ルーピンに進められるまま招かれた彼の私室の椅子に、マリーは大人しく腰を下ろした。 「お茶といっても、この部屋はティー・バッグしかないんだ」 「構わないよ……お茶の葉は今、見たくない」 額に手をあて呻いたマリーに、ルーピンは埃っぽい紅茶の缶の蓋をあけながら首を傾げた。 「二年生は、トレローニー教授の授業はなかったはずだよね?」 「今、偶然会って占われただけさ……」 苦々しいマリーからの答えに、なるほどと頷いてルーピンが杖で叩いたヤカンが湯気を吹き出し始める。 「その顔、余りいい結果じゃなかったのか」 「いや……図星指されて、腹がたっただけさ」 投げやりなマリーの珍しい不貞腐れ具合に、ルーピンは苦笑を浮かべた。 虚ろな碧眼を隠すように目を閉じた後、開かれた瞳には濁った感情は綺麗に消されていた。 「セブルスといい、君といい。閉心が上手いね」 カップを渡しながらルーピンは微かに悲しげに笑った。 「そうするしかなかったんだよ……」 マリーは受け取った紅茶の湯気を揺らすようにそっと囁いた。 「一族を守る為にか」 「そこまで、私は真っ当な人間じゃないよ。 自分を守る為さ──きっとね」 「そうかな? 君は、自分以外の為になら動く人間だった筈だろう──確実に昔はそうだった」 微かに見開いた目が、ルーピンを見た。 「私の事も、そしてレイナの事も………君は優しいから」 穏やかに笑うルーピンに、マリーが少し困ったように笑うだけだった。 「あの、地図もそうだった」 「あぁ……アレか」 ルーピンの言葉にマリーも懐かしそうな色を浮かべた。 ・・・ 意気揚々と前を歩く二人の後ろを、リーマスとピーターは浮かない表情で追い掛ける。 「でもさ、本当に大丈夫…かな……?」 「何言ってるんだ、リーマス。 アレの必要性はもう十分わかってるじゃないか!」 「アレがあれば俺達の“冒険”がより安全になものになる」 「で、でも、ガブリエルを巻き込むなんて……」 今だ腰が引けがちなリーマスとピーターに、ジェームズは立ち止まって振り返った。 腰に手を当て仁王立ちしたジェームズに、リーマスとピーターは慌てて立ち止まって体を後ろに反らせた。 「ようやくここまでこぎつけて失敗なんて、僕はゴメンだね! やるからには完璧にしなくちゃ」 「ったく、もう諦めろよ。 マリーの協力は必要なんだよ、絶対な」 「だけど……」 ジェームズの後ろで腕組みし、呆れた表情のシリウスにそれでもリーマスは頷けないでいた。 内容が内容なのだ。 “狼人間である自分といる為に、無申請のアニメーガスになった三人が学校を抜け出す協力をしてくれ” なんて、いくらなんでも相談するのに躊躇うのが普通だ。 目の前の二人には、適応されない普通なようだが。 「図書館にはいるよな」 「あぁ、いつものように“スニベルス”といるだろうさ」 「彼を“泣き味噌”と呼ぶのはやめたらどうだい……ブラック」 後ろからかけられた気怠い声に、リーマス達の前に立っていた二人が振り返った。 聞き覚えのあるその声に気さくに挨拶を返そうとしたジェームズの笑顔が、彼女の顔見て一転して曇った。 それに気付いたマリーが自身の腫れた頬に触れながら、微苦笑を浮かべた。 「あぁ……大丈夫、ちょっと癇癪が当たっただよ」 「また、あの姉上か」 忌ま忌ましげに顔を歪めたシリウスに、マリーは緩く口の端を上げただけだった。 その口の端に滲んだ血に、リーマスも眉を潜めた。 ガブリエルの名を継いだマリーに、姉・ナディアのわかりやすい虐めが浚に酷くなった。 目に見える傷はいつも以上に増えていながら、マリーの表情は相変わらず飄々としていて、それがナディアを苛立たせているのは明白だった。 閉心術の心得がある#マリ#ーに、感情の揺れを求めるのも無理な話なのもわかる。 「理由はなんなんだ?」 明らかに不機嫌な色を声に乗せながらジェームズが、マリーの口の端に滲んだ血を拭った。 「んー……スネイプといたからかな……? 理由なんてなんでもいいと思うけど」 「お前、一人でうろつくのやめろ。 これ以上酷い怪我したら、いい加減マクゴナガルにも言い訳仕切れないぞ」 ナディアからのあからさまな行為は教授達も知っていたが、口達者なマリーの言い訳に未だ口出し出来ていないのが現状だ。 が、最近では顔にも増えて来た傷に教授達の我慢も限界だろう。 「気を付ける……」 コクリと頷いたマリーは、「それで?」と目の前のメンツに微かに首を傾げた。 「あ?」 「私に何か、用?」 本題に入るように促してきたマリーに、シリウスとジェームズは顔を見合わせた。 「あー……ちょっと込み入った話なんだ」 「そこの空き教室にでも入ろうぜ」 シリウスが指した扉に頷くと、歩き出した四人を追ってマリーも歩き出した。 「──カウンシル!」 「?」 走り近づいて来た足音に振り返ると、微かに息を切らしたスネイプが立っていた。 先ほどの話のせいか、いつもより険しい顔をしたシリウスとジェームズを睨んだ後、スネイプはスピードを落とした足どりでマリーの前まで来ると、手にしていた物を押し付ける様に突き出した。 「?」 「冷やせ、腫れる……」 その言葉に視線を落とせば、それが小さな氷嚢である事に気付いた。 あの後、おそらく医務室に寄った後で追い掛けて来てくれたのだろう。 「ありがとう、目の前で騒がしくして悪かったね」 「──いや」 穏やかなマリーの声に、何か言いかけてスネイプは言葉を噤むと踵を返した。 「けっ、無理矢理つけた理由とは言え、あいつのせいで殴られたんだろ」 足早に去っていく背中に吐き捨てるようにシリウスが言った。 「それでも、氷嚢を持って来てくれたんだから、罪悪感はあったんだろうね。 せっかくだからすぐに冷やしなよ」 「あぁ……」 リーマスに促され、マリーは手にしていた氷嚢を、赤く腫れた頬に当てた。 染みたのかマリーは微かに顔を歪めた。 「“忍びの地図”──?」 不思議そうに微かに見開いた瞳に浮かんだ愉快そうな色に、ジェームズは嬉しそうに身を乗り出した。 「宣言通り──三年掛かったけど僕達はアニメーガスになった。 後は抜け出す算段なんだよ」 実を言えば、ジェームズ達にアニメーガスの話を持ち掛けたのはマリーだった。 狼人間とは、人間であれば一緒にいれない──ならば、動物になったらいい、酷く簡単にいいのけたマリーもまたアニメーガスだった。 猫のアニメーガスであるマリーから、一番離れた位置にいるピーターがネズミ、ジェームズが牡鹿、シリウスが大きな犬に、意のまま変身出来た。 「算段とは、ジェームズ……君の“透明マント”じゃだめなのか?」 「走り回る為には、安全の為にも近くに人がいるかいないか知る必要がある」 リーマスの肩が小さく震えた。 一番の心配がそこなのだ。 “言霊”を完全に修得する前からマリーは、リーマスが叫びの屋敷にいる間の監視を、ダンブルドアから申し付けられていたのだ。 何かあった場合は“言霊”で御するように、と。 その彼女が、狼人間である自分が屋敷から抜け出し、村や校庭を歩き回ると知れば反対──否、ダンブルドアに報告してしまうのではないかと、リーマスは危惧していた。 しかし、それはあっさりと打ち砕かれた。 「で、私はどんな“言霊”をかければいいんだ?」 やけにあっさりとした承諾に、流石にジェームズも拍子抜けしたようだった。 「え、反対もなし?」 「したほうがいい?」 「いや、十二分にいい答えだけど……」 腑に落ちないと言う顔をしているジェームズにマリーが小さく笑った。 しかし頬が痛むのか、いつもより歪つな笑みになってしまっていた。 「私もダンブルドア先生と同じように、狼人間が学校に来ていけない理由などないと思うし。 楽しい友人と満月輝く明るい夜に、“夜遊び”するのを止める理由はないと思うんだ」 悪戯っぽく細められた碧眼がキラキラとしている様子は、ダンブルドアのそれに似ていた。 「私は君達の悪戯は嫌いじゃないよ──否、差別っぽい虐めを除けばだけど」 「おいおい!あれは俺達は悪くない」 「彼が吹っ掛けて来た喧嘩を、僕たちは買っているだけだ」 憤慨したようなシリウスとジェームズを、呆れ顔のマリーは適当に流した。 この論争に決着など永遠に着かない事をマリーは知っていた。 「ここで今やるのは、人目が心配だ。 夜、私の部屋に来てくれ」 座っていた椅子から立ち上がったマリーに続くように四人も立ち上がった。 マリーの部屋はちょうど女子寮と男子寮が別れてすぐの個室、しかも“言霊”対策に防音使用だ。 夜、皆が寝静まってから“透明マント”を使って彼女部屋を訪ねる事を決めて教室を出た。 「マリー」 姉ももういないだろうと言う事で、もう一度図書館に戻ると言って踵を返したマリーの背中をリーマスが呼び止めた。 振り返ったマリーが微かに首を傾げる。 「本当にありがとう」 心の底からの感謝の言葉に、特に声と言葉に敏感であるマリーは柔らかく微笑んだ。 稀に見る彼女の面に出る笑顔に、後ろに立っていたジェームズ達も嬉しそうだ。 「夜は楽しい方がいい」 歌うような言葉は、酷く嬉しそうに弾んでいたのを今でも忘れない。 ・・・ 「あの冒険の日々は、楽しかった……」 「そうだね」 懐かしむように目を閉じたまま言ったルーピンに、マリーも微かな笑みを浮かべて同意した。 掌にあるカップの中身はもう冷めきっている。 入れ直そうと同じく冷めたヤカンの中身を温めようとした手を、マリーが止めた。 「ご馳走様、私はもう戻るよ」 「そうかい?残念だな」 眉を下げて目一杯残念そうにするルーピンに、マリーは苦笑した。 「また、ね」 その表情にちらついた哀色を追及せぬまま、ルーピンは彼女の背中を見送った。 パタン、と小さな音を立てた扉を見つめたまま、ルーピンは小さく溜め息を吐いた。 「あんな顔をするぐらいなら、次を期待させる言葉を………」 何故、言ってしまうのだろうか、と言いかけてルーピンは頭を振った。 無意識に縋ってしまうのは、次を求めているからなのだろう。 それは誰しもがそうだ。 「今年が……リミットか……」 二年前、ダンブルドアが言った彼女の自由の余命は、今年だった。 体を若返らせた行為が、呪いにどのような影響を与えているのかわからないまま、彼女は刹那を生きているのだ。 ルーピンはぎゅっと目を閉じて上を仰いだ。 「生きてくれ、マリー………」 それは自分を守り、慈しんでくれた親友の為に、願う事だった。