夏休みも残り二週間となったある日。 ハリーが昨年に続き、また『未成年魔法使いの制限事項令』を破ったという一報が届いた。 しかも、今回はハリー自らがやらかした事だという。 スネイプは思わず浮かんだ喜色を押し隠した。 流石にあまり露骨だと、呆れた目を向けてくるようになったマリーに、受け取ったこの手紙を渡しに部屋に戻る。 部屋に足を一歩踏み入れて、スネイプは動きを止めた。 リビングに置かれた大きな安楽椅子に座り込んだマリーは、目を閉ざし何かに耳を傾けるように集中していた。 ピンとはった糸が張り巡らされているような空気感に、スネイプは目を細めた。 躊躇ったが、スネイプは開いたままだった扉をノックして、こちらへと意識を向けさせる。 マリーがゆっくりと瞼を開けた。 途端に、張り詰めたものが弾けたように、部屋の空気が軽くなるのを肌で感じる。 碧眼はこちらを振り返りもせず、ぼんやりと虚空を見つめている。 少し揺らめいていた目に、寝ていたのだろうかとも一瞬考えたが、あれほど張り詰めた状態では、違うかとすぐさま否定した。 「どうしたの……?」 微かに掠れていた声に、疑問を抱いたままにスネイプは答える。 「ポッターが『未成年魔法使いの制限事項令』を、また破ったぞ」 「……うん」 また伏せられた瞼と反応の鈍さに、スネイプは怪訝そうに顔を顰めた。 いつもなら、変わりにくい表情にも、驚きと微かな呆れと心配をうつすのに、今回はてんで無反応だ。 「なんだ、知っていたのか?」 自分に来たホグワーツからの手紙は、それより先にマリーの方にも届いていたのだろうか。 その思いに気づいてか、マリーは緩く首を振った。 「今、“聞いてた”んだ」 「聞いてた──?」 言葉の意味がわからず首を傾げると、マリーは「あぁそうか」と幾分納得したような顔をして頷いた。 「《言霊》っていうのは、発するものと感知するものがあるんだ」 そう言いながら組んでいた手を外し、ひじ掛けに肘を付きながら、ようやくこちらに視線を向けた。 碧眼の双眸は先程よりしっかりしてきている。 「人の声にはね、私の一族のようにコントロールができないだけで、言葉に微弱な魔力を含んでいるんだ。 それを私は自らが張った魔力の糸で捉え、遠くの会話を“盗み聞き”することが可能なんだ」 スネイプはなるほどと頷きながら、先程の部屋に張り詰めていたものの正体を知った。 それが彼女の言う、遠くの声を振動として伝える魔力の糸だったのだろう。 言葉の持つ力を理解しているマリーだから出来る芸当だ。 「凄く集中しなきゃないし、盗み聞きはあまり気分のいいものではない」 そう言って肩を竦めるマリーは、微かに顔を顰めている。 事実、長い付き合いの中でその力を使っているのを初めてみるのだから、それほど使用は避けていたのだろう。 「それをわざわざ使って、何を聞きたかったんだ?」 マリーの視線がまた空を漂った。 一瞬、いつものようにはぐらかされるような気がして身構えたが、マリーはゆっくりと口を開いた。 「セブルス、シリウスの足取りを魔法省は掴めているのか?」 「……ないだろうな。 今朝の日刊預言者新聞にも『未だ追跡の手を逃れ逃亡中』と書かれていたぞ──まさか!」 「そうだよ」 マリーはふっと小さく息を吐いた。 「シリウスの足取りを辿っていたんだけど」 「それで、わかったのか!?」 「残念ながら」 「そう、か」 疲労を感じているのかマリーは目頭を揉んでいる。 「ところで──ハリーは、今どこに?」 「漏れ鍋に、大臣が付き添いで。 新学期までの残りの二週間は監視次いでにそこにいるらしいが──会いに行くのか?」 「いや……まぁ、そのうち行くかもしれないが」 ふとマリーは俯いていた顔をあげ、顔にかかる髪を摘み上げた。 「どうした?」 「髪が伸びてる」 そう言われてみれば、再会した当初短かったマリーの髪は、肩につくかつかないかのところまで長くなっていた。 だからと言って不満げな顔をする意味がわからなかった。 「邪魔だ」 頬に触れる髪をかきあげながらマリーは呻いた。 そういえば、学生時代も彼女の髪も短めだった記憶がある。 「これを機会に伸ばしてみたらどうだ?」 「…うぅん」 提案にマリーは曖昧に唸った。 「君からもらった髪留めを使える程度の長さが。あればいいかなって」 長めの髪を絡める指は相変わらず不満げなことに、スネイプは小さく苦笑した。 結局、スネイプの手により伸びた髪がカットがされたのは、その日の午後の話である。 ・・・ その翌日、ホグワーツからまたフクロウ便が届いた。 学校からのフクロウ便が最近多い。 今度は、新しい「闇の魔術に対する防衛術」の教師と、少々おかしなタイミングでの転校生が二年生に入って来るらしく連絡を学校のフクロウが届けに来た。 深い内容は手紙では語られていなかったが、その二人は自分とマリーには事前の顔合わせの必要があるらしい。 (何を考えていらっしゃるのやら……) 多くを語ろうとしない校長のいつもの行動に、スネイプは僅かに寄った眉間の皺を人差し指で伸ばす。 部屋に居るはずのマリーにこの事を伝えに行くかと、踵を反しかけた視界の隅に黒いローブが揺らめいた。 「マリー?」 振り返った先には人影のない廊下が広がるばかりで、気のせいだったのかと目を細める。 だが、先程まで家の中にあった人の気配がなく、スネイプはまたか、と小さく息を吐いた。 彼女は時折、何も言わずこうしてふらりと姿をくらます。 外見は子供だが、中身は自分と同い年──しかも、能力的には自分より格上の“婚約者”には不要な心配かもしれないが、一言ぐらい声をかけて行くのが礼儀だろうと愚痴を零してしまうのは仕方がない。 どのみち、マリーの場合語れぬ事が多過ぎで、説明出来ないとわかった上での“散歩”の為。 愚痴を溢すしかないがスネイプの最近の悩みである。 「仕方がない……今回は私だけ行くか」 溜め息混じりで呟いた言葉は思った以上に寂しげだったのに、スネイプは思わずもう一つ溜め息を漏らした。 マリーは、昼の陽射しを避けながら、人通りが疎らなダイアゴン横丁を歩いていた。 幾分重い足取りで鮮やかなカフェ・テラスの鮮やかなパラソルの側を過ぎるさなかに聞こえてくる客達の会話の内容に、マリーは口の端を歪めた。 客達は口々に“脱獄囚”シリウス・ブラックへの議論を交わしている。 世間に出回っている世間一般的な事件の話は、マリーにとっては馬鹿馬鹿しいものだった。 そのテラスの中に、目的の背中を見つけて静かに歩みよると、そこに座る少し猫背の背中をぽんと叩いた。 「ぇ、あ、マリーさん!」 「やぁ」 宿題中だったらしいハリーの手元で狂ったペンが羊皮紙にシミを付けてしまって、苦笑を浮かべながら片手をあげた。 「久しぶり、元気で──その、夏の間はスネイプと過ごしたの……?」 向かいの席に座ったマリーになんとも言えない言葉をかけたハリーは微妙な表情をしていた。 「あぁ、もちろん」 「そう?」 マリーの答えにあまり納得してないような表情のハリーに、マリーは小さく苦笑を浮かべた──彼の父も自分の恋心を知った時、同じような表情をしていた。 「ところでハリー、随分顔色が悪いじゃないか」 「……まぁね」 ハリーは曖昧に答えながら羊皮紙の黒いシミを大きくするように、ぐりぐりとペン先で遊んだ。 シミがどんどん広がり──まるで黒い犬の横顔のような形になると、はっとしたようにペンを離した。 「ハリー」と呼ぶ諭すようなマリーの声に後押しされ、ハリーは少し言い淀んだ後、口を開いた。 「『死の前兆──最悪の事態が来ると知った時、あなたはどうするか』って本、読んだ事ある?」 「中々愉快な内容だった記憶がある」 「そ、そう……?」 ハリーは「死の前兆があらゆるところに見えはじめて、それだけでしぬほど怖いですよ」と言った店員の言葉と、正反対な感想を述べたマリーに微妙な返答を返した。 「占い学は、たいてい感覚だ。想像力豊かでないと。 ある意味、危機感を強くするためには最適かも──私はリリーに薦められたよ」 「母さんに……?」 「私は昔からどこかぼんやりしていて、危機感が足りないと暗に言われたんだろうよ」 苦笑まじりのマリーに、ハリーも小さく苦笑した。 「君は読んだの?」 「僕は、読んでないけど……表紙は見たよ」 「確かグリムだったか、あまり可愛くはない犬が描いてあったな」 「グリム?」 ハリーがオウム返しに呟いた単語に、マリーは相変わらずぼんやりした口調で呟いた。 「墓場に取り付く巨大な死神だよ──それこそ占い学じゃ、死の予告だ」 思わずハリーは本の犬と、マグノリア・クレセント通りの暗がりにいた犬が頭の中で重なり合い、酷い気分になった。 「でも、それはこの学問を始めた者が定めた詠みだ。 人によっては、可愛くない黒い大きな犬だって違う意味をもつ」 「……マリーには、違うの?」 「私にとっては、大事なモノを取り戻す為の転機到来ってとこだ」 不思議そうな顔をしたハリーに、マリーは柔らかく微笑んだ。 「だから、君が思うところの“グリム”と会ったからといって、気にし過ぎないように」 「! 知ってたの?」 マリーは微笑んだまま、ハリーの頬を手の甲で撫ぜた。 「占いを信じるか、信じないかは人次第だ、ハリー」 「うん」 ようやく表情から陰りの消えたハリーに、満足気な表情を浮かべるとマリーは席を立った。 「帰っちゃうの?」 「あぁ……ちょっと寄るところがあってね」 「何処に?」 マリーは少し困ったように笑っただけだった。 ・・・ 少女は姿勢を正したまま、手を付けられないまま漂う湯気が消えてしまった紅茶を見下ろした。 部屋──転校先の学校の校長室であるそこには校長と副校長、そして隣には新任だという男性が座っている。 「そんなに固くならずにな」 緊張している少女に、校長のきらきらとした瞳が悪戯っぽく笑った。 「っ、わ、私のような生徒を迎えてくれて、本当に感謝してます……!」 震えた唇が堰を切ったように言葉を続ける。 「前の学校を──その、追い出されてから。 この体質のせいで、受け入れてくれる学校なんて、ありませんでしたから…」 少女の必死な言葉に、ダンブルドアはゆっくりと頷いた。 「我が校は、貴女のその問題にも十分対応出来ますから」 校長の隣に立っていた副校長の厳格な言葉に、また背筋を伸ばした少女の様子に隣の男が、クスクスと小さく笑った。 その様子に、力の入りすぎていた肩を下げる。 「しかし──貴女は年齢的には3年生ですが。 2年生の始めで退学処分を受け、そこから間があります。 なので、以前にも話したように2年生からの編入となりますが、よろしいですね」 「は、はい」 「転校の理由などは、適当な病気を理由を用意してあります」 そう言って病気の内容について医務教諭が考えた内容が書かれたものを渡され、暗記してくるように言われた。 受け取った羊皮紙を少女が大事そうにカバンにしまうのを見守ってから、ダンブルドアがまた話し始めた。 「それから、2年生からの転入になる君には、色々心配の種があるじゃろう。 君は先に組分けを行い、寮が決まっておる──その寮の生徒が君の手助けをしてくれる事になっておる」 「え。でも、私は……!」 そう言い淀んだ少女に、校長は穏やかに笑った 「君の体については、彼女に話してはおらんよ。 嫌なら話さんでもよいが……彼女は真実を知ったとしても、君への態度はかわらんと思うぞ?」 すぐには答えが見つからず俯いた少女に、ダンブルドアは「ゆっくり考えるといい」と言った。 「その子って──もしかして、マリーのことですか?」 「勿論」 割り込んできた声に、少女は隣に座る彼を見た。 まだ若いだろうその表情は疲れ果てやつれているようだが、浮ぶ微笑みはとても穏やかなものだった。 「マリーなら、なんの心配もいらないよ。 なんたって、こんな私にも他の人間と同じように接してくれる稀有な人だ」 「──ぁ、えー……先生?」 「あぁ、名乗りが遅れていたね。 リーマス・ルーピンだ」 「ルーピン、先生。先生は、そのマリーさんとは、どんな関係なんですか?」 「あー、そう……友人の姪のようなもので、ね。 彼女が幼い頃からの友人なんだ、親子ほど歳は離れているがね」 ルーピンは副校長をちらりと見てから、少し言葉を選んでゆっくりと説明してくれた。 「#マリーは#、きっと君のよき友になると思うよ」 「そう……だと、いいですけど……」 ドシンと校長への扉が開いた音が聞こえ、少女は音の方を振り返った。 螺旋階段を昇っている鈍い足音を聞きながら、少女は無意識にごくりと喉を鳴らした。 ギィと音をたてて開いた扉の向こうにいた黒い影に、喉の奥で小さく悲鳴をあげる。 黒い男──漆黒のローブに長い髪、色の悪い顔についた暗く虚ろな目で少女を見、もう固定されているのであろう眉間のシワをひくつかせたあと、ルーピンを見て深い海溝のようなシワを刻んだ。 ぶるりと体を震わせた少女を見て、マクゴナガルは窘めるように彼の名を呼んだ。 「スネイプ教授、手紙は読んで下さいましたね?」 「えぇ──簡潔かつ秘密が多い手紙ならば」 皮肉混じりの言葉を言って男は、ダンブルドアを見据えた。 ダンブルドアはその鋭い視線を気にせず、彼にの連れがいない事におやと声をあげた。 「マリーはどうしたんじゃ? 彼女と顔合わせをするためにも、来て欲しかったんじゃが」 君が不機嫌になるのもわかっておったしな、と笑うダンブルドアの言葉に、スネイプは片眉を跳ね上げ、声を荒げないよう努めてゆっくり話した。 「……いつもの、“散歩”です。ところで──彼女が?」 少女は再び向けられた視線にぴんと姿勢を正した。 「レイナ・タチバナ──日本出身の生徒です。 2年生への転入になりますわ」 「は、始めまして……」 怒らせないように、失礼がないよう気をつけながら挨拶をした少女──レイナに、スネイプは冷めた一瞥をくれただけだった。 「手紙にも書いたが、君とマリーには二人の生活に必要な魔法薬を煎じてもらいたい」 「それは構いませんが……しかし、校長。正気ですか? またこのような、“問題児”をホグワーツに入れるなど……」 スネイプと呼ばれた男性の言葉に、レイナは唇を噛んで俯いた。 「セブルス」とルーピンが嗜めるような強い声をあげた。 「以前、同じような生徒をこの学校に入れたとき、何が起こったかもうお忘れですか?」 「確かに。君のいう通り、本校に前例がある。 だからこそ、彼女を受け入れるに足る実績とわしは思っておる」 それに、とダンブルドアは言葉を続ける。 「君のいうあの一件は、彼女のおかげで被害もなく治めることができている」 「はっ、あれで被害がないと? 本当にそうおっしゃるので?」 嘲笑うように鼻を鳴らしたスネイプに、「そうじゃない?」と軽い声が答えた。