ハリーたちにとってあまりに突飛もない話に、数秒間を開けてロンは「どうかしてると」と言ってルーピンの手からスキャバーズを奪いとった。 「ピーター・ペティグリューは死んだんだ! こいつが殺したんだ!」 「殺そうと思った」 ハリーの言葉に、ブラックの頬がピクリと痙攣した。 「だが、小賢しいピーターめに出し抜かれた……今度はそうさせない!」 ブラックがスキャバーズに飛び掛かるように手を伸ばしたが、マリーが呆れたような表情でその手を止めた。 ロンの手の中で、スキャバーズが暴れていたが、その手はしっかりと握りしめていた。 しがみつくマリーを振り払おうと暴れるブラックに、マリーは「いい加減にしろ」と吠えた。 「説明が先だ!《言霊》をかけるぞ!」 額に青筋をたてて、苛立ちを顕にするマリーの怒号に全員が動きを止めた。 いつもは感情が映り込まない碧眼に、シリウスに似た激情が見える。 「あいつを殺したいのがお前だけだと思うなよ、シリウス。 私もあいつだけは許す気はない……!」 「そうだよ、シリウス……私にもまだわかっていない部分がある! それにハリーだ──シリウス、君はハリーに真実を話す義務がある」 ルーピンの言葉に、ブラックは伸ばしていた手を下げた。 「いいだろう、それなら。話してくれ、ただ、急げよ。 私は今ここで、私を監獄に送り込んだ原因の殺人を、いまこそ実行したい………」 ブラックは腹の中で暴れる感情を無理に押し殺したような声色で呟いた。 落ち着いたらしいブラックからマリーが手を離した。 「ペティグリューが死んだのを見届けた証人がいる。 それに、ペティグリューの名前が地図にあるのだって、地図がイカれているだけだ」 「誰もがシリウスがピーターを殺したと信じていた、私自身もそう信じていた──今夜地図を見るまではね。 マリーの《言霊》がかかった忍びの地図は決して嘘はつかない。 ピーターは生きている、ロンがあいつを握っているんだよ、ハリー」 「でも、ルーピン先生」 ハーマイオニーが、震えながら冷静を保とうと努力しながら口を開いた。 「スキャバーズがペティグリューのはずがありません。 だって、もしペティグリューが動物もどきなら、みんなそのことを知っているはずです。 動物もどきなら、魔法省の登録簿に名前かかれるはずです──マクゴナガル先生とマリーの名前もありました。 でも、ペティグリューの名前はリストに載っていませんでした」 ハーマイオニーの答えに、ルーピンが笑った。 「またしても正解だ、ハーマイオニー。 でも、魔法省は、未登録の動物もどきが三匹、ホグワーツを徘徊していた事をしらなかったのだ」 「その話から始めるつもりなら、リーマス、さっさとすませてくれ」 必死にロンの手の中を動くスキャバーズを、じっと監視しながらブラックが唸った。 「私は十二年も待った、もうそう長くは待てない」 「シリウス、一時間も掛からず終わる昔話だ、大人しく待て」 叱りつけるようなマリーの言葉に肩を落としたブラックの視線が、不意に鋭くドアの方に向けられた。 背後で大きく軋む音がして、ドアが独りでに開いた。 ルーピンが足速にドアの方に進み、部屋の外を警戒しつつ窺った。 「誰もいない……」 「ここは、呪われてるんだ!」 「そうではない」 不審そうにドアに目を向けたままで、ルーピンが言った。 「『叫びの屋敷』は決して呪われてはいなかった……村人がかつて聞いたという叫びは、私の出した声だ」 ルーピンは顔にかかる白髪混じりの髪を掻き上げ、一瞬物思いにふけるように視線を揺らしてから、それから話し出した。 「噛まれたのは私がまだ小さい頃だった。 両親は手を尽くしたが、あの頃は治療法がなかった。 スネイプ先生が私に調合してくれた魔法薬は、ごく最近になって……マリーが行方をくらます前まで進めてくれた研究を彼が引き継ぎ完成したものだ。」 ルーピンはまじめに、疲れた様子で話した。 「あの薬で私は無害になる。 いいかい、満月の夜の前の一週間、あれを飲みさえすれば、変身しても自分の心を保つ事が出来る……。 自分の部屋で丸まっているだけの、無害な狼でいられるんだ」 ルーピンは微かに笑った。 「トリカブト系の脱狼薬が開発されるまでは、私は月に一度、完全に成熟した怪物に成り果てた。 ホグワーツに入学するのは不可能だと思われた──他の親にしてみれば、自分の子供を、私のような危険なものに晒したくないはずだ。 しかし、ダンブルドアが校長になり、私に同情してくださった。 きちんと予防措置を取りさえすれば、私が学校に来てはいけない理由などないと……」 ルーピンは溜め息を吐いて、ハリーを真っ直ぐに見た。 「そう…予防措置は、危険な状態にある私が、誰にも会わないようにこの屋敷に連れていく。 そして、マリーが《言霊》を持ってそれを監視し制御するというものだった」 話を聞いているハリー達には、この話がどういう結末になるのか見当もついていないようだった。 マリーが口を開いた。 「入学したての私は、《言霊》は使えたが、制御するまでには至っていなかった。 だから、私はリーマスをモルモットに、《言霊》を修得する事となった」 マリーの表情は苦々しいものだったが、ルーピンは穏やかに首を横に振った。 「その頃の私の変身ぶりと言ったら──それは恐ろしいものだった。 狼人間になるのはとても苦痛に満ちたことだ。 噛むべき対象である人間から引き離され、代わりに私は自分を噛み、引っ掻いた。 その度に私をマリーは、《言霊》を混ぜた子守唄で寝かし付けてくれた。 それに、変身することを除けば、人生であんなに幸せだった時期はない。 生まれて初めて、友人が出来た──素晴らしい友が──シリウス、ピーター、マリー、そして言うまでもないなくジェームズ……ハリー、君の父親だ」 「しかし、聡い彼の友人達はリーマスの正体に気付いてしまったんだ」 マリーは少しだけ昔を思い出してか、微かに笑った。 「リーマスの為に何か出来ないかと、彼等は私に相談を持ち掛けてきた。 だから、私はリーマスと満月の夜を過ごす間、動物もどきでいることを教えた──『動物もどき』であれば、狼人間はそれほど危険ではないからね」 「僕の父さんが……?」 「あぁ、三年もかかったが──シリウスも、ジェームズも頭のいい奴だった。 だからこそ提案した話ではあるが。 知っての通り、動物もどきはまかり間違うと、大変な事になるからね」 「そして……私達は夜になると『叫びの屋敷』を抜け出して、校庭や村を歩き回るようになった。 そして隅々まで詳しく知った校庭やホグズミートの地図を書き上げ、安全の為に人の位置や動きがわかるようにマリーが《言霊》をかけた──そして、それぞれのニックネームで地図にサインした」 ルーピンはブラックを見て「シリウスがパッドフット」と、マリーを見て「マリーがピル」そして、スキャバーズを見て「ピーターがワームテール」とニックネームを明かしていった。 最後にハリーを見て「ジェームズはプロングス」と言った。 「暗い中を狼人間と走り回るなんて! もし狼人間がみんなをうまく撒いて誰かに噛み付いたらどうなったの?」 「それを思うと、今でもぞっとする」 ルーピンの声は重苦しかった。 「あわや、という事があった。 その度にマリーが私の鞁を引くように《言霊》を使い、後になって皆で笑い話にしたものだった。 ──もちろん、ダンブルドアの信頼を裏切っているという罪悪感を私は時折感じていた……この一年も、私はシリウスが動物もどきだと、ダンブルドアに告げるべきかどうか迷い、しかし告げはしなかった。 告げれば、学生時代にダンブルドアを裏切っていたと認める事になる……」 ルーピンは表情が強張り、声には自己嫌悪の響きがあった。 「だから……ある意味、スネイプの言う事が正しかったわけだ」 「スネイプだって?」 ブラックが鋭く聞いた。 初めて、スキャバーズから目を離し、ルーピンを見た。 「マリー、話していなかったのか? スネイプが此処にいる事を……」 「彼は知っているよ、私との関係もね」 マリーが少し困った顔で言って、ブラックを見上げた。 ブラックは酷く苦い表情でまた、スキャバーズへと視線を戻した。 ルーピンはハリー達に向き直った。 「スネイプ先生が、私達の同期なのは知っているね? でも……それが、うん、お互いに好きになれなくてね、スネイプはとくにジェームズを嫌っていた。 彼は私が教職に就く事に、先生は強硬に反対した。 ダンブルドアに私は信頼出来ないと、この一年言い続けてきた。 スネイプにはスネイプなりの理由があった……それはね、このシリウスが仕掛けた悪戯で、スネイプが危うく死にかけたんだ。 その悪戯に私も関わっていた──」 ルーピンは悲痛な表情で、マリーを見た。 ブラックが嘲るように笑った。 「当然のみせしめだったよ」 「シリウス」 せせら笑ったブラックを、ルーピンが窘めるような声をあげた。 「こそこそ嗅ぎ回って、我々のやろうとしていることを詮索して……我々を退学に追い込みたかったんだ」 「違う。彼はこの事にマリーが関わっているのを知っていたからだ」 ルーピンの答えに、ブラックは忌ま忌ましげに舌打ちした。 「とにかく、スネイプは月に一度私とマリーがどこに行くのか非常に興味を持った──理由は言うまでもないと思うけど。 シリウスが──その──からかってやろうと思って」 ルーピンは歯切れ悪く言葉を濁し始めた。 「木の幹のこぶを長い棒でつけば、あとは二人の後を追う事が出来る、と教えてやった……もちろん、スネイプは試してみた。 スネイプがシリウスの言葉通りにすればどうなるか想像はたやすい──シリウスがやった事を聞くなり、ジェームズは自分の身の危険も顧みず、スネイプの後を追い掛けて引き戻したんだ……しかし、スネイプは私の姿とマリーを見てしまった ダンブルドアが決して人には言っていけないと口止めしたが、その時からスネイプは私が何者なのかを知ってしまった」 「だから、スネイプはあなたが嫌いなんだ……」 ハリーは考えながら言った。 「スネイプはあなたもその悪ふざけに関わっていたと思ったわけですね?」 「その通り」 ルーピンの背後の壁あたりから、冷たい嘲るような声がした。 セブルス・スネイプが「透明マント」を脱ぎ捨て、杖をヒタリと向けて立っていた。 ハーマイオニーが悲鳴をあげ、ハリーとブラックが身構えた。 マリーだけが、酷く冷静な目でスネイプを見つめていた。