荒れ狂う風と雨の中を紅のユニフォームが飛び回る暗い空に、耳をつんざくような雷鳴が轟く。 応援する生徒達が雨で顔をうちながら声援をあげている。 マリーはグリフィンドールのスタンドの1番上の誰もいない席に一人座っていた──レイナはまだ、医務室から出る許可は得ていない。 バリバリッと雷がなり、稲妻が走るとマリーの背後で空が光った。 マリーの横の開いた席に、大きな影が映し出された。 「見に来たのか──」 髪や頬から伝った雨雫がマリーの顎先からぽたぽたと落ちる。 背後で犬の小さな足音と、微かに鼻息が聞こえる。 「ジェームズに似て、飛ぶのが上手いだろう」 小さく唇を笑みに形づくり、後ろから顔だけを前に突き出した大きな黒犬にそう言うと、返事はなかったものの確かに同意が伝わりマリーはまた空へと視線を映し出された。 ふと、黒犬が何かを感じとったように顔をあげた。 「奴らが来る」 唸るような声で呟いた黒犬に遅れて、マリーも近づいてくるその不穏な気配に立ち上がった。 立ちすくんだように動かない黒犬の怯えに気付いて、マリーはその背を押した。 「早く行け」 背中に触れる手にようやく自分を取り戻した黒犬は、マリーを心配そうに見上げた。 その鼻先を撫ぜてやりながら、風の唸り声が止み競技場を気味の悪い沈黙に辺りを見渡した。 恐ろしく冷たい波が押し寄せる感覚に、マリーはぐっと犬を押すと走り出したのを感じとってからスタンドから飛び降りた。 びちゃりと足元で泥水が跳ねる。 ゆっくりと立ち上がりながら、グランドにうごめくものを視界にいれた瞬間に右目が痛んだ。 痛みをごまかすように爪を立てて右目の辺りを手で押さえた。 鳴き声と、悲鳴と、恨み言がザワザワと波のように押し寄せてくる。 マリーはふらつく足で柔らかな地面を踏み締めながら、グランドに立つ少なくとも100はいる吸魂鬼にゆっくりと、しかししっかりとした足取りで近づいていく。 雨空に浮かぶ紅の点に群がるように空に浮かびあがる震える手で杖を掴んで空に向けた。 「エクスペクト・パトローナム──!」 杖から銀色のものが飛び出すと、“それ”は大きな翼を広げてグラウンドを低空で飛び吸魂鬼を蹴散らし空を轟かす咆哮をあげた。 蹴散らした吸魂鬼に世界に音が戻ってくる。 銀色の巨体は空から落ちてくる小さな体を、じっと見上げていた。 呪文が何処からか放たれ、ハリーが落下するスピードが弱まった。 地面に水溜まりの飛沫をあげて、落ちて来た少年を守るように、銀色の長い尻尾で彼を抱え込み、まだ未練がましく空を飛び回る吸魂鬼を睨んだ。 鋭い牙を剥き出し、近づいて来ては少年を狙う吸魂鬼に牙を突き立てる。 不気味な悲鳴のようなものをあげて吸魂鬼は、挟まれた牙の間から霧散した。 鋭い牙が爪が少年を守るように吸魂鬼を引き裂く。 遂に諦めて消えていく吸魂鬼を完全に消えるまで睨みつけると、近づいて来た気配に“それは”──銀色の気高いドラゴンは、駆け寄って来たダンブルドアとその後ろを追って来たフーチとスネイプ、それから一人でに浮かぶ担架を見下した。 「ご苦労じゃった」 ダンブルドアの言葉に銀色の中で輝く唯一の色──碧眼が細められた。 彼を守っていた尻尾が解かれ寄ってきた担架に彼が乗るのを確認すると、銀色のドラゴンは大きな翼を羽ばたかせ空に飛び上がる。 暗い雨空に輝く銀色のドラゴンを、競技場に集まった人々は見上げた。 空気を震わす咆哮をあげると銀色の光が弾けて、その巨大な姿は消えた。 咆哮に吹き飛ばされたのか雨雲が消え、雲の隙間から光の帯が濡れた地面をキラキラと照らした。 人々はその神々しいまでの光景に見惚れていた。 スタンドの下で、マリーは水溜まりに膝を付いた。 ゆっくりと傾く体を、伸ばされた腕が抱き留める。 「マリー!!」 「……リー…マ、ス」 久しぶりに“彼”を形作ったせいか、どっとこの小さな体に押し寄せる疲労感に辟易しながら、マリーの体に負担にならないように横抱きに抱えてくれたルーピンの顔を見上げた。 「今のを君が……!? あんな守護霊を操るなんて……!」 心配と驚きが入り交じる顔を見上げながら、そういえば“彼”の方を見せたのは初めてだったと思い当たる。 「ハリーは?」 「……無事だ」 心配そうに見下ろすルーピンの顔を、ぼんやりと見上げながらマリーはよかったと呟いた。 「それならいい……」 「しかし…!こうなるくらいだ、体に負担がかかっているんだろ? 君がそれで命を落としたら──……」 「どのみち、何時尽きるともわからない命だ。 未練がましくもがくより、私は彼等との願いを守りたい」 「マリー……!!」 窘めるようなルーピンの言葉に、うっすらと笑う。 自分でもわかりやすい自棄だと気付いている。 強く爪を立てていたのか再び右目に触れた指にぬるりと滲んだ血がついた。 「マリー……頼むから無茶はしないでくれ。 もう私は友を失うのは嫌だよ」 苦痛に歪んだルーピンの泣き出しそうな表情に、マリーは唇を噛んだ。 自分はやはり、彼を──この友人やあの人を、悲しませてしまうようだ。 どうしょうもないなと、自嘲的に唇を歪めながら自分もまた泣き出しそうになった。 「赦してくれ……」 それは誰に対する謝罪の言葉がもうわからなくなった。 ・・・ 「校長、あれは一体なんだったのですか」 人気のない廊下でダンブルドアは、投げかけられたその言葉に振り返った。 濡れたローブをそのままに追い掛けて来たらしいスネイプは、固い表情でダンブルドアを見据えていた。 その漆黒の瞳を濁らせる感情に気付いてか、ダンブルドアはゆっくりと向き合うように体の向きを変えてから口を開いた。 「マリーの守護霊じゃよ」 「! 奴の守護霊は“黒猫”の筈です!」 「そうじゃの……彼女自身の守護霊は“黒猫”じゃな」 ダンブルドアの言葉に意味がわからないと言わんばかりに顔を顰めたスネイプに、答えを急いではいけないと言わんばかりにダンブルドアは柔らかく目を細めながら、窓から見える空の晴れ間を見上げた。 「わしも、実際に見たのはこれで三回目ぐらいになるかの……。 セブルス、カウンシル家が昔、“竜の騎士団”を一族で結成していた事は知っておろう」 「──……はい」 眩しそうに空を細めた目で見つめるダンブルドアの横顔を、ほぼ睨むように見つめていた。 竜の騎士団──闇の魔術と歴史が同じくらい昔に結成されており、長い間闇の魔術から人々を守っていた組織であった。 ヴォルデモートの驚異に対抗する勢力として存在する“不死鳥の騎士団”と並び死喰い人達と戦っていた──そう、一族が崩壊するまでは。 「ドラゴンに関する飼育禁止の法令が成立する前までは、彼等はその名の通りドラゴンの背に跨がり闇の魔術と戦っておった」 昔、自分も生まれていない頃の話だとダンブルドアは言ったが、スネイプは有り得ないと言い切った。 「しかし……あの狂暴な生物と共に戦う事など出来る筈がない!」 スネイプの言葉通り、ドラゴンは魔法省による魔法生物の分類、M.O.M.分類でXXXXX──訓練・飼い馴らし不可とされているのだ。 個体に寄って気質は様々だが凶暴である事には変わりがない。 「あぁ、普通の人間ならば。 彼等は違う、その流れる血のおかげだと昔、マリーが言っておった」 「マリーが……」 ダンブルドアの口から出された名前に、スネイプは勢いを萎ませたように小さな声で彼女の名前を復唱した。 「一族は、ドラゴンの血を引いているのだと──それは今となっては真偽を調べる術はないが。 確かに一族には《言霊》という不思議な能力を持っている者もおるからの……一概には全てがただの伝説とは言えんだろう」 「……」 確かに、竜の騎士団は長を初め団員達もまた《言霊》を多少なりとも使えたそうだ。 それが伝承に言う、ドラゴンの血筋が持つ力だとしたら、その理由がそうだとしても可笑しくはない。 しかし、魔法省が起ち上がり人々を規制し始めると、彼等は危険な生物として認識されたドラゴンとは引き離されてしまった。 魔法界で生きていく為には人の取り決めにはどうしても従わなければならない事だったが、おそらくは苦渋の別れだっただろう。 「その長い歴史の中で、彼等はドラゴンと共に戦う事が出来なくなってからも、“守護霊”としてドラゴンと共に生きるようになっていった」 それが先程の銀色のドラゴンだと、ダンブルドアは言った。 「“彼”の名前はガブリエル──先代の当主より“彼”を受け継ぐと共に、次期当主は“彼”の名前を貰う」 「──……」 「だから、マリーはその名前で呼ばれる事を嫌うのかもしれんな」 そう呟いたダンブルドアは、窓が視線を外し難しい顔で沈黙するスネイプを見た。 「率いる一族がいないからではなく、“彼”の名前を自分が使うのはおこがましいからと、マリーは思っているんじゃろうな」 ガブリエルの名前を持った銀色のドラゴンは確かに気高く神々しい姿をしていた。 それを人間である自分が使うのには申し訳ないからと、苦く笑う彼女の顔が簡単に想像出来て、スネイプは濡れて頬に張り付く髪を掻き上げた。 「セブルス、あれを扱うには余程の精神力がいると言われておる。 彼女の今の状態では、負担ばかりが多い筈じゃ」 「………」 「言っておる意味はわかるな、セブルス?」 「はい……」 スネイプの返事にダンブルドアは満足そうに頷いた。 それから、くるりと回した手に、紫紺の小さな包みを呼び出すとスネイプにそれを差し出した。 それには見覚えがあった。 宛名はなくカウンシル家の向かい合うドラゴンが刻まれた紋が、蝋で押され封されているその厚みのある封書は、二年前にマリーからスネイプに、自分の身に何かあった時にダンブルドアに渡してくれと頼まれ。 実際に、マリーがクィレルに掠われた際にダンブルドアの手に渡った物だった。 一度封を切られたそれを返されるとは思わず、戸惑うスネイプにダンブルドアは口を開いた。 「これは、マリーが死を覚悟して真実の全てを綴ったものじゃ」 「──……」 「彼女が口に出して伝えるにはまだ辛い内容も、書いてある」 それを、今、目の前に差し出されスネイプはただその紫紺の封書を見つめるしかなかった。 「セブルス、君が彼女を受け止める決意が未だ変わっていないのであれば──全てを知る事じゃ。 マリーが望む、望まぬにしても……もう、時間がないのじゃからな」 ずいっとさらに前に出されたそれを、スネイプは微かに震える手で受け取った。 「ゆっくりでいい……心の整理をつけてから読めばよいのじゃ」 ダンブルドアはスネイプの肩を宥めるように優しくポンと叩くと、再び歩き出した。 その背中を見送ってから、スネイプは手にある封筒を見下ろした。 自分が知らぬ彼女の秘密が書かれていたと知った瞬間、前に持っていた時よりも、ずっと重く感じたそれをスネイプはしばらく立ち尽くしたままで見つめていた。