『親愛なるカウンシル殿 この度、ホグワーツ魔法魔術学校・魔法薬教授補佐に着任されますことを、心よりお喜び申し上げます。 魔法薬教授より、必要な物品のリストを頂きましたので同封致します。 新学期は9月1日に始まりますので、それより前に教授との顔合わせを済ませたいと思います。 ご都合が良い日を添えて、ふくろう便にてのお返事お待ちしております。 副校長 ミネルバ・マクゴナガル 追伸、私もあなたに会う事を楽しみにしているわ』 届いたばかりのふくろう便にさっと目を通すと、マリーは困った様に頬を掻いた。まさか、自分を助手にしようなど考える教授がいるとは少しも思っていなかったのだ。 しかしすでに受けた話なのだと、マリーは覚悟を決めるとふくろうを部屋に招き入れ返事の為にペンを取った。 『親愛なるホグワーツ魔法魔術学校 ダンブルドア先生、マクゴナガル先生 お手紙ありがとうございます。 私もみなさんに会えるのを楽しみにしております。 教授殿との顔合わせについては、 ご多忙かと思われる教授殿の予定に合わせます。 マリー・カウンシル』 机の引き出しから我が家の紋章が描かれた深紅の封筒を取り出すと、先程書きあげたをそれに入れて蝋で封をする。 待っている間に暖かい部屋でうとうとしていた、ふくろうを起こし封書を渡す。 「頼んだよ」と呟いて窓を開けると、ふくろうはその羽を広げて雪がちらつく空に消えていった。 窓を閉め直し、相変わらず足の踏み場のない部屋を開拓しながらソファまで戻るとどかりと腰を降ろして息を吐いた。 先程まで飲んでいた紅茶はもう冷めている。 マリーは、先程の封筒から残る一枚を取り出した。 授業に助手として必要なものが書かれた羊皮紙、そこに並ぶ文字を指先でなぞる──なぜか、懐かしい気がした。 大体のものが自分の元に揃っていたが、幾つか買い変えた方がいいかと考えマリーは「よし」と気合を入れて立ち上がると投げっぱなしだった杖を取り、外套用のローブを掴んだ。 杖を一振りし、部屋中の灯りと薪ストーブの火を消すと、戸締まりを確認してから暖炉の方へと足を進める。 マリーは暖炉の上の小さな銀製の鉢から、キラキラ光る粉を一つまみ取り出した。 暖炉の火にそれを振り掛けると、ごぉっという音ともに炎はエメラルド・グリーンに変わる。 その中に飛び込み、マリーは発音に気をつけてはっきりと叫んだ。 「漏れ鍋!」 次の瞬間、マリーの姿は炎の中にかき消え、同じく鮮やかな火の消えた暖炉に薄暗くなった部屋はしんと静まり返った。 煙突飛行粉には相変わらず慣れないと、気分の悪くなった胸を撫ぜてマリーは『漏れ鍋』の暖炉から顔を出した。 「おや! カウンシルさんじゃないか!」 「やぁ…トム」 こちらに気付いたバーテンが驚いたと大きな声をあげると、他の客達もこちらに気付いて店を包んでいた会話が途切れた。よくよく見れば、見知った顔ばかりだ。 挨拶を返しながら店の中をなんともなしに見渡していると、店の隅にいた人物が妙に気になりそちらにもう一度視線向けようとする前に、カウンターに座っていた小柄なシルクハットの男、ディグルが自分のグラスを掲げながら「一杯一緒にどうだい?」と誘って来た。 それに断る理由もなくマリーは軽く頷くと、この店での顔馴染みであるディグルの隣に腰掛けた。 「何年振りだろうね、貴女がうちの店に来てくれるのは。 愛想がつかされたのかと思っていたよ!」 「まさか。トム、いつものを頼むよ」 「はいよ」 カウンターの奥にトムが引っ込んだのを見計らって、ディグルが声を顰めて心配顔で声をかけてくる。 「しばらく顔を見せないから心配してたんだよ…口さがない奴らは死んじまったなんて言うし。 でも、右目を怪我したって話は本当だったんだね…」 「まぁ…そう思われても仕方がないよ。今じゃほとんど家から出ないから。 傷病みが酷くて、気が滅入るもんで、部屋に籠って本ばっかり読んでいたんだ」 そっと右目を覆う眼帯を撫ぜたマリーに、ディグルは「そうかい」と悲しげに頷いた。 「どうぞ」 「ありがとう」 トムから受け取ったグラスをディグルを前に差し出すと、ディグルはにっこりと笑ったグラスを合わせてくれた。 「再会に乾杯」 きん、と鳴ったグラスをマリーはぐいっと煽った。 それからディグルの世間話に耳を傾けながらマリーはグラスの中身を減らして行く。 ちょうど中身がグラスの半分に差し掛かったところで、『漏れ鍋』の扉が開いた。 変わらないざわめきに、常連でも来たんだろうとあたりをつけてマリーは振り返ることなくグラスを傾ける。 同時に、トムが「大将、いつものやつかい?」と聞いたので、予想はあたっていたなと、ボンヤリと思った。 「トム、ダメなんだ。ホグワーツの仕事中でね」 トムに答えた声に聞き覚えがあったマリーは(おや)と手を止める。 「なんと……こちらが……いや、この方が……」 「?」 途端に緊張を滲ませたようなトムの言葉に、マリーはグラスから視線をあげてトムを見上げた。 トムの視線は扉の方にじっと向けられていた。 急に水を打った様に静かになった店の雰囲気に気付く。 「やれ嬉しや! ハリー・ポッター……何たる光栄……!」 ハリー・ポッター。 その名前にマリーはまるでネジの切れた人形の様に動きが止まる。 トムが慌ててカウンターから出て行ってしまったのに、マリーは気付かずグラスの氷を見つめていた。 マリーはボンヤリと後ろの騒ぎに耳を傾けながら、グラスの中の氷を揺らした。 (10年……彼も大きくなったろうな) からんと、グラスの氷が音をたてて崩れた。 それを合図に空いたグラスをカウンターに置いて、マリーはゆっくりと振り返った。 店にいた全員に握手を求められている、一人の少年。 そのくしゃくしゃの黒髪はまるで──。 「──ジェイムズ」 思わず声に出していたその名前に気付いたのか、青白い顔の若い男と握手しているハリーの瞳がこちらを向く。 あぁ──その瞳に在りし日の親友の姿が重なり、マリーは滲む感情を隠すように目を細めた。 まるでその人物が目の前にいるかの様にその人は、父の名前を呟いた。 驚きに見開かれた碧色の一つ瞳が自分とかち合った瞬間、瞳にあった感情は一瞬にして消えボンヤリとした瞳がこちらに向いた。 まるで、感情を悟られる事を恐れている様だとハリーは感じた。 「マリー……?マリーじゃねぇか!!」 「やぁ、ハグリッド」 疑問を口にする前に、その人に気付いたハグリッドが声をあげた。 マリーとハグリッドに呼ばれたその人は、どこか眠そうな声でのんびりと挨拶を返していた。 ハグリッドは嬉しそうにマリーに歩みよると、がっしりとハグして来た。 微かに呻き声がマリーから上がった気がしたが、何も言わずそのハグを受け入れている。 「元気そうでよかった」 体を離したハグリッドはカウンター席に座ったままのマリーの顔を見下ろし、顔をくしゃくしゃにして笑った。 「お前さんもな! ……ダンブルドア先生から聞いたぞ、お前さんがホグワーツの先生になるとは!」 「ハグリッド、先生じゃない……先生の助手、だ」 「同じようなもんじゃねぇか」 きょとんと首を傾げたハグリッドに、マリーは諦めた様にその話題を止めた。 「それより……ハグリッドは、ハリーと買い物?」 ハグリッドは後ろに立つハリーを振り返ってにっかりと笑うと、ハリーの背中を押してマリーの前に立たせた。 「おぉ、そうだ!ハリー!! この人は、マリー・カウンシル! お前さんの両親の同級生で、今年からホグワーツの先生になる!」 「父さんと、母さんの……?」 見開かれたハリーの瞳を見つめて、マリーは困った様に頬を掻いた。 「はじめまして、ハリー…ってわけでもないな。 随分前…君が幼い頃に会ってるから」 「僕の、父さんと母さんを知ってるの?」 「あぁ……もちろん。幼い頃の君をだっこした事もある」 差し出された手をおずおずと握り返すと、マリーは柔らかく目を細めた。 白い節だった手は少し乾燥していて、ちょっと荒れていた。 短い握手を交わした手をハリーは、視線を彷徨わせ必死にかける言葉を探した。 父を母を知っているこの人に、聞きたい事は山程あるのになかなかその言葉が選べない。 そうしているうちにハリーはまた人に囲まれてしまった。 マリーの視線はしばらく自分の辺りを彷徨っていたが、少しして下に落とされてしまった。 ハグリッドがマリーに何かを話しかけていると、ふらふらと先程「クィレル教授」と紹介された青白い顔の若い男がマリーに挨拶していた。 マリーは一瞬だけその隻眼をすがめると、すぐに先ほどのように感情の読みにくい表情に戻っていた。 こっちに話しかけてくる声にあちらの会話はほとんど聞こえない、時折クィレル教授はぎこちない動きで頷きながら唇を歪めるような笑みを作っていた。無理に笑っているせいか、片目がぴくぴくと痙攣している。 ハリーはその様子を、彼女のようにボンヤリとした気分で見つめていた。 「トム。買い物を忘れていた、もう行かないと」 マリーはクィレルと少し言葉を交わした後、カウンターに金貨を置いた。 「そうかい、また暇を見て来てくださいよ、カウンシルさん」 「おっと! 俺たちもこうしちゃおれんな、しなくちゃいかん買い物はごまんとある。 ハリー、おいで」 ガヤガヤ騒ぎのなかで聞こえたマリーとハグリッドの声で、ようやくハリーは人の輪から抜け出した。 ハグリッドはパブを通り抜け、壁に囲まれた小さな中庭にハリーを連れ出した。 ハリーはその中庭を見渡すと、二人の後ろからやって来たマリーと目があった。 「助かったよ、マリー。あのまま騒ぎが広がったら身動きがとれんくなるところだった」 ハグリッドの言葉に「構わないよ」とマリーは軽い声で返した。 「さてと、俺の傘はどこかな?」 ハグリッドはそう呟いて、傘を取り出すとごみ箱の上の壁のレンガを数え出した。 ハリーはもぞもぞと気まずそうに動いた後、勇気を持って後ろに立つマリーの方を振り返った。 「あ、あの!カウンシルさんは僕の父さんと母さんを知ってるの?」 「マリーでいいよ、ハリー。質問はイエスだ、」 「……じ、じゃあ僕の父さんは、母さんはどんな人だったの? ホグワーツではどんな事を……それに」 「待った」 捲し立てる様に疑問を口にしたハリーの唇にそっと指を当てて、マリーはゆるりと口元を緩めた。 「君はあまりにたくさんの新しい情報に混乱している。 これから一年は私は君と一緒でホグワーツにいるから、両親の話はゆっくりしてあげれるよ」 だから、急がなくていいと囁くような声に、ハリーは恥ずかしくなって俯いた。 「あ……ごめんなさい、僕………」 俯いたハリーの頭に、そっと手を伸ばしてマリーが髪を撫ぜように優しく触れた。 慣れない柔らかいその手つきにハリーは思わず、ぎゅっと手を握りしめた。 「よしと、ここだ。ハリー、下がってろよ」 レンガの壁を探っていたハグリッドはそう言って傘の先で壁を3度叩いた。 すると、叩いたレンガががたがたと震えると、組み上がったそれらがほどけ、また組み合わされていく。 徐々に真ん中に穴ができると、それはどんどんと大きくなっていき、最後にはハグリッドでさえ十分に通れる程のアーチ型の入口ができた。 アーチの先にはハリーが今まで見たきたロンドンの街並みとはどこか様子が違う賑やかな通りが存在していた。 石畳の通りは曲がりくねって先が見えなくなるまで続いている。 その両脇にはなんの店かハリーにはとんと想像がつかない怪しげな店が建ち並び、道ゆく人々はおとぎ話の魔法使いのような緑や紫の鮮やかなマントをまとっている。 「ダイアゴン横丁にようこそ」 ハリーが驚いているのを見て、ハグリッドはいたずらが成功したと言わんばかりに満面の笑みを浮かべていた。 3人がアーチをくぐり抜けるとすぐ後ろでゴリゴリとレンガが擦れる音がして、ハリーが驚いて振り返った時にはアーチはみるみるうちに縮んで、堅いレンガ壁に戻っていた。 唖然、と言葉もなく立ち尽くしているハリーの目には何もかもが現実味を帯びていない。 そばの店の外に積み上げられたさまざまな大鍋に、陽の光が反射している。 その上に掲げられた看板には『鍋屋』と書かれていた。 「一つ買わにゃならんが、まず金を取ってこんとな」 ハグリッドがそう言った声は、ハリーの耳の右からはいって左から出ていってしまった。 目玉があと8つぐらいほしい。 何もかもが目新しい景色に都度、思わず立ち止まってしまうハリーが人ごみに流されない様に、マリーが手を伸ばして背中を支えてくれている。 元が何かもわからない黒く干された物が店先に吊るされた薬問屋の前で、小太りの夫人が店主と何やら声高に話をしている。 店の奥が見えない薄暗い店から夜の森のようにフクロウの鳴き声が聞こえてくる。 大人たちの間を走り抜けていく少年達の興奮した声。魔法使いのマントの店。天体望遠鏡の店。 おどろおそろしく内蔵や目玉が詰められた樽が積み上げたショーウィンドウ。 今にも崩れてきそうな古くてぶ厚い本の山。 ハリーはそれを瞬きを忘れる程見つめていた。 そのせいで、前を歩いていたハグリッドが立ち止まった事にも気付かず、ハリーは思いっきりハグリッドの背中にぶつかった。 「グリンゴッツだ」 その声に、視線をあげると。 小さな店の建ち並ぶ中、一際高くそびえる真っ白な建物がそこにあった。 「ハグリッド、ハリー。 私の用事はちょっと別だから。ここでお別れしよう」 「おう、そうだな」 「ハリーを迷子にはしないようにね、ハグリッド。また学校で…ハリー」 「はい」 そう言ってマリーは軽く手を振ると、人込みの中に消えていった。 ハリーはその消えた背中を思わずしばらく探してしまったが、もうその背中は見つけ出すことはできなかった。 「さ、俺たちも行こう」 「…うん」 ハリーはまたあの人に会えるまでに、両親のことで何が知りたいのかきちんと頭で整理しておこうと思った。ありがたいことに時間はたくさんあるようだし、ゆっくりと自分が今まで知らなかったことを知って行こう。 まずは目の前のことからだ、と意気込みも新たにハリーは歩き出した。