夢を見た。珍しく、あの悪夢ではなく、酷く懐かしい夢を。 ホグワーツの廊下を歩く自分の隣でリリーがにこやかな顔で何かを私に話し掛けてくる。 私はそれに相槌をうちながら、前から歩いて来る人物に視線を奪われた。 それは一人のスリザリン生──セブルス・スネイプだった。 彼にリリーが気付き、声をかけるとその漆黒の瞳がリリーを見つめる。 その瞬間、理解するのだ。彼が愛する者とは、誰なのかを。 そして、私のこの気持ちは叶わないものなのだということも 私は二人を見ないように瞼を閉じた。 再び瞼を開けると、そこは自分の寝室だった。 マリーは何度か瞬きをした後、ゆっくりと体を起こした。動くと左側の肋骨あたりに軋むような痛みを感じて、マリーは顔を顰た。 「そうか……昨日」 脇腹を摩りながらマリーは、意識を失う直前までを思い出し、深い溜息を吐いてくしゃりと髪を掻き乱した。 自己嫌悪に沈む気分に俯いていると、ドアノブがカチャリと動いた物音を耳にしてマリーは顔をあげた。 「マリー? 起きたのか」 「セブルス」 寝室のドアを開けてスネイプは部屋に入って来た。 体を起こしてベッドに座っているマリーに安堵の息を吐いて、ベッドのそばに歩み寄るスネイプの足元を小さな影がすり抜けていく。とたとたと軽い足取りで駆け寄ってきたミセス・ノリスは、ぴょんとマリーのベットの上に飛び乗ると、マリーの手に擦り寄った。 突然の登場に「ミセス・ノリス?」と驚いた声をあげつつ、ゴロゴロと喉を鳴らす彼女を優しく撫ぜてやる。 「もう起きて大丈夫そうか?」 セブルスにそう問われて、マリーは「あぁ」と頷いた。 「起きられましたか?」 「あぁ、ちょうど起きたところだったようだ」 寝室の隣の部屋から聞こえて来た声に、マリーは目を瞬いた。フィルチさん?と呟いた声に答えるように、スネイプが口を開く。 「夕飯を運んでもらった、何か腹にいれるといい」 夕食、ということは丸一日寝込んでしまっていたようだ。 「そうか……わざわざ、ありがとう」 申し訳なさに情けない顔でそう言うと、スネイプはふんと小さく鼻を鳴らして応えた。 マリーは一度ミセス・ノリスに膝から降りてもらうと、ベットから立ち上げるべく足を伸ばす。スネイプが、裸足の足に靴を履かせようと身をかがめようとしたので、マリーはそれをやんわりと手で制した。 「自分で出来る、足を怪我している人がしゃがもうとしないで」 驚いたように目を見開いたスネイプに、気づかないと思った?と苦笑してマリーは立ち上がると。ナイトローブに肩掛けを羽織ると、立ち尽くすスネイプの脇をすり抜け書斎代わりに使っている隣の部屋へと移動した。 「調子はどうだ?」 やって来たマリーを振り返ったフィルチがそう訪ねて来たので、「薬のおかげでこの通り」と微かに笑った。 テーブルにはフィルチがもって来てくれた軽い夕食が置いてあり、マリーはその前のソファーに腰を降ろすと、同じく隣の部屋から出て来たスネイプとフィルチにも座るように勧めた。 「セブルスは、こっちに」 「?」 フィルチとは別の、マリーの座ったソファのすぐ隣にある一人掛け用のソファを示されてスネイプは怪訝そうな顔をした。 「手当てしにくいから、こっち」 「手当てなど……」 この期に及んでまだ抵抗するスネイプに、全くと溜息を吐く。 「いいから『座れ』セブルス」 「なっ!」 自分の意思を無視して勝手に体を示されたソファーに沈められたスネイプは、マリーを射殺すほどに睨み付けた。 「マリー!《言霊》を使うとはどう言うつもりだ!」 「君が素直じゃないのが悪いんだよ」 ケロリと悪びれもなくマリーは答えると、『足の怪我の手当を。包帯に傷薬と、クッション、フットスツーツ』と呟きながら、棚から飛び出してスネイプの足元まで飛んだそれを視線で追いかけた。 《言霊》にかかったそれらは、スネイプの怪我をした足をクッションを乗せた小さい椅子の上に乗せて、治療を始める。 「それに、混ぜた《言霊》に気付けなかった、君も無用心過ぎるよ」 苦虫を噛み潰したような顔をしたものの、スネイプは諦めたのか深い溜息を吐くと背もたれに深く寄りかかりあとは抵抗なく治療を受け始めた。マリーはそれを確認してから、フォークを手にとった。 ソファーに座るフィルチとミセス・ノリスはそれらのやり取りに驚く事もなく、もはや見慣れた様子で眺めている。 「アーガスさん、紅茶はいかがです?」 「いただこう」 「ではお茶菓子にビスケットを、ミセス・ノリスも食べれるように」 マリーの謳うような言葉に、戸棚が開いてティーセットが宙を滑る。 食事を続けているマリーの視界のすみで、魔法の力で怪我の手当と、お茶の用意が同時進行で行われている。 自分の前にも用意された紅茶が注がれたカップが置かれたタイミングで、黙り込んでいたスネイプが口を開いた。「……ミス・グレンジャーから聞いた、猫の姿であいつを庇ったらしいな」 「ん?ん、あぁ……グレンジャーはあの猫が私だって知らなかったし、戻るタイミングを逃してしまって。 でも、なんとかしなければと思っていたら、彼女とこん棒の間にいたというか……」 無意識って怖いと、言いながらマリーはフォークをポテトに突き刺した。 「そう言う君は、どうしたんだ?」 その傷、と言いながら彼の足に目を向けると、膿んだ傷口はもうすでに白い包帯の下に丁寧に隠されてしまっていた。 「あの時──クィレルが四階にいた」 あの時、と繰り返したマリーが隻眼を細める。 「それで?」 「三頭の犬に阻まれて奥まで進めなかったようだ。死なせるわけにもいかないので、助けたらこのざまだ」 「……そう」 フォークを食べ終えた皿に置いて、マリーは思惟するように顎に手を当てた。 「セブルス、ちょっと待っていてくれ。アーガスさん、ご馳走でした」 マリーはソファーから立ち上がり痛みが残る脇腹を押さえながら、また寝室に戻って行った。 しばらくしてスネイプの治療を終えた包帯等が、糸の切れた人形の様に重力に従って床に散らばった。 フィルチはそれを拾い上げながら、スネイプをちらりと見上げた。 「なら、あの男の計画は失敗したわけですか?」 「だろうな──しかし、忌ま忌ましい奴だ。三つの頭を同時に注意するなんて出来るか?」 治療された自分の足苦々しく見下ろすスネイプに、フィルチは無理だと言うように首を横に振った。 その時、僅かに軋んだドアにスネイプは目を向ける。部屋のドアを開けて固まっているその小さな影に、スネイプは慌てて治療のために上げていたガウンを下ろして隠すと声を荒げた。 「ポッター!」 「っ!」 スネイプが苛つきに顔を歪ませると、ハリーの体が目に見えて強張った。 動揺する少年が、部屋の中に助けてくれる者を探すように視線を泳がす。 「僕、マリーさんのお見舞いに……」 「出て行け、失せろ!」 ハリーは青い顔で、ドアも閉めずに凄い早さで逃げていった。 スネイプは僅かに上がった息を整えていると、部屋から戻ってきたマリーがきょとりと目を瞬いた。 「何、今の大声?」 「ポッターが来たんですよ」 ハリーが開け放ったままだった扉を閉めながら答えたフィルチに、マリーは軽く目を見開いた後スネイプに視線をうつした。 「ハリーが?追い返したのか、セブルス」 「あいつは、先ほどの話を聞いていたかも知れんぞ」 不機嫌そうにそう言いながらマリーを見上げたスネイプに、「まいったな」とマリーは呟いた。 「ハリーは、早くにあれの存在に気付いてしまうかもしれないな……」 「面倒事の芽は、早めに摘むべきだ」 「──この件は、ダンブルドア先生に指示を仰ごう」 マリーはそう話を完結させると、寝室からもってきた紫紺の小さな包みをスネイプに差し出した。 スネイプはそれを訝しげに受け取り、ひっくり返したりしながらそれを見ると、包み紙の固定部にはカウンシル家の紋が押された蝋で封されていた。 「これは……?」 「保険だよ。何かあった時、私が自らこれをダンブルドア先生に届けられない状況に陥ったら、君がこれを先生に届けてくれ」 マリーそう言って、包みを持つスネイプの手に自分の手を重ねた。 「頼めるか……?」 スネイプは目を伏せたマリーの感情を伺うように目を細めて見つめたが、硝子玉のような緑色の瞳は相変わらず感情が読めなかった。 スネイプは深い溜息を吐くとそれを懐にしまい、わかったとだけ短く答えた。 「頼む、必ず先生に」 頼む、とそう言って伏せられた瞳が何を滲ませていたかは、誰も知る事はなかった。 ・・・ 前夜をクィディッチの初試合への興奮と緊張。 それからマリーの部屋で聞いてしまったスネイプのあの言葉と表情がぐるぐると頭の中をまわり、ハリーは眠れぬ夜を過ごした。 大広間での朝食は、クィディッチの好試合を期待するうきうきとしたざわめきに満たされ、ハリーをさらに憂鬱にさせる。 「朝食しっかり食べないと」 「何も食べたくない……」 ロンが差し出して来たソーセージの皿を押し返しながら、ハリーはふるふると首を横にふった。 「トーストを、ちょっとだけでも」 ハロウィンの夜から、お互いの関係が変わったハーマイオニーが優しく言って、マーマレードがついたトーストを握らせて来たので、ハリーは重い溜息を吐いた。 「お腹、空いてないんだ……」 「駄目だよ、ハリー。無理してでも食べなきゃ」 「!」 上からかけられた声にハリーは顔をあげると、側に立っていたマリーがこちらを上から覗き込んでいた。 「マリーさん!? 怪我──」 「心配させてごめんね。怪我の事は皆には内緒なんだ…だから静かに、いいね?」 マリーの指に遮られてハリーは言葉を飲み込むとコクコクと頷いた。 「マリーさん……私、ごめんさない。本当になんて言っていいのか」 涙目で俯いたハーマイオニーの頭をマリーはやさしい手つきで撫ぜて、俯いた顔をあげさせると頬を緩めた。 「ハーマイオニーが悪いわけじゃない、油断した私が悪いから気にする事はないよ」 「はい……本当にごめんなさい」 「ハリーも、すまない。部屋にあんな怖い奴がいて、凄まれて怖かっただろ?」 困った様に眉根を下げたマリーに、ハリーは慌てて首を横に振った。 「いいえ。でも…なんでマリーさんの部屋にスネイプ、教授とフィルチが……?」 「スネイプ教授とアーガスさんは、調度お見舞いに来てくれてたんだ。私は寝室にいたんだよ」 「お見舞いって……マリーさん、フィルチとも仲がいいの?」 ロンの不思議そうな声に、マリーは「そうだよ」となんでもないように答えた。 「さて、ハリー? 余計な話をしてリラックスしてきて、お腹がすいてきたんじゃないか?」 「え?そういえば……」 そう言って、少し空腹を訴え始めたお腹を摩るハリーの前に、食欲のそそるこんがりとしたかおりを漂わせるソーセージの皿を置くと、マリーはハリーの肩をぽんと叩いた。 「ハリー、初試合楽しんで来なさい。 きっと君の両親も喜んでるはずだ、いや、寧ろ喜んでる姿が目に浮かぶよ」 「本当に?」 あぁと、優しく答えてマリーは目を細めた。 「ジェームズはきっと煩いくらいにハリーの事を自慢げに話して、やり過ぎてリリーに叱られるんだ。 君の父親は、母親にはいつも敵わなかったよ」 ハリーはマクゴナガル先生に両親が喜ぶと言った時よりも、よりその実感が持ててじんわりと胸が熱くなった。 「マクゴナガル先生が言ってたんです。父がクィディッチで素晴らしい選手だったって」 「あぁ、素晴らしい箒の乗り手だった。 でもハリー、私はこの前の君の箒を見て、一瞬君にジェームズの姿が重なって見えたよ──やっぱり、君はジェームズ似なんだね」 マリーはハリーのくせっ毛をくしゃりと撫ぜると、手を離した。 「まぁ、昔話は今度だね。朝飯、遅れないように食べなさい」 「はい、マリーさん。ありがとうございます」 マリーは答えるように口元を緩めると、ふわりとローブを翻し教員席の方にゆっくりと歩いていった。 三人はしばらくそれを見送った後、ゆっくりと食事を再開した。 「ねぇ」 「なんだよ」 「マリーさん、ハリーに《言霊》使ったわよね?」 「多分ね」 「うん。僕もそう思うよ」 ハリーはソーセージを頬張りながら、教員席をちらりと盗み見た。 マリーは隣の席のスネイプと何やら話しているようで、ハリーはそのスネイプの表情に驚愕した。 昨夜のあの恐ろしい表情などした事がないと言わんばかりに、スネイプの表情はとても穏やかで、優しい眼差しをマリーへと向けていた。 ハリーは昨夜の出来事を話したハーマイオニーが言った言葉を思い出していた。 (スネイプが、ダンブルドアを裏切れるかどうかはよくわからないけど、 マリーさんの事は、裏切れないんじゃないかしら) スネイプへの疑いがハリーの中で晴れた訳ではなかったが、ハリーの中でそれだけは核心的に思えた。 クィディッチの試合は見事、新シーカー・ハリーの活躍でグリフィンドールが勝利をおさめた。 しかし、何事もなく終わったわけでもなく。 マリーは一人、スネイプの部屋にいた。 部屋の主であるスネイプは、先程の試合中にあった出来事をダンブルドアに報告しに行っている。 誰かがハリーの箒に呪文をかけ、ハリーに怪我をまたは死を与えようとした者がいることを、だ。 その犯人がわかっていながらスネイプが、ダンブルドアには報告せずに済ますだろうことは、想像に難くはなかった。 彼はタチの悪い事に、昔から一匹狼の性があった。幾度となくそれを窘めたい時もあったが、自分も似たような性質なために強く言えないあたりが恨めしい。 その性が、スネイプの“己だけでハリーを守る”という贖罪からくる使命感を高めさせている事を、マリーは実感していた。 しかし、それが、彼に悪い誤解を招いてしまっている事も、よく理解している。 呪文に対抗することにのみ意識を向けていなかったスネイプに反して、マリーは誰が彼のローブに火を点けたのか、どうして彼が反対呪文を途切れさせたのにハリーの箒が自由を取り戻したのかも、実は把握していた。 だからこそ、その誰がどのような誤解を抱いたか、予想は容易い。マリーは憂鬱そうな顔で額を手で押せた。 (なんとも、報われない……) 悲しい事だと、マリーは口の中で呟いた。 誤解によってこんがらがった物事を解決するのは容易くない。それをマリーは過去の出来事で体験済みだ。 人のいない地下のこの部屋はとても寒く、じんわりと靴底から染みてくる冷たさにマリーは微かに眉を顰た。 「寒い」 「暖炉に火ぐらいいれておけばいいものを」 呟いた言葉に返ってくるはずもない返事があり、マリーは伏せていた瞼をあげた。 「どうだった、セブルス」 部屋に入りながら、魔法で暖炉に火をいれたスネイプがあぁと曖昧な返事を呟いた。 「ダンブルドアが、調べてみると言っていた」 「やっぱり。誰がやったか、先生に言わなかったんだねセブルス」 「不確かな情報は混乱を招く、ただそれだけだ」 スネイプはそう比較的静かに言いながら、杖を振りティーセットをだした。 マリーはスネイプから視線を外し、暖炉の赤い炎のちらつきを見つめていた。 「砂糖は?」 「今日はいらない」 いつもと同じだろうと思っていたのか、角砂糖を一つ摘みあげた状態でスネイプは僅かに目を見開いた。 「珍しいな」 「そうだね」 マリーは曖昧に答えて受け取ったカップを煽り、熱く渋いそれにマリーは顔を顰た。 「……無理しないで、入れたらどうだ」 砂糖を一ついれた自分のカップを傾けながらスネイプは呆れたように呟いたが、マリーは苦く口元を歪めて、いやと首を横に振った。 スネイプが淹れる少し渋い紅茶は、まるで彼のようだといつも思っていることはマリーの秘めたることだ。