「さようなら、セブルス・スネイプ……」 告げられた別れに、君を引き留める事もしなかったのはただ、その術も権利も持っていなかったからだ。 心の奥、圧し殺した感情を読み取られる前に背を向けて、彼の幸せを願うだけしか出来ない自分は相変わらず無力で情けない。 彼の愛した本当の“幸せ”は別の誰かと結ばれてしまって、彼は絶望の中に闇へと堕ちていってしまった。 でも、生きて欲しかった──どんなに無様でも、どんなに醜くても。 彼が生きて、どこかで幸せになっている世界を望んで、私はこの武器《声》を発する。 自分は愛しているとも、愛してくれとも、言えなかったし言う権利もない人間だ。 なのに、呪いを受け自分の最期を悟りながら──呼び起こす未だ鮮やかな記憶の中は、ほとんど彼で埋め尽くさせれいるのだから笑ってしまう。 (セブルス) こちらを振り返り、難しい顔をする彼を思い返して笑う。 腕の中では、両親を失い呪いを受けた証だけを残した奇蹟の赤ん坊が火のついたように泣き叫んでいる。 全て、間に合わなかった。 私は彼どころか、彼が愛した彼女さえも救えなかった。 唯一辛うじて救えたのは、彼女が産み愛して遺していってしまったハリーだけ。 彼が憎むジェームズの容姿に、リリーの瞳を持つハリーだけしか、救えなかった。 霞む視界は右半分を闇に染め、深い眠りに誘われかけている体は気だるい痛みに軋む。 (セブルス、私は君の為に何が出来ただろうか──) リリーを救う為、わざわざ闇側との二重スパイにまでなった彼の願いを、私は汲む事も手助けする事も出来なかった。 強制的な眠りは体を蝕み、歩く膝をついに崩し地面に付けさせられた。 見上げた夜空に、誰かがこちらに駆け寄って来る姿が見えた。 もはや自分の意志ではほとんど動かない腕を伸ばし、ハリーをその人物に手渡す。 私は、最後の役目を全うせねばならない。 伸ばされた大きな掌──ハグリッドの腕にハリーを渡し、限りある時間のため。 瞬きの間に、ダンブルドア先生の元へと急いだ。 「ダン、ブルドア──先生」 「マリー!」 見慣れた校長室に飛び込み倒れ込んだ体を、暖かな手が抱き止めてくれた。 「せ──…んせ、私は、呪いを」 言葉を紡ごうとする喉からは、睡魔にか譫言のように頼りない。 「わかっておる、ヴォルデモートにやられたんじゃな!?」 「眠り、呪い……私は、死ぬ」 混濁してきた意識を晴らすようにダンブルドアが、押し込むように白い気付け薬のようなものを流し込んできたせいで、噎せてまた言葉が途切れる。 「しっかりするんじゃ、マリー!」 叱咤する声と今しがたの薬のお陰か、微かにはっきりした意識に言葉をなんとか紡ぐ。 「──呪いは、一つではありません。私は、姉にもう一つの呪いを」 「なんと……」 「闇側に堕ちた時に発動する──死の呪い」 私を恨み憎んだ姉が最期にかけた呪い──もはやそれは受け入れている。 「それより、先生──ハリーを、ハリーを守って下さい」 あの子は奇蹟の子であり、ただの子供だ。ジェームズとリリーの息子だ。 ヴォルデモートが失墜した今、このままでは“英雄”に祭り上げられてしまうだろう。 そして闇の軍勢が捲土重来すれば、一番に狙われてしまうだろうハリーをリリーの代わりに、私の代わりに守ってくれと、ダンブルドアに縋り付き懇願する。 「わかっておる、わかっておる!! マリー、今は自分の事を一番に考えるべきじゃ!」 「私は……もう……」 「セブルスはどうする!」 珍しく声を荒げるダンブルドアを不思議に見上げながら、飛び出した名前に靄が晴れたように意識が一瞬はっきりとする。 「君は、セブルスを救いたかったのではなかったのか!!」 「──……私は、しくじりました。 リリーを救えなかった……ジェームズも」 ああ、それだけじゃない。 巻き込んでしまったシリウスは無事だろうか。 彼は熱くなるとセーブが効かなくなるから、深追いして自らに被害を被っていなければいいのだけれど。 四方へ飛ぶ思考を引き戻すようにダンブルドアが強く私の名を呼ぶ。 「君はハリーを救った!そんな君をワシは救いたいんじゃよ!」 「そんな事──……」 「すぐには無理かもしれん、しかしワシが必ず眠りから起こしてやろう」 力強いブルーの瞳がいつものように悪戯っぽく輝いている。 「王子様ではなく、こんな老いぼれですまんがのぉ?」 眠り姫を起こすのは、王子様と相場が決まっているが生憎、私に王子様はいないのだから。 そんなからかいは酷いじゃないかと微睡む意識の中で苦笑を滲ませる。 「光栄です──貴方が起こして下さるのなら」 「欲は持つべきじゃよ……? 話せば、彼ならきっと──」 「なら……私は死んだと伝えて下さい」 マリー、と嗜める声が聞こえたが聞こえぬふりで「そう伝えてください」と繰り返した。 「いつ目覚めるかもわからない人間を、待つ必要なんて、ないんですから」 別れはもう済ませてある。 お互い、いつ命を落とすかわからない立場にいるのだから、あれが最後というのも侘しい気もするが仕方がない。 伝えきれぬ言葉も感情も飲み込んで消化できぬまま、眠りの海に沈んでしまおう。 彼が、どこかで幸せになっている姿を願いつつ。 私は、鳴く鳥の声に誘われ夢の世界へと堕ちた。 「マリー……!」 次に目覚めたのは、一年半後だった。 それから目まぐるしい世界の変化をダンブルドアから聞きながら、ハリーが叔母の家に預けられた事も聞いた。 彼の居所は、わざと聞かなかった。 ダンブルドアは、眠りの呪いの進行をある程度止める術を見つけ、また開発してくれた。 おかげで、一ヶ月に一回は目覚めれるようになり、遂には2日に一回目覚めれるようになった。 自分でもある程度の試行を重ね──通常の生活を送れるようになるまでおよそ10年もかかった。 それも、時間の経過をゆっくりとさせた空間内だけでの話であるから、全く元通りとは言えない。 それでも私はまだ、生きている。 君が生きる、この空の下で──君とは違う時間を刻むそらの下で、私はいつかの役目を果たすため生きていた。 ただ、一度死んだ私と共に、あの感情が死んでくれなかった事は悔やまれる。 END