリーは何とか頭に浮かんだ言葉を口にした。 「──セブルスが想う相手は、リリーだろ?」 「なんだと」 至近距離の凶悪な顔に、思わず距離を取ろうとするも背中に回された腕の妨害に合い失敗に終わる。 「ちがうの?」と困惑しながら問い返せば、スネイプはじとりとした視線を寄越すだけで答えようとしない。 「……」 「なんで、黙るんだ……」 重苦しい嫌な沈黙にマリーはさらに困惑した。 「マリー」 「ん?」 「お前は馬鹿だ、どうしようもない馬鹿だ」 「……酷いな」 断言するスネイプにマリーは苦笑を浮かべた、その唇に少しカサついた温もりが柔らかく触れて離れていった。 一瞬の出来事に、きょとりと目を瞬いて固まったマリーが目の前の男の名前を呟こうと、薄く唇を開いたその時を狙って、再び唇が重なる。 一度目とは違い深く合わさったそれから、マリーは逃げるように顔を背けようとしたがスネイプの手が顎を掴んだことで叶わず、逆により深く重なりあう結果となった。 足元にハリーがいるため飛び上がって逃げることも声をあげることも出来ずに、突然の嵐に耐えるように硬直するマリーの口を散々に貪ったあと、スネイプは離れた。 はっ、と乱れた息が溢れる唇同士の間に走った濡れた糸からマリーは目をそらした。頬を染める熱は羞恥によるものばかりではない。 濡れた唇の端から垂れそうになった唾液を、スネイプの舌が舐めとった生々しい感覚に「セブルス…っ」とマリーは流石に非難の声をあげた。 馬鹿だと言われた直後からの怒涛の出来事に、痣の残る白い首筋まで真っ赤に染めたマリーに、スネイプはゆるりと目を細めて濡れた自分の唇を親指で拭うと嗤った。 「確かに。私は過去、リリーを想っていたことは認めよう」 真っ直ぐにこちらを見つめるスネイプの瞳から目が反らせず、マリーは漆黒の瞳に捕われたようにじっと見つめ返すしかない。 「それは随分昔の話だ──お前と会うずっと前の過去の話だ……お前と出会ってからは違う」 「セ、ブ……?」 マリーはただ驚いた顔で呆然と彼の名前を呟いた。 その反応にスネイプは不機嫌そうに顔を歪めた。 「そんな間抜けな顔をするほど、私の気持ちに気付かなかったのか?」 「だ、って……セブルスはリリーを見てたから…」 彼の視線の先にはいつもリリーがいて、それは間違えようもなくそれが彼の心そのままだと思っていた。 「隠れるのが上手い“誰か”を探すのに、目印が必要だったんだ。見知った彼女を見つけるのは、簡単だったからな。 だから、私の目はまずリリーを見つめていた」 「じゃあ……君が君が探していたのは……」 「マリー。私はお前を愛しているんだ、どうしようもないほどに」 スネイプの告白に、マリーの目から涙が零れ落ちた。 スネイプのローブを掴んで彼の胸に縋り付くように寄り添ったマリーに、スネイプは僅かに困惑した声をあげた。 「マリー……?」 「私も、セブルスが好き」 「──…」 「実らない思いだとばかり……それがどちらも同じ気持ちだなんて……嬉しいと同時に苦しいよ。 君と、まだ一緒にいたいのに、私は……」 「……マリー」 涙に震えた声に、スネイプはきつく胸の中のマリーを抱きしめた。 「今更になって、私は死が恐ろしい……」 もうすぐ迎える事になるであろう自然の摂理から外れた、死よりも恐ろしい死に、今更に生への執着が溢れ出て、マリーは口元を自嘲気味に歪めた。 「生きよう」 呟かれたスネイプの言葉に、マリーは体を震わせた。 ゆっくりとあげた顔の前に、穏やかに笑うスネイプがいた。 「出来るだけ長く二人で生きよう。醜くてもいい……希望に縋り付いて生きていこう」 「セブルス……」 「マリー、この先の人生を私にくれないか?」 その言葉にマリーは、ゆっくりと微笑んだ。 「それはこっちの台詞だよ……私に君をちょうだい」 微笑んだマリーの唇に、スネイプは自身のそれを優しく重ねた。 「愛してる」 愛の言葉は同時に口から溢れ出て、二人は小さく笑った。 そして、二人は聞こえてきた足音に振り返る。 「お邪魔かの?」 優しく笑う恩師の姿に、マリーは破顔して、スネイプは顔を顰めた。