列車がホグズミード駅で停車すると、外は凍るような冷たい雨が降っていた。 「一(イッチ)年生はこっちだ!」 ホームに響きわたる懐かしい声に、ハリー達は足を止めて振り返った。 マリーの横でびくびくのレイナと同じく、びくびくの新入生達を、例年のように湖を渡る旅に連れていくために手招きしているハグリッドが見える。 「おぉ、みんな元気かー?」 こちらに気付いたハグリッドが、新入生の群れごしに大声で呼び掛けた。 手を振ったが話し掛けることは出来そうもなく、残念そうな三人を馬車の方に背を押して、マリーたちは歩き出す。 馬車に乗る時になって定員の関係で、ルーピンとは一旦そこで別れた。 またあとで、と手を振るルーピンに見送られ、ホグワーツの城を目指す。 馬無しの馬車に始終驚いていたレイナとジニーを横目に、微かに黴と藁臭い馬車のボコボコとした座席のクッションに寄り掛かりながらマリーは窓の外に視線を移した。 壮大な鋳鉄の門を緩やかに走り抜けると、門の両脇に立つ石柱の上、羽を持つ猪の象の脇に浮かぶ吸魂鬼が見えた。 「あ、さっきの」と、同じく気づいた存在にレイナが声をあげる。 「パパが言ってた、吸魂鬼がシリウス・ブラックから学校を守るんだって」 二人の会話に、マリーは微かに苦笑を浮かべた。 (私は“奴ら”から守らなきゃならない) さらに速度を上げる馬車の小窓から身を乗り出している二人に、気をつけろよと小さく注意をいれる。 しかし、彼女達はだんだん近づいてくる城の尖塔や大小の塔に夢中で、聞こえてはいないようだ。 到着にひと揺れしてから止まった馬車から降りると、ちょうど聞こえて来た気取った声にマリーは振り返った。 またマルフォイが嬉々としてハリー達に突っ掛かっていた。 相変わらずだなと見ていると、次の馬車から降りて来たルーピンが間に入ったようだった。 「行こうか」 「う、うん……」 騒動を唖然と見つつ、立ち止まっていたレイナとジニーを先へと促す。 「マルフォイって、相変わらずな奴ね」 兄への悪口が聞こえていたらしいジニーの悪態を宥めながら、生徒達の波に混じって石段を上がる。 正面玄関の巨大な樫の扉を通り広い玄関ホールに入ると、新入生に混じり隣からレイナの感嘆の溜め息が上がった。 大広間の天井は今夜の空と同じ暗い曇り空に魔法で帰られていたのを見て、レイナは小さくまた声をあげた。 「レイナ、これくらいで驚いてたらこれから大変よ?」 ジニーの茶化した言葉に、レイナは真面目な顔で頑張ると頷いた。 あまりの気が張りように、ジニーは笑った。 マクゴナガルに呼び出されたハリーとハーマイオニーは、組分けを終えてしまった大広間に戻ると、テーブルに出来るだけ目立たないように歩き、ロンが開けてくれた席に座った。 その正面にはマリーとレイナが座っていた、ジニーは他の友達の所にいるらしい。 ハリーとハーマイオニーはロンの両脇の椅子に腰を下ろした。 「一体なんだったの?」 小声で聞いてきたロンに答える前に、ダンブルドアが挨拶のために立ち上がったので、ハリーは話を中断した。 「新学期おめでとう! 皆にいくつかお知らせがある。 一つはとても深刻な問題じゃから、皆がご馳走でぼーっとなる前に片付けてしまう方がよかろうの……」 ダンブルドアは咳ばらいしてから言葉を続けた。 「ホグワーツ特急での捜査があり。 皆も知っての通り、我が校は、ただいまアズカバンの吸魂鬼……つまりはディメンター達を受け入れておる。 魔法省のご用で、ここに来ておるのじゃ」 ダンブルドアの言葉に、ハリーはウィーズリー氏が言ったことを思い出した──ダンブルドアは吸魂鬼を快く思っていない。 「吸魂鬼達は学校への入口という入口を固めておる。 あの者達がここにいる限り、はっきりいっておくが、誰も許可なく学校を離れてはならんぞ。 ディメンターは悪戯や変装に引っ掛かるようなシロモノではない──『透明マント』でさえ無駄じゃ」 ダンブルドアが付け加えた言葉に、ハリーとロンは視線を交わした。 「言い訳やお願いを聞いてもらおうとしても、ディメンターには生来出来ない相談じゃ。 それじゃから、一人一人に注意しておく。 あの者達が、皆に危害を加えるような口実は与えるでないぞ」 ダンブルドアは深刻な顔付きで誰一人身動きもせず、声を出す者もいない大広間を見渡した。 「楽しい話に移ろうかの」 ダンブルドアは声のトーンを明るくした。 「今学期からうれしいことに、新任の先生を二人お迎えする事になった。 まず、リーマス・ルーピン先生。 ありがたい事に空席になっている『闇の魔術に対する防衛術』の担当をお引き受け下さった」 一張羅を着込んだ先生方の間でルーピンは一層みすぼらしく見えた為か、気のない拍手が起きた。 ルーピンと同じコンパートメントに居合わせた生徒だけが、ハリーを含めて大きな拍手をした 「スネイプを見てみろよ」 ロンが拍手を続けながらハリーに囁いた。 スネイプはルーピンの方を睨んでいた──その表情は狙っていた席を取られた怒りと言うよりも、ハリーによく向けられる憎しみの表情だ。 ちらりとハリーがマリーを見ると、拍手をしながらスネイプを見て困った顔をしている。 ハリーの視線に気づいたマリーは、振り返ると小さく肩を竦めてみせた。 「もう一人の新任の先生は」 ルーピンへのイマイチぱっとしない拍手がやむのを待って、ダンブルドアが続けた。 「ケルトバーン先生は『魔法生物飼育学』の先生じゃったが、残念ながら前年度末を持って退職なさる事になった。 手足が一本でも残っているうちに余生を楽しまれたいとのことじゃ。 そこで後任に、嬉しいことに、外ならぬルビウス・ハグリッドが、現職の森番役に加えて教鞭をとって下さる事になった」 ハリー達は驚いて顔を見合わせた。 そして、三人は他のグリフィンドール生と共に割れんばかりの拍手をした。 ハグリッドは真っ赤な顔で、うれしそうにほころんでいたようだが、真っ黒なもじゃもじゃの髭に埋もれてしまっていた。 「そうだったのか!」 ロンがテーブルを叩きながら叫んだ。 「噛み付く本を教科書に指定するなんて、ハグリッド以外にいないよな?」 ハリー達は1番最後まで拍手し続けた。 ダンブルドアがまた話し始めた時、優しげな眼差しがこちらに向けられたことでレイナの姿勢がぴんと伸びた。 顔がハグリッド並に真っ赤になっていた。 「それから、新入生と他に二年生に新しい仲間を迎える。 レイナ・タチバナは日本の魔法学校に通っておったが持病の関係での、薬を製造できる者がおるこの学校に転校する事になった。 先に組分けをし、ご覧の通りグリフィンドールに入った。 彼女にわからないことがあれば、みな手助けをしてやってほしい」 赤い顔のまま頭を下げたレイナに大きな拍手が上がった。 特に双子は口笛を鳴らし盛り上げていたが、レイナはさらに顔を赤くしてついにはマリーに隠れるように背中を丸くしていた。 「さて、これで大切な話はみな終わった」 ダンブルドアが宣言した。 「さぁ、宴じゃ!」 目の前の金の皿、杯に素晴らしいご馳走が現れた。 大広間に映る曇天の夜空の下に話し声と笑い声、ナイフやフォークの触れ合う賑やかな音が響き渡っていた。 「すごーい、やっぱり西洋ってやる事成す事派手だよー!」 「日本ではこんな事なかったの?」 「うん、なんか修行僧な気分だった」 「教会だったの?」 おそらく仏教関連に知識がないであろうマリーが首を傾げた。 「仏教の寺みたいなね、内容はどちらかといえば神道だったけど」 「日本は奥深いな」 最後にかぼちゃタルトが消えると、ダンブルドアが寝る時間だと宣言した。 食事が落ち着いた辺りで質問攻めになっていたレイナはほっとしているようだった。 ハリー達三人は隙を見て、ハグリッドに駆け寄っていった。 それを視線だけで見送り、ちょうど席立ち上がったスネイプと一瞬だけ視線を交わす。 お互いにだけわかるその感情の色を感じ取ってから、レイナと共だってマリーはグリフィンドール生の流れに乗って寮へと向かった。 他の寮と比べて、大広間から距離があるグリフィンドール塔までは、レイナにとっては長い道のりだ。 迷子になりそうと泣き言をこぼすレイナに、慣れるまでは一緒に過ごそうと励ましているうちに。秘密の入口の前へと、たどり着いた。 「合言葉は、『フォルチュナ・マジョール。たなぼた』だ。 忘れたら入れないから気をつけて」 「げ、合言葉なんてあるの?」 顔を歪めたレイナに苦笑しながら肖像画裏の穴を通り、談話室を横切る。 女子寮に入りかけて、マリーはふと思い出した。 レイナの部屋は、女子寮の部屋にはない。 定員の問題もあるが、そもそも彼女持病の関係もあり、マリーとレイナの二人は、男子寮と女子寮のちょうど間にある小さな空き部屋と寮監であるマクゴナガルから通達があった。 事前に渡されていた鍵を使って、二人はその秘密基地のような部屋へと足を踏み入れた。 中に入ると、事前に屋敷しもべが掃除をしてくれていたらしい、ホコリひとつない半円形の部屋が広がっていた。 わぁと歓声を上げて部屋に入ったレイナの後ろから、他の生徒たちが初めて扉の開いた部屋を興味深そうに覗いている。 小さな半円形の寝室には、四本柱の天蓋付きのベットが二つ置かれていた。 懐かしい。 その部屋をきらきらした顔で見渡すレイナを見つめながら、あまり知られていないグリフィンドール塔にあるこの小部屋の存在理由を知るマリーは、小さく口の端を歪めた。 (やぁ、ただいま) ・・・ 一人っきりの小さな部屋で、誰にもその声を聞かれないように。 誰にもその声の力の影響を与えないように。 唇を噛んで、制御する為の術を修得するため。 少女はたった一人で、部屋にうずくまった。 悲鳴も、泣き声も。誰にも聞かれる事はなく──……。 「───……」 薄く開いた碧眼が、微かに薄い水膜を擁していた。 酷く懐かしい夢を見て目を覚ました。 夢と同じ天井を見上げ、夢と現が混濁しつつも、あの時にはなかった自分以外の気配に微かな安堵を感じる。 マリーはゆっくりと瞬きをし、それからベッドから起き上がった。 スースーと微かな寝息をたてているレイナを見てから、まだ夜明け前の空を窓から眺める。 ふと、湧いた衝動に動かされ、マリーは猫へと姿を変えると、レイナに気付かれないように音を起てずに部屋を抜け出した。 ただ衝動のままに、彼の顔が見たくなった。 肉球から伝わる石畳の冷たさに浮足立つような感覚になりながら、マリーは地下牢まで降りて来ていた。 早朝よりも早い時間。 ゴーストさえいない廊下を今一度見渡してから、魔法で鍵のかかった扉を薄く開けて、その隙間に小さな体を滑り込ませる。 部屋の主はまだ寝ているようで、飛び乗ったソファの背から部屋を見渡したあと、人気のない暗い研究室から続く寝室へと足を向ける。 同じように扉を明け寝室に入ると、部屋の主──スネイプはやはりまだ眠っていた。 起床にはまだまだ早い時間であったから予想はしていたが、余りに静かな寝室にマリーは少し躊躇ったものの。 さらに気配を消してベットの脇まで歩み寄ると、軽い跳躍でベットに上がった。 フカフカの足元にバランスを崩しながら、マリーはスネイプの枕元まで近づく。 男性にしては薄い胸が、規則的に上下している。 マリーは碧眼を細めベットに腰を下ろすと、スネイプの顔をじっと見つめた。 房になって散らばる黒い髪、彫りの深い土気色の顔に刻まれた年齢を感じさせる皺──それを見て、彼の存在を感じて、ようやくホッとしたような感覚にマリーは心中で苦笑した。 前日に、冗談めかして言ったはずの言葉通りになってしまった自分が情けない。 これ以上長居をしては、スネイプを起こしてしまいかねないし、同室のレイナが自分がいない事に気付くのもまずい。 もう戻るか、と踵を返した猫の首根っこがいささか乱暴に掴また。 ひょいっと軽く摘み上げられて、み゙っ、と猫の悲鳴があがる。 「何をする気かと、期待して待っておれば……見るだけ見て、帰るのか?」 寝起きで掠れたバリトンボイスが、耳元で囁かれ猫の耳はひくりと動く。 引き寄せられた小さな体は、スネイプの胸の上に乗せられ抱えられてしまう。 「起こしてしまった……?」 「尻尾が手に当たって擽ったかったのでな」 「………すまん」 ニヤニヤと笑うスネイプは未だ眠そうな顔で、マリーはしおっと耳を垂らした。 尻尾は結構、意志関係なく動くものなのだから仕方がない。 大きなスネイプの手が、猫の小さな頭をゆったりと撫ぜる。 「何か、あったか」 「ん……」 ゴロゴロと喉を鳴らすマリーを見つめるスネイプの目は優しい。 「ちょっと、ホームシックってやつかな……久しぶりに離れて寝るし、ね」 あの夢の事も、自分の過去の事も、まだ話すには躊躇いがあってそうごまかした。 スネイプはそれに、そうかと、言っただけだった。 「まだ……起きるのには早いな……」 「うん、起こしてしまってごめん」 目を細めて時計を見たスネイプに、マリーはまた小さく謝った。 「気にするな、お前に甘えられるのは嫌じゃない。 どうする…このまま、一緒に寝るか?」 酷く魅力のある誘いであったが、マリーはゆっくりと首を横に振った。 「レイナが、いつ起きるかわからないから戻るよ」 「そうだったな……」 忌ま忌ましそうに顔を歪めたスネイプの胸から、マリーは跳び降りる。 こちらを見る為に寝返りをうったスネイプの手が、名残惜しそうにマリーの毛並みの背中を撫ぜる。 それに気持ち良さそうに目を細めながら、黒い尻尾がゆったりと踊る。 「でも、セブルスが寝るまではいる」 「眠ってられないな」 「いいから寝て、授業に響くぞ」 マリーの言葉に、そこまで柔じゃないと笑うスネイプの瞼は重そうだ。 「マリー……」 「おやすみ、セブルス」 撫ぜていた手から力が抜けてシーツの上に落ちる。 マリーはまた眠りに落ちたスネイプの顔に、鼻先を押し付けるようなキスを贈るとベットから降りた。 「よい夢を──」 眠る愛しい人を起こさないように、来た時と同じく静かに寝室の扉は閉められた。 幾分明るくなった空を見上げ猫は、元来た道を帰る。