夜が明けても城の中の警戒が解かれる事はなく、マリーの予想通りに厳しいものへとなっていた。 フリットウィックは入口のドアというドアにブラックの大きな写真を貼って人相を覚え込ませようとしたり、 フィルチは急に気忙しく廊下を駆けずり回り、小さな隙間からネズミの出入口まで、穴という穴に板を打ち付けていた。 ブラックを寮内に入れるという失態を侵したカドガン卿は首になり、見事な技術で修復された「太った婦人」が戻ってきた。こればかりは、よかった事と言えよう。 四階の隻眼の魔女像の後ろにある抜け道が、警備もされず塞がれていないことが、ハリーは気になっていた。 しかし、土曜日にロンと約束したホグズミードに行くには好都合だった。 その前日の夜もまた、ハリーはフィルチが抜け道を塞いだりしないかと、遅くまで「忍びの地図」を暗い部屋で杖の光を頼りに眺めていた。 眠りにつく学校は、たいていの人が寝室の中に留まっていた。 動いているのは、見回りの先生達とフィルチにミセス・ノリスぐらいだ。 その中で、ちょこちょこと動く名前を見つけて、ハリーは不思議に思いながら杖の光を近づけた。 「ピーター…………ピーター…ペティグリュー?」 廊下を動くその名前にハリーは思わず透明マントを掴むとベットを降りた。 ペティグリューの名前はあの四階の隻眼の魔女に向かっているように思えた。 ハリーは四階まで走ると、辺りを見渡してから地図を見にくいマントを脱いだ。 ペティグリューの名前をいつの間にかハリーが追い越していたようで、ハリーは杖に明かりを灯して回りを見渡した。 壁にかけられた肖像画から「眩しいぞ」と呟きが漏れたがハリーは気にしてられなかった。 人影も見えないのに、名前がハリーの横を擦り抜けていったのに驚いて振り返ると、そこには突き付けなれた杖の光に眩しそうに目を細めながら驚いたようなマリーがそこに立っていた。 ハリーは驚いて、マリーと忍びの地図を見比べた。 ペティグリューの名前は随分遠ざかっていたが、ハリーの目の前にいるはずねマリーの名前はない。 「ハリー、眩しいんだが……」 「ご、ごめん」 突き付けるように向けていた杖を下ろすと、マリーはチカチカするらしい目をしばたいていた。 「……夜の散歩は許されていないはずだぞ?」 「わ、わかってるけど」 ハリーはほぼ見られているだろう忍びの地図をどうしたらいいのか悩みながら、マリーにペティグリューの話をすべきだろうかとめ悩んだ。 「それにその……」 「うん、これ──」 しかし手元にある忍びの地図に視線を落としてしまったマリーに、腹を括って話そうと自分も地図に視線を落としたハリーは、自分の名前に迫る“セブルス・スネイプ”の名前に焦った。 慌てて「いたずら完了!」と呟いて地図をしまいながら杖の明かりを消した。 一瞬で暗くなった廊下が、また杖の明かりで明るくなる。 その明るさに浮かび上がったのはもちろんセブルス・スネイプ、その人であった。 「ここで何をしている、ポッター?」 微かに眉間のしわを上塗りしたスネイプに見下ろされハリーは口ごもった。 マリーに助けを求めようにもマリーの苦い表情に、無理そうだと言う事を悟る。 ハリーは無意識に忍びの地図を突っ込んだポケットに触れた。 「ポッター、一緒に来たまえ。 マリー……お前は寮に先に戻っていろ」 「いいや。君がハリーを虐めすぎないようストッパーとして着いていくよ……気になる事もあるしね」 意味深なマリーの視線にドギマギしながらも、ハリーはスネイプと二人っきりになるのだけは避けられる事に少しだけ安堵した。 スネイプは不快そうに顔を歪めたが、踵を返し階段を降りていく、その後に続くハリーの後ろを、マリーは足音もなくゆったりと着いていった。 三人は地下牢教室へと階段を下り、それから研究室に入った。 ハリーは前にも一度、ここに来た事があったが、また気味の悪いヌメヌメとした物の瓶詰がいくつかスネイプが…もしかしたらマリーが、かも知れないがとりあえず増えていた。 それらが机の後ろの棚にずらりと並べられ、暖炉の火をうつしてチラチラ光る様は、威圧的なムードを盛り上げていた。 「座りたまえ」 ハリーは薦められた椅子に腰掛けたが、スネイプとマリーは立ったままだった。 「なるほど」と、スネイプは呟いた。 ハリーは瞬きもせずに、こちらを睨むように見下ろすスネイプを見上げていた。 鋭い視線のわりに、スネイプの口調は不気味なくらいに柔らかだった 「魔法省大臣はじめ、誰も彼もが有名人のハリー・ポッターをシリウス・ブラックから護ろうとしてきた。 しかるに、有名なハリー・ポッターは自分自身が法律だとお考えのようだ……一般の輩はハリー・ポッターの安全の為に勝手に心配すればよい! そういうわけか?」 ハリーは黙っていた。 スネイプの嫌味には貝のように黙る事にした。 「ポッター、なんと君の父親の恐ろしくそっくりな事よ」 スネイプの瞳が暗く光っていた。 「君の父親も酷く傲慢だった……少しばかりクィディッチの才能があるからといって、自分が他の者より抜きん出た存在だと考えていたようだ。 友人や取り巻きを連れて威張りくさって歩く……瓜二つで薄気味悪いことよ」 「──父さんは威張って歩いたりしてなかった。 僕だってそんなにことはしない」 貝になろうと決めたそばから、思わず声が出た。 「君の父親も規則を歯牙にもかけなかった……そうだったろう、マリー?」 違うと否定してほしくて振り返った先では、マリーがより一層苦々しい表情で、薄い唇を歪ませて笑うスネイプを見つめていた。 「規則なぞ、つまらん輩のもので、クィディッチ杯の優勝者のものではないと。 はなはだ思い上がりの──」 「黙れ!」 ハリーは突然立ち上がった。 プリベット通りを後にしたあの晩以来の、激しい怒りが体中を駆け巡っていた。 マリーの顔が硬直しようが、スネイプの暗い目に危険な輝きを帯びようが、構うものか! 「私に向かって……何と言ったのかね、ポッター?」 「黙れって言ったんだ、父さんの事で……!」 「いい加減に落ち着かないか二人とも!」 ハリーの叫びに被さるように、マリーの珍しく大きな声が上がったが、スネイプは「口を挟むなと」鋭く言った。 「続けたまえ、ポッター」 「僕は本当の事を知っているんだ。 ダンブルドアが教えてくれた、父さんはあなたの命を救ったんだ!」 スネイプの顔色がさっと変わった。 「それで、校長は、君の父親がどういう状況で我輩の命を救ったのかも教えてくれたのかね?」 スネイプはハリーに顔をずいっと近づけて囁くように言った。 「それとも、校長は、詳細なる話が、大切なポッターの繊細なお耳にあまりに不愉快と思し召したかな?」 ハリーは唇を噛んだ──一体何がおこったのか、ハリーは知らなかったし、知らないと認めるのは嫌だった。 「セブルス、やめろ、彼が知る必要はない」 マリーの微かに焦りが滲む声に、スネイプはせせら笑った。 「間違った父親像を抱かせるべきではないだろう、マリー。 それに、そのままこの場を立ち去ると思うと……ポッター、私は虫酸が走る……それだけは許さん」 「セブルス!」 マリーの窘めるような声を聞きながら、ハリーは恐ろしい笑みを浮かべるスネイプを見上げていた。 「輝かしい英雄的行為でも想像していたのかね? ならばご訂正申し上げよう──君の聖人君子の父上は、友人と一緒に大いに楽しい悪戯を我輩に仕掛けてくださった。 それが我輩と──マリーを死にいたらしめるようなものだった」 ハリーはマリーを振り返った。 唇を真一文字に結び、マリーは視線を足下に落としていた。 そこに、悲しみを見つけたハリーは、スネイプの話が真実だと言う事を知った。 「だが、君の父親が土壇場で弱気になった。 君の父親の行為のどこが勇敢なものか──」 スネイプはただまっすぐにハリーを見下ろしていた。 「ポッター、ポケットをひっくり返したまえ」 吐き捨てられた言葉は、まるで死刑宣告のようだった。 ハリーがポケットから引っ張りだした羊皮紙の切はしに、マリーはどっと背中に冷や汗が流れるのを感じた。 ハリーの手に回っていたのかと言う驚きよりも今は、スネイプに忍びの地図が見つかってしまう事のほうが問題だった。 スネイプは地図を見ると、目を細めた。 「羊皮紙の切っぱしを、君は大事にポケットにしまっていたのかね?」 「はい……」 ハリーは平然とした顔を保とうと、ありったけの力を振り絞っているようだった。 スネイプは「なるほど」と呟きながら、杖を取出し、ハリーが持つ地図にその先を向けた。 「汝の秘密を顕せ!」 スネイプが唱えた呪文に、羊皮紙はなんの反応も起こさなかった。 ハリーは手の震えを抑えようと、ギュッと拳を握り締めた。 マリーは《言霊》によって地図製作に携わって来た為に、これで中身が暴かれる事はないと知っていたが、次に起こる反応を理解して、つとめて無表情を意識した。 「──ホグワーツ教師、セブルス・スネイプ教授が汝に命ず。 汝の隠せし情報を差し出すべし!」 スネイプが杖で強く地図を叩いた。 すると、まるで見えない手がかいているかのように、滑らかな紙の表面に文字が現れた。 《私、Mr.ムーニーからスネイプ教授にご挨拶申し上げる。 他人事に対する異常なお節介はお控え下さるよう、切にお願いいたす次第》 スネイプが硬直した、ハリーもまたア然として文字を見つめている。 マリーは、完全にそこから目を反らし明後日の方向を見た。 地図のメッセージはそれでおしまいではなかった。最初の文字の下から、またまた文字が現れた。 《私、Mr.プロングズも、Mr.ムーニーに同意し、さらに、申し上げる。 スネイプ教授はろくでもないいやなやつだ》 状況が深刻でなければ笑ってしまうようなものだが、スネイプの表情を見ればそんな事が出来るはずもない。 しかも、文字はまだ続いている。 《私、Mr.パッドフットは、かくも愚かしき者が教授になれたことに、驚きの意を示すものである》 《私、Mr.ワームテールがスネイプ教授にお別れを申し上げ、その薄汚いドロドロ頭を洗うよう──》 最後の文字が綴られきる前に、マリーはハリーの手から地図を奪いとった。 マリーは手の中の地図に光る文字が、《ご忠告申し上げる》とさらに続く。 《Ms.ピル》からの文面を二人から隠すように見ながら、凶悪なスネイプの顔を見返し溜め息を吐いた。 「無理に読もうとする者を侮辱する、悪戯の羊皮紙みたいだね……」 「そう思うか?」 「なら、なんだというの?」 スネイプは暖炉に向かって大股に歩み寄る。 暖炉の上の瓶からキラキラする粉を一握り掴み取り、炎の中に投げ入れた。 「ルーピン!話がある!」 スネイプが炎に向かってそう叫ぶと、何か大きな姿が急回転しながら炎の中に現れた。 やがて、ルーピンがくたびれたローブから灰を払い落としながら、暖炉から這い出して来た。 「セブルス、呼んだかい?」 「いかにも」 ルーピンは穏やかに言ったが、スネイプは怒りに顔を歪め答えた。 「今しがた、ポッターにポケットの中身を出すように言ったところ、こんなものを持っていた」 スネイプはマリーから羊皮紙を奪うと、ルーピンに突き付けるように見せた。 ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ、それにピルの言葉がまだそこに光っていた。 ルーピンは奇妙な窺い知れない表情を浮かべ地図を見た後で、窺うようにマリーをちらりと見た。 「それで?」 「セブルス……それで、とは?」 「この羊皮紙にはまさに『闇の魔術』が詰め込まれている。 ルーピン、君の専門分野だと拝察するが、ポッターがどこでこんなものを手に入れたと思うかね?」 「『闇の魔術』が詰まっている?」 ルーピンが静かに繰り返した。 「セブルス、本当にそう思うかい? ……マリーはどう思ったんだ?」 「無理に読もうとする者を侮辱する、悪戯の羊皮紙、だと思う」 「私もそう思うね。子供騙しで、危険なものじゃない。 きっとハリーは悪戯専門店で手に入れたのだと思うよ」 「そうだろう?」とハリーにたずねるルーピンを、真っ直ぐに見据えるスネイプは怒りで頬が強張っていた。 「悪戯専門店でこんなものをポッターに売るとそう、そう言うのか? むしろ、直接制作者から入手した可能性が高いとは思わんのか?」 「……Mr.ワームテールとか、この連中からの誰からかと言う意味か? ハリー、この中に誰か知っている人はいるかい?」 ハリーは急いで首を横に振った。 「セブルス、聞いただろう? 私にはゾンコの商品のように見えるがね」 ルーピンは恐ろしい顔をしたスネイプを静かに見つめながら地図を丸めた。 「これは私が引き取ろう、いいね?」 「………」 スネイプは答えなかったが、ルーピンは地図をローブにしまい込んだ。 「二人とも、もう晩いから途中まで送って行こう。 セブルス、失礼するよ」 二人が先に出た部屋で、マリーは立ち止まりスネイプを振り返った。 スネイプは未だ治まり切らない怒りを燻らせているようだった。 「八つ当たりは、ほどほどに。 おやすみ、セブルス……」 小さな苦笑を残してマリーもまた部屋を出た。 先に行っていたルーピンとハリーは玄関ホールで向き合っていた。 「君がこれを提出しなかったのには、私は大いに驚いている。 先日も、生徒の一人がこの城の内部情報を不用意に放っておいた事で、あんなことが起こったばかりじゃないか」 声を潜めて話すルーピンに近づきながら、マリーはハリーを見つめた。 ハリーは少し微妙な表情をしていた。 「だから、ハリー、これは返してあげるわけにはいかないよ。 さぁ……寮に戻りなさい」 ルーピンがハリーの背を押し、マリーもその後ろに続いた。 階段を上っていたハリーがふと立ち止まり、玄関ホールに立ち見送るルーピンを振り返った。 「でも、先生……それ正確じゃないみたいです」 「──なんだって?」 「マリーの名前がなかったり、死んだ人の名前が動いていたりするんです」 「死んだ……人?」 「ピーター・ペティグリュー」 ルーピンの表情が強張った。 ハリーはルーピンの複雑そうな表情に気づくと、もごもごと口ごもった後で「おやすみなさい」と言い残し、足早に階段を上っていった。 ルーピンはマリーを見た、酷く冷静な瞳が彼を見下ろしていた。 「どう、いう事なんだ……?」 ルーピンの問いに、マリーは答えなかった。