『許さない赦さない、いつか、いつか』 それは、蝕むようにじわりじわりと根を這っていく呪いの詞。 『アナタは、苦しまなければならないのよ』 女は狂った様な笑みを浮かべた。 首筋に伸ばされた黒く彩られた爪が並ぶ指の幻影は、いつの間にか骨張った男のものと変わり。 女の顔があった場所には、フードを目深に被った男の顔が笑っていた。 『逃がさんぞ、ガブリエル・カウンシル。 わしから逃げられると思うな、お前は逃げられないのだ』 首を締め付けながら男は──ヴォルデモートは不気味な高笑いをあげた。 苦しさに歪んだ視界の端が明るくぼやけていく。 「──、──起きろ、マリーっ!」 「!」 急激な覚醒にはっと瞼を開けると、寝起きのせいでわずかにピントがズレた視界の中に黒が揺れた。 強く掴まれた肩の痛みに、ぼやけた意識が輪郭を取り戻していく。 「セブ、ルス……」 掠れた声で名を呟くと、彼はほっとしたように息を吐いた。 ゆっくりとあたりを見渡すとそこはスネイプの部屋で、レポートの採点中にうたた寝をしていた事を思い出した。 「うなされていたぞ……大丈夫か?」 「あぁ……」 寝転んでいたソファから起き上がり、汗でへばり付いた前髪を掻きあげると、マリーは深い息を吐いた。 虚空を見つめる瞳があまりにも混濁した感情が映り込んでいて、スネイプはまた小さく名前を口にする。 宥めるように肩をさする手に自分の手を重ねて、マリーは力なく笑って返した。 「セブルス、大丈夫だよ──いつもの事だ」 「いつも……そんな夢を見るのか?」 スネイプそう尋ねられて、自分の失言に気づきマリーは慌てて口を噤んだ。反らされた視線にスネイプは溜息を吐くと、杖を振りティーセットをだした。 「今度、睡眠薬でも作ってやろうか」 「……お願いしようかな」 何も聞かずに居てくれる旧友に、敵わないなとマリーは苦く口元を歪めた。 あの夢のせいか、またズキリと痛んだ右目の傷をそっと眼帯の上から指先で撫ぜた。 耳の奥であの男の笑い声がまだ残っている。 (ヴォルデモートめ……) 忌々しげにかの男の名を心中に吐き捨てマリーは眉根に深い皺を刻んだ。 「砂糖は?」 「2つ」 ぽとりぽとりと落とされた砂糖がカップの中に消えていく。 スネイプが無言で差し出されたカップを受け取ると、彼は自分のカップを手にマリーと対面する位置にある1人がけのソファに腰を下ろした。 しばし無言で紅茶を楽しんだ後、マリーがぽつりと呟いた。 「セブルス、思うんだけれど」 「……なんだ?」 「ダンブルドア先生は石に関して何か言って来ないということは、私は守りに参加しなくていい。 ということじゃないかな?」 突然の話題にスネイプは僅かに眉を顰めた。 「でも、何もしないのもおかしな話だ」 「……何が言いたい」 ぼんやりと独り言ともつかぬ呟きを落としていくマリーに、意図が掴めぬスネイプが僅かに苛立った声をあげた。 「つまりは。好き勝手にやればいいって事だと思わないか?」 「………さぁな」 結果もたらされた結論に呆れた様子で溜め息を吐いたスネイプに、マリーはゆるりと隻眼を細めた。 「ご安心を、教授の邪魔はしません」 「お前のその言葉はまったくもって信用出来んな……。好きにするとしても、無茶だけはするなよ」 ひたりと黒い瞳に見据えられ、マリーは素直にうんと一つ頷いた。 (多分、無理だろうけど……) そんな呟きは口には出さずに紅茶とともに飲み下した。 ・・・ そんなとりとめのない会話を交わしてからしばらく、マリーは特に行動を起こすことはなかった。 予想通りダンブルドアから状況を問うお声もかからない、まぁ気忙しげなスネイプの視線は若干きつくはなってきているが。 (とはいえ、まだ動くには早い) 図書館からの帰り道、そんな考え事をしながら借り物の本の表紙を撫ぜつつ庭に面した廊下を歩いていると、その向こうに見知った背中を見つけた。 声をかけようとしたマリーは、その手から落ちかけた物に「あっ」と声をあげてそれに手を伸ばす。 なんとか受け止める事の出来たそれは、硝子の実験器具でマリーはほっと息を吐いた。 「危なかったね、手伝うよセブルス」 「──頼もう」 憮然とそう呟いた彼の手に積み上がった荷物から、いくつか不安定そうな物を受け取り並んで歩き出す。 「次の授業の?」 「あぁ、3年の授業のだ」 ならここに来て初めての授業内容だな、と久々に見る器具に目を向けながら思う。 「3年のか……懐かしいな、この器具久々に見る」 「使わないのか?」 「君ほど、私は魔法薬を作る機会はないから」 そういうものか、と呟いたスネイプに、そういうものだよ、と返す。 開け放たれた窓から吹き込む風に、飛ばされかけたレポートの紙を顎先で押さえながら、マリーはスネイプを見上げた。 「そういえば、セブルス──ずっと、聞き損ねていたことがあったんだ」 なんだ、と促すようなスネイプの視線がマリーを見た。 「君も、私がヴォルデモートに殺されたと思った?」 スネイプは一瞬微かに目を見開いた後、難しい表情で前に向き直ってしまった。 落ちた沈黙に、マリーもまた視線をスネイプの横顔から前へと戻す。 「……お前は」 低く、掠れた声にマリーは「うん」と相槌とも返答ともつかないもので返す。 「我輩が長年どこにいたのかを知らないわけではあるまい」 「まぁ……この目でその瞬間を見てたわけだし」 二人共、どちらの顔も見ず真っ直ぐに廊下の先を見据えながら話す。 1つの言葉のやり取りを終えると、言葉がなかなか続かない。授業時間中の廊下は静かで、すれ違う人もゴーストもいないため、2人分の足音が廊下の床を打つ音だけが鼓膜を震わせていた。 はぁ、と深い溜め息で沈黙を破ったのはスネイプだった。 「カウンシル家を、あの男が潰す気でいるのは知っていた。だが、“ガブリエル”をどうするかまでは、わからなかった」 そもそも、カウンシルの扱いについてあの男は1つも口にしたことがなかったようにも思える。大抵、この話題でキーキー金切り声で喚いては呪詛のように『殺してやる』『絶やしてやる』と繰り返していたのは、男の傍に侍っていた女だった。 「……先代は、殺されたよ」 先代の“ガブリエル”は、マリーの父であった。その訃報は、卒業も間近のことだったとスネイプも記憶している──真っ青な顔でマクゴナガルが告げた内容に、色を無くした顔で立ち尽くしていたマリーの横顔を、今でもはっきりと思い出せる。 マリーが“その名”と役目を継いだのは、卒業と同じくしてのことだった。 「お前は…?」 マリーは薄く唇に笑みを浮かべた。 「今、此処にいるのが答えだよ。 ヴォルデモートは私を殺さなかった──いや、殺せなかった、か」 最後、呟きのように落とされたその言葉に思わず立ち止まったスネイプから、数歩進んだところでマリーもまた足を止めた。 「……どういう意味だ」 問い詰めるような声に、背を向けたままマリーは答えなかった。 風が、青みを帯びたマリーの黒髪を優しく揺らす。短い髪の間に、彼女の右目を覆う眼帯の留め具が、陽の光を反射して鈍く光っていた。 「セブルス、いつか私は皆に……特に、君とハリーに、話さなければならない事がある」 「今、ではないのか」 その問いに振り返った横顔が、僅かに強張って見えたのは錯覚か。 「まだ……」 そう微かに呟いたマリーは、ゆっくりと窓の方に視線を向けた。 「まだ、早い……まだ」 その時じゃない、と呟くマリーから目を逸らすように、スネイプもつられるように窓の方へ視線を移す。 窓からは校庭が見え、飛行訓練を受けているらしい生徒達が見えた。 よく見れば、空を二人の生徒が飛んでいる。 そう、二人の生徒だけが、空にいた。 「──!」 息を飲んで愕然と外を見るスネイプの様子に気づいたマリーは首を傾げた。 「どうした?」 足早に窓辺に近づいて目を凝らすスネイプは苛立った声で返す。 「マダム・フーチはどこにいる──何故、生徒だけが空にいる!」 「?! 何年生だ?」 「時間的に──1年生」 その言葉にマリーは、廊下の開いた窓枠に足をかけた。 「マリー?! ここは3階だぞ!」 後ろで放り出した荷物が割れた音とスネイプの驚愕の声が響いたが、マリーは振り返る事なく飛び降りた。 口早に放った魔法に着地の瞬間に勢いを殺すと、ふわりと降り立ったマリーはそのまま地面を蹴って風のような早さで校庭の方に消えて行った。 スネイプは窓枠から身を乗り出しその姿を目で追いながら、空中で対峙する二人の少年の姿を睨みあげた。 「ポッターとマルフォイめ……」 忌々しげに吐き捨てた名前に、スネイプの顔が凶悪に歪む。 ・・・ 空を翔けるその姿はまさに、彼の父親である男の若かりしき頃のそれと重なり合う。 距離が縮まって来て、マリーはようやく空にいる少年達が誰なのかを理解した。スリザリンのドラコ・マルフォイとグリフィンドールのハリー・ポッターだ。 見上げる先で、声までは流石に聞こえてこないが何か言い争いをしていた2人は、最終的にマルフォイがその手にある何かを投げたような動作をすると、ハリーはそれを追うように急降下をする。 マリーは走っていたスピードを落とす。もう何も問題はないと、わかったからだ。空を自由に翔けるハリーに、マリーは頬を緩めた。 「センスは父譲りか……」 弾んだ息の合間にそう呟くと、地上から二人を見ていた生徒が驚いた声をあげた。 「マリー先生!!?」 その声に、先に地上に降りて来てたマルフォイはばつが悪そうな顔をしている。 対象をつかみ取れたらしいハリーが難なく地面に降り立つと、同じくマリーの顔を見て叱られる覚悟を決めた顔をするので、マリーは思わず苦笑をこぼした。 その場のなんとも言えない沈黙を破ったのは、鋭い声だった。 「ハリー・ポッター!」 よく響くハリのあるその声に生徒だけではなく、元生徒であるマリーも思わず体を強張らせた。 校舎の方から駆けてくるマグゴナガルに、ハリー達は完全に青ざめた顔でその人を見つめていた。 「まさか──こんなことはホグワーツで一度も………」 大きなショックを受けているらしいマグゴナガルの声は震えていて、生徒達は彼女が怒っているように感じていることだろう。 しかしマリーは、マクゴナガルの眼鏡の奥のその瞳にちらつく歓喜に気付くと、口にしようとしてたフォローを飲み込んだ。 「よくもまぁ、そんな大それた事を……首の骨を折ったかもしれないのに」 「先生、ハリーが悪いんじゃないんです……」 おずおずとハリーの正当性を語ろうとした生徒を「おだまりなさい、ミス・パルチ」とぴしゃりと黙らせるとグリフィンドール生はさらに縮こまった。 対してスリザリン生のニヤニヤとした笑いは深くなるばかりで、それを不愉快そうに横目で睨んでいたロンが「でも、マルフォイが……」と呟く。 「くどいですよ、ミスター・ウィーズリー」 その一言がトドメとなり、生徒達は物言いたげな視線を交わし合うものの口を開く者は出てこなくなった。 「ポッター。さぁ、一緒にいらっしゃい」 促され、ハリーは肩をがっくりと落として生徒達が開いた道を進む。 マクゴナガルはその時、ようやく生徒達の中にマリーがいたことに気づいたのか驚いた顔をした後で、自分の興奮具合を恥じたのか咳払いをした。 「マリー、マダム・フーチが戻るまで生徒達を頼みましたよ」 「わかりました、先生」 大股で城に向かって歩き出すマグゴナガルと、その後ろをトボトボと着いて行くハリーを見送った後、 マリーはやれやれと1つ息を吐き出すと生徒達を見渡した。 生徒達は大半ハリーを心配そうな瞳で見送っていたが、そのなかに勝ち誇ったような顔をした少年を見つけて、 マリーはその頭をぺちりと叩いた。 弾かれたように様に見上げて来た少年を、マリーは酷く冷たい瞳で見下ろした。 「ミスター・マルフォイ、勝ち誇ったような顔を出来るような事を、君はやったのかな?」 「っ」 マリーの声の冷たさに水を打ったような静かさがあたりを包む。 「助手は減点も追加点もする権限はないのが、誠に残念だ」 さっと顔を青褪めさせたマルフォイに、マリーはふっと頬を緩めた。 「冗談だよ──むしろポッターの退学も有り得ないしね」 「ほ、本当ですか?!」 嬉々とした声をあげたロンに、マリーは「あぁ」と鷹揚に頷いた。 やったー!と素直に歓喜の声をあげるロン達グリフィンドール生を見つめて、また忌ま忌ましいそうに顔を顰たマルフォイに、マリーは苦笑を浮かべた。 「とはいえ、減点は免れないだろうなぁ。私だけでなく、これはスネイプ教授も見ていたわけだし」 水を打ったよう静まりかえった生徒達に、 マリーはこの名前は効果覿面だなぁと考えてから、そこから思い至った現実に表情を無くした。 「3階に、スネイプ教授の荷物投げ捨てて来てしまった……」