クィディッチ杯を見事グリフィンドールが勝ち取ってしばらくは、寮内は夢心地が少なくとも一週間続いた。 反比例して、スリザリン寮監の不機嫌は一週間くらい続いという。 六月が近づくと空は雲一つなく、蒸し暑い日が続いた。 だらけたい気持ちはあったが、そうはいかない──試験が迫っているのだ。 レイナとジニーが教科書を広げ、勉強を進めるのをマリーは相変わらず、気持ち程度に広げた教科書を膝に起きながら、ぼんやりと窓の外を見つめていた。 最近では、N・E・W・Tを控えたパーシーなどが夜晩くまで談話室にいるため、マリーが寮を抜け出すのがなかなか難しくなっていた。 スネイプに会いに、ブラックに会いに、と部屋を抜け出すにも、厳しいパーシーの目があっては、猫でも人でも大変なのだ。 仕方がないので、ブラックの食料供給はクルックシャンクスに頼み、スネイプに関しては昼に会うか妥協を願っているものの。 最近は我慢ならなくなって来たのか、理由をつけて魔法薬の罰則をつけてまで側にいさせようとするから困り者だ。 (マクゴナガル先生に告げ口でもしようか……いや、ただのノロケか) マリーは読んでもいない教科書の頁をめくりながら、物憂げな溜め息を一つ吐いた。 試験が終わるまでの辛抱か、と考えながら。 はと、これはどちらが辛抱なのかと思い、小さく苦笑した。 (やはり、これはノロケだな) 苦笑の中に甘いものが滲むのを感じながら、マリーは右目に触れた。 心の片隅を引っかくように、“彼女”の予言が存在した。 予言の六月はもう、やってきていた。 試験最終日、マリーは夜にスネイプの試験採点を手伝いに行くという内容を梟に頼んでおいて。 食べ物が入った籠を片手に、マリーは屋敷に向かっていた。 沈みゆく太陽の光りが、血のようなあかりを投げかけ、窓から差し込むそれが長い影を落としていた。 「シリウス……?」 暗い屋敷に差し込む赤い光をうけながら、マリーは人の気配がない屋敷を見渡した。 「シリウス?いないのか?」 嫌な予感を感じ、籠を置くと部屋の暗がりに足を踏み入れた。 ふと、低いうめき声と荒い足音、それと太いごろごろとした声が聞こえ、マリーは姿を影の中に隠した。 二階のこの部屋に飛び込んで来たのは、黒い大きな犬とそれに引きずられたロンだった。 ロンの足は、奇妙な角度に曲がっている。 思わず飛び出しかけたマリーを、黒い犬が視線だけで止めた。 それに思わず動きを止めたせいで、出るタイミングを失っているうちに、また二つの気配が近づいてくるのに気付いた。──ハリーとハーマイオニーだろう。 ロンを助けに来たのだ。 (間悪い時に、来てしまったな) マリーは部屋の暗闇に身を潜めながら、顔を顰た。 ロンから離れると黒い犬は、変身を解き人の姿をとった。 動けないロンがそれを見上げ悲鳴をあげて、必死で距離をとろうと後退ったが、それは背後のベットに阻まれた。 ブラックはロンを──実際にはロンの手の中のネズミから目を離さないまま後ろに下がり、壁まで来た。 しばらくの沈黙の後、ドア蹴り開けられた。 ハリーたちが部屋に飛び込んで来たのだ、部屋を見渡した二人が、ロンの姿を見つけるとすぐに側へと駆け寄った。 「ロン、大丈夫?」 「犬はどこ?」 「犬じゃない……」 足の痛みで顔を青くさせ、脂汗を額に滲ませながらロンが呻いた。 「ハリー……罠だ」 「え?」 「あいつが犬なんだ……あいつは『動物もどき』なんだ」 ロンはハリーの肩越しに、背後を見つめていた。 肝が冷えるような感覚に心臓がバクバクと音をたてている。 ハリーはゆっくりと振り返ると、影の中に立つ男がハリー達が入って来たドアをピシャリと閉めた。 黄色い歯を剥き出しにニヤリと、ブラックが笑った。 「エクスペリアームス、武器よ去れ!」 ロンの杖を二人に向け、ブラックがしわがれた声で唱えた。 ハリーとハーマイオニーの杖が二人の手から飛び出し、高々と宙を飛んでブラックの手に収まった。 ブラックはハリーをしっかりと見据えながら、一歩近づいた。 マリーは緊迫した空気に、影に隠れながら四人の動向を見守るしかなかった。 「君なら友を助けにくると思った」 美しい容姿に、美しい声、沢山の女性を虜にしてきたそれは、どちらも見る影がない。 ブラックが三人に近付いていく。 ハーマイオニーはハリーを庇うように立ち、ロンは血の気のない顔でハリーの腕を掴んだ。 「ハリーを殺したいのなら、僕達も殺す事になるぞ!」 ロンが激しい口調でいいながら立ち上がり、痛々しい姿でハリーの肩にすがりながらも、真っ直ぐに立っていようとしていた。 マリーはままならない世の中に、絶望さえした。 ──真実を知らない彼等にとって、シリウス・ブラックは悪であり、ハリーを殺そうとしていると思っているのだ。 「僕達三人を殺すのか?」 「今夜、ただ一人を殺す」 ニヤリと笑みを深めたブラックに、ハリーは我を忘れ、渾身の力で二人の手を振りほどきブラック目掛けて飛び掛かった。 ハリーの行為に驚いたブラックは杖を上げ遅れた。 片手で痩せこけたブラックの手を掴み捻って杖先を反らすと、ハリーはもう一方の拳でブラックを殴ろうと振り上げた。 渾身の力でブラックの横っ面を殴ろうとした手は小さな白い手に受け止められた。 ハリーと、ブラックの目が見開かれる。 「マリー」 ハリーは掠れた声で、その姿を驚愕に見開いた目で見つめていた。 「話を聞く気があるなら、その手を下ろせハリー。 シリウスも、だ。 馬鹿みたいに頭に血を上げて事を急ぐからこうなる」 マリーは感情のない目で二人を見ると、もう片方の手でシリウスの手首を掴むハリーの手を解くと、距離をとらせるようにトンと二人の胸を押した。 「なんで、マリー…!なんで止めるんだ!! こいつは僕の両親をヴォルデモートに売った!」 「聞いてくれ」 マリーの背後に立つブラックの声には緊迫したものがあった。 「聞かないと、君は後悔する……君はわかっていないんだ」 「お前が思っているより、僕はたくさん知っているんだ」 ハリーはブラックを睨みながら、震える声で言った。 「いいや、ハリー……君は何も知らない。 あの夜に何があったかなんて、本当の事を知るのはごく僅かしかいない」 マリーの声は相変わらず冷静で、この荒々しい空気の中にまるで水の波紋のように広がった。 「聞く気があるなら……と言ったが、よく聞け。 役者が揃えば話そう……あの夜の全てを」 役者が揃えば、と言ったマリーの言葉の意味は、近付いてくる足音でわかった──誰かが階下で動いている。 ブラックが驚いて身動きした。 ハリー達とドアを振り返り見つめる。 赤い火花が飛び散り、ドアが勢いよく開いた。 そこには蒼白な顔で、杖を構えルーピンが立っていた。 ルーピンはブラックを見据えたまま部屋に入ってきた。 混乱と怒りに痺れ始めた脳でハリーはマリーを見た、これで役者が揃ったのだろうかと。 しかし、マリーの視線は未だ入口を見つめたままだ。 ルーピンが口を開いた。何か感情を押し殺して震えるような、緊張した声だった。 「シリウス、マリー…あいつはどこだ?」 ハリーはルーピンを見た。 何を言っているのか理解できなかった、誰の事を話しているのだろう? ハリーはブラックとマリーを見た。 ブラックとマリーは無表情だった。 最初に動いたのはブラックで、ゆっくりとあげた手がロンを指した。 一体、なんなんだろうと訝りながら、ハリーは、同じく困惑しているロンの方を見た。 「しかし、それなら……」 ルーピンはブラックの心を読もうとするかのように、じっと見つめながら呟いた。 「なぜ、教えてくれなかったんだ、マリー……? 君は全て知っていたのだろう?」 「あぁ、知っていたよ」 マリーの穏やかな答えに、ルーピンは微かに揺らいだ視線を足元に落とした後、首を横にふった。 「あぁ、そうか、君はあいつと入れ代わりになったのか、シリウス」 落ち窪んだ眼差しでルーピンを見続けながら、ブラックがゆっくりと頷いた。 「ルーピン先生? 一体、何が──?」 ハリーの問いが途切れた。 目の前で起こっていることが、ハリーの声を喉元で殺してしまったからだ。 ルーピンが構えた杖を下ろし、そして兄弟のようにブラックを抱きしめたのだ。 ハリーは胃袋の底が抜けたような気がした。 「なんてことなの!」 ハーマイオニーが叫んだ。 ルーピンはブラックを離し、ハーマイオニーの方を見た。 「先生は──その人とグルなんだわ! マリーもそうだったのね!?」 「ハーマイオニー、落ち着きなさい……」 ルーピンは困ったように宥めにかかったが、マリーは静かにハーマイオニーを見据えていた。 「ハーマイオニー、話を聞いてくれ。頼むから!」 「僕は先生を信じてた、なのに、先生はずっとブラックの友達だったんだ!」 「それは違う……」 ハリーはルーピンに向かって叫んだが、ルーピンは困ったように顔を顰たまま首を横に振った。 「この十二年間、私はシリウスの友ではなかった。 真実を知らなかったからだ──でも、今はそうだ……説明させてくれ……」 「駄目よ!」 ハーマイオニーがハリーに向かって叫んだ。 「ハリー、騙されないで。この人はブラックが城に入る手引きをしたのよ。 この人もあなたの死を願っているんだわ──この人、狼人間なのよ!」 痛いほどの沈黙の後、マリーが小さく溜め息を吐いてハーマイオニーを見据えた。 「いつもの君らしくない、短慮な答えだハーマイオニー・グレンジャー」 マリーはゆったりとした言葉に、ハーマイオニーの体が僅かに震えた。 「そうだね……残念ながら残念ながら三問中一問しか合っていない。 私はシリウスが城に入る手引きはしていないし、もちろんハリーの死を願ったりなんかいない」 マリーの後ろで、ルーピンの顔が奇妙に歪んだ。 「しかし、私が狼人間であることは否定しない」 「そうさなぁ……、シリウスが此処に潜伏しているのを知っていたのは私だけだ」 マリーの呟きに全員の視線が集まったが、マリーは気にした様子もなくロンに歩みよると、しゃがみこみ折れた足に触れた。 小さな呟きに呼応するように、ロンの顔色が幾分ましになった。 「マリーさん……」 「ただの痛み止めだよ、」 ロンにそう小さく答え、マリーはハーマイオニーを振り返って歪つに笑った。 「セブルスあたりは喜ぶだろうな、彼はリーマスの正体をバラしたくてウズウズしていたから。 ハーマイオニー、君は賢いよ。あれだけのヒントで答えにたどり着いてしまう。 私が知る同年齢の魔女の、誰よりも……」 「違うわ」 ハーマイオニーが首を横に振りながら言った。 「私がもう少し賢かったら、みんなにあなたの事を話していたわ!」 「しかし、もうみんな知っている事だ……少なくとも先生方は知っている」 ルーピンは勤めて静かにそう語った。 「ダンブルドアは、狼人間と知ってて雇ったのか? 正気かよ……」 「狼人間だからと蔑み、一個人としての人格を無視した発言は控えるべきだ、ウィーズリー」 「っ!」 背を向けたまま呟かれた冷たい声色に、ロンは口を噤んだ。 「でも確かに、先生の中にもそういう意見があった……しかし、ダンブルドアは私が信用出来ると、説得してくださった」 「そして、ダンブルドアは間違っていたんだ!」 ハリーが叫んだ。 「先生はずっとこいつの手引きをしてたんだ!」 ハリーはブラックを指差して言った、ブラックは震える片手で顔を覆った。 「いい加減、話を進めさせてくれ……」 マリーがハリーの肩を叩いて横を過ぎると、散らばった杖を拾い上げ三人に返した。 「ルーピンが此処に来れたのは、君の『忍びの地図』を読んだからだ」 「使い方を知っているの?」 「もちろん、使い方を知っているさ──あれは私の《言霊》で成り立っている。 まぁ、飾り付けはムーニー……いや、リーマス達が書いたがな」 「マリー達が、書いた──?」 ハリーは目を見開いたが、マリーはそこは論点ではないと言った。 「そして、リーマスは君達と共にいる『名前があるはずのない名前』に気付いて、ようやく真実にたどり着いた──」 「そう……私は目を疑ったよ、だって地図が可笑しくなるはずはない。 でもハリー、君も見たはずだ」 ハリーは意味がわからないと顔を顰めたが、ルーピンはロンに手を差し出した。 「ロン、ネズミを貸してくれ」 「なんだよ?スキャバーズになんの関係があるんだい?」 「大有りだ」と忌々しげにマリーが呟いた。 「頼む、見せてくれないか」 ロンは躊躇ったが、ローブに手をつっこんだ。 スキャバーズが必死にもがきながら現れた。 ルーピンは手に乗せられたスキャバーズをじって見ながら、マリーにも見せるように差し出した。 三人の表情が暗く歪んだ。 「なんだよ?僕のネズミが一体なんだって言うんだ」 「それは、ネズミじゃない」 ブラックがしわがれた声で呟いた。 「動物もどきだ──名前はピーター・ペティグリュー」 ネズミを見下ろして、マリーも微かに憎しみがちらつく声で呟いた。 「十二年前のあの日、シリウスが殺したとされる魔法使いさ」