「ハニー、デュークスからお菓子たくさん持って来てあげるわ」 「うん、たーくさん!」 ハロウィーンの朝。 一人留守番となったハリーを気遣ってか、ロンとハーマイオニーは一度クルックシャンクス論争を水に流したようだ。 玄関ホールで二人を見送るのはハリーだけでなく、隣でレイナも一緒だ。 「私にもお土産忘れないでね!」 「もちろん」 最後まで見送ると二人は、寮に戻ってチェスでもしていようかという話になった。 日本にもチェスに似た、“ショーギ”というボードゲームがあるらしい。 見せてもらったが、駒はみんな五角形で日本の文字が書いてあり、裏表で役割が変わったりと、チェスより複雑そうだった。 チェスが得意なロンは興味津々なようで、暇を見てはレイナと“ショーギ”講座をやっている。 「居残りか、ポッター?」 擦れ違い様に聞こえた声にハリーは煩わしそうに目線だけやった。 いつものようにクラッブとゴイルを従えて並んでいるマルフォイだ。 「“吸魂鬼”の側を通るのが怖いのか?」 ニヤニヤした笑いを気にしないように、先を促すようにハリーはレイナの背中を押した。 「落ちこぼれの留年と仲良くしていろ」 レイナにまで突っ掛かってきたマルフォイに、流石に言い返そうと振り返った視界にハリーは目を見開いた。 「君も懲りないな──また、私の友人を蔑むとは。 そんなに可愛らしい囀りに変えて欲しいのか……?」 「っ?!」 背後から囁かれた声に、マルフォイは耳を押さえて振り返った。 マルフォイより少しだけ身長が高いマリーを見上げながら後ずさる。 引き合いに出したのは去年の恐怖感だ。 「マリー、スネイプ教授の用事は終わったの?」 「あぁ」 朝食の最中にスネイプに連れていかれどこかに行っていたマリーは、マルフォイに一瞥をやった後、ハリーとレイナの方に歩き始めた。 マルフォイは微かに赤い顔で小さく舌打ちすると、いくぞと言い捨てて足早に出て言った。 その三人の背中をリストと見比べていたフィルチがギロリとマリー達を見た。 ぎくりと反射的に背筋を伸ばした二人とは逆に、マリーは穏やかにフィルチに挨拶をした。 「お疲れ様です、アーガスさん」 「疲れるのは今からさ。 悪童どもときたら、ホグズミードで臭い玉とか、ゲップ粉とか、ヒューヒュー飛行虫なんぞ買ってきおって……」 毎年の後始末を思い出しているのだろう、フィルチは唸るように歯を剥き出した。 「お疲れ様です……何かあったら呼んで下さい。 ミセス・ノリスならすぐに見つけてくれるでしょうから」 「そうさせて、もらおうかね」 また生徒たちに向き直ったフィルチの背中に、それでは、と挨拶を残して立ち止まっていた二人の背中を押して歩き出した。 前から、フィルチと仲が良いのは知っているハリーに驚きはないが、レイナは別だ。 なんで?と不思議そうなレイナに、マリーは「前にちょっとね:とごまかした。 彼との付き合いがあるのは10年以上前からだが、正直に話すわけにもいかない。 「ところで、寮にいく道と違くない?」 不思議そうなハリーに、マリーは少し愉快そうに笑って見せた。 「チェスは後にして、先に面白いものを見に行こうか」 「面白いもの?」 ほぼ同時に尋ね返した二人に、あぁとマリーは頷いた。 「ルーピン教授が、誰よりも先にグリンデローを見せてくれるって」 声を潜めて、みんなには内緒だよと言ったマリーに、ハリーとレイナは目を輝かせた。 誰よりも先に、みんなには秘密、なんて言うのはかなり甘い言葉だと思う。 「やぁ、いらっしゃい」 三人を迎え入れたルーピンはにっこりと笑った。 「ちょうど、次の授業用のグリンデローが届いたんだ」 「あの、グリンデローって?」 部屋に入りながら言ったルーピンに、レイナが首を傾げた。 あれだよ、とルーピンが指したのは、部屋の隅に置かれた大きな水槽。 その中で、鋭い角を生やした君の悪い緑色の生き物が、水槽のガラスに顔を押し付けて、百面相をしたり細長い指を曲げ伸ばししたりしていた。 「水魔だよ」と教えてくれたルーピンはグリンデローを観察するように、水槽を覗き込んだ。 「こいつはあまり難しくはないはずだ。なにしろ、河童の後だしね。 コツは、指で締め付けられたらどう解くかだ」 ルーピンに倣って覗き込んだ水槽の中で、グリンデローは緑色の歯を剥き出し、それから水草の茂みに潜り込んでしまった。 「あぁ、隠れてしまったけど…異常に長い指だったろ? 強力だが、とても脆いんだ」 曲げていた腰を伸ばしたルーピンはハリー達に向き直った。 「紅茶はどうかな?」 ルーピンはヤカンを探し始め、マリーがその後ろに気付かれず置かれたそれをルーピンの前に差し出した。 「ティー・バッグしかないけど──ハリーはお茶の葉はうんざりだろう?」 ハリーは驚いたようにルーピンを見ると、彼の目は悪戯っぽく輝いていた。 「マクゴナガル先生が教えて下さった」 ハリーとレイナに縁の欠てるマグカップを渡しながらルーピンは言った。 「気にしたりしてはいないだろうね?」 「はい」 心配そうに覗き込んで来たルーピンを真っ直ぐに見ながら、ハリーはきっぱりと言った。 ルーピンの横にいたマリーの目が少しだけ細められた気がした。 「心配事があるのかい、ハリー」 ルーピンの問いに、少し悩むような紅茶を少し飲んだ後、出し抜けに言った。 「先生、ボガートと戦ったあの日の事を覚えていらっしゃいますか?」 「ああ」 「どうして、僕に戦わせて下さらなかったのですか?」 ハリーの唐突な問いに、ルーピンは驚いたように眉をちょっとあげた。 「ハリー、言わなくともわかることだと思っていたが」 ルーピンはちらちらとマリーを伺いながら言った。 ハリーは、ルーピンが否定すると予想していたので、その反応に意表を突かれた。 「どうしてですか?」 「そうだね──」 ルーピンは微かに眉を潜めた。 「ボガートが君に立ち向かったら、ヴォルデモート卿の姿になるだろうと思った──マリーがそうだったように」 ハリーは目を見開いた、隣に座っていたレイナも同じような表情だった。 予想にない答えだったし、その上マリーもヴォルデモートが恐怖の対象であった事に驚いた。 ハリーはちらりとマリーを見た。 その視線に気付いたマリーが、微苦笑を口元に浮かべた。 「私が初めてあった時のヴォルデモートの姿がね。 みんなが記憶する姿より随分若い……」 「ハリーの場合は違う、あの場でヴォルデモートの姿が現れるのはよくないと思った」 ルーピンの言葉に、ハリーは微かに言い淀んだ後、正直に答えた。 「最初は確かに、ヴォルデモートを思い浮かべました。 でも、僕──吸魂鬼の事を思い出したんです」 「そうか……そうなのか、いや、感心したよ」 ルーピンはハリーの驚いたような顔を見て、ふっと優しげな笑みを浮かべた。 「それは、君がもっとも恐れているのが“恐怖そのもの”だということなんだ。 ハリー、とても賢明な事だよ」 答えていいのかわからなかったので、ハリーはまた紅茶を少し飲んだ。 ドアをノックする音に四人が振り返る。 どうぞ、とルーピンが答えると、部屋に入って来たのはスネイプだった。手にしたゴブレットから微かに煙があがっている。 マリーとハリー達の姿を見つけると、はたと足を止め、暗い目を細めた。 「あぁ、セブルス」 ルーピンは笑顔で彼を迎え入れた。 「どうもありがとう。 今、ハリー達にグリンデローを見せていたところなんだ」 ルーピンが水槽を指差して楽しそうに言ったが、スネイプはグリンデローを見もしないで、それは結構と言った。 「すぐに飲みたまえ、ルーピン」 突き出された煙をあげるゴブレットを受け取りながら、ルーピンは諦めたように頷いた。 「一鍋分煎じた、もっと必要とあらば──」 「たぶん、明日また少し飲まないと、ね。 セブルス、ありがとう」 ハリーはルーピンが、ちらりとレイナに目配せしたのが気になった。 「礼には及ばん。 ミス・タチバナ、お前は後で研究室に来なさい、今日の分の薬を飲んでいないはずですぞ」 「は、はい!すいません」 思わず伸ばした背筋でレイナが答えた様子を見ていたルーピンが苦笑まじりに、マリーを振り返った。 「スネイプ教授の調合は複雑で完璧だが、砂糖をいれると効き目がなくなるのが残念だよ」 「──煎じ薬にまともな味を求めては駄目だよ、ルーピン教授」 呆れ顔のマリーの言葉に肩を竦めたルーピンに、スネイプは苦々しい顔をしながら言った。 「文句を言うなら、自分でやったらどうなんだ?」 「冗談、知ってるだろ? 私は昔から薬が煎じるのが苦手なんだよ」 ルーピンは顰っ面でゴブレットを飲み干した。 「レイナも。最近調子が悪そうなんだから、薬を飲むのを忘れないでよ?」 「わかってる……」 悶絶に近いルーピンの表情を見ながら頷くレイナの表情は暗い。 スネイプはマリーと小さく目配せした後、にこりともせず後ずさるように部屋を出て行った。 「酷い味だ」 ようやく飲み干したゴブレットからは、まだ煙が立ち上っている。 「さて、そろそろ失礼しようか」 カップを置いて立ち上がったマリーに続いて二人も立ち上がった。 「じゃあ、あとで宴会で会おう」 「はい」 ・・・ ルーピンの部屋をを出た後、談話室に戻ると三人でチェスをした。 勝つのはたいていマリーだったので、最後はほぼ同じ勝率のハリーとレイナの試合を、読書の片手間に眺めていた。 ロンとハーマイオニーが帰って来たのは黄昏時で、まるで人生最高の楽しいときを過ごしてきたかのような顔をしていた。 ハリーとレイナは沢山のおみげを受け取りながら、いろんな話しを聞いた。 そのうちに、マリーは時計を見ると言った。 「そろそろ下りた方がいい、宴会があと5分で始まる」 広げていたお菓子を片付けると、急いで肖像画の穴を通り、みんなと一緒に大広間に下りた。 大広間には何百もの切り抜きカボチャに蝋燭が点り、生きた蝙蝠が群がり飛んでいた。 燃えるようなオレンジ色の吹き流しが、荒れ模様の空を模した天井の下で、何本もの鮮やかな海蛇のようにクネクネと泳いでいる。 食事は相変わらず素晴らしかったし、ハニーデュークスの菓子でお腹いっぱいだったはずのロンとハーマイオニーも全部の料理をおかわりしていた。 相変わらず マリーは、みんなの4分の1ほどの量をとりわけ、のんびりと食べていた。 みんなが大広間を出る時、マルフォイが人込みから叫んだ言葉でさえ、ハリーの気分は壊せなかった。 ハリー達は他のグリフィンドール生の後ろについて塔へと向かったが、太った婦人の肖像画に繋がる廊下まで来ると、生徒がすし詰め状態になっているのに出くわした。 「なんでみんなはいらないんだろ?」 ロンが怪訝そうに言った。 ハリーは首を伸ばしてみんなの頭の間から前の方を覗いて見ると、肖像画は閉まったままのようだ。 「通してくれ、さぁ!」 後ろのほうから監督生であるパーシーの声が聞こえてきた。 人波を掻き分けて、肩で風を切って歩いてくる。 「何をもたもたしてるんだ?」 さーっと沈黙が流れた後、パーシーが突然鋭く叫んだ。 「誰か、ダンブルドア先生を呼んでくれ。急いで!」 何事かとざわざわと頭が動き、後列の生徒達は爪先立ちになった。 次の瞬間、ハリー達の後ろにダンブルドアが立っていた。 肖像画の方に歩いていくのを、生徒たちが押し合いへし合いして道を開けた。 割れた道から見えた光景に、ハーマイオニーとレイナが絶叫した。 太った婦人の絵はメッタ斬りにされて、キャンバスの切れ端が床に散らばっていた。 ダンブルドアは無残な姿を一目見るなり、暗い深刻な目で振り返った。 マクゴナガル、ルーピン、スネイプの先生方が、こちたに駆け付けてくるところだった。 「婦人をさがさなければならん」 ダンブルドアが重い声で言った。 「マクゴナガル先生、すぐにフィルチさんに城中の絵の中を探すように言ってくださらんか」 マクゴナガルがその言葉に頷く前に、甲高いしわがれ声が響いた。 「見つかったらお慰み!」 見上げれば、いつものように大惨事や心配事が嬉しくて堪らない様子のポルターガイストのピーブスが、みんなの頭上をヒョコヒョコ漂っていた。 「どう言うことかね?」 ダンブルドアは静かに聞くと、流石に校長までからかう勇気はないピーブスは、ニヤニヤ笑いをちょっとひっこめ、ねっとりした作り声で話し出した。 「校長閣下、恥ずかしかったのですよ。見られたくなかったのですよ。 あの女はズタズタでした、私は五階の風景画の中を走ってゆくのを見ました。 酷く泣き叫びながらね!」 うれしそうに言いながら、「おかわいそうに」と白々しく言い添えた。 「婦人は、誰がやったか話したかね?」 「ええ。確かに、校長閣下。 そいつは婦人が入れてやらないんで、酷く怒っていましたねぇ」 ピーブスはくるりと宙返りをして、自分の足の間からダンブルドアに向かってニヤニヤした。 「あいつは癇癪持ちだねぇ──シリウス・ブラックは」 ハリーは隣にいたマリーが、威嚇する猫の毛のように髪を膨らましたのがわかった。 ダンブルドアは、生徒達全員に大広間に戻るように言い渡した。 グリフィンドール生はマクゴナガルの先導で、先ほど出たばかりの大広間に戻った。 その十分後には、他の寮生達もみな当惑した表情で大広間に集まった。 「先生達全員で、城の中を隈なく捜索せねばならん」 マクゴナガルとフリットウィックが、大広間の戸という戸を全部締め切っている間に、ダンブルドアが生徒達に告げた。 動揺はうねりのようにざわめきとなって、大広間の中を包み込んでいた。 「ということは、気の毒じゃが……皆、今夜はここに泊まることになろうの。 みなの安全のためじゃ。監督生は大広間の入口の見張りに立ってもらおう。 首席の二人にここの指揮を任せようぞ。 何か不審な事があれば、ただちにわしに知らせるように」 ダンブルドアは、厳めしく踏ん反り返ったパーシーに向かって、最後に一言つけ加えた。 「ゴーストをわしへの伝令に使うがよい」 ダンブルドアは大広間から出ていこうとしたが、ふと立ち止まった。 「おお、そうじゃ。必要なものがあったのう……」 ダンブルドアが杖を振ると、長いテーブルが全部大広間の片隅に飛んでいき、きちんと壁を背にして並んだ。 もう一振りすれば、何百個ものふかふかしたふかふかした紫色の寝袋が現れて、床いっぱいに敷き詰められた。 「ぐっすりおやすみ」 ダンブルドアが出ていくと、たちまち、大広間がガヤガヤとうるさくなった。 グリフィンドール生が他の寮生達に事件の話をし始めたのだ。 「──ねぇ、まだ城の中にいるのかな?」 レイナは隣にいるマリーを振り返った。 しかし、あれっ?とすぐに声を上げた。 「レイナ?」 「大変、マリーがいない!」 涙目で大広間をキョロキョロと見渡すレイナに、ハリー達三人は顔を見合わせた。 「マリーなら、さっき、なぁ?」 「あぁ、そうだね」 「気分が悪くなってルーピン先生……あたりが、医務室に連れて行ったわよ?」 ほんと?と今にも泣きそうなレイナに、三人は頷く。 内心、ハーマイオニーを讃えながら。 本当は、三人は何となくわかっていた。 マリーは単身で、駆け回っているのだ──シリウス・ブラックを追って。 ・・・ 人のいない廊下を小さな影が走っていた、おそらく彼が使うだろう抜け道は知っている。 抜け道を印した地図を作ったのがほぼ自分だからだ、おそらく暴れ柳の真下──あの道だ。 マリーは学校を抜け出すと、暴れ柳のある場所まで走った。 暴れ柳を抑える為の“言霊”を発する為に開きかけたマリーの顔面に、小さな毛の塊が飛び掛かって来た。 開けた口に入って来た毛に、マリーは呻いた。 首根っこを引っつかんで引きはがすと、少々乱暴だが距離をとるために投げた。 たてた爪でこめかみと額の皮膚が裂かれ血が滲む。 口に入った毛を吐き出すと、マリーは小さな襲撃者を睨み下ろした。 ごろごろと転がった後、体制をすぐり直してこちらに向き直った。 暗闇に不気味に大きな黄色い目が光る、マリーもまた猫のようにすぅっと目を細めた。 「邪魔するのかい──クルックシャンクス」 ハーマイオニーの飼い猫はぐるぐると唸った。 しばらくの睨み合いの後、マリーはちらりと抜け道を見てから、諦めたように肩を落とした。 「君は賢く、用心深いようだね。ハーマイオニーにとても見合う猫だ」 微かな苦笑に、クルックシャンクスは逆立てていた毛を押さえた。 「伝えてくれ、真の真実を知る者は君に協力を惜しまない、と」 「──君ならそう言ってくれると信じていた」 抜け穴の奥から聞こえて来た声に、マリーは笑った。 クルックシャンクスが道を空けると、暴れ柳を落ち着かせるこぶに飛び乗ってくれた。 「十年──助ける事が出来なかった私を許してくれるか……?」 マリーがゆっくりと抜け穴に近づきながら、自嘲と悲しみを含んだ声で語りかけた。 「アズカバンに来ていたハグリッドから聞いた。 君は、奴から呪いを受けたせいで表に出る事が出来なかったと」 声が穏やかに返してくれて、マリーはありがとうと呟いた。 「君は私を信じてくれた……」 マリーは穴の側に膝をついた。 「シリウス──」 「マリー……っ!」 旧友が伸ばした手がマリーをきつく抱き寄せた。 「あいつが、生きる……っ!」 シリウスの言葉に、マリーはまさかと目を見開く。 マリーの肩を抱くシリウスの指が食い込む痛みは気にならない程の衝撃だった。 「生きて、ここにいるんだ、マリー!」 血を吐くようなシリウスの言葉を半ば呆然と聞きながら、マリーは理解した。 全てを──。