「ミス・カウンシル」 あの独特な猫撫で声に、マリーはひくりと口の端を震わせた。 「笑いたければ、笑えばいいだろう。 必死で堪えるな、腹ただしい……っ!」 怒りに震えるスネイプに、マリーは遂に我慢できずにふき出した。 表情があまり出ないマリーをここまで笑わせる原因は、ハリー達の授業まで遡る──。 マリーたち二年生に続き、ルーピンの授業においてネビル・ロングボトムが対峙したボガートは、セブルス・スネイプへと姿を変えた。 のそりと洋服ダンスから出てくる、自分の苦手学科の教授とはなるほど想像しただけて恐ろしそうだ。 ネビルは、そのボガートに対抗するため、祖母の洋服を着せたと言う。 つまりはかの魔法薬の教授に、レースで縁取りをした緑色の長いドレスに、見上げるように高い帽子のてっぺんに虫食いのあるハゲタカをつけ、手には巨大な真紅のハンドバックを持たせたなかなかに奇抜な格好に変えてしまったのだ。 教室にいた生徒全員に笑われたボガートは、かなり困惑したことだろう。 そして、その噂は校内中に広がり、マリーの耳まで届くことになった。 「くそっ、ロングボトムめ……っ」 この話がおもしろくもおかしくもない人物はたった一人、もちろんセブルス・スネイプ本人なわけだが。 その愛すべき婚約者が、珍しく声をたてて笑うのを、スネイプは酷く複雑そうな表情で睨んだ。 あまり感情が出ないマリーが、珍しく声を上げて笑う事はいい。だが、その理由が自分だと言うのが腹正しい。 そんな攻めぎあう感情に、スネイプは複雑な思いで眉間に深いシワを刻んだ。 マリーは、眦に滲んだ涙を指の腹で拭いながら「それでね」と話しはじめた。 「新学期始めの週だし、此処には来れないかもとは言っていたけど」 「……タチバナには怪しまれなかったのか?」 「アーガスさんに協力してもらってね、罰則って事になんとか繕ったさ」 くつくつと小さく笑うマリーの表情は未だ愉快そうだ。 マリーと学校の管理人であるアーガス・フィルチは、なんの繋がりなのか昔から仲がいい。 猫繋がりなのかもしれないと、スネイプは常々考えている。何せ、フィルチの飼い猫は彼女にべた惚れだからだ。 ともかく、協力と言うのはレイナの前で、適当な難癖を付けて罰則を受けるようにしたのだろう。 それなら、休日は一緒にいれない、という1番簡単で理由がいらない。 しかしあまり何度も使える方法じゃないけどねと、マリーはつけ加えた。 「それで、そんな危険を侵してまで、此処に来た理由をお聞きしようか?」 「あまりにスネイプ教授が不機嫌過ぎるから、ご機嫌を伺いに、ね?」 的確な処置であるのは確かだが、なんとなく腹ただしくてスネイプはフンと鼻を鳴らした。 「ネビルをあんなに虐めるからだよ」 「出来ない奴が悪いだろう」 「端から見れば、グリフィンドール虐めの一貫だろう。 スリザリンのマルフォイの付き人二人も凄まじい腕前だろうに」 少し遠い目をしたのは二年前、自分の助手をしていた時の事を思い出しているのだろう。 新入生だからかもしれないが、確かにあの二人の腕前は酷いものだった。 スリザリンでなければロングボトム並に点を引いていた事だろうが、マリーの言葉を今認めたくはない。 「二年前よりはましだ──……」 「どうだか」 マリーの歪めた口許に微かに意地の悪さがちらついた。 おそらく、こっちの考えなどバレバレなのだろう。 「マグルがシリウスを目撃したらしいな」 マリーは話題を返ることにしたようだ。 「あぁ……ここからあまり遠くない」 シリウス・ブラック目撃の記事が日刊預言者新聞の一面を飾ったのは数日前の話だ。 「マルフォイには余計な事を、ハリーに吹き込まないもらいたいな」 すぅっと目を細めたマリーの声は未だ楽しそうに笑っている。 スネイプとは逆に機嫌がいいように思えたが、スネイプにはむしろその逆、自分と同じで不機嫌だとわかっていた。 「どう言う意味だ……?」 「ハリーを焚きつけないで欲しいんだよ」 こめかみに指を当てたマリーは、グリフィンドールの寮でハリーに何か言われたのだろう。 確かに、自分の講義中にハリーとマルフォイがそんな話をしていた記憶がある。 「いつかは知る事だろう」 「ふ……マルフォイから知ってどうなる?」 スネイプは開きかけた口を閉じた。 マリーの視線は幾分鋭さを持っているのは、彼女がまた隠し持った秘密を守るためか。 「なら、お前が話すのか、マリー?」 マリーは猫のように目を細めた。 「真実を彼に教えるのは、私ではない」 彼女の言う真実がなんなのか、スネイプにはわからない。 理解するつもりがなかったのかもしれない。奴らの話になると、余裕がなくる。 「真実を、教えるのは私以外でなければ──」 微かに感情に濁った目を、マリーは手で覆った。 それが何を意味するのか、スネイプはまだ知らない。 ・・・ 十月にもなると、クィディッチ・シーズンが到来し学内がザワザワと仕出す。 最近暗かったハリーも練習が始まると、憂さ晴らしにもなっているのか表情もスッキリして見えた。 「すごいわね、ハリー!」 練習を見に行きたいと言うレイナに付き合って、外の練習場までやって来たマリーは冷えて来た空気に首をマフラーに埋めたまま、空を舞う選手達を見上げるレイナの横顔を見つめていた。 クィディッチは数世紀前に、とあるホグワーツ生の集団が全く持って不具合のある箒で世界一周をしようとしていたところ、命の危機を日本の魔法使いに助けられたという伝説を通して導入されたため、アジアの中でも日本ではかなりメジャーな競技だ。 日本のクィディッチとチーム『豊橋天狗』といえば、今のチャンピオンズリーグの勝者である。 「私のお父さんも、若い頃はチームにいたのよ」 「そうなの?」 「うん、私が生まれる前に怪我で辞めちゃったんだけどね」 今はコーチをしてるの、とレイナは言って笑った。 しばらくすると冷えてかじかんだ手を擦り合わせながら、レイナはマリーを振り返った。 「さすがに寒いねっ、戻ろうか」 「そうだね……鼻の頭が赤いし」 「嘘っ」 「ほんと」 冷えて朱くなった鼻を押さえたレイナに、マリーは笑った。 グリフィンドールの談話室に戻ると、三年生がざわざわとざわめいていた。 「どうしたのかな、あれ?」 くたびれた古い掲示板に集まっている生徒達の姿に、マリーはあぁと納得したように頷いた。 「ホグズミード週末だよ」 「ホグズミード?」 掲示板に張り出された「お知らせ」を顎で指したマリーは、まだこの学校に慣れていないレイナに説明をした。 「三年生から、週末だけ外出の許可がでるんだ。 ここのすぐ近くの、“魔法使いの村”までだけどね」 「へぇー、いいねー!」 心底羨ましいそうな表情のレイナに、マリーは曖昧に笑った。 「じゃあ、来年。来年は、一緒に行こうねマリー」 レイナの言葉に微かにマリーが目を見開いた。 照れ臭そうなレイナの横顔に、マリーは歪つな表情を俯かせながら、あぁと答えた。 (こんな、確約のできない約束など……するものじゃないだろうに) 彼女といて忘れかけていた自分の現状に、マリーはぞっとした。 それを彼女以外が気付くはずもなかった。 「……レイナ、ごめん。先に寮に戻っててくれないか」 「え、いいけど……。どうかした?」 「ううん。少し……鼻風邪かな、マダム・ポンフリーのところにいってくるよ」 「大丈夫、一緒に付き添おうか?」 心配顔のレイナに、マリーは首を横に振った。 「君まで風邪を引いたら大変だよ、先に戻って体を温めていて」 そう言い残して、まだ心配そうな顔をしているレイナの視線から逃れるようにマリーは歩き出した。 「無理はしないで、お願い」 後ろからレイナの声が追いかけてきたが、今のマリーに応える余裕はなかった。 廊下を足早に進むマリーは、ふと足を止めて振り返った。 廊下に立つのはひょろりと痩せた女性──薄暗い廊下にショールに飾られたスパンコールが鈍く光る。 「……トレローニー教授」 焦点も合わずギョロギョロと動く目に、マリーは直感的に彼女が一種のトランス状態にある事がわかった。 ふらふらと危なげな足取りながら、こちらに近づいてくる彼女に、マリーはじりりと片足を後ろに引く。 【闇の帝王は、友もなく孤独に、朋輩に打ち捨てられて横たわっている。 しかし、自由の身になった召使いの手を借り再び立ち上がるであろう】 薄く開いた#トレローニー#の唇から、こぼれおちた荒々しい声がマリーの鼓膜をザワザワと粟立てた。 トレローニーの伸ばされた手が、立ち竦んだマリーの肩をがっしりと掴んだ。 【ガブリエルよ、お前の自由もあと僅か。 今、ある…自由に、後悔を、残す……な……】 マリーの碧眼が微かに目を見開かれた。 最後の言葉を言い終えると、トレローニーは頭をガクリと倒した──トランス状態が解けたらしい。 トレローニーはそのまま小さく呻いてから、バネ人形のように首がピンと起き上がった。 「あら………失礼? 俗世に久しぶりに降りて来たので、眩暈がしてしまったの」 先ほどまでの声をとはまるで違う、彼女らしい声にマリーは乾き切った口をなんとか動かして「いえ…」と答えた。 肩を掴んだままのトレローニーの手を離すと、ふらりとマリーは後退る。 「顔色が悪いですわよ、ミス? あぁ──貴方気をつけて、貴方は6月頃に“大切なモノ”を失うわ」 「……御忠告どうも」 マリーはぐいっと頭を下げると踵を返した。 「諦めてはいけませんのよ、それでもまだ──」 トレローニーの言葉の続きが聞きたくなくて、マリーは走り出した。 言われなくてもわかってる、他人に指摘されずともよくわかっている。 ざわつく胸を抱えたまま俯いて走っていたマリーは、その次の角で人にぶつかった。 「おっと──おや、マリー?」 驚いたな、とルーピンは胸に抱きとめた生徒の正体がマリーだと気づくと、意外そうな声を上げた。 「どうしたんだ、何かあったのかい?」 受け止められた体制のままかけられた声に、マリーは顔をあげられないでいた。 「……急ぎの用じゃないのなら、私とお茶でもどうだい?」 少し間を開けてからかけられた声に、マリーは無言のまま頷いた。