痛む喉から漏れる声は音にはならず、掠れた呼気を吐き出すだけだ。 (今日が、休みでよかった) 幸い、気だるい体とイカれた喉以外の風邪症状はない。 生徒が少ない休暇中であれば感染る心配もなければ、体調を崩したとバレる事はないだろう──たった一人、自分と同じようにホグワーツに残り毎日顔を合わせる彼以外には、という話だが。 正常な判断が出来たならば、黙って寮に留まれば他寮の生徒である彼に会う事もなく。 後日、完治してから話せばいいとわかったはずなのに。 熱のせいかぼんやりとした頭は、目先の不安を解消するために足を図書室へと向ける。 すれ違う人のいない廊下をフラフラと歩き、薄暗い廊下に窓の外を見れば曇天から降り注ぐ雨音に気付く。 体を這う悪寒はこの寒さのせいかと、心無し熱い吐息を吐き出した。 「マリー?」 くらついた頭を支えながら歩いていると、怪訝そうな声がその背中を呼び止めた。 (セ、ブ) 音にならなかった声は歪な乾いた音を洩らした。 振り返った後ろに、少し驚いたような表情のスネイプが立っていた。 「どうした、お前……顔が赤いぞ──おいっ」 伸ばされた手に誘われるように体が傾く。 不安そうな叫びが名前を呼ぶが、体を染め上げた熱のせいで閉じ行く瞼をどうにも出来ない。 ごめん、と呟いた声は届いただろうか。 ──ぼやけた視界にまずはじめに映ったのは、医務室の白いカーテンだった。 「──……、」 「起きたか」 かけられた言葉に、首を動かして見た先いた存在に目を見開く。 ベッド脇のパイプ椅子にはスネイプが本を片手にこちらを見下ろしていた。 「まったく……あんな状態で図書室にくるなんて、よほどの本馬鹿らしいな」 呆れたように溜め息を吐いたスネイプに、マリーは見開いた瞳に映る状況を働きの悪い脳を何とか回転させて飲み込もうとするがなかなか上手くいかない。 伸ばされた手が額に乗っていた濡れタオルを取った。 「マダム・ポンフリーもクリスマス前で休暇中だ……。 保険医の処置なしに薬を勝手に飲ませるのも、漁るのも後が怖いからな。 辛いだろうが、我慢しろ」 側のタライで冷たい水を含んで絞り直されたタオルが額に置かれると、ぼんやりした頭に冷静さが戻って来た気がした。 だるい腕を持ち上げて差し出すと、スネイプは不思議そうな顔をしたが、無意識にかその手をとってくれた。 (看病、してくれたの?) 声もなくたずねられた疑問に、スネイプの瞳が見開かれた。 (声も、筆談も、無理だから……直接) 「……テレパシー、みたいなものか?」 (そう) 握った手を介して、微かな振動を増幅して“声”を届ける方法は、言霊を使いこなせない子供がはじめに教えてもらう技術だ。 普段からの筆談も、これをやればなくてすむが、必ずどこか体の一部を接触させていなければならないため、通常時にはあまり使うに恥ずかしい。 (ごめん、迷惑をかけてしまった。 感染るかもしれないから、寮に戻って) 主のいない医務室は冬の寒さが滲みて底冷えのする寒さがある。 握ったスネイプの指先も、ずいぶんよ冷たくなっていた。 体を崩す前にと、有り難うと最後に囁いて離しかけた手は、スネイプに握り込まれた。 「馬鹿者、病人を一人こんな所に残せるか」 真意な漆黒に見下ろされ、しばし口を噤んだ。 (──これじゃあ、病人が二人になるよ) ベッドに入っていて熱もある自分と違って、スネイプにはこの室温は寒いはずだ。 (クリスマスを前に、何も君まで体調を崩す事はない) 「だから、尚更──1人は寂しいだろう……」 握る手の力強さとその言葉に息をのむ。 病を患うと心寂しくなるからと、看病に誰かがつく事なんて家族でさえもしてくれなかった。 じわりと胸を浸食した熱に視界が水膜に揺らいだ。 「マリー?」 (──有り難う、嬉しい) 「……そうか」 微かに安堵の息を吐いたスネイプは、握り合う手とは逆の手でずれたタオルを治してくれた。 (我が儘を……言ってもいい?) 「! あ、あぁ」 (今日だけでいいから、一緒にいてくれないか) 甘えを許されるなら──今日だけでいい、この掌の温もりを感じていたい。 「初めから、僕はそのつもりだ。 我が儘というなら、もっと他にないのか?」 (うん、それが一番の我が儘だよ) 呆れたように鼻を鳴らしたスネイプに、歪な苦笑を浮かべてから、サイドテーブルに置いてあった手荷物の中から杖をなんとか取り出すと喉へと当てた。 何を、と腰を浮かしかけたスネイプを視線で制し、音の出にくい喉に直接、増幅の魔法をかけた。 『暖炉、熱を、此処に』 すると、白いカーテンで区切られた空間の中が暖かな空気で満たされた──まるで、煌々と燃える暖炉の前で暖まっているような感覚にスネイプは目をしばたく。 無理を押して音を出した喉から、ヒューと掠れた呼吸音が出た。 (寒い、とセブまで、風邪ひく、から) 「っ、そんな事の為に無理して声を出すな!」 (指先、冷たい、我慢、ダメ) 暖まった空気のせいか、はっきりしていた頭がホカホカとまた靄がかる。 杖を持っていた手を投げ出すと、シーツの上に杖が転がった。 「おい」 (、──……) 「……寝ろ、側にいてやる」 握る手同士が少しだけ離れ、指が絡まされるのを感じながら、その言葉に答えるように一つ頷く。 閉じる瞼をどうすることも出来なくて、泥のような眠りの中に誘い込まれていった。 「馬鹿が……」 吐き捨てた言葉は、倒れるまで無理をした彼女へと言うより、熱もないのに頬を染めた自分自身に向けたもの。 握ったままのいつもより体温の高い掌も、脳に直接注がれた声も、初めて聞いた我が儘も、今自分にだけ向けられているこの事に、踊る胸は熱い熱を持っている。 「人の気も知らないで──」 まともな判断力もない彼女に、自分がなんの本を片手に側にいたのかなんてわかるまい。 『初めての看病』 借りた時の司書の顔はしばらくは忘れないだろう。 はぁと、何ともなしに溜め息を吐いて、スネイプは天井を仰いだ。 一先ず、彼女が目覚めるまでに平常心を取り戻し頬の熱も冷まさなくては──感染ったと逆に心配されたら堪ったもんじゃない。 END (言霊の制御ができ始めた、中学年くらいの頃)