向けられた背中を、裏切りだとは言わない。 彼は悩んで決意して、その先へと進んだのだ。 始めから抜け出せない一本道を進む自分と違って──彼は、自分で決断したのだ。それを引き留める事など、出来るはずがない。 私は、ただ名ばかりの当主を背負い、一人この道に佇むばかりだ。 「セブルスが、不死鳥の騎士団に入った話は聞いたかい?」 紅茶を淹れてくれていたルーピンがそんな話を切り出したのは、彼との別れからそれほど時が過ぎていない頃だった。 (スパイか)と、そう直感的に思ったが口には出さずに、マリーは首を横に振って否定を示した。 「リリーは喜んでたよ、やっぱり幼馴染みだからかな」 ゆるりと微笑みながら紅茶にたっぷりのミルクを注ぎ込むルーピンの言葉に、マリーは無表情のまま耳を傾けていた。 「──会わないの?」 誰に、とは言わなかったが明確な問いと共に差し出されたミルクティーを受けとりながら、酷く冷静な自分に気付き口の端を苦く歪めた。 「会えないよ」 カップを握る自分の指先が青ざめて見えた。 会ってどうする──向けられた背中を追い掛ける事も、何か言葉をかける事も出来なかった自分が今更、顔を合わせて何を言えると言うのだ。 スパイと、断定的に思ったが実際は彼が何を思って──否、誰を想ってそこにいるかなんて。 わかりはしないし、わかりたくもない。嗚呼、なんと女々しい感情だと自嘲する悪態はミルクティーと共に飲み干した。 「会うべき時にはいつか会うさ、不死鳥も竜も同盟関係にあるんだから。 でも私からは、会いには行かない」 「どうして、だって君は…」 「リーマス」 ルーピンの手にあったスプーンが、カップの縁にぶつかって硬質な音をたてた。 「私は、すでに彼に背を向けたんだ」 「マリー……」 白いミルクティーの水面に揺らぐ丸い波紋に、無表情の自分の顔がぼんやりと反射して揺らいだ。 彼は、スネイプは自分にだけどちらの陣営に下るのかをわざわざ口にして伝えた。 その意味と強い意思を自分はただ受け止め見送った、その程度にしか対応出来なかったのは拙い己だ。 裏切ったのは、果たしてどちらが先だったのだろうか。 全ての答えから逃れるように、マリーは碧眼を閉ざした。 「貴方の下心は、叶わないと思うわぁ」 女の声は、双子とは思えないほど彼女の声とは、少しも似ていなかった。 彼女の美しい声に慣れてしまったスネイプにとっては、耳障りの悪い音である。 振り返った先で笑うのは美しい、だけの女──彼女の双子姉、ナディアだ。 「仰っておられる意味が解りかねるが──ミス、」 「あの名で呼ぶなよ」 続けようとした女が棄てた名は、獣の唸るような声では遮られた。 悪魔のような形相に女の美貌は歪んだが、すぐにそれは艶やかな笑みの仮面に隠された。 「我が君から、不死鳥の騎士団へのスパイを命じられたんでしょう、ミスター?」 「流石……耳が早い」 伊達に我が君のお傍で“装飾品”となってるだけはある、と毒を吐けば女は苦々しく顔を歪めたが、すぐに蕩けた笑みでスネイプを見上げた。 「あら、あまり嬉しそうじゃないわね……不死鳥の騎士団に入れば、今よりずーっとあの子の側にいられるのに」 「……」 「ふふふ、でもね、あの子には会えないわよ」 絶対、と嫌に断定的な女の言葉に眉間にシワを寄せると、女は一層愉快そうに笑った。 「弱虫だもの、昔っから」 ケラケラと下品ながらその美貌ゆえ華やかに笑って見える女は、そう言って実妹を嘲笑う。 女の妹は、女のように男をとろかすような美貌を持ってるわけでも、華やかな笑みも性格も持っていない。 月光の下、静かに立ち緩やかに微笑む、そんな美しさを持っていた。 あの日の別れの時もまた──彼女は夜の中に静かに佇んでいた。 告げた別れ、闇側に下る事を伝えても、彼女の碧眼は一切揺らぎはしなかった。 損なわれない彼女の“光”に、スネイプは救いと絶望を見た。 スネイプは目を伏せて、それからふっと小さく笑いを漏らした。 「……それは、どうでしょうね」 意味深なスネイプの言葉に、女は柳眉を歪めた。 「──どういう意味かしら?」 「貴女が彼女のことよく理解しているとは、到底思えなかったもので…」 醜悪に変わった女を鼻で笑って、スネイプは冷酷な仮面で女を見下ろした。 「ともかく、下手な勘繰りはやめていただきたいものですな。 私は我が君の命令で、あそこに行くのであって旧知との仲をあたためるつもりは一切ない」 それでは失礼、と言い残して漆黒のローブを翻す。 本心を悟られぬよう、嘘で塗り固めた言葉が女にどんな印象を与えたかなど興味ない。 あからさまな舌打ちを背中に受けながら暗い廊下を進む。 もう一度会えたら──そう願う気持ちは確かにあった。 だが、それが叶わぬ事ももうわかっている。 背負うものが、彼女と自分ではあまりに違いすぎたのだ。 弱虫というなら、むしろ自分のほうだろう。 月下に佇む彼女に駆け寄る事も、細く弱々しい背中を抱き寄せる勇気もなかったのだ。 (マリー……) 彼女は、未だ一人あの場所に佇んでいるのだろうか。 つきりと痛んだ胸の奥は、正直だった。 END