イギリスでの滞在先に、ホグワーツからのフクロウ便が届いたのは、あの顔合わせの翌日だった。 手紙を受け取ると、せっかち気味のフクロウは早々に帰路に着いてしまった。 迎え入れる為に開いた窓を閉じて、レイナは受け取ったばかりの手紙の封を切る。 「手紙が来たの、玲奈?」 「うん、学校から」 奥の部屋の荷物準備をしていた母が顔を出したのに返事をする。 開いた手紙は内容は、あの日対面した彼女──マリーから、一緒に列車に乗ろうという誘いだった。 日本人の自分に合わせてか筆記体ではなく活字体で丁寧に書かれた文字に、彼女の優しさを感じる。 ほっこりとした胸を抱えて、手紙を読んでいた玲奈の横から一緒に手紙を覗き込んでいた母が笑う。 「よかったわね」 母の言葉に大きく何度も頷いて、レイナは手紙にすぐに返事を書き始めた。 また英語に慣れていないのだろう、ぎこちない英文で書かれたかわいらしい文章を読み直して、マリーは口元に笑みを浮かべた。 明日に控えた出発に、荷物を詰め終えたトランクの中に、その手紙も一緒に仕舞い込んで入れて蓋を閉める。 マリーはそのトランクの前に立って、部屋を見渡し小さな苦笑を浮かべた。 この家に持ち込んだ私物の少ないために、学校用に荷物を詰め込んでしまえば、この家に物は残らない。 なんとなく、出ていくみたいだなと、感想を口の中で呟いてマリーは自嘲的な色を苦笑に混ぜた。 「終わったのか?」 「あぁ、うん。荷物が少ないからね」 止まった物音に気付いて部屋に顔をだしたスネイプに、マリーは振り返りながら答える。 「足りないものを買い揃えたらいいものを……私の物で代用するから、物が増えないんだ」 やれやれと言わんばかりのスネイプの声色に、マリーは唇を尖らせて「それで事足りるんだからいいんだよ」と拗ねた口ぶりで返した。 ふと、スネイプの手元にある新聞に気づく。 視線に気づいて、「読んだか?」と問うて来たスネイプに首を横に振った。 「いや……最近は、ファッジの言葉が馬鹿馬鹿しくて見ていないよ」 幾分呆れた色を乗せて言ったマリーに、スネイプは「たしかに」と肩を竦めた後、壁に肩を寄りかからせて立ったスネイプは腕を組んだ。 「校長が、アズカバンの看守達を学校に配備することに、不満ではあるが同意したぞ」 その言葉に、マリーは微かに目を見開いて驚きをあらわにした。 「吸魂鬼を? まさか……」 「ポッターを守る為だ。 ブラックがポッターを狙っているんだ、『例のあの人』に引導を渡したのは奴だから」 マリーは嗚呼と唸って、手のひらで額を押さえた。 「?」 「仕方がない事なんだろうが──……ハリーに、吸魂鬼を会わせるのは良くない」 「何故だ?」 マリーは自分の左目の瞼に触れた。 「彼は過去に、想像を絶する恐怖があるからね。影響が大きいはずだ」 「……お前はどうなのだ?」 心配そうなスネイプの声に、マリーは苦笑した。 「私は“閉心術”の心得もあるよ」 「そうか……そうだったな」 「ハリーにも、いつか教える必要はあるだろうな。 心に巣くう恐怖心は、付け入られやすいものだろ?」 吸魂鬼だけでなく、ヴォルデモートや、闇の陣営はハリーの心の闇や恐怖に滑り込んで、彼を傷つけるだろう。 その時、彼が思い出すのはあの夜の事だろうか──幼さ故に朧げだった記憶が引き出されれば、あの夜の内容も思い出さなければならない。 「ハリーには、特に……必要なものだ」 低く呟いたマリーの髪をスネイプが優しく撫ぜた。 「しかし、まだ早い。これから、様子を見て考えていくことだ」 「あぁ……」 髪先まで辿りそれから頬に触れた手のひらに、すり寄ってマリーは目を細めた。 スネイプの掌に猫の様にぐりぐりと擦り寄ると、頭上から小さな笑い声が零れ落ちてくる。 「明日は、駅まで送ろう」 「え、でも」 「送らせてくれ。こんな時だ……少しでも長く共に過ごしたい」 背中に回された腕に抱き寄せられ、囁かれた言葉に反論はない。 マリーは是と応えるように、自分の腕を彼の背中に回した。 「しばらく寝付きが悪そう」 頬を寄せた胸元でポツリと呟いた声に、スネイプが何故と問う。 その声の楽しげな様子に、マリーはわかっているくせにとぼやく。 「久しぶりの、一人寝だからね」 マリーはそう言って、スネイプの体温に包まれながら、これがなくて本当に眠れるのだろうかと、奇妙な不安にかられた。 「……不眠が辛い時はすぐに、私のところに来なさい」 いい薬がある、と嘯くスネイプにマリーは喉を震わせて笑った。 「それは間違いなく特効薬ですね、スネイプ教授」 ・・・ 紅色の機関車が吐き出す煙の元、ホームに溢れかえる魔女と魔法使いが、自分たちの子供を見送り、汽車に乗せている。 西洋人だらけのホームに荷物片手に人を避けながらちょこまかしていると、母に笑われた。 「堂々としてなさいな。 それでなくとも、日本人はチビだから馬鹿にされちゃうわよ?」 「うぅ……だって」 横を通り過ぎる日本の平均身長よりずっと高い西洋人は、未成年なのかと疑問に思うほど大人びていて、思わずびくついてしまう。 「ミス・タチバナ」 後ろからかけられた、低いバリトン声に振り返ると、あの時に会ったスネイプ教授とマリーが立っていた。 「マリー」 慌てて駆け寄ると、マリーは片手を差し出して受け入れてくれた。 自分よりも体温の低い彼女の手は、少しだけひんやりとしている。 「レイナ、迷わず来れた?」 「うん。大丈夫だった」 レイナに追いついた母が、教授に頭を下げる。 「先生、うちの子を……よろしくお願いします」 あの顔合わせの時のことを、レイナは母に話している。 真っ黒なこの人が自分の入学をあまりよく思っていないこと、そして自分のために薬を作ってくれることを、母は知っていて深く頭を下げた。 硬い表情を崩さないまま、彼は「顔を上げてください、ミセス・タチバナ」と言った。 顔を上げぬ母に、マリーは「教授の顔が怖くて、顔を上げられないんじゃないんですか?」と言った。 「そんな…!」 慌てて顔を上げた母は、穏やかに笑うマリーにようやく肩の力が抜けたようだ。 「ミセス・タチバナ。 私は教師として、自分の生徒の安全を一番に考えなければなりません」 スネイプの言葉に、母は「えぇ、わかっております」と静かに答えた。 「そして、彼女もまた、これから私の生徒になります」 驚いた顔の母にそれ以上何も言わず、教授は隣に立つマリーを見た。 「マリー──私は先に行く、ミス・タチバナの事は任せた」 「わかりました、教授。またあとで」 スネイプは手に持っていた荷物をマリーに渡し、母に一礼を残すとすぐに消えてしまった。 人混みに消えていく黒い背中を見送って、マリーが小さく笑った。 「不器用な人でしてね、心配を口にするのに少々まどろっこしいんです」 「……えぇ、そのようですわね」 母はわずかに眦に涙をにじませながらそう答えた。 「レイナ、行こうか。 ミセス・タチバナ、娘さんをお預かりします」 「うちの子をよろしくお願いします、マリーさん。 レイナ、母さん、日本にもう帰らなきゃならないからここでね? 頑張って来なさい」 「うん、いってきます」 列車に乗り込みながら母に手を振る、笑顔の母の頬に涙のあとがあったことにレイナは、泣きそうになっている自分に気づいた。 母と別れ列車に乗ると、ちょうど空いてるコンパートメントを見つけ二人で中に入った。 荷物を棚にのせながら、胸のうちを襲う郷愁じみた感情を持て余していると、「レイナ」とマリーが声をかけて来た。 「うぇ! あ……何?」 「荷物、大丈夫?」 思考に沈み込んでいた為か荷物を抱えたままだったレイナに、マリーは首を傾げた。 慌てて上げようと棚を見上げても、自分には指が微かにつくぐらいで、上がりそうもない高さだ。 「無理みたい……」 「替わるよ」 差し出された手に、申し訳ない気持ちで荷物をマリーに渡すと、軽々と持ち上げて棚に乗せてしまった。 「あ、ありがとう!」 「どういたしまして。 ──レイナは、発音が綺麗だね」 「え、そう? お母さんにがっつり鍛えて貰ったんだ、会話出来ないと大変だから」 苦手だった英語を褒められて、熱くなった頬を押さえながら答える。 その様子にクスクスと笑ったマリーは、本当に一つ年下だとは思えない。 「日本語も音が綺麗だからね。 レイナは、漢字でどう書くの?」 「え、えーとね」 ポケットから出した杖で空をなぞると、軌跡が光の筋となって字を浮かび上がらせる。 「“玲奈”って、こう書くんだ」 「へぇ……」 興味深く字を見つめるマリーに、漢字に興味があるのかなと思いつつ、空で解けていく文字を見送った。 車輪が軋みを上げて列車が動き出す。 親に手をふる子供を見ながら、レイナがふとマリーに尋ねた。 「マリーの、お父さんとお母さんは? 見送りに来てないの?」 「あー……あぁ」 先程の男が、保護者で婚約者とは説明が難し過ぎて、マリーは言葉を濁した。 「」 「学校の事とか、何か聞きたい事はある?」 「うー…学校の事は、後でわからない事があったら聞くから、マリーの事を聞いてもいい?」 「……構わないよ、代わりに君の話も聞かせて」 レイナはその言葉に頷いた。 ホグワーツ特急は順調に北へと走り、外には雲がだんだんと厚く垂れ込め、車窓には一段と暗く荒涼とした気配が広がっていった。 コンパートメントの外側の通路で暇を持て余した生徒が追いかけっこをし始めた頃になると、丸っこい魔女が食べ物を積んだカートを押して、コンパートメントのドアの前にやってきた。 そこで二人はいくつか買い物をすると話しを再開した。 「お母さんは、漢方薬のお店をしてるんだ。 薬草学が得意だったらしくて色々教えて貰ってて、私も薬草学はとても好きなんだ」 「カンポー……中国から日本に伝わった医学だね? 魔法薬学にも似ていて私も興味があるな…」 「マリーは魔法薬が得意なの?」 それにコクリと頷いた。 「へー…あ、そう言えばあの怖そうな人、魔法薬の先生なんだよね……」 「スネイプ、教授…?」 なんとも言えない表情で答えたマリーに、レイナは気付いていないようだった。 「失礼だけど…凄く怖かった!初対面から!」 幾分青い顔で呟くレイナに同情しつつ、マリーは後でこの事に関しては彼に問い詰める必要性があるなと口の端をひくつかせた。 「あ、雨酷くなって来たね」 レイナに続くように窓の外に視線を移せば、昼下がりに降り始めた雨は激しさを増していた。 外は雨足が微かに光るだけの灰色一色で、通路と荷物棚のランプが点り薄暗い車内を照らした。 「嫌な天気……初日からこれだと気分盛下がっちゃうなぁー」 「来年の初日は晴れるよ」 マリーの予言めいた言葉に、レイナは振り返った。 「あと5回はあるんだ、雨ばかりじゃないさ」 「そ、そうだよね!」 でも、私に来年はあるのだろうか。 微かな違和感を見せたレイナに目を細めた後で、マリーは話を変える様に窓の外に視線を移しながら口を開いた。 「もう着く頃かな」 「え、もう? なんだか、凄く早く着いちゃった感じ」 陰った表情を、拗ねた表情にぱっと変えたレイナはそう言って唇を尖らせた。 「学校に着いたら、きっともっと楽しいよ」 そう言って微笑んだマリーにレイナも笑顔で頷いた。 すると急に汽車が速度を落し始め、マリーは目を細めた。 「え、もう着いたの?」 予想以上に早い到着にレイナは驚きと同時に、焦る。まだ制服に着替えてすらいないのだ。 マリーは時計を確認してから、「いや」と短い否定を呟くと窓の外を睨んだ。 汽車はどんどん速度を落していき。 蒸気ピストンの音が次第に弱くなると、窓を撃つ雨音が一層激しく耳についた。 マリーの険しい横顔に、レイナは不安そうな顔でコンパートメントを見渡した。 殺し切れない勢いに汽車は、ガクンと大きく揺れてから止まった。 レイナは思わず、席のひじおきに縋った。 離れた場所からいくつか、荷物棚からトランクが落ちたのだろうドシンと重そうな音と、悲鳴が聞こえてくる。 ざわざわと動揺が滲んだ囁き声が汽車中に充満していく。 そして、なんの前触れもなく明かりが一斉に消え真っ暗になると、生徒達のパニックは大きくなり悲鳴が響き渡った。 「な、何?!」 「静かに」 「マリー……?」 震えた声をあげたレイナの腕を、マリーが強く掴んだ。 緊迫感のあるマリーの雰囲気に、レイナの緊張がじわじわと高まる。 「来る」