『賢者の石』と同様に心配の種であった、スネイプが審判のクィディッチの試合は特に大きな問題もなく終了し、試合後の独特な高揚感にハリーは包まれていた。 勝利に浮つくふわふわとした足取りで、ハリーはニンバス2000を箒置き場に戻すために一人更衣室を出た。 軽い足取りで箒置き場へと向かうハリーは、城の正面階段でフードを被った人物と擦れ違った。人目を避け急ぎ足で城を出ていくその人物は、禁じられた森へと向かっていく。 ハリーは、冷や水を浴びたように一気に興奮が冷めた。 あの足を引きずって歩くのが誰なのか、ハリーはすぐにわかったからだ。ハリーはすぐさま箒に飛び乗り、地面を蹴った。 城の上まで静かに滑走すると、夕暮れに闇を纏い始めた森の中に駆け込んで行くその姿を見つけ、ハリーは気配を殺して後を追った。 森の奥に進むと枝葉を繁らせる木々に邪魔をされて見失ってしまった。 空を旋回してしばらく探してみたが見つからず、徐々に高度を下げてから再び探し始めたハリーの耳に、誰かの声が風の音に混じって届いて来た。 息を殺してハリーは声のするほうへと静かに移動し、その近くの太い枝へと音を立てないように降り立った。 ハリーは葉っぱの陰から足下を覗き込むと、下にスネイプの頭が見え。それと対峙するクィレルが見えた。 真上から見ているため、二人の表情はハリーからは窺い知る事は出来ない。 「………な、なんで……よりによって、こ、こんな場所で……セブルス、君にあ、会わなくちゃいけないんだ」 「このことは、二人だけの問題にしようと思いましてね」 スネイプの声は、今までハリーに向けられたものよりも鋭利で、氷のように冷たかった。 「生徒たちに『賢者の石』のことを、知られるわけにはいきませんからな」 『賢者の石』その言葉にハリーは思わず身を乗り出した。クィレルが何かもごもごと呟き、それをスネイプはぴしゃりと遮った。 「あのハグリッドの野獣をどう出し抜くか、もうわかったのかね?」 「で、でもセブルス……私は……」 威圧するようにスネイプが一歩前に踏み出して近付くと、縮まった距離をクィレルは怯えた様にじりじりと後退して離れた。 「クィレル、私を敵に回したくなかったら」 スネイプの手が、懐に伸びた。クィレルは目に見えて怯えている様子で体を震わせている。 「ど、どいうことなのか、私には………」 「私が何をいいたいか、よくわかっているはずだ」 後退りを続けていたクィレルはついに、その背中を木に押し付けた。退路はすでにない。 「あなたの怪しげなまやかしについて、聞かせていただきましょうか?」 「で、でも私は、何も……」 「そこで何をしている」 鋭い声と共に薄暗い森の闇を照らしたランタンの明かりに、ハリーは闇に慣れた目を細めた。 「マリー……」 スネイプが呟いたその人の名前に、ハリーは現れた人物が何者なのかを知った。 掲げるランタンの光に、その白い顔を照らし出したマリーは怪訝そうに目の前の二人を見つめている。 「スネイプ教授に、クィレル教授……? この森で一体何を、なさっているんですか?」 いつにない高圧的な声が、ハリーの体を強張らせた。これが彼女の言葉に篭る力なのかと、ハリーは静かに息を飲む。 しかし、それをスネイプは鼻を鳴らしてあしらった。 「ミス・カウンシル、君こそ此処で何をしているのだね?」 「……それはお答えは出来ませんね、スネイプ教授」 マリーはちらりとクィレルを見てから、スネイプを見上げた。 「ならこちらも答える義理はない」 「否、答える義理ではなく、答えられない話をしていたのなら。そう言えばいいでしょう、違いますか?」 ハリーからスネイプの表情はやはり見えなかったが、スネイプの肩が僅かに震えた様に見えた。 「死に損ないが、でしゃばるのはよしたらどうだ? 貴様はそれで命を縮めているのを、まだ理解していないようだ」 「! セブルス、誰からそれを……」 ハリーはその声から、マリーの動揺を感じ取った。 (知った……スネイプは何を知ったんだ? ううん、それよりマリーさんが、スネイプをセブルスって呼んだ?!) 「どうして、君に誰が一体……」 「重要なことは、そんな事ではないのではなかろう?」 スネイプの不機嫌そうな言葉に、「それは……」と言い淀んだマリーに、スネイプは話は終わりだと言わんばかりにマントを翻した。 擦れ違い様にクィレルに「近々、またお話をすることになりますな。もう一度よく考えて、どちらに忠誠を尽くすか決めておいていただきましょう」と低く囁くとマリーに一瞥を残し、スネイプはその場を大股に立ち去った。 ハリーはしばらく、石のように立ち尽くすクィレルと、渋い表情でスネイプの後ろ姿を見送る二人を見つめていた。 (僕らの考えは正しかったんだ──あの部屋には『賢者の石』があって、スネイプはそれを狙っている) ハリーは早くロンとハーマイオニーに伝えようと急ぎつつ、出来るだけ二人に気付かれないようにひっそりその場を後にした。 ハリーがスネイプとクィレル、そしてマリーの森での会話を聞いたあの日から。 魔法薬の授業以外で、マリーとスネイプが一緒にいる所は見なくなった。 それはマリーがスネイプを避けている、距離を置こうとしているようにハリーの目には見えた。 スネイプもまたどんな理由があってからなのか、彼女との距離を離そうとしている。二人の間に何か壁が出来たのは間違いなかった。 その壁は、スネイプが“何かを知った”ためだということを、ハリーは感じていた。 「でも、スネイプは何を知ったのかしら?」 ハリーがその話をした後、ハーマイオニーはそう言って首を傾げた。 「スネイプがそれを知っていた事に、マリーさんは酷く驚いていたみたいだから、重要な秘密って事だけはわかるけど」 今いる場所が図書館の為、ハリーは声を潜めて言った。 「秘密って、もしかしてさ。 マリーさんも石を守っててスネイプに対抗する為の呪文がばれたとか!」 「何言ってるのよ、マリーさんは《言霊》を使うのよ、呪文なんて意味ないわ」 ロンの考えをぴしゃりとハーマイオニーは跳ね返すと、手持ち無沙汰に広げられた羊皮紙を指で叩いた。 「その秘密──石とは関係ないんじゃないかしら」 「どういう意味?」 「だって、もし石に関する秘密がばれたんなら、スネイプとは距離を置かずにずっと監視していたほうが安全じゃない?」 「それも……そうかな?」 「そうよ、そうなのよ……スネイプは“命を縮めている”と言ったんでしょ? それって、どちらかというと心配してなんじゃないかしら」 ハーマイオニーは小さくそう呟くと、机に肘をついて手に顎をおき溜め息を吐いた。 驚いた顔を見合わせたハリーとロンは、彼女の言葉を追究しようと口を開きかけたが、それは後ろからかかった声に言葉になることはなかった。 「もう試験勉強してるの?頑張ってるね」 「マリーさん!」 「しーっ、図書館だよ此処」 驚いて少し大きな声を出した三人に口元に人差し指をあてて頬を緩めると、何事かとこちらをみていた司書のマダム・ピンスに軽く会釈をしてから、マリーは空いていたハーマイオニーの隣の席に腰掛けた。 「試験までまだ日があるのに、もう試験勉強を?」 「まだって、10週間しかないんですよ?」 広げられた教科書を手にそう言ったマリーに、拗ねたように唇を尖らせたハーマイオニーに、彼女は苦笑を浮かべた。 「マリーさんは、図書館で何を探してたの?」 マリーの手にある本に興味深そうな視線を向けたロンに、マリーはそれを差し出して見せた。 小さめなその本は、黒い皮表紙に金文字で何かが書かれていたらしいが、それはもう掠れてほとんど読めない。 「何の本ですか?」 「闇の魔法に関する本だよ──君達が読むのはまだ先かな」 そう言ってマリーは懐にその本をしまった。 「勉強もいいけど、こんなに天気もいいんだ。気分転換に外でもでるといい」 図書館の窓の方に視線を投げたマリーにつられるように、三人も窓の外を見た。数ヶ月ぶりに晴れ渡った空は澄み渡り、夏が近づく気配がする。 ハリーは外の風景から視線を移し、ぼんやりと窓の外を見つめるマリーの横顔を見つめていると、「ハリー」と小さく名を呼ばれた。 「はい?」 「『賢者の石』に君達が深く関わってはいけないよ」 「──…」 「君達は、もう知りすぎてしまったが……これ以後は教授達に任せて、君達は学校生活に意識を向けなさい」 透き通った緑の隻眼が真っ直ぐにハリー達を見据えた。 「でも、その中に、石を狙う人がいるとしたら……?」 ハリーは緊張でからからと渇ききった喉で、なんとかそれだけを呟いた。 「ハリー、そんな事はダンブルドア先生も私たちも知っている。君達はもう心配しなくていい」 マリーはそう諭すように優しく言って瞼を伏せた。 「……踏み込み過ぎるな、ハリー。両親はそれを望んでいない」 「マリーさん。貴女は、一体……両親と何が」 ハリーの脳裏に、いつものあの悪夢がフラッシュバックする。 緑の閃光、悲鳴、そして────そして? 『──!!』 誰かの怒りと悲しみに満ちた声。 その声は──。 「ハリー…?」 「っ!」 ハーマイオニーの声に、ハリーははっとした様に俯いていた顔をあげた。 目の前の心配の色をうつす隻眼に大丈夫と言わんばかりに笑って見せると、マリーは微かに目を細めた。 「話はこれで終わりだ、勉強、頑張ってくれ………」 マリーはくしゃくしゃのハリーの頭を撫ぜると立ち上がった。 漆黒のローブが翻され、去っていく細い背中をハリーは無意識に呼び止めた。 「マリーさん」 振り返った彼女に、ハリーは言い淀むように唇を震わせる。 「マリーさんは……僕の両親が殺された時に、近くにいましたか?」 声が聞こえる。 赤ん坊の泣き声、女性の鳴咽混じりの悲鳴。そして、呪いを呟く男の声と、悲痛な叫び。 『貴様は、彼等まで私から奪うと言うのかっ!!』 悲鳴だった。 怒りと悲しみに満ちた、悲鳴。 徐々に繋がっていく、過去の情景が紡ぎ出した真実にハリーは呆然と呟いた。 『あぁ…リリー!そんな……ジェームズ……。ハリー…!』 「ハリー…」 悲痛に泣き叫ぶ声が、今目の前でハリーの名前を呟いた声に重なり合う。 「貴女は、僕の両親の最期に……あそこに」 核心に満ちたハリーの声に彼女は答えることはなく、様々な感情が入り交じって濁った瞳でハリーを見下ろしていた。 ・・・ 図書館の片隅、魔法薬関連の本が並ぶそこで、スネイプは開いていた魔法薬の本を閉じた。それを本棚に戻すと、小さく息を吐きながら長く伸びた前髪をかき上げた。 あの日を境にマリーは、自分と目を合わせようとしなくなった。この頃はほとんど、彼女の横顔か背中ばかり見ている気がする。 その原因などわかりきった事だ、子供染みた八つ当たりととにかく危険から遠ざけようと、拒絶的な言葉をぶつけたのは自分なのだ。ただ彼女のその行為に結局、沈黙を選んだことが悲しかった。 (それほどまでに、私に知られたくなかったのか) 寄り掛かった窓の外は晴れ渡り、久々に見たその眩しい陽射しにスネイプは目を細めた。 この窓から見える景色は自分が学生の頃から変わる事はない。 浮かぶ記憶に瞼を伏せれば、遠い記憶の中の彼女の声が耳の奥で響く。 『セブルス』 あの時願った彼女との緩やかな日々は、自分の闇への遁走により途切れ。そしてまた出会い。 ようやく、その切望は叶うと──それは幻想だったのだろうか。 「2年、か……」 呟いたその言葉は、重く、彼に影を落とした。 スネイプはそれを振り払う様に溜め息を吐くと、図書館を出ようと足を踏み出した。 「マリーさん」 少年が呼んだその名にスネイプは反射的に動きを止め、本棚に身を隠しながら声の方向を窺い見た。 そこにはこちらに背を向けて顔まで伺うことは出来ないが彼女の姿と、その目の前にはグリフィンドールの一年──ハリー・ポッターがいた。 「マリーさんは……僕の両親が殺された時に、近くにいましたか?」 図書館の為か潜められた小さな声でハリーは言ったが、スネイプの耳にはいやにはっきりとその言葉が届いた。 まずいな、とスネイプは思った。 ダンブルドアから、彼女があの場にいたことを“騎士団”の面々は知らされていた。そこで手酷い呪いを受けたことも。だが、それは公には伏せられ。突如として隠遁したマリーの途切れた足取りに、死が囁かれたのも無理がない話だった。 事実、スネイプでさえも姿を消した後のマリーのその後はわからず。口を噤んだダンブルドアに、騎士団内部でも彼女の話題はタブー視されていたため、彼女の生死をこの10年知りかねていた。 「貴女は、僕の両親の最期に……あそこに」 ハリーの断定的な言葉に、マリーは否定も肯定もせずにただ立ち尽くしている。 「マリーさん、僕に真相を教えてください」 「ハリー……」 細い声で少年の名前を呟くと、マリーの白い指がハリーの額の稲妻型の傷に触れた。 「君は、この学校にきて傷が痛む事はないか?……そうまるで、何かを警告するように」 「どうして」 それを知っているの?とハリーはそう呟きかけて、マリーの眼帯を見て何かに気付いた様にはっと目を見開いた。 「まさか」 「君の推測に私はまだ、肯定も否定もしない」 ハリーの言葉を遮るように言ってマリーは眼帯に触れた。 「もう少しだけ待っていてハリー、きっといつか本当のことを話すから」 「……約束ですよ」 静かに差し出された小指にハリーは自分のそれを絡めた。 「約束……」 スネイプはそこから無理矢理視線を外すと本棚に寄り掛かり、つめていた息を吐き出した。 (もし、やつがあの時ポッター家にいたのなら──2年という猶予は、まさかヴォルデモート本人がかけた呪いのせいか……?) しかし、彼女は他の狙われた人々と違い、生き延びた。 たった一人、その男から逃れたという英雄・ハリーと同じように、彼女もまた助かったとしたならば、何故、彼女の名前はその事件に関する事に一度も上がることなく今日まで来たと言うのだろうか。 (何か、まだ……足りない) 聞くべきなのだろうか。 いつまでも知らないふりを過ごして背を向けあい、また昔のように無駄な時間を過ごすのは嫌だ。 それも、限りのあるらしい時間の中でなら尚更。 (聞こう……ゆっくりとでもいい、彼女の口から真実を) 巡り巡って辿り着いた答えが胸にストンと落ちると、ようやく落ち着いた感情にもれた苦笑を誰に見られるわけでもないのにスネイプは掌で覆って隠した。 「マリーさん?!!」 何かが倒れた音に巻き込まれた椅子が盛大な音を立てて転がった音は静かな図書館に響き、スネイプは目を見開き本棚の間から飛び出した。 「何事だ!」 「っ!スネイプ教授! マリーさんが……!」 「!!」 騒ぎに集まり始めた野次馬達を掻き分けてスネイプが駆け寄ると、肩を揺らして声をかけるハーマイオニーの声にぴくりとも反応せず、白い肌をさらに青くさせ──そうまるで死体の様に床に横たわるマリーの姿があった。 彼女達の側で茫然と立ち尽くすハリーの肩を掴んでこちらを向かせると、動揺に揺れる幼い瞳と視線がかちあった。 「何があった?」 「わ、わからないんです。マリーさんが、急に倒れて……僕は、」 完全に動揺で要領の得ない少年の言葉にスネイプは苛々と舌打ちをすると、マリーの側に膝を付いた。 「マリー、マリー・カウンシル」 答えてくれと懇願するように彼女の名前を繰り返し呼びながら、首筋の脈を指先で探す。その手が震えたことが辺りにばれてない事を祈りつつ、触れた脈が微かながらも確かに彼女の生を伝えて来たことで、少しだけ安堵の息が吐けた。 「マリー先生はどうしたんですか?」 「わからない………とにかく医務室に運ぶ。お前達には聞きたい事がある、ついてきなさい」 「は、はい」 そっとマリーの体を抱き抱えると、微かに急いで図書館を出ていくスネイプを追って三人は走り出した。