学生生活1日目の朝からハリーとロンは、1番厄介な人物──管理人のアーガス・フィルチに見事に大当りをした。 運の悪い事に無理矢理開けようとしていた扉が、四階の立入禁止廊下の入口で、さらに運が悪い事にその現場をフィルチに見つかってしまったのである。 二人はフィルチの前に並んで立たされ、気まずげにちらりと目配せをした。 「お前ら、どうせ立入禁止と言われて気になって入ろうとしたんだな」 「い、いや、僕達は道にまよっ……」 フィルチにじろりと睨まれロンは言葉を続けることができず口を閉じる。 「言い訳はいい。さぁて、罰則は何がいい?地下牢に閉じ込めてやろうか」 罰則の話を始めると愉快そうに目を細めたフィルチの足元に控えていた飼い猫のミセス・ノリスが、ふと二人の後ろを見ると、嬉しそうな声をあげた。フィルチが走り出したノリスを目で追って、二人の後ろに視線をやると僅かに眉を顰めた。ハリーとロンもそっと後ろを後ろを伺い、あっと小さな声をあげる。 そこにはごろごろと喉を鳴らすミセス・ノリスを抱き上げたマリーがいた。 フィルチの前に立つ生徒たちが誰かわかると彼女は少しばかり目を大きく見開いたようだった。 「アーガスさん、なんの騒ぎですか?」 「この二人が無理矢理立入禁止廊下に入ろうとしてたんですよ」 微かに首を傾げたマリーにフィルチは忌ま忌ましげに二人を睨み下ろしながらそう言った。 「本当、に?」 そう問われて二人は反射的に勢いよく首を横に振った。 「僕達、ここが四階の立入禁止廊下だって知らなくて!」 「道に迷っただけなんです!」 今だと言わんばかりにまくし立てた言い訳に、マリーは一つ頷いた。 「だろうなので、地下牢行きは勘弁してあげて下さいアーガスさん」 「しかしですなぁ……」 「最初の今回だけ、次からは私は何も言いませんから」 渋ったフィルチだが、わかりましたと苦々しく呟くと「次はないからな」と捨て台詞の様な言葉を吐いて二人の横を摺り抜けていった。 「ありがとう、アーガスさん」 フィルチとすれ違いざまにマリーは礼を口にする。 「あんたにお礼を言われる事はやっとらん。おいで、ミセス・ノリス」 マリーの腕の中からぴょいと跳び下りたミセス・ノリスは最後に彼女に甘えた鳴き声を残し、フィルチの後ろを追って行った。マリーはそれを見送った後、ハリー達の方を振り返った。 「気をつけなければ駄目だよ、ハリー。…と、その赤毛はウィーズリー家の子かな?」 「ごめんなさい、マリーさん」 「はいっ! 助けてくれて、ありがとうございます」 二人の言葉にマリーは、うんと頷くと「それで次の教室はどこ?」と尋ねてきた。 「魔法史です」と答えたハリーにマリーは、それならと言って廊下の先を指差した。 「なら、ここを真っ直ぐに行って奥の部屋だよ」 「あ、ありがとうございます」 「じゃあ、私はこれで。授業頑張ってね」 そう言って軽く手を振ってからマリーは、階段を降りて行ってしまった。 「ねぇ!ハリーってば、あの人と仲がいいの?!」 「え、う、うん…まぁ」 「やっぱり君すごいや! ガブリエル・カウンシルって言ったら、あのマルフォイの家より歴史の古い名家だぜ!」 「そうなの?」 ロンの驚き様にハリーは逆に驚いた。 「まぁ、ハリーは知らないのは無理ないかもしんないけどさ。 しかもガブリエルなんて名前を貰ってるって事はカウンシル家の家長って意味だぜ。 ……でも、そんなカウンシル家も今じゃたった一人しかいないらしいけどね」 「それって、どういう意味?」 眉根を下げて僅かに声を低くしたロンに、ハリーは不審そうに尋ね返す。 ロンは階段付近にマリーの姿が無いか確認した後、言いづらそうにハリーに耳打ちした。 「君と同じ様なさ……例のあの人に一族みんな殺された。 それに10年間行方知れずで、みんなあの人も殺されてたと思ってたんだ」 「それって………」 10年前。 ふと引っ掛かった事柄に、ハリーはロンに言葉を続けようとしたが、ロンが時計を確認してあ!っと声をあげた。 「やばい、遅刻しちゃうよ!」 「急ごう」 二人は荷物を抱え直すと走り出した。 走りながらハリーは、いつマリーに両親の事を聞けるか考えた。 そんな遠ざかる二つの足音を、階段の途中で立ち止まっていたマリーが聞いていたのをハリーは知らない。 「君は、その傷が痛むことがあるかい……ハリー?」 独り言ちた言葉を残しマリーは階段を再び降り始めた。 そして小さく呟かれた言葉も、誰の耳に届くことなく解けて消えた。 ・・・ 金曜日になっても時折痛む右目の傷に、マリーは精神的になかなかに消耗していた。 傷やみの理由がわからないため、とりあえずダンブルドアから頂いた薬と、自分で調合した痛み止めを服用するも効かず。時折来る瞬間的な痛みにただ耐えるしかなかった。 (結構つらいものがある……) 苛立つ神経に胃がもたれた感じがして、その日の朝食はミルクたっぷりのミルクティー1杯で済ませた。 隣のマクゴナガルから心配そうな声が上がったが、マリーは努めて静かな声で大丈夫ですからと彼女を宥めた。 「おぉーい、マリー」 早々に朝食を終え大広間を後にしようと、席から立ち上がりかけたマリーを呼び止めた人物を見上げ眠そうな声でおはようと呟いた。 「おはよう、マリー。 今日の午後、ハリーとお茶を飲むんだがマリーも来んか? お前さんもハリーの話が聞きたいだろ?」 少し悩んだのちに、それは気分転換にもなりそうだとマリーは頷いた。 「……うん、じゃあお邪魔させてもらおうかな」 そうかと嬉しそうにハグリッドは笑うと「じゃあ3時にな」と言って大きな体をのしのしと揺らしてハグリッドは大広間から出て行った。 ママリーはその背中を見送った後、ゆっくりと自分の席から立ち上がった。 「ポッターを甘やかしすぎるなよ」 そう呟いたのは、マリーの隣の席のスネイプだった。 途端に痛ん右目に僅かに顔を顰てからマリーはスネイプを見下ろすと、僅かに目を細めた。 その言葉がさざ波をたてていた苛立ちを乱した。 「スネイプ」 そう短く吐き出された言葉に、スネイプはマリーを振り返る。 逆光に表情は読めなかったが、硝子玉のような一つ目が感情もなく見下ろしていた。 「口には気をつけろ」 「……!」 そんなことを言われる筋合いがないと、言わんばかりに冷ややかな口調にスネイプは僅かに頬を引き攣らせた。 「おやめなさい二人とも!」 「!」 険悪な雰囲気の二人を一喝したマクゴナガルの声に、マリーははっとしたように口許を押さえると、すまんと小さく呟いて足早に大広間を後にした。 「ど、どうしたんでしょうか、マリーさん……」 おどおどとした声を隣であげるクィレルさえ睨み付ける事もせず、スネイプは困惑仕切った感情を押し殺す様に苦々しげに顔を歪めた。 そんな不穏な日に限って、一年生の初めての魔法薬学の授業は行われた。 魔法薬の授業が行われる城の地下牢は教室のどこよりも寒い。さらには壁にずらり並んだ硝子瓶の中でプカプカと浮かぶナニかが不気味な上に、何故か教室に入ってから一度も目を合わせようとしない二人のせいで部屋は恐ろしく冷え冷えとした空気をさらに悪化させていた。 スネイプならまだしもマリーまでが顔色悪く教室の脇で壁に寄り掛かっているので、朝にあった一悶着のことなど知らない生徒達は一体何があったのだと怯えた視線を交わす。 ハリーは心配そうにマリーに視線をやったが瞼を伏せたままの彼女は、その視線には気付いてはいないようだった。 スネイプは生徒たちの無言のままの動揺を煩わしそうに見渡した。その瞳はハグリッドと同じ黒い瞳なのに、ハグリッドのような温かみは一欠けらも感じられない、冷たくて虚ろな暗闇をハリーに思わせた。 「このクラスでは、魔法薬調剤の微妙な科学と、厳密な芸術を学ぶ」 静かに話し出したスネイプの声に、生徒たちの泳ぎまくっていた視線が彼へと集まる。 「このクラスでは杖を振り回すような馬鹿げた事はやらん。 そこで、これでも魔法かと思う諸君が多いかもしれん。 フツフツと沸く大釜、ユラユラと立ち上る湯気、人の血管の中を這い廻る液体の繊細な力。 心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力」 誰しもが、そのスネイプの独特な言葉使いに見せられるように聴き入っていた。 「諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん。 我輩が教えるのは、名声を瓶詰にし、栄光を醸造し、死さえも蓋をする方法である──ただし、私がこれまでに教えて来たウスノロたちより諸君がまだましであればの話だが」 スネイプが言葉を切ると、教室は一層静かになった。 「ポッター!」 突然、名を呼ばれた事にハリーは驚き、教室の全員の視線が注がれるのがわかった。 「アスフォルデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」 ハリーはわけがわからずロンをちらりと見たが、肩を竦めて首を横に振った。 その隣でハーマイオニーが高々と手を挙げた。 「わかりません」 ハリーが答えると、スネイプは口許でせせら笑った。 「──有名なだけではどうにもならんらしい」 その言葉にマルフォイは嬉しそうにくすくすと笑い、ハーマイオニーの挙手は見事に無視された。 「ポッター、もう一つ聞こう。 ベゾアール石を見つけてこいと言われたら、何処を探すかね?」 ハーマイオニーがまた手を挙げた。 ハリーはマルフォイ達が身をよじって笑っているのをなるべく見ないように、真っ直ぐにスネイプを見上げた。 「わかりません」 「クラスに来る前に教科書を開いて見ようとは思わなかったわけだな、ポッター、え?」 ハリーは深く息を吸うと出来るだけ落ち着いた口調を心がけて口を開いた。 「ハーマイオニーがわかっていると思いますから、彼女に質問してみたらどうでしょう?」 その言葉に生徒が数人笑い声を上げたが、スネイプは不快そうにそれを睨み付けて黙らせると、座りなさいとハーマイオニーにぴしゃりと言った。 「これぐらいはわかるだろうポッター、モンクスフードとウルフスベーンとの違いはなんだね?」 これぐらいとはどのくらいだと、ハリーは苦々しい思いをしながら、わかりませんと言う前に静かな声が遮った。 「いい加減に生徒いびりも大概したらどうです、スネイプ教授」 相変わらず感情が篭っていない淡々とした声は、地下牢の教授に嫌に冷たく響いた。 スネイプは口許に嫌な笑みを浮かべたまま、壁に寄り掛かったままのマリーを見上げた。 「そうだったな、ミス・カウンシル。 知識の浅い生徒にこんな質問はいけなかった……しかし、私の助手である君ならばもちろん答えられるであろう?」 猫撫で声で言ったスネイプに、スリザリンの生徒が冷やかし笑いをした。 「おや? ご自分の助手の力量をお疑いのようですね、スネイプ教授」 無関心そうな隻眼がひたりとスネイプを見据えた。 「最初の質問の答えは、余りに強力なため《生ける屍の水薬》と呼ばれる眠り薬。 次はたいていの薬に効く解毒薬になるベゾアール石は山羊の胃から取り出す。 最後のはどちらも同じ、トリカブトの事──いかがですか、スネイプ教授」 まるで歌うように語られた正しい回答にスネイプは顔を顰ると、ア然とマリーを見ている生徒達を睨んだ。 「………諸君、何故今のを全部ノートに書きとらんのだ?」 一斉に羽ペンと羊皮紙を取り出す音がした。 その音に被せるようにスネイプは言った。 「ポッター、君の無礼な態度でグリフィンドールは一点減点」 スネイプはガリガリと羽ペンを動かす生徒を見て回りながら、マリーの側で立ち止まった。 「──お前」 「すまない……教授に、授業中に喧嘩をふっかけるつもりはなかった」 低く囁かれた言葉に眼帯を指先で撫ぜながらマリーは溜息まじりに返した。 眇められた目に滲む苛立ちに、スネイプは気づくと「傷病みか?」と気になったことをを口にする。その眼帯の下にあるものを彼はまだ知らない。 マリーはスネイプを見つめたあと「さぁな」とはぐらかしてスネイプとは反対方向に歩きだしながら、生徒達の羊皮紙を覗き込み誤字などを指摘していた。 スネイプはその姿をしばらく見つめた後、同じように再び生徒達の間を歩き始めた。 ・・・ 両手に包み込んだゴブレットに注がれた乳白色のとろみのある液体をマリーはただ静かに見下ろした。 その水面にはなんとも情けない自分の顔が写り込んでいる。 「どうしたんじゃ、マリー」 頭上から落とされた声に顔をあげると、穏やかな表情のダンブルドアが目の前に立っていた。 マリーは少しだけ躊躇った後、「わたしは」と弱々しい声を口にした。 「ダンブルドア先生……何処まで隠し通せますかね」 小さく呟かれた言葉は手元のカップの中身に微かな波紋を作った。 「それは、ハリーに?それとも……セブルスにか?」 ダンブルドアの問いかけにマリーは口の端を歪めた。 「──どちらも」 マリーの答えに「難しい質問じゃな」とダンブルドアは白い顎髭を撫ぜながら深い息を吐いた。 「ずっとは、無理じゃろうな」 自分が思っていた通りの答えにマリーは視線を落とした。 隠し通すつもりでいた決意はすでに揺らいでしまっている。二つの叶うと思っていなかった再会は、自分が考えていた以上に大きな影響を与えているようだ。 「マリー。いつかは真実を話さねばならん………そうでなければ、後悔するぞ」 マリーはダンブルドアを真っ直ぐに見上げた。 「先生は──今がその時だと思ったから、私を二人に再び引き合わせたのですか?」 あの隠れ家に、ダンブルドアが現れからずっと思っていたことを口にする。 なで、今この時だったのか。マリーには、それがまだわからなかった。 「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん」 濁された回答にマリーは眉を下げた。 ダンブルドアは俯いたマリーの頭にそっと手を添わせた。優しく、優しく頭を撫ぜる手とともにダンブルドアの静かな言葉が落ちた。 「決めるのは自分自身じゃよ」 マリーは手元のゴブレットに視線を落とすと、それをぐいっと喉に流し込んだ。 独特の甘ったるいような風味に僅かに眉を歪めると、マリーは息を吐いた。 「ありがとうございます、先生」 「ん?わしは、何もしとらんぞ」 キラキラと光る瞳を細めておどけた様に笑うダンブルドアに、マリーもつられるように頬を緩めた。 苛立った神経がようやく穏やかになっていくのを感じてマリーはまた、小さくありがとうございますと呟いた。 ようやく空になった役目を終えたゴブレットをマリーから受け取り、ダンブルドアは「おや」と気の抜けた声をあげた。 「ところでマリー、ハグリッドとお茶をするんじゃなかったのかな?」 「あ、今何時です?」 「3時、5分前じゃな」 しまったと僅かに顔を顰めるとマリーは、ソファーから立ち上がりダンブルドアにそれではと一礼をした。 「楽しんでおいで」 ダンブルドアの言葉にマリーは「はい」と頷くと、くるりと一瞬で黒猫に姿を変え部屋から軽い足取りで出て行った。おそらく何処かの窓から飛び降りて時間を短縮させる気なのであろうと、ダンブルドアは目を細めた。 「その重荷を誰かと共に支え合って生きていくという考えがないのは、性格ゆえなのか生まれゆえなのか……」 心配が滲む声でダンブルドアはかわいい教え子を憂いる。 「ここで君は一人ではないのだから……まぁ、ゆっくりと知っていけば良いか」 さてさてと、ダンブルドアは杖を振るう。 「ワシもティータイムといこうかのう」 一人のそれもいいものだ。もちろん一人より誰かと共にがもっと良いものだと知ってはいるが。 「一人に慣れてしまった君が、誰かとのティータイムを楽しむ余裕を持ってくれることを祈っているよ、マリー」 歳をとると独り言が増えて困る、とダンブルドアはふふふと声を漏らして笑った。